「森の様子がおかしい?」
「ソウ」
村長がそう言えば、グレイ・ゴブリンは読んでいた本から顔を上げて村長を見た。
「昨日山菜ヲ取リニ森ノ中ヲウロツイタンダケドサ、何ダカ魔物達ガミンナ浮ツイテタンダ」
「その原因は聞かなかったのか? お前、奴らの言ってる事が分かるんだろ?」
と村長が聞けば、グレイ・ゴブリンは頭を振った。
「イヤ、聞イテナイ。ドイツモコイツモピリピリシテルカラ、アノママ不用意二話シカケテイタラ、キット襲イ掛カッテキタダロウネ」
「つまり?」
「ソレヲ調ベニ行キタイカラ、何人カ付ケテ欲シインダ」
「ふ~む……」
村長は咥えていた葉巻を置き、酒がなみなみと注がれてあるグラスを取ると、一息に飲み干した。とたんに体がかっと熱くなる。青の村の酒は辛口で有名で、とりわけ老人方が作る酒は強烈であり、これをまともに飲めるようになって初めて成人として認められる。
「ふう~……」
空になったグラスを再び酒で満たし、一啜りしてから、村長は改めて目の前の客へ目を向ける。
グレイ・ゴブリン。世にも珍しき人語を放す魔物。その上社交的で大人しく、目を瞑って話し声だけ聞けば二十代前半のなよっちい大人と誰も疑うまい。
自分は元人間と、話せるようになればそればかりを口にするゴブリンを、最初は誰もが鼻で笑ったものだ。天地開闢の昔から人は人に、獣は獣へ生まれ変わるのが当然であり、それは神様がお決めになった絶対の法則である。
しかし、誰しもが後ろ指を指して信じなかった言葉も、何事も長く続けば次第に変わってゆくというもの。何より彼は一度として狼藉を働かず、どころか狼藉者をとっちめる側であった。
あれはいつだったか。この村で唯一計算ができる、村の会計士のトンガリーが提出した月の予算報告書を持ってやって来た時だ。たまたまその時にグレイ・ゴブリンが本を読みに村長宅へとやって来ていた。
で、たまたまその報告書をグレイ・ゴブリンが目にしたのだ。すると彼は眉間に皺寄せ、両手で報告書を掴み、穴が開かんばかりに見つめだした。
困惑する村長を尻目に、彼は羊皮紙を要求した。言われるがままに渡せば、彼はさらさらと文字を書き始める。何事かと思えば、なんと彼はこの村の誰も知らないような計算方法(縦書きの四則演算)で予算報告書にあった不正を明らかにしてしまったのだ。
当然そんなことが発覚すればトンガリ―へ問いただす他になく、何処から話が漏れたのか村中から老若男女が殺到した。
閉ざされた村社会では噂話はすすき野原に放たれた火の如く燃え広がるもので、娯楽に飢えた彼らは厄介ごとを血眼になって探している。
今回のこの話はまさに恰好の的であり、何よりインテリ気取りのトンガリーの横暴に皆がほとほとうんざりしていたから、庇う者は皆無であった。
小便たらして震える哀れな小男を前に、村人たちは言いたい放題言った。
こりゃあ賢しらなトンガリ―殿も年貢の納め時じゃな、昔ながらに両腕を切り落として森へ放ろうかのう、なんじゃとなら儂に任せろ、腕はさび付いちゃあおらんぞ、糞ったれのトンガリ―め、俺は初めから怪しいと思っていたぜ、嘘を抜かすな、じゃあてめえは計算分かるのか、出来もしないことをぬかすな、このボケ、さあてどうやって料理してやるかな?
公平性もへったくれもない意見は、村長が腕をさっと上げるやぴたりと止んだ。
「トンガリー、俺は悲しいよ。頭の良いお前だからこの仕事を任せたんだが、どうやら人っていうのはどんなにちっぽけでも増長しちまうらしいな」
村長がそう言えば、村人たちはゲラゲラ笑い合い、手近の者と処刑方法を議論し合った。和やかですらあった。
しかし、両腕を押さえつけられ、今まさにフンターに斧で腕を切り落とされようとしていたその時に、不正を発見した当のグレイ・ゴブリンが待ったをかけた。
当然村人たちはいきり立ったが、村長が手を振るや彼等はぴたりと動きを止めた。
静かになり、村中の視線を一身に集めたグレイ・ゴブリンは、その感情の読めぬ濁った黄色の瞳でぐるりと村人達を見回してから、村長へと向き直ると改めて口を開いた。
「確カニ彼ハ不正シタシ、ソレハ許サレナイ事ダロウネ。デモ良ク考エテ欲シインダ。計算デキル彼ヲ始末シチマッタラ、一体誰ガコノ村ノ計算ヲスルンダイ? 仮二俺ガヤルトシタラ、ソノ次ハ? 残念ダケド俺ハイツカコノ村ヲ出ルゼ。後任二アテハアルノカイ?」
グレイ・ゴブリンが見回せば、みんな明後日の方向を見たり、議論に白熱するフリをしたり、咳払いをしていた。
「ゆ、ゆるされた……!」
「じゃあ、こいつを許すのか? お咎め無しで?」
「マサカ」
涙を流して生存を喜ぶトンガリーの傍らで村長がそう聞けば、グレイ・ゴブリンはさも当然の様にそう言った。
そういう訳で、村の倉庫の中ですっかり埃をかぶっていた懲罰用の鞭を引っ張り出し、村人一人一人にトンガリーをぶっ叩かせることでこの事件は幕を閉じた。
グレイ・ゴブリンという奴は物の道理というものが良く分かっていた。
悪いことをしたら親父にこっ酷くぶっ叩かれる。それはお天道様が地を照らし出した時から決まっていることであり、それは何処へ行っても変わらない。
今回は初犯であったこと、そして何より殺すほどの罪では無かったことが幸いして、彼は許された。
しかし罪を犯したら裁かれなければならない。精算をしなければ天国の門をくぐることは許されないのだ。グレイ・ゴブリンはそこの所がちゃんと分かっていた。
「あぁ、分かった。今ならあのデブの三兄弟とネズの奴が手が空いている。あいつら連れていけ」
「……」
連ね挙げた人員に、グレイ・ゴブリンは片目を吊り上げた。
「不満は分かるが、今自警団どもは集団訓練中だ。あのガキどもは頭は鈍いが動きは悪くない」
「ネズハ?」
「坑道の
言いながら、村長はグレイ・ゴブリンが持っている本へと目を向けた。
最近の彼はずいぶんと熱心に読書に励んでいた。普段からそうであったが、最近は輪をかけて読みふけっている。鬼気迫るとすらいえた。
「それ、魔法の訓練書だろ。無理だってんのにまた読んでるのか」
「ダメ元サ……ファイヤ!」
グレイ・ゴブリンは片手を上げて魔法を口にしたが、掌からは火の粉一個すら出はしなかった。
「そりゃ人間用の訓練本だからな。魔物じゃ無理な話だぜ」
今唱えた魔法は初級も初級の魔法であり、クレスは言わずもがな。どころかあの鈍い頭の三兄弟すら使えるごく初歩的な魔法の一つだった。
「ハア、糞……」
吐き捨てるように言うと、グレイ・ゴブリンはパタンと本を閉じて元にあった場所へと戻すとすたすたと歩き出した。
「ヤバそうならとっとと戻ってこい」
グレイ・ゴブリンは応えずただ手をひらひらと振り、ドアを開け、村長宅より出ていった。
外へ出れば、ゴブリンの頭上に三つの影が落ちる。
「「「おいグレイ、なんか面白い話はないか!」」」
顔を上げれば、待ってましたとばかりに出迎えたのはダイ、チュー、ショーの三兄弟である。その奥から、息を切らして足をよた付かせるネズの姿があった。
「で、何の話をしてきたんだ?」
ダイの後ろからひょっこり顔を出したクレスが聞く。グレイ・ゴブリンは三兄弟とネズを見て、それからクレスを見る。彼はしばらく言い淀んだが、構わず話すことにした。四人も五人も大して違いはないと言わんばかりに。
「最近森ガザワツイテイテネ、ソノ調査二行クノサ。君達モ一緒ニ来ルカイ?」
「「「行く!」」」
「え、い、嫌だよ!」
約一名嫌がる者がいたものの、クレスが拳骨を一発入れてやればその声も消え、逃げようともがくネズの体を自慢の怪力で担ぎ上げた兄弟が我先にと村から出ていった。
「行くぞゴブリン! クレス探検隊、出撃―ッ!」
「ヤレヤレ、大丈夫カナコノ集マリ」
クレスに腕を引かれながら、グレイ・ゴブリンは不安を覚えずにはいられなかった。
……その予感は正しく、しかしこれが望まぬ旅路へと追いやられることに、さしもの特異個体魔物も予想できなかった。
「おりゃあ!」
「グギュッ」
ダイの振り下ろした棍棒により、文字通りの潰れた声を出しながらブルーボアの脳天が叩き潰された。
「「「本当だ、いつもより魔物が荒っぽいぞ!」」」
各々が叩き潰した魔物の死骸を一瞥しながら三兄弟が声を揃えて得心した。
「ひ、ひぃ~!」
「キヒヒ!」
一方三兄弟のお目付け役のネズはヒノコノキツネに尻を焼かれてあっちこっちを飛び跳ねていた。
「何やってんだこの馬鹿」
「ぐえっ」
呆れ眼でネズを見ながらクレスは身体強化の魔法で自身を強化すると、すばしっこく動き回るヒノコノキツネの正面へと回り込み、思い切り蹴っ飛ばした。
「がはっごほっ」
「オイコラキツネ」
吐血しながら七転八倒のたうつヒノコノキツネの首根っこをチューに押さえつけ、釣り上げて目線の高さまで持ってこさせると、グレイ・ゴブリンは早速話を始めた。
「最近どうも森がざわついているみたいなんだけど、何か理由は知らないかい?」
「糞ゴブリンが、地獄に落ちやがれ!」
「ドウヤラ彼ハ自分ガドウイウ立場カマダ分カッテイナイミタイダ」
グレイ・ゴブリンがさっと手を上げるや、チューは待ってましたとばかりにヒノコノキツネをグワングワンと振りはじめた。
「がわ、がわわわわ!」
「ソレソレ、素直二言ワントソノウチバターニナッチャウゼ」
「何言ってんだゴブリン」
「ひ、ひぃ……畜生このキツネ!」
呆れ眼でグレイ・ゴブリンを見るクレスの横から、やっとこさ火傷の痛みから脱したネズが肩を怒らせて歩み寄り、チューの手からヒノコノキツネをひったくると、チュー以上に滅茶苦茶に振り回し始めた。
「こいつめこいつめ!」
「アババババ―ッ!?」
「アーララ」
あっちこっちに振り回されるキツネの悲鳴を聞きながら、グレイ・ゴブリンは他のメンバーへと目を向ける。
ダイとショーは二人して地面にかがみこみ、これは異変の証拠に違いないと獣のクソを枝で突き回してくすくす笑っていた。その横では腰に手を当てて眉間に皺寄せたクレスが今すぐ止めろと喚いていた。
「うんうんそうだな。そりゃブルーボアのうんこだ! 異変も糞もあるか、さっさと動けよ。おい、動けってば!」
「このこの~!」
「ガババババーッ! は、話す! 話すから助けてくれ~!」
「……はあ」
グレイ・ゴブリンは一息吐き出してからネズへと向き、ネズの尻を蹴っ飛ばしてキツネを開放すると、真っ青になっているヒノコノキツネへと屈み込んだ。
「で?」
「ゲホ……クソめ、ざわついてる理由だ? そんなもん
「よそ者?」
オウム返しに聞けば、ヒノコノキツネは信じがたいあほを見るような目つきで喚き散らした。
「そんなことも分からないのか? これだからゴブリンってやつはダメだ! 脳みその代わりに糞でも詰まってんじゃねえだろうな?」
「ナント! 彼ハモウ一度シェイクヲオ望ミノ様ダ」
チューが腕まくりをしてぐっと前に出れば、ヒノコノキツネは縮み上がって悲鳴を上げた。
「わ、分かった! 言う! 言うから! 森の外からデケーのがやって来たんだ! そいつのせいで無茶苦茶になり始めてんだよ!」
「デケーの? 森の外?」
グレイ・ゴブリンが疑問を口にしたとき、まるでそれに呼応するかのように地面が揺れた。ズシンズシンと、どこか遠くから起こされた振動が唸り声とともに近付いてくる。
「ヒィ、き、来た……!」
「……」
グレイ・ゴブリンはさっと身を起こして身構えた。子供たちもグレイ・ゴブリンを中心に集まり、同様に身構える。
まずはじめに現れたのは血まみれのブルーベアだった。
「テディ・ベア!?」
「あぁ、グレイ……」
テディ・ベアは譫言めいてつぶやき、息も絶え絶えに体を引き摺ってこの場を離れて行く。
「あぁ、テディ、そんな……!」
「僕たちはしばらく森の奥へ引っ込むよ……君も気を付けてね。あいつは、ひどく乱暴だ……」
血を転々と残し、傷ついたブルーベアは去っていった。それから程なくして、木々をなぎ倒しながら現れたのは、灰色の肌をした、頭頂部に立派な角が生えた、ずんぐりとした巨体だった。
「と、『トロル』……!?」
「ッ!? 知ッテイルノカイクレス!」
灰色の巨体を目にしたクレスが目を剝いて現れた者の名を言った。
「う、うん。でも、トロルの生息域は『赤の森』のはずだろ! こんな所にいるのはおかしいぜ!」
「「「グレイ、どうする!?」」」
「ひえーっ!」
逃走、その二文字を言おうとしたのだが、ネズの悲鳴がそのどれをもかき消した。
「ウエーップ……あん、何だあ?」
その悲鳴を聞きつけたトロルが、音の出どころへと目を向ける。濁って白濁した眼差しが、グレイ・ゴブリンたちを見下ろした。
子供たちは一様に凍り付いた。今まで殺してきた魔物とは訳が違う圧倒的な存在感に、彼らはピクリとも動けない。ネズに至っては失神寸前で、今にも泡を吹いて倒れてしまいそうだった。
唯一平常心を保っていたグレイ・ゴブリンは子供たちを一瞥し、自分が何をすべきか瞬時にたたき出すと背後に向けて叫んだ。
「行ケ! 行ッテ報告シロ!」
「ウワーッ!」
言うや、グレイ・ゴブリンはトロルに向けて突撃していった。
いの一番に動き出したのはネズである。彼はネズミもかくやという勢いで背を向けて逃走した。それに続いて三兄弟が逃げ去り、最後にクレスだけが残された。
「ッ! マダイルノカ! イケッタラ!」
グレイ・ゴブリンはトロルの大木のような足に何度も殴りつけているが、その固いゴムのような肌は全てはじき返してしまい、逆に彼の拳は酷く傷んだ。
「あぁ、分かってる。でもこれくらいは……『ファイヤ』!」
「オアーッ!?」
クレスは掌をトロルへ向け、魔法を放った。火の塊は巨人の顔面のど真ん中をとらえ、ボンと音を立てて着弾した。
巨人はもんどりうって倒れ、その際に一匹の逃げ遅れたヒノコノキツネを下敷きにした。
「アリガトウ!」
「早く帰って来いよ!」
クレスは手を振り返すや、すぐに村へと引き返して行った。残されたのはちっぽけなゴブリンと、狼藉者の巨人だけである。
「ぶえ~……クソ! 何しやがる!」
見るがいい。立ち上がったトロルの顔面は煤けて黒くなっているものの、火傷の一つもありはしなかった。
「アンタ、なんでこんなところにいるんだい? トロルの故郷は赤の森って聞いたけど」
「あぁ? なんでって、決まってるだろ」
グレイ・ゴブリンが聞けば、トロルは邪悪な笑みでもって答えた。
「向こうの森よりも、こっちの森のほうが狩りやすい。俺はもっと食って強くなる。肉を、
「―――!」
そういう事か糞ったれめ。グレイ・ゴブリンは胸中で吐き捨てた。ようは目の前の怪物は同類という事だ。即ち、自分と同じ特異個体。
「手始めにお前だ! お前を食ってやるぜ!」
「やれるものならやってみろ木偶の坊!」
グレイ・ゴブリンは身構えた。今度は先ほどのように無作為に突っ込みはしない。敵の防御能力は身をもって知った。ならば行う戦法も見えてくる。
対するトロルも巨大な拳を振りかぶった。この一撃で終わりにしてやると言わんばかりに。
サイズ差は明白。大人と子供なんてものじゃない。獅子と鼠ほども違う対格差。勝てないことは分かっている。だが負けない方法も分かっている。今自分のやるべきことは生きてこの場を離脱すること。ガチンコで喧嘩することじゃない。
グレイ・ゴブリンは目を閉じ、呼吸を整えた。そして次の瞬間、彼は動いた。
トロルの拳が振り下ろされた。防御不可能の拳。ならばどうする?
足元へ低く飛び込み、地面を転がるように回避する。そして立ち上がりながらブーツに仕込んであった鉈を引き抜き、投げつけた。狙いは正確。鉈はトロルの右眼に深々と突き刺さった。
「ギャアッ!」
悲鳴を上げながらトロルが片手で眼球を掻きむしる。グレイ・ゴブリンはそれを見て笑った。いたずらが成功した子供のような笑みだった。
「ざまあみろ! 俺の友達に酷いことしたお返しだ!」
「テメエ糞ゴブリン!」
捨て台詞とともに高笑いをしながらグレイ・ゴブリンは自慢の逃げ足で怱々に走り去っていった。巨人は血の涙を流しながら、悔しさと怒りで地団太を踏んだ。
(さあて、こりゃエライ事になったぞ……)
走りながら考える。あの巨人を倒すには、明らかに村人では手が足りない。
となると、やることといえば一つ。
―――冒険者へ、討伐の依頼を出さなければならない。