村人に囲まれて万事休すのところでダメ元で謝ったらなんか許された件について。
いやホントあの時はもう駄目かと思ったね。マジで全部諦めてたもの。ああ死んだわって。そんでどうしようもなくなったらやる事は全部諦めて身を差し出すか、ダメもとで謝ってみる以外に無くって、だから謝ったら、なんか許された。
一度運に見放されると長いあいだ尾を引くものだけれど、逆に一度運がつけばそれもまた長く続くというもの。俺もそれにあやかって、今日まで命を繋げられている。
とはいえここまで生活を安定されるまでにずいぶんとかかった。
何せ仕事をやるにしても俺は彼らが何を言っているのかさっぱり分からないので、この村に来て始めにやった事といえばこれまでと変わらずこの世界の言語を学ぶ所からだった。
必死になってやった。だってこの気まぐれがいつまで続くか、俺には計り知れなかったし、ある日突然やっぱり殺そうとなっても不思議ではなかった。なにせ、俺は醜くて無価値なゴブリンなのだから。
とにかく何でもやった。早々にこの世界の言語をマスターした俺はあれをやれと言われればあれをやり、これをしろと言われればこれをした。そうしなければ殺されてしまうという恐怖に怯えながら。
そのかいあって、今では気さくに村人からあいさつをされるくらいには、気を許されたように見える。しかしそれはやはり見てくれだけで、彼らの内面を推し量ることは、やはり今でも出来ていない。
仕事を手伝った俺に気前よく酒をふるまってくれたザザ老に、次の瞬間に隠し持っていた刃物で胸を貫かれる。そんな可能性も、無い訳じゃないだろう。
人同士なら、よほど仲が悪くない限りそういうことはないだろう。考えすぎの、被害妄想めいた思考だと鼻で笑っていけるだろう。
だが、俺は、ゴブリンなのだ。人でなく。人でなしの、人ではない人外。野を駆ける獣の一種族に過ぎないのだ。
「ギャッ!」
胸に矢を受けて絶命し、一匹のゴブリンがばったりと倒れ伏した。だらだらと血を流し、二度と動かぬ肉塊となったそれから無造作に矢を引き抜いたクレスのお父ちゃんのフンターさん。
屈み込み、手際よく解体しながらクレスへと見取り稽古を付ける傍らで、俺は捌かれているゴブリンの死体へ目を向ける。
濁った眼差しを虚空に向け、どこでもないどこかを見ている
家を得、服を得ども、その本質は何ら変わらない。それで人間
三年前と少し。とある年老いたゴブリンの死にざまが脳裏に閃く。……ああなる可能性は、まだまだ消え去ってはいない。
そうこうしているうちに、ゴブリンの心臓付近まで切り開かれていた。素晴らしい手際だった。経験に裏打ちされた無駄のない洗礼されたお手並みである。
「これだ。こいつが『魔石』だ」
フンターさんは心臓の真横に埋まっていたビー玉サイズの黒紫色の石ころ、魔物ならば誰もが持つ(むろん俺も)魔石を取り出し、血を布でふき取ってから摘まんで見せた。クレスは目を輝かせて魔石を見ていた。
思わず胸の横に手を当てる。とくんとくんと脈打つ心臓の真横、手のひらを当てた奥底に、俺の魔石が埋まっている。
俺の魔石のサイズは果たしてどのくらいあるのだろうか。仮にあれより大きかったところで、精々が二回りほどだとするなら、俺の価値は銀貨一枚(日本円で約千円)程度ということになる。
もう一度視線を捌かれたゴブリンへと向ける。虚ろな目。伽藍洞の胸。次の瞬間に俺がああなる可能性は、無くは無いのだ。
「お~いそっちはどうだぁ~?」
声のした方向へ顔を向ければ自警団の若者数名が、同じように胸を切り開かれたゴブリンの死体を引き摺りながら近づいてきていた。
ゴブリンの魔石など一個でははした金もいいところだが、ゴブリンは数だけは多いので数を集めれば塵の山程度にはなる。
一応ゴブリンの肉は食えはするのだが酷く不味く買い取ってくれる者もいない。なので魔石を抜き取った後のゴブリンの死体は一か所に集められて打ち捨てられるのが常だった。
小山のように積み上げられたゴブリンたちの死体。積み上げた彼らときたらもうすでに歩き出しており、次の得物を探すのに忙しい。
「……」
俺はもう一度死体の山へと目を向け、それからゆっくりと近寄り、一匹一匹の目を閉じてやり、それから心臓を抜き取って丸呑みにした。
「うえぇっ」
ずっしりと腹の中でわだかまる『
なぜそれを求めるのか俺にも説明できないが、村の爺様連中が言うには誰にもやらなければいけいない事があるもので、それは獣も変わらない。おそらくは無意識のうちに俺の本能がそれを察したから、だそうだ。
地獄に行くか天国に行くかが決まるという業を集めることが俺の与えられた使命だというのならば、その行き着く先は、一体どんな
最後の一匹の心臓を抜き取って丸呑みし終わると、口元の血をタオルで拭い、彼らを元の位置へと戻し、背負っていた鞄から水筒を取り出して口に含んですすぎ口内の血と油とともに吐き出した。
「ぺっ……はあ、行くか」
水筒を鞄へとしまい、クレスたちを追おうと思った矢先、付近の茂みから猛烈な勢いで何者かが飛び出してきた。
「「ウシャア肉!!!」」
我先にと飛び込んできたのは数匹のブルードックであり、俺の脇をすり抜けて猛烈な勢いで死体の山へと鼻先を突っ込み、むしゃむしゃがつがつと下品な音を立てて貪った。
「はあっはあっ糞ったれのイヌっころめ……!」
遅れて出てきたのは一匹のヒノコノキツネであり、荒げていた息を整えるともったいぶった足取りで肉の山へと寄って行った。
「いただきぃ!」
「ア―――」
その横を、ブルーバードがすさまじい勢いで急降下してヒノコノキツネをかっさらった。悲鳴が物凄い勢いで遠ざかってゆく。
「―――」
みるみる小さくなってゆく影を目で追っていると、獣たちが続々と集結して肉を求めて相争っていた。とりわけゴブリンの数は多く、くいっぱぐれることの多い彼らはこの千載一遇のチャンスに死に物狂いで食いつこうと必死だった。
「どけっ糞犬があ!」
「ゴブーッアバーッ!」
「グラアアア!」
「ギャンッ!」
それにしても凄まじい戦いである。ブルードックの前足の一振りでゴブリンの頭が明後日の方向へ向き、しかしそれに怯むことなく他のゴブリンが飛びついてゆく。何なら殺されたゴブリンの死体を同族であるゴブリンが我先にと食いつきにかかり、その横から飛び出したヒノコノキツネが頸動脈を搔っ捌けば血の噴水が吹き上がった。
それは腹いっぱいになったブルードックが立ち去るまで延々と続いた。
「……なあアンタ」
「クチャクチャ……ン、なんだよ?」
俺は手近のゴブリンへと話しかけた。そいつは千切れたゴブリンの足から肉をこそげ取っていた。血まみれの顔を俺へと向ける。むせかえるような死臭と獣臭にえずきそうになるが、我慢して話を続ける。
「なんだその恰好、人間の真似事か?」
そいつは露骨に顔を顰めながら俺を見た。俺も同じように顰めてやりたかったが、人としての矜持がかろうじてそれを押しとどめた。
「それ、何の肉かわかって食ってるの?」
「当り前だろ馬鹿。ゴブリンだろ」
俺が聞けば、ゴブリンはさも当たり前の様にそう答えた。
「同族だぜ、忌避感とかないの?」
「お前は間抜けか?」
食いつくした足の骨を放り捨て、手近の同族を殴り倒して肉を奪い取りながらそいつは言った。
「生きていくには食わなきゃいけねえ。で、そこに食える肉が落ちている。なら食うしかないだろ。そこに同族も糞もあるか」
「でも」
「お前も食ったろ」
「……」
黙り込む俺に、そのゴブリンはそれ見た事かとせせら笑った。
「人間の真似事をしようが、お前も所詮ゴブリンだ。食うに困ったら同族だろうが何だろうが食ってきた。違うか? えぇ?」
「……」
脳裏に閃くのは冬の時期。空腹に気が狂いそうな時の記憶。がりがりに痩せたゴブリン。悲鳴。血飛沫。口腔内に広がる油と鉄の味。空腹からの解放の歓喜。吐き気を催す自己嫌悪。
ぬらぬらとした血が滴る骨付きの肉に齧り付き、クチャクチャと下品な音を立てて咀嚼しながら、ゴブリンはニヤリと笑う。歯の隙間に肉のカスがこびり付いていた。強烈な嫌悪感が背筋を撫でまわした。顔を顰める俺に、そいつは畳みかけた。
「自分がどんだけ不細工で無能だか自覚してんだか知らねえがな、結局のところ生物としての本能と必要性には逆らえねえんだよ。生きるためには食うしかねえ、それが同族でもな。それが動物ってもんだ。人間が高尚ぶってるだけよ。俺達ゴブリンにゃ関係ねえ」
大きく息を吸い込み、それから吐き出す。呼吸を落ち着け、再び口を開いた。
「……アンタの言葉は正しい。確かに俺はゴブリンだ。アンタの言うように、同族であるゴブリンを食ったことだってある。そうしなきゃ飢えて死んでたからね。生きるためには食わなきゃいけない。でもさ、それでもやっぱり気持ち悪いもんは気持ち悪いんだよ」
「はっ!」
俺は真っ直ぐに見据えて言った。ゴブリンは鼻で笑った。
「俺は自分が元人間だったからって偉いと思ってるわけじゃない。でもさ、こういうのは駄目だと思うんだよ。犬猫とか牛豚とか、他の肉食動物が食べるのとは訳が違うんだ。それが同族である以上、それはどうしても受け入れられない」
「……」
ゴブリンは無言でこちらを見つめ返していた。それから肉のカスを吐き捨て、爪で歯をせせった。
「お前、自分が元人間とか抜かしたな?」
「あ、あぁそうだけど」
「やっぱりな!」
俺が肯定すれば、ゴブリンは手をたたいて笑みを浮かべた。あからさまな嘲笑だった。俺は閉口した。
「テメエは自分が偉いと思ってないとか言ってるが、やっぱり心の内じゃ俺たちよりも上に自分を置いてやがるのさ。見下してんだよ。だからテメエはあぁでも無いこうでも無いとか屁理屈立てて説教染みた事を抜かすのさ」
「……」
「人間みたいな格好して、人間のように振舞った所で、結局お前も俺たちと同じゴブリンなんだよ。頭の中身まで変わりやしねえんだ。何をどう誤魔化そうがな」
「……クソッ」
黙り込む俺に、ゴブリンは笑い声を上げた。楽しそうに。
「受け入れられるだなんて思うなよ」
ゴブリンはごぼごぼと笑った。
「お前の末路なんかあそこでバラバラにされたゴブリンと同じさ。腹を裂かれてポイ、さ。誰も顧みちゃくれねえよ。いいとこ犬の餌さ」
何も言い返せず、ただ逃げるように背を向けて去りゆく俺の背中へ、ゴブリンの呪いの如き言葉が突き刺さった。
クレスたちを追う短い距離の中で、あのゴブリンの言った言葉が永遠と反響する。
「……俺はそれから脱却するために人間に戻るんだ」
口に出した言葉は、しかし虚しく虚空へと消えてゆく。
しかし思うのだ。仮に人に戻れたとして、平気で同族を口にした俺のこと、彼らは受け入れてくれるだろうか。
「おう、戻ったか」
「……アァ、ウン」
追いついた俺に、フンターさんは片手を上げて迎えてくれた。もう片方の手に事切れたゴブリンの死体を持ちながら。他の自警団員たちも俺のことを見るや否や会釈したり、目礼したりしてくれた。その足元には仕留めたゴブリンやブルーボアの死体が無造作に置かれてあった。
受け入れられている。森の中でうろついている野卑なゴブリンと違い、俺の頭に物騒な長剣を問答無用で叩きつける事も無ければ槍で心臓を一突きなんて事もない。
仕留めた獲物へ目をやれば、彼らは嬉々とした調子で自分がどのように勇敢に仕留めたか語り始めた。明らかに盛られた話を聞きながら、しかし俺はどうしようもない疎外感を感じていた。
受け入れられている、はずなのに、その輪の中に入り込めている気がしない。
なんだか騒がしい足音が聞こえてきて、何事かと目を向ければ、そこには子供用の弓を片手に、もう片方の手で首を射抜かれて虫の息のゴブリンを引き摺るクレスの姿があった。
興奮に頬を上気させて肩で息をするクレスに、自警団員たちは群がり、クレスの肩をバシバシと叩いて激励の言葉を投げかけた。
「すげぇ、お前やるじゃねえか!」
「しかも外さずに一発か」
「大人顔負けだぜ!」
「あぁ、だが死んでないなそいつ。クレス、貸してみろ」
褒め称えられるクレスに対して、俺はどう反応して良いのか分からずに立ち尽くすだけだった。俺はただ愛想笑いを浮かべる事しかできなかった。
そうしているとクレスから虫の息のゴブリンを受け取ったフンターさんが、鶏を絞めるみたいにゴブリンの首根っこを押さえつけると、あっという間もなく首の骨を外して即死させた。
強烈な疎外感。
「じゃあ次は解体だ。やり方はさっき見せたな? やってみろ」
「うん、分かった」
フンターさんからゴブリンの死体を受け取ったクレスは死体を地面に横たえると腰につっていた鉈を引き抜き、自警団の観衆化の中で言われたとおりに解体を始めた。
力任せに切り開いたせいで血が飛び散り、顔中を真っ赤に染め上げたクレスが酷く喚き散らし、周りの若者たちがどっと笑い声をあげた。フンターさんが溜息を吐き、クレスの頭に拳骨を落とすと改めて解体の方法をレクチャーしていた。その傍らで、俺はただ立ち尽くしていた。
「ははは、やったなヒーロー!」
親父にぶっ叩かれながらなんとか魔石を取り出せたクレスへ、若者たちはやいやいと囃し立てた。その時彼らの瞳を見た。
「―――」
毛なんかないのに、全身の毛が総毛立つ感覚に襲われた。誰も彼も、そこに何の感慨も宿してはいなかった。
―――あぁ、やはり彼の言った通りなんだ。
人にとってゴブリンは畑を荒らす害獣か小銭稼ぎの対象でしかない。子供でも容易く仕留める事ができ、その死体は余計な手間をかけずに処分される。自分がどれほどの代物なのか、改めて思い知らされた。
この疎外感の正体はそれだ。人の命は誰しも同じで、尊重されるべきもの。世の人はそう言うだろう。表立ってあいつの価値は金貨何枚分だと宣う人はそうはいない。
だがゴブリンの命には明確な値段がつけられている。銅貨一枚。それが彼らの値段。俺の値段は……。
肩を組んで歌を歌いながら去りゆく彼らの背を見て思う。同じように歌を歌うフンターさんを、クレスを見て思う。
家に住み、人間の服を着て、人の言葉を話し、人の輪に交じって人と同じ生活をする俺は、しかし結局は、
森に棲むゴブリンと大差無い存在。
人間の真似事をするだけの怪物。
もうすぐ陽が沈み、今日もまた夜が来る。この一夜で、沢山のゴブリンが死ぬだろう。その中の一匹に、どうか自分が含まれていませんように。
俺はそう願う他に、する術を知らなかった。