グレイ・ゴブリン:何の前触れも無く現代から異世界のゴブリンに転生していた男。青の村の外れに住み、旅立ちに備えて知識を蓄えている。角一本。
クレス:青の村に住む好奇心旺盛な子供。冒険者にあこがれており、現在は外へ出るために修行中。グレイ・ゴブリンの無二の親友。
フンター:クレスの父親。村一番の狩りの達人で、自警団のリーダーを務めている。
リーネ:クレスの母親。血の気が多く、悪さをしでかしたクレスにしょっちゅう拳骨を食らわせている。
村長:青の村の村長。かつては冒険者として活動していたため顔が広く、粗暴に見えて知識は豊富。
ダイ、チュー、ショー:クレスの同年代の悪友の三兄弟。図体がデカく、頭が鈍い。
ネズ:クレスの同年代の悪友。三兄弟の司令塔で良くクレスに嗾けてはしっぺ返しを食らう。とにかく間が悪く、関係ない事でも巻き添えで殴られる事が多い。
コメット:青の村唯一の聖職者。歳と過去の経験からややおかしくなっており、魔物であるグレイ・ゴブリン以外の村の住民さえ彼女にとっては敵である。そのため、あらゆる住民から目の敵にされている。
カセマージ、ヌイセラ、スルケープ:とある問題のために雇われた冒険者たち。ランクはB。
冬の寒さもすっかり消え失せ、若葉が芽吹き、寝ぼけ眼をこすって獣たちが動き出す春真っ盛りの早朝。
時刻は朝六時を回ったあたりか。この『青の村』の朝は早く、気の早い者はすでに外に出て畑仕事の用意を始めている。そんな中、一軒の家のドアが内側から蹴り開けられ、くすんだ金髪の子供が、大砲から射出された砲弾さながらに飛び出してきた。
「コラぁクレス! 仕事から逃げんじゃないよ!」
やや遅れて、一人の女が飛び出した子供、クレスの背を追って家の中から駆け出した。……その手に物騒な包丁を掲げて。
「うへへ山姥が追いかけてくら!」
「何が山姥じゃクソガキ! 逃げるな!」
二人は朝日を浴びながら全力で走り去った。後ろからは母親の怒声と共に、どたばたと激しい音が追いかけてくる。
ちなみに『山姥』と呼ばれた女性こそが、クレスの母親であるリーネである。彼女は元々都会育ちの庶民であったが、十数年前に夫であるフンターと結婚し村へ移住してきた。それ以来ずっと農業に励んでおり、体格も男勝り、口調も荒いため、村の子供たちの間では"山姥"と呼ばれている。
その筆頭がクレスであり、ことあるごとにぶっ飛ばされた屈辱を陰口で少しでも軽減しようという魂胆であったが、リーネからすれば火に油で、余計に苛烈なお仕置きを行使されてはクレスは屈辱とともに地に沈むこととなる。
物騒な追いかけっこに、しかし村人の反応は淡白である。こんなものはクレスが生まれた時からずっと続いている出来事なので、今更気に留める者も居ない。
とりわけ
しかしクレスは全くめげず、どころかより一層好奇心と反抗心に火をつけ、更なる行動力の源になる始末であった。
老人連中はクレスの何度父や母にぶちのめされてもめげない様子に感心すらしており、若者連中もそんなクレスの行動力に脱帽せざるを得なかった。
父親や母親はクレスのヤンチャぶりにほとほと困り果てていた。彼らは村の外がこの森以上に危険に満ちていることを知っているので、出来る限りこの森から、村から出ていかないでほしいと切に願っていた。
しかしクレスの好奇心は彼女たちの制御をとうに超えており、老人連中は自警団はこぞって知識を教えるものだから、父も母も、そろそろ年貢の納め時が近づいてきていることに薄々気が付いてきているのであった。
それでもまだクレスは子供である。出ていくにせよ留まるにせよ、決断を下すにはまだ早い。何事も順序というものがある。まだまだ学び終えていないクレスが森の外へと出ていこうなど、親として到底承服できる話ではなかった。
何より与えられた仕事を途中でほっぽり出して逃げ出しているうちは、外へ出るなどもっての外である。
しかし子供の成長とは日々を追うごとに加速度的に進んでいくもので、父親の血が濃いのか老人たちや自警団の教えをみるみると吸収してゆき、その術を存分に生かしてリーネやフンターをことごとく撒いて見せるのだった。
「はあ、はあ……ざまあ見やがれ……げほっ!」
体をたたんで息を荒げ、口の端しに垂れた涎を拭いながらクレスは勝ち誇って見せた。
「ふう……」
息を整え終えたクレスは顔を上げ周囲を見回す。ここは村の端っこに位置する場所であり、ここまで来ると
クレスは勝手知ったると雑草まみれの道を行き、教会の前を掃き掃除していた老コメットの猜疑心に満ちた視線を堂々無視し、目的地へと向かった。
それは古びた木製の小屋であり、もともとは老コメットの夫のチャーリーと彼女の家だった。だがチャーリーが死んでから彼女はその家を放棄して教会住まいとなって、以来誰の手も入らず無人となったまま放置されていた。
チャーリーの死因は狩りの際に下手を打ってブルードックに嚙み殺されたというもので、それ以降老コメットは魔物憎しと、宗教にのめり込む様になった。
元々神がかりの気があった老コメットはたちまちのうちに『敬虔な信者』となり、村で唯一の聖職者として今日まで生きてきた。
この偏屈な老婆は誰に対しても疑り深く、自分以外の人間はすべて悪魔だと本気で思い込んでおり、特にチャーリーを失ってからはその傾向が顕著に現れるようになった。
当然こんな者に好き好んで関わろうとする大人はおらず、子供たちは面白がってしょっちゅう老コメットにいたずらを行っては、その老人とは思えぬ健脚をもって捕まえられ、ぶっ飛ばされるのであった。
向けられる視線に中指を突き立てて挑発し、凄まじい罵声を心地よく聞き流しながらクレスはとうとう打ち捨てられた小屋の前までたどり着いた。
クレスは雑草一つ無い地面を歩き、打ち捨てられたというにはあまりにも整えられた玄関に立ち、ドアをがんがんと叩き、声を張り上げた。
「おーい! 起きろ、ゴブリン!」
返事はなかった。それでもめげずに何度も呼びかけるがやはり反応は無い。クレスは舌打ちをし、ドアノブに手をかけ引き開けようとした。そのときだ。
「……何ダイ」
小屋の裏手から、それはひょっこりと顔を出した。
見る者が見れば卒倒するか、あるいは武器を持っていれば迷わず手にかけるだろう。
緑色の肌、額から生えた太さ三センチ程度の立派な一本の角、短い手足を手袋と擦れたブーツに包み、色褪せたシャツとズボンを土汚れで飾った薄汚いゴブリンが、黄色一色の瞳に疲労を宿しながら、さも当然の様に人語を吐いた。
彼こそがクレスの好奇心に火をつけてしまった原因である『グレイ・ゴブリン』を名乗る奇妙なゴブリンである。
全ては二年前にクレスがこのゴブリンを村に引き込んだことが始まりだった。
このゴブリンは初めの内は一言二言の単語を言うのが精々だったが、安住の地を見つけたことで学習に労力を割けるようになったためにみるみる内に話せるようになり、挙句の果てには村長宅にある誰も理解できずに埃をかぶっていた書物すらにも目を通し始めていた。
彼は事あるごとに自らは人間であったと言っていた。当然誰もが鼻で笑ってその考えを否定したものだ。
この世界の最も盛んな宗教である『キシリトール教』の教えである死んだヒトはまたヒトに、死んだ獣はまた獣に生まれ変わるという考えが広く浸透してあり、この辺鄙で教会の影響も薄い青の村でもその教えは誰もが信じて疑っていない。
そんな中で到底彼の主張が通るはずはないのだが、彼の言動、所作や雰囲気が、とても獣のそれとは思えぬものばかりであり、彼の必死さも相まって、次第に村人たちはそういう事もあるのか、と考えを改めていった。
何より力あるものが主張を通せる風潮があるこの村で、三兄弟の長男であるダイを一対一でひっくり返して見せたこのゴブリンを、彼らはとっくの昔に受け入れていたのだ。
約一名、信心深いキシリトール教徒の老コメットは頑として彼の存在を認めず、隙があれば彼を殺そうと時には魔法の行使すら辞さなかった。
というのもキシリトール教の教えの一つに魔物絶対殲滅の教えがあり、信心深い彼女はその憎悪と相まって、ゴブリンであろうが何であろうが、自分以外の全ての生き物を許さない狂気じみた思想を持っていたのだ。
具体的に言えば? 百聞は一見に如かず。
見るがいい。きりもみ回転しながら
「キエ―ッ!」
「うわあ!?」
「ゲエーッ婆サン!」
奇声を上げながらピッチフォークを突き出した老婆の刺突にかろうじて反応できたグレイ・ゴブリンはなんとかクレスを抱えて体を投げ出した。
その直後にどすっと鈍い音を立ててピッチフォークが地面に突き立った。
「ウシャー腐れゴブリン! 地獄へ落ちろ!」
「クレス離レテ!」
「あわあわあわ!」
尻をまくって逃げだすクレスを目尻にグレイ・ゴブリンはブーツの中に仕込んであった小型の鉈を取り出すと老コメットの怒涛の如き刺突の乱舞を死に物狂いで捌き始めた。
「ウワーッ! ウワーッ!」
「やらいでかーっ!」
ガキンガキンと火花を散らして交差する武器。その場にはおぞましいほどの緊張感が充満し、武器を持たぬクレスはその様を固唾を飲んで見守るのみだ。
しかしクレスはグレイ・ゴブリンがやられるなどとは片端も思ってはいない。何故ならこういう奇襲は昨日今日始まったばかりではないし、その結果もいつも同じだったからだ。
「ぜえ……はあ……腐れ……ゴブリン……!」
そうこうしているうちに老コメットは顔に流れる汗を拭う気力すらも尽き果ててその場に崩れるように膝をついた。
「行コウ」
「うん」
額の汗を払い、鉈をブーツの中へとしまい込んだグレイ・ゴブリンに促され、クレスも早足にその場を立ち去った。
「しっかしまああの
背後にかかる負け惜しみめいた罵詈雑言を聞き流し、クレスは頭の後ろで腕を組みながら呑気に言った。
「仕方ナイサ。年ヲ取ルト途中デ止メル事ガドンドン難シクナルモンサ。ソレガ大事ナ事デアレバアルホドネ」
そうクレスが言えばグレイ・ゴブリンが訳知り顔で答えた。
「グレイもそうだったの?」
クレスがそう聞くと、グレイ・ゴブリンは答えず、ただ肩を竦めてみせた。その仕草は答えに窮した大人たちにそっくりで、クレスは目を眇めてグレイを見た。
「所デ、一体何ノ用デ俺ン所二来タンダイ?」
「それよ」
グレイ・ゴブリンが聞けば、クレスは待っていましたとばかりに足を止め、顔を破顔させた。片目を吊り上げるゴブリンに、クレスはまあ聞けとばかりに片手を上げた。
「ほら俺って森の外に出るために
「盗人用ノ罠二足ヲ吊リ上ゲラレルノガ修行トイウナラソウダロウネ」
「……」
睨みつけるクレスへこれ見よがしに溜息を吐くと、グレイ・ゴブリンは手をひらひらさせて続きを促した。
「フンッ、とにかくそんな『ビッグ』な俺は畑仕事なんていうしょっぱい事に時間を費やしてる暇なんかないのさ」
「トイウ事ハマタ仕事ヲホッポリ出シテ逃ゲテキタ訳ダ」
「変なこと言うな! これは
憤慨するクレスに、グレイ・ゴブリンは呆れ果てたと言わんばかりに頭を振った。
「やいこら、俺がお前をこの村に連れてきてやったんだぞ! 一生ものの恩だぞ! その礼と思ってお前やれよ」
「アノネ、クレス」
詰め寄ってきたクレスの手を払いのけ、出来の悪い子供に向かって噛んで含める様な口調でグレイ・ゴブリンは口を開く。
「俺ハ頼マレタラポケットノ中カラ道具ヲ取リ出ス青狸型ロボットジャナインダ。イクラ恩人ノ頼ノミダカラッテ限度ッテモノガアルノ」
「何だとコラ!」
「ジャア君ハコノ村ヲ出タ後モ面倒ナ仕事ヲ他人二押シ付ケルノカイ?」
「……」
振り上げたクレスの拳が固まった。その拳に掌を添え、ゆっくりと下ろしながらグレイ・ゴブリンは続けた。
「ソンナ事ヲスル人間ノ末路ハイツダッテ排斥マッシグラサ。モドカシイ気持チモ分カルケド、今ハチャント与エラレタ仕事ハ熟ソウ。ソノ忍耐ハイツカ君ノ人生二、キット役立ツダロウカラ」
「……む~」
最後まで聞き終えたクレスは納得がいかないとばかりにむくれっ面となった。グレイ・ゴブリンは怒るよりもむしろ朗らかに笑いながらクレスの背を叩いた。
「サアサ、手伝ッテアゲルカラ、ソンナニムクレテナイデ君ノ家ノ畑ヘ案内シテオクレ。今ナラオヤツノ『ドーナツ』ヲクレテヤルゼ?」
「ドーナツ!」
その単語が出るや否や目を輝かせたクレスはこうしちゃいられないとグレイ・ゴブリンの手を引っ掴むと、足早に自分の家へ向けて走りだした。
ちなみにドーナツというのは甘味料を使わずに小麦粉と油だけで作られた素朴なおやつで、意思疎通がある程度できる様になったグレイ・ゴブリンが自身の存在価値を少しでも高めるために作り出したものであり、今ではすっかり村定番の菓子として定着していた。
とりわけ彼の作るドーナツは村人の作るものとは出来が違い、それゆえ金が払えぬ彼が物々交換のための出し物として一時出していたこともあったほどだった。
今では労働に対して少ないが金銭が払われるようになったがために振るわれることも減ったが、だからこそ貰える機会が来れば、労働に対する不平不満などなんと取るに足らぬことであろうか。
「ようグレイ、今日もクレスのおもりか?」
「ヤア、エドワード」
「おうグレイ、ちと手伝ってくれんか。老体に重いモンは堪えるんじゃあ」
「マタ後デネ、ケネス爺サン」
村の中心まで下りて来れば、空にはすっかり太陽が昇り切っており、村人たちは忙しなく動き始めていた。その横を通りがかればある者は片手をあげ、ある者は労働を押し付けようとしてきた。クレスに引っ張られながら、グレイ・ゴブリンはその都度あいさつを返したり、適当にあしらったりした。
そうしていればクレスの家までもう目前であり、そのドアの前には腕を組んだリーネが仁王立ちの構えであった。
「アンタやっぱりグレイのところに逃げ込んでいたのね!」
「マアマア、俺モ手伝ッテアゲルカラ大目二ミテヤッテヨ」
「そうやって甘やかすと今にとんでもない事やらかすよこいつは!」
「グワーッ!」
ぼかりとクレスの頭に拳骨を落としながら、リーネは流れるように作業道具を二人へ投げ渡した。
「畜生……」
クレスは毒づきながら、とぼとぼとした足取りで畑へと向かっていった。グレイ・ゴブリンは振り返ってリーネを見た。リーネは鼻を鳴らしてクレスのほうへと指を向けた。とっとと行け、ということだ。
グレイ・ゴブリンは肩をすくめ、それから駆け足で気落ちする友人へと追いつくと、その肩を組み、同じ足取りで畑へと向かっていった。
これがこの村の日常であり、もう二年も続いていた。