宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い   作:最高司祭アドミニストレータ

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これから3話分、宇宙戦記の金字塔『銀河英雄伝説』へのリスペクト(オマージュ)に突入します。
「星が綺麗だな」…そんな高潔なセリフを、まさかこれほど薄汚い保身のために使う主人公がかつていたでしょうか。
本家ファンの方に怒られないか冷や汗を流しながら(タチバナほどではありませんが)、雰囲気たっぷりに書き上げました。タチバナの情けない内心の温度差で、風邪を引かないようご注意ください。


# 上級大将
英雄という名の道化


 帝国軍 第四独立機動艦隊 旗艦《アマテラス》

 

 部屋の半分を占める巨大な展望窓の外には、人智を超えた深淵が広がっていた。漆黒の宇宙空間に、無数の恒星が瞬いている。

 タチバナの視線は美しい星々ではなく、自らの艦隊を完全な球形で包囲している、おびただしい数の赤い光点に釘付けになっていた。

 

 

(終わった…終わった終わった終わった! なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよぉぉぉっ!?)

 

 

 タチバナの内心は、嵐の海の小舟よりも激しく揺れ動いていた。

 帝国軍上級大将、ケイイチ・フォン・タチバナ。周囲からは「天才的な采配で不可能を可能にする若き英雄」と崇められているが、彼自身にとってこの状況は理不尽の極みでしかなかった。

 

 

(俺は士官学校を卒業したら、適当な辺境の開拓基地で事務官になって、現地の可愛い女の子たちと安全なハーレムを作るはずだったんだ! なのになんで教官どもは俺の『絶対安全・回避至上主義』を『類い稀なるフリート・イン・ビーイング(艦隊保全主義)の体現』だの『神算鬼謀』だのと勘違いしやがったんだ!)

 

 

 背筋を伸ばし、両腕を後ろで組みながら、タチバナは心の中で血の涙を流していた。

 

 

(おまけに母さんが『可愛い息子のために箔をつけてあげなきゃ』って余計な裏工作をしたせいで、気づけば一番死亡率の高い『最前線の遊撃艦隊司令』に任命されちまった! そこから先はもう地獄の連続だ! 俺が怖くて逃げ回るたびに、このクソ有能な副官が裏で手を回して戦果をでっち上げ、あれよあれよという間に上級大将にまで異常昇進させられちまったじゃないか!)

 

 

 トントン拍子の出世。それは一般の軍人にとっては栄光の極みだろうが、タチバナにとっては処刑台への階段を登らされているに等しい。

 そして今、彼はその処刑台の最上段に立たされている。

 

 

(しかも今回の敵はただの宇宙海賊じゃないぞ! ドーン協定に中指を立てる私掠団の巨大連合体『ニーズヘッグ』! その裏には間違いなく、帝国中枢とズブズブの巨大企業『ノマシッピンググループ』の裏帳簿から流れた資金と、『ジュピターインダストリー』の悪徳部門から供与された最新兵器がある! 完全にメガコーポ同士の利権を巡る代理戦争じゃないか! なんで俺が、そんな血みどろの資本主義の最前線で標的にされてるんだよ!)

 

 

 敵艦隊は4,200隻。対してこちらは、寄せ集めを合わせても1,500隻。約3倍近い戦力差だ。

 

 

「タチバナ」

 

 

 その時だった。

 背後のドアが静かに開いた。足音一つ立てず、滑るように入室してきた影が、彼の数歩後ろで止まる。

 

 

「敵前衛部隊、最終包囲網の構築を完了した模様です。もはやネズミ一匹逃げ出す隙間もありませんね」

 

 

 首席副官、フィリア・アージェント大佐。月光を編み込んだかのような銀髪と、無表情を持つ彼の唯一にして絶対の腹心。

 

 淡々と天気の話でもするかのような口調で絶望的な事実を告げる彼女に、タチバナは振り返ることなく、震える声帯を叱咤して英雄らしい言葉を絞り出した。

 

 

「星が綺麗だな」

 

 

 我ながら完璧な現実逃避のセリフだったが、その独白は脳内に直接響くテレパシーによって無慈悲に粉砕される。

 

 

『心拍数、毎分140を突破。血圧も危険な領域です。現実逃避はそこまでにして、いい加減に覚悟を決めてはいかがですか』

 

 

 タチバナはゆっくりと振り返った。恐怖で表情筋が凍り付いているため、皮肉にもそれは完璧なポーカーフェイスとなっていた。

 

 

「敵は4,200か。有象無象の私掠団がいくら集まったところで、我が艦隊の敵ではない」

「ええ。素晴らしいご慧眼です」

 

 

 フィリアは表情一つ変えずに肯定しタチバナに歩み寄ると、彼の軍服の襟元を直した。

 

 

「ですが、膝が笑いを堪えきれずに震えています。鎮静剤の注射を準備させましょうか? それとも、万が一に備え、成人用のオムツをご用意いたしましょうか?」

「いらん!」

 

 

 喉から絞り出すのがやっとだった。フィリアは「そうですか」とだけ言うと、部屋の扉を開けた。

 

 

「さあ行きましょうか、艦橋へ。間もなく、提督たちが参りますよ」

 

 

 行きたくない。指揮官席など、座ってたまるか。

 タチバナは最後の抵抗として、窓枠にしがみつくようにして吐き捨てた。

 

 

「ふっ、行きたくない」

「はいはい行きますよ」

 

 

 次の瞬間、タチバナの襟首が、細腕からは到底想像もできない万力のような力で掴み上げられた。

 

 

「やだやだ! 怖い! 死ぬ! 帰りたぁぁぁい!!」

 

 

 副官に床を引きずられていく情けない姿。それが、数分後に全軍を指揮することになる男の真実であった。

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 第四独立機動艦隊旗艦《アマテラス》のメインブリッジ。

 タチバナは中央の戦術テーブルの縁に両手を強く突っ張り、どうにか崩れ落ちるのを堪えていた。

 

 

「タチバナ閣下!!」

 

 

 静寂を破り、分艦隊を率いる四名の老提督たちが詰め寄ってきた。いずれも貴族の家柄であり、年齢はタチバナの父親ほども離れている。

 

 

「ご覧ください、この布陣を! 奴らはただの海賊ではない! 情報によれば、ノマシッピングの裏ルートから横流しされた帝国軍の《ボレアス級-TE ミサイル駆逐艦》を多数保有しているとのこと!」

「左様! ドーン協定など歯牙にも掛けぬ私掠団の連合です! 彼らの《レイジャー級-TE 魚雷フリゲート》の飽和攻撃を受ければ、我々の装甲など紙切れ同然ですぞ!」

 

 

 口角に泡を溜め、顔を紅潮させてまくし立てる老提督たち。彼らの目は恐怖と保身の色で濁っていた。

 

 

「閣下! 即刻、全艦ワープ準備をご下命ください! 巨大企業の裏の軍隊を相手に、このような場所で無駄死にするわけにはいきません! 名誉ある転進を!」

(その通りだ! あんたら最高だよ! そうだよ、逃げよう! 俺もそれが言いたかったんだよ!!)

 

 

 タチバナは大きく頷き、待ち望んだその言葉を紡ごうとした。

 

 

「よろしい。全艦てっ──」

 

 ズンッ。

 

 

 背後から、鋭く重い衝撃がタチバナの背骨を貫いた。

 傍らに控えていたフィリアが書類を渡すふりをして、タチバナの背中の「ある一点」を指先で強く圧迫したのだ。

 

 

『却下です。タチバナ』

 

 

 脳内に直接響く、絶対零度のテレパシー。

 

 

『敵の主力は高速艦です。今背中を見せれば、ワープに入る前のチャージ時間で無防備な後部エンジンを狙い撃ちにされます。生存率は0%ですよ』

(ひっ…!?)

『逃げれば死にます。さあ、彼らを黙らせてください。私の言う通りに』

 

 

 タチバナは、もはや操り人形だった。

 フィリアの指先が背中から離れると同時に、彼はガバリと顔を上げ老提督たちを睥睨した。本人の意思とは無関係に口の端が吊り上がり、「英雄の笑み」が形成される。

 

 

「笑わせるな、老いぼれ共」

 

 

 部屋の空気が凍った。

 タチバナの内心は絶叫していた。

 

 

(ひぃぃぃ! 言っちゃった! ごめんなさいごめんなさい!)

「貴公らの目は節穴か? 敵の配置をよく見るがいい。メガコーポから資金を得た私掠団どもは、我々の撤退予測進路に、すでに《ノマ330-TE型 高速武装調査船》による索敵網を張り、機動部隊を待機させている。逃げ出した鼠を狩る気満々だ」

 

 

 タチバナは戦術テーブルを、バン!と拳で叩いた。本当は手が痛くて泣きそうだった。

 

 

「背を向ければ、貴公らの自慢の艦は、企業に飼われた猟犬どもの射撃練習の的に成り下がるだけだ。それとも何か? 貴公らは帝国軍人としての誇りよりも、薄汚い私掠団に背中を撃たれて死ぬ屈辱を選ぶと?」

「なっ!? ぶ、無礼な! 我らを愚弄するおつもりか!」

 

 

 顔を真っ赤にして反論しようとする老提督たち。

 

 そんな中、ブリッジの隅に静かに佇んでいた一人の影がふわりと動いた。

 

 リン・シャオラン少将。

 腰まで届く艶やかな黒髪を持つ、人形のように美しい貴族出身の分艦隊指揮官。

 彼女は騒ぎ立てる老人たちなど存在しないかのように、ただ一点タチバナだけを見つめ微笑んだ。

 まるでタチバナが放った「戦う」という決断を、心の底から祝福するかのように。

 

 

(えっ、何あの子? なんで笑ってんの? 俺チャック開いてる? 可愛い…けどめっちゃ怖い!)

 

 

「くっ!」

 

 

 タチバナの圧倒的な自信に、老提督たちは歯噛みする。撤退すれば全滅するという理屈を突きつけられ、さらに「誇り」という言葉で縛られては、これ以上食い下がることはできない。

 

 

「承知いたしました、閣下。貴官のお手並み、拝見させてもらいますぞ。万一の時は、全責任を負っていただく!」

「フン。好きにするがいい」

 

 

 タチバナは、冷たく言い放った。

 

 

「各員、自艦へ戻れ! 企業の犬ごときに遅れをとるなよ」

 

 

 老提督たちは屈辱に顔を歪めながら、形式だけの雑な敬礼を残して足早にブリッジを去っていった。

 リン・シャオランだけが最後にもう一度、タチバナに向かって深々と、 優雅な礼をした。その顔には、変わらず不気味なほどの笑みが張り付いていた。

 

 扉が閉まり、ブリッジに再び静寂が戻る。タチバナは、ホログラムの赤い海を睨みつけたまま、心の中で絶叫した。

 

 

(帰ってこいよ! 頼むから戻ってきて「やっぱり逃げましょう」って言ってくれよ爺さんたちぃぃぃ!!)

 

 

 戦いの火蓋が切って落とされるまで、あと僅か。

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