青の森と聞けば、人々は、あぁあの辺鄙な糞田舎かと鼻で笑うか、冒険者連中にとって素人連中を遊ばせておく体のいい訓練場所と言うだろう。
大抵の人間は青の森と言えばその程度の認識だし、その中に村があるなど知っている者のほうが珍しいくらいである。
実際この『青の村』が出来てから少なくとも半世紀以上の時が経っているから、その認識はある意味では正しいのかもしれない。
かつてガッツのある若者連中を束ねあげた初代村長がほんの少数で切り開いていったのがこの村の成り立ちで、魔物も今よりもずっと危険なのがそろっていたという。
初代村長は腕っぷしと口の上手さは大したもので、その力をもって危険な魔物どもも何のそのと蹴散らしていた、というのが老人たちの共通認識だった。
老人の言うことは大抵は誇張されているかボケが入った譫言と相場が決まっているが、残念ながらこの閉じた村にそんなことを疑うような頭を持つ者はいない。
しかしそんな益荒男も死神に呼ばれてしまえば、はい分かりましたと素直に従う他になく、開拓の半ばでぽっくり逝っちまった。
初代村長が逝っちまった後に残されたのは、言われた事を熟す事だけは一丁前の半グレばっかりで、二代目になって以降開拓の手はさっぱりと止まってしまった。
そうして諾々と時を重ねていったのがこの村で、そうしている頃には初代村長の抱いていた開拓の熱意などほんの数グラムも残っちゃいなかった。
とはいえ、こんな辺鄙でちんけな場所で生きる彼らの逞しさは、なかなかどうして侮れないものがある。
若い衆は初代村長の腕っ節の話を老人連中にこれでもかと刷り込まれているので、かつて初代村長の取り巻きたちと瓜二つの力だけは一丁前の脳筋馬鹿に立派に育って日がな一日訓練や魔物狩りに勤しんでいる。
女子供もそんな男どもに憧れやら幸喜の色を隠す事は無いので、開拓の熱意こそ伝わらなかったが、存外受け継がれてゆくものはあったという事である。
さてさてそんな力自慢が集う村の中でなおやんちゃ小僧と呼ばれるような子供がいる。村一番の狩りの達人フンターの子であるクレスという子供である。
この子供は生まれた時から手がかかる小僧で、産声のデカさは普通の赤子の二倍三倍は大きな声を張り上げて泣き叫び、二本足で立つ頃には体のあちこちに擦り傷や泥汚れにまみれていた。
やんちゃなクレスはおとなしく家の中にいる事が出来ず、常に外を走り回って父親や自警団の魔物狩りに勝手に付いていっている。それだけでなく、何度言っても一人で森の中へ入ってゆくのを止めない我が道を行く強情さも持ち合わせていた。
クレス曰く、自分はいずれこの村を出て行って一旗揚げるのだから、このくらい出来なきゃ話にならない、とのことだ。そう豪語する度に生意気言うんじゃないと父親や母親にこっぴどくぶっ飛ばされるのが常だった。
好奇心旺盛で、その上突飛な発想で行動し人々を困らせるのがほぼ日常と化していたので、クレスがシーツを被った子供の手を引っ張っているのを見ても、あぁまたかと、大して騒がれることも無かった。
「ほら、こっちこっち!」
「……」
クレスはシーツを被っている子供の手を引っ張りながら、楽しそうに声を張り上げる。今日も元気な奴だなと、雑貨屋のザザ老は眼で追いながら、咥えていたキセルから口を放し、紫煙を吐き出した。
手を引かれているシーツを被っている子供は挙動不審めいて立ち止まっては周囲をきょろきょろと見回していた。その様子からどこかよそよそしさが感じ取れる。
はてこんな奴はこの村にいただろうか。ザザ老はとっくり考えてみた。
同じ年ごろの子供といったらダイ、チュー、ショーの暴れ者の三兄弟や、チビで舎弟気質のネズ、後は能無しの鼻たれ小僧のスカだろうか。しかしシーツの少年はそのどれとも当てはまらない。
首を傾げたザザ老は考えるのも面倒くさくなったので、本人へ直接聞くことにした。
「おい小僧、お前名前は?」
返事は無い。
続けて別の問いを投げかける。
「お前はどこの家のモンだ?」
やはり反応は無かった。
「……ふむ」
ザザ老は思案顔になる。ここ最近新しく引っ越してきた家族は居なかったはずだ。外から来た奴が村に入ってきたとすれば、入口付近にいる守衛達のどちらかが見落とすはずが無い。
「……おいクレス、お前は三人家族だよな?」
ザザ老は今度はクレスへと呼びかけた。
「急にどうしたの爺さん。とうとうボケた?」
「何を言うんじゃこの馬鹿垂れが」
軽口を叩くクレスの頭をガツンと小突く。クレスは頭をさすりながら憎悪の眼差しでザザ老を睨んだが、老人は鼻で笑い、顎をしゃくってシーツにくるまった少年を示した。
「そいつはなんじゃ? どっから来たやつだ? お?」
「こいつ? こいつは、えぇと……」
途端に憎悪は薄れて消え、クレスは目に見えてうろたえだした。
「べ、別に誰だっていいじゃないか! 爺さんが気にするような事じゃないだろ!」
「まあ、そうじゃな」
まごついていたクレスはとうとう逆切れ気味に怒鳴ったが、ザザ老からすればクレスたちに話しかけたのは暇つぶし以外の何物でもなかったので、どのような返答がこようがどうでも良かったのである。
結局ザザ老はクレスに任せる事にした。放っておいても大丈夫だろうという判断である。
「ほら、こっちこい!」
「……」
シーツに包まった少年を引きずりながら、クレスは村長宅へと向かって行った。老人はしばらくその姿を目で追っていたが、またぞろ虚空を眺めながら紫煙を吐き出した。
「村長の家に行けば、もっとたくさんの本がある。お前に分かるような本があるかもしれない」
「~~~~~~?」
ずんずん進んでいる背後で、知らない言語が耳に入ってくる。何を言っているかは分からないが、その意味は何となくではあるが把握できている。恐らく大丈夫かどうか聞いてきているのだろう。
クレスの口元はにんまりと弧を描いた。分からないが、良く分かるとも。何せそのイントネーションが母親が問いただしてくるときとまるで同じだったからだ。
何度も言うが、クレスは好奇心旺盛な子供である。こんな未知を前にして、何もしなどありえない。
閉じられた村社会。腕っ節だけが取り柄の三兄弟に嫌味な腰ぎんちゃくのネズ、何を考えているのか分からない気味の悪いスカ、危ないから村から出るなと抑圧ばかりの両親。
鬱憤が溜まっていた中で当てつけの様に入り込んでいた森の中。クレスの自由はそこにだけあった。いつかこのこの森を通り抜けて外の世界へ。自由を夢見ていたそんなときに思いがけず出会った人のような振る舞いをするゴブリン。
始めは未知を前に驚きと戸惑いばかりを感じていたが、コミュニケーションを重ねれば重ねるほど、このゴブリンがあまりにも人に近しい、否、人以上に人らしい事にただただ好奇心が刺激された。
見てみたかった。まるで人のようなゴブリンが、人と同じように流暢に話すさまを。きっと村の馬鹿垂れ共は腰を抜かして驚くに違いない。
その様を思い、クレスは笑みが止まらなかった。それ以前にクレスはこのゴブリンとの対話を何よりも望んでいた。彼が何を思い、何を言うのか。それが楽しみでたまらなかった。
が、それらの楽しい思いは村長宅の前に仁王立ちする三つの影を目にした瞬間に霧散した。
「……なんでいるんだよ」
クレスは苦虫を噛み潰したような顔をして吐き捨てるように言った。
「「やいこらクレス!」」
同じ体格、同じ顔、同じ髪型の三人の少年が同時にクレスへと詰め寄る。彼らはダイ、チュー、ショーの暴れ者兄弟だ。
彼らはクレスと同年代の子供であるが、その背丈は150を超えており、クレスと比べればまるで大型の肉食獣とウサギほどの対格差があった。見た目の通りの力自慢であり、しかしその代償かおつむのほうは少々ニブチンだった。
故に彼らの腰ぎんちゃくのネズの言うがままに右へ行けと言われれば右へ行かされ、左へ行けと言われれば左へ行かされ、大人たちには散々にこき使われていた。
「なんだよ、なんでお前らがここにいるんだ?」
「「ザザの爺さんがお前が村長の家に向かってるって言ってたぞ!」」
「あのクソ爺め!」
クレスは憤慨した。それを見て兄弟たちはあはあは笑った。
「なんだガキども、ウルセーぞ!」
と彼らが言い争っていれば、村長宅の中から半裸の老人が怒鳴りながら出てきたではないか。彼こそはこの村の三代目の村長であり、その後ろからは村長同様に半裸の女が顔をのぞかせ、煙草をふかしながらつまらなそうに一部始終を眺めていた。
「げえ村長!」
「何がげえじゃこのガキども!」
「「ウラアアアア!」」
ダイ、チュー、ショー兄弟は大声にびっくりして反射的に村長へと飛びかかって行く。しかし年季の入った体術であっさりと振りほどかれ、地面へと叩き付けられた。しかし兄弟はてんで堪えておらず、すぐさま立ち上がってはたがいに小突き合っては彼らにしか分からない理由でくすくすと笑った。
「またお前かクレス。今度はなんだ? イヌっころに尻でも噛まれたか、えぇ?」
「うるさいなぁ、何でもいいでしょ」
半目で睨み据える村長から顔を逸らし、クレスはバツが悪そうに頭をガシガシと掻いた。その際にいつの間にか殴り合いに発展していた三兄弟が目に入る。そこでふと気が付く。
(あれ? ネズのやつは何処だ?)
誰も使っていない時の三兄弟の主導権は常に腰ぎんちゃくのネズの手の中にあった。では今完全にフリーな状態となっている彼らのそばにネズの姿がないという事は?
「──―やべ」
慌てて振り向いた時にはもうすでに遅く、クレスの視界に映ったのは、厭味ったらしい笑みを浮かべたネズが、今まさにシーツを剥がし取った瞬間であった。
「ハハハーッ隙あり──────え?」
「「「──────は?」」」
シーツの中身を見た腰ぎんちゃくの笑みが凍り付き、取っ組み合いをしていた三兄弟までもが思わず手を止めて目を見張り、村長は目をしばたたいた。女は驚きのあまり咥えていたタバコが落ちるのすら気づかずに口をあんぐりと開けた。
「―――逃げろ!」
「ッ!!!」
一瞬で現実に引き戻されたクレスが叫び声を上げると共に、シーツの中身は、ゴブリンは背を向けて脱兎のごとく走り出した。
「―――待てッコラー!」
「「ザッケンナコラー!」」
その一拍子遅れて我に返った村長は、とても老人とは思えぬ健脚で走り出していた。その後を、鳥の雛の反射めいて怒号を上げながら三兄弟が続く。
「あわあわあわ」
この事態を引き起こした張本人たるネズといえば腰を抜かしてへたり込んでおり、クレスはその横っ面を蹴り飛ばし、慌てて彼らの後を追った。
「うわ醜っ!」
「ギャーキモイ!」
「なんでゴブリンが村の中にいるんだよ! 守衛は何をやってやがる!」
急いで村の中心部へクレスが駆けつけてみれば、てんやわんやの大騒ぎである。
村のど真ん中を突っ切るゴブリンと、その後を追う村長を先頭とした一行。その光景はとても非現実的で、まるで伝承の一ページを見ているかのようだった。
しかしそこに居合わせた者達は誰もが自分の目を疑った。なぜなら今まさに起きている事態は、伝承などという生易しい物では決してなく、明確な『異常』だったからだ。
というのもこの村の自警団への信頼はいっそ盲目的とすら言え、実際にここ数十年村へ魔物を侵入させたことがなかったから、その考えに疑問を挟む者など誰もいない。
にもかかわらず、現に今村の中で魔物が、それもこの世で最も醜く汚らわしい雑魚魔物の筆頭であるゴブリンが我が物顔で練り歩いている。それは自警団の沽券にかかわる重大事件であり、故に彼らのプライドを一瞬で沸騰させた。
「「コロセー!」」
顔を真っ赤に染め上げた自警団の若者たちが手に手に剣や槍を、血の気の多い老人連中は鍬や鋤を手に、各々がゴブリンを追い始めた。挙句の果てには魔法まで飛び交う始末だった。
「ひーっ」
膨れ上がってゆく追ってからの追撃に、ゴブリンは情けない悲鳴を上げながら避けて避けて避けまくる。
ゴブリンとは思えない反射神経でほぼすべての攻撃をかわし切って見せたゴブリンであったが、しかし多勢に無勢。数の差はいかんともしがたく、結局は村長宅の前で村人全員に取り囲まれ、じりじりと追いつめられていった。
村人たちは動かない。一部の自警団連中は鼻息荒く今にも飛び出さんばかりに力んでいたが、村長の号令がない限りは決して手を出しはしなかった。
「うわあああん痛いよぉ~!」
「近寄るんじゃねえ!」
「ギャン!」
ぐずつきながら寄ってくるネズを殴り飛ばした村長は、改めて村長宅を背にして立つゴブリンを睨み据えた。
ゴブリン。見てくれは通常のゴブリンと差はないが、その額から突き出ている人差し指ほどの長さの角が目に入り、眉間に皺寄せた。
「おいおい『特異個体』かよふざけんじゃねーぞ。このクソガキ、なんてもん村ン中に入れやがってんだ、お?」
「ふがふが……」
ゴブリンから目を放し、足元で芋虫めいて身をよじるクレスへと視線を移す。
父親と母親にこっぴどくぶっ飛ばされ、さらには自警団連中にしこたまぶちのめされたクレスは顔面が二倍めいて膨れ上がり、全身あざだらけのありさまだった。当然動くことなど出来ないし、出来る事といえば芋虫のように身をよじることが精々だ。
「クソめ」
唾を吐き、村長は改めてゴブリンを見る。
ゴブリンは微動だにしなかった。ゴブリンの視線は村長、の足元、身をよじるクレスへと注がれていた。それ以外気にならないと言わんばかりに。その視線が弱った獲物へ向ける類のものでない事に村長は訝った。
その時ふと、ゴブリンと目が合った。ゴブリン特有の黄色一色の瞳孔の無い濁った瞳……。
村長は再び目をしばたたいた。
「「「ッ!」」」
それと同時に殺気が膨れ上がり、決壊寸前まで一気に高まった。それまで動かなかったゴブリンが一歩踏み出したからだ。
二歩。三歩。ゴブリンはゆっくりとした足取りで、村長へと近づいてゆく。村人たちは手に持った得物を強く握りしめ、固唾を飲んでその様を見守る。
やがて村長の前まで来たゴブリンは、片膝をつき、満身創痍のクレスへとかがみこみ、口をもごもごと動かして、奇妙な『鳴き声』を発した。
それから立ち上がり、村長の困惑に満ちた視線に合わせて顔を上げ、それから手を膝に、体を折り、深く深く頭を下げ、そして『言った』
「ゴメンナサイ」
「―――なんてこった……!」
村長は仰天した。他の村人たちも同様に仰天して口をあんぐりと開けた。途端に張りつめていた殺意が、膨らんだ風船に針を刺されたみたいに急速に萎んでいく。
悪いことをしたら、頭を下げて任意をもって謝罪する。人社会なら当然のことであり、つまりは動物社会においては全く不要な概念であることは人であるのならば誰もが知っていた。
イノシシは畑を荒らしても謝らないし、イヌは罠にかかった獲物を食い殺したって礼の一つも言いやしない。
そんな中で、このゴブリンは謝った。しかもただ口に出すだけではなく、頭を下げたのだ。
頭を下げ、礼を尽くす。それはまさに人間特有の文化であり、魔物にとっては理解不能の行為であるはずなのに、目の前のゴブリンはそれを実行した。
「えぇ気概じゃ」
とある老人が呟けば、同調するように老人連中は頷き合い、今の若者がいかに礼儀知らずであるか大声で議論し合った。ともすれば若者連中は食ってかかり、たちまち老人連中と自警団との罵り合いに発展した。
やい爺ども、黙ってりゃあ好き勝手言いやがって、なんじゃ本当のことを言っとるだけじゃろがい、しけた爺に何の敬意を払えってか、何をぬかすか馬鹿垂れ共が、昔のワシらはもっと爺様に敬意を持っとったというのにお前らときたら、ボケ老人の記憶なんかあてになるか。
売り言葉に買い言葉で、宙に浮いた殺意が今度は村人同士の殴り合いへと発展しそうな雲行きだったが、村長がパンと両掌を打ち鳴らせば、開かれていた口はぱったりと閉じられた。
「まあ、あれだ」
村長は幾重もの視線を一身に受けながら、ゴブリンに向き直った。
「今更こういうのが一人増えたところで大した違いはないだろ」
と村長が言えば、老人たちはそれもそうじゃ、あの三兄弟に比べれば礼が分かる分マシじゃなと頷き合い、自警団たちは村長の度量に改めて感服した。
そんな訳で、この奇妙なゴブリンは二年と少しの間、この青の村で生活することとなった。
「グルゴル!」
ゴブリンは感極まったように叫び、足元でもぞもぞとうごめくクレスへと抱き着いた。
「ぎゃあ!」
クレスの悲鳴が森にこだました。