息を切らして森を駆け村へと戻っていれば、それほど時間はかからずに着いた。門番にトロルの事を伝えれば、彼は青ざめてすぐに村長の所へ案内してくれた。
村長宅には子供たちから話を聞いたと思わしき村人たちが殺到しており、その中心でクレスたちがあることない事大ぼらを吹いていた。
「大変だ大変だ!」
「デッカイ化け物が大変なんだよ!」
「俺達なんかよりもずっとデカいんだよ!」
「トロルだトロル! お前らなんかみんな一口だよ!」
とりわけ喧しいのがネズであり、彼は何度も「デケェ」「ヤバイ」「死ぬ」等の言葉を連発しながら気がふれたみたいに走り回っていた。その目は血走っており誰が見ても正気とは程遠く、実際彼の親父にぶっ叩かれてもなお彼は喚いていた。
「ドイテクレドイテクレ!」
俺は人の波を浴びせかけられる話の審議の洪水と共にかき分けながら村長宅の前までどうにかたどり着くと、未だ叫びまくって人々に混乱を振りまく扇動装置を一つずつぶっ叩いて静かにさせると、くたびれ切った体に鞭打って、村長宅のドアを押し開けて中に入った。
「おう、来たか。凡その話はガキどもから聞いている」
中には村長と自警団のリーダーであるフンターさんとその側近たちがすでに集まっていた。俺が部屋に入るや否や、村長が深刻そうな顔つきで話を始めた。
「で、あのガキどもの話は何処までが本当で、何処までが嘘だ?」
「トロルガ来タッテイウノハ本当、ソイツガ他所ノ森カラヤッテ来タセイデ魔物ガザワツイテイタッテイウノガ事ノ真相ダネ」
「そんでしかもそいつ普通のトロルじゃないんだぜ! 肌が灰色で、しかもグレイみたいに角が生えてたんだ!」
俺の話を、勝手に入り込んで来たクレスが引き継いだ。
「ソウイウコト」
頭をさすりながら恨めしい目で見てくるクレスから伸ばされる手を逸らしながら、俺は村長へ頷いて見せた。
「なんてこった!」
話を聞くや、村長は盛大に顔を顰め、お手上げとばかりに天井を見上げた。
その反応から普通のトロルよりも強力で、そのうえ通常種に生えていない角があるということは特異個体だろう事に、村長はすぐに合点がいったようだ。
特異個体は同種の中で突然変異的に生まれ出る強力な魔物のことであり、その力は通常のものよりもはるかに優れている。過去の話で特異個体と戦り合ったことのあるといっていた村長だ。その厄介さは俺たち以上に理解できているはずだ。
「俺たちがいりゃあ問題ねえだろ? それに村長だって昔特異個体とは戦り合ったことあるんだろ? なら問題は」
「問題大有りだ、このボケ。一体何年前の話をしていやがる。こちとら百メートル走るのだってバテバテだ。いまさらそんな大物と喧嘩なんかできるか!」
「……じゃあ」
と、ここまで黙って話を聞いていたフンターさんが閉じていた眼を開き、村長を見ながら口を開いた。
「ここは冒険者を雇うしかあるまいよ」
「くそっ、税を持っていかれたばっかりだってのにまた出費か!」
「じゃあ雇うってことでいいんだな、村長?」
「それ以外にどうしろってんだ、黙って食われろてか!」
フンターさんへ怒鳴り返しながら村長は冒険者へと依頼の手紙を書きなぐると、雑に折りたたんで自警団の一人へと押し付け、その尻を蹴っ飛ばして叫んだ。
「急げ! 早く行けこのボケ―ッ!」
「へいへい、
自警団員は急いで部屋を飛び出していった。残された俺たちは静かに事態を見守るしかなかった。
冒険者を雇うためのギルドがあるのはこの森を出てさらに3キロほど先にある『青の町』まで行かなければならず、準備のことを考えれば少なくとも今日日一日はかかるだろう。悪い報せを待つよりも、冒険者が来るのを待つ方が気楽だった。少なくとも解決の手立てはあるのだ。
正直あの怪物を倒す手立てはとんと思いつかないが、しかし俺以上に恐ろしいものなどこの世界にはごまんと転がっているはずだ。
脳裏に映るのはゴブリンの群れを焼き払った恐ろしい魔法使いたちの姿。
そういえば村長が蹴り出した若者が妙なことを口走っていたのを思い出した。いつもの三人、と。
「……まさかね」
何だか酷い
「……そんなに気合を入れて、お前はどうする気だ?」
フンターさんがクレスに問いかける。
「もちろん俺達も戦うぜ!」
「「「そうだそうだ、みんなと一緒に戦うんだもん!」」」
「アバッ……」
どたどたと室内に入ってきたダイ、チュー、ショーが、トロフィーめいて痙攣するネズを掲げながら勇ましく返事をした。その目には未知への興味や好奇心と共に、強大な存在への怖れが入り交じっていた。
残っていた自警団の若者たちも同調するように頷き、村長を見た。飢えた獣のようにぎらついた、闘争心に溢れた煮えたぎる眼光であった。
村長はそんな彼等を見つめながら、小さく息を吐いた。
「ダメに決まってんだろ馬鹿。ここから先はプロ見任せて、お前達は精々その働きぶりを誉めそやす準備をしとけ」
「でもよ、村長!」
「私たちだって戦えます!」
「村のためにも、助けなきゃ!」
口々に反論する若者と子供たち。だが村長は首を横に振るばかり。その表情は酷くくたびれていた。それは若さへの羨望であり、そして老いた自らへの失望でもあった。
今の今までそれを忘れるほどに力強い姿しか見ていなかった俺は、そこで改めて目の前の人物が老人であることに気づかされた気がした。
かつての村長であったならば冒険者など雇い入れず自らが自警団を率い、率先して戦いに行っていたに違いない。そして、大きな犠牲を払いながらも撃退なり討伐なりしていたのだろうか。
過去の村長がどの程度の戦闘能力を持っていたか、俺は知る由もない。最早それは過去の出来事であり、実際にはかることは、もう二度と出来はしない。それは村長や老人方の記憶の中に埋没した、モノクローム色の記憶の中だけにある。
俺たちは今を生きている。過去に何がどれだけあろうが、未来でどれだけの力を付けようが、今この瞬間を今あるリソースで切り抜けられなければ何の意味もない。現実はいつだってシビアだ。
試しに村長や自警団連中と、先の変異トロルとを脳内で戦わせてみた。結果は惨敗。良いとこトロルの腹を膨らませただけである。
俺は未だ諦めきれずに村長へ詰め寄るクレスの手を引いた。ちらりとフンターさんの方を見れば、フンターさんは顎をしゃくって出口へと指を向ける。とっとと連れ出せという命令である。
「行コウゼ。ココニイテモ仕方ガナイ」
「でも、でも、俺だって……!」
なおも食い下がるクレスに、俺はできるだけ言葉を選んで諭しにかかる。
「確カニ君ナラアノ怪物ダッテ倒セルカモネ」
「……! なら」
「デモソレハ今ジャナイ」
「……」
「イツカハソウナルダロウ。デモ今ノ君ハ只の夢見ガチナ子供デ、気持チダケガ先走ッテル」
口を閉ざしたクレスは、まっすぐに俺を睨んだ。俺はその腕を引いた。一瞬だけ抵抗があったが、それもすぐに失せた。
「分カッテクレテ何ヨリ。ソレジャア村長、俺達ハ一足先二抜ケサセテモラウヨ。脅威ガ現レタ所デヤル事ハ変ワラナイカラネ」
「あぁ、とっとと行け。ガキは邪魔だ」
「「「うわ~!」」」
「ギャイン!」
俺とクレスに続いて蹴り出された三兄弟と担がれていたネズは無様に地面に転がって喚いていた。
俺は三兄弟を立たせてやり、それから道のど真ん中を占領してみっともなく喚き散らすネズを蹴飛ばして歩き始めた。
「ソンナニムクレルナヨォ~。仕方ナイジャナイナイカ。実際君ノ魔法ハ一ミリモ効イテナカッタゼ。仮二君ガ挑ンダ所デイイトコアイツノ腹ノ足シニナルダケサ」
「……」
帰路に就く傍ら、一言も発さず黙ってむくれるクレスにあれやこれやと話題を振って見せるが、むくれる子供に大人の説得など何時だって無意味なもので、結局家に着くまでにクレスの口から言葉を引き出すことは出来なかった。
「……俺もいつか、あんな怪物ぶっ飛ばせるようになれるのかな?」
クレスのお母ちゃんであるリーネさんにクレスを引き渡し、案の定げんこつ刑に処されたクレスに背を向けて去ろうとしたとき、クレスはそんなことを言い出した。
「出来ルサ。デモ」
「今じゃない、だろ?」
頭をさすりながらクレスは唇を嚙み締めて、精一杯に笑って見せた。
「……」
子供というのは成長が早く、そして案外自分と現実との乖離に敏感だ。クレスは俺が思う以上に客観視ができていた。自分にできることと出来ないことの分別が、きちんと出来ていたのだ。
俺は目尻に浮かぶ涙を出来る限り見ていないフリをして親友の肩に手をまわし、その背中をたたいて精一杯の激励を送ると、今度こそ二人に別れを告げて帰路についた。
さてさて俺たちがトロルの脅威を村中に広めたせいで村人たちはてんやわんやの大騒ぎである。
女子供は家の中に引っ込み、興味津々な子供が森を見に行きたいと言うものならば尻に火がつかんばかりにぶっ叩き、そのせいで四六時中子供の悲鳴が途絶えることの無い有様である。
冒険者たちに依頼を出すとお触れが出れば、今度は自警団連中がささくれ立ち、そんな若者たちを見て老人たちが鼻で笑うものだから、村のど真ん中で二手に分かれて互いに罵り合う始末である。
やいこら爺ども、なんで俺たちにケリを付けさせねえ? 当り前じゃアホ、お前らみたいな猪武者に特異個体相手に突っ込ませてみろ、いいとこ潰れた干し肉が関の山じゃ、何だとコラ、生かしちゃおけねえ、大体てめえら悔しくねえのかよ、この村がコケにされてんだぞ、お前らが先走って突っこめば恥の上塗りじゃ。
売り言葉に買い言葉で両者の熱は留まることを知らず、あわや爆発するというところで村長とフンターさんが割って入り、両陣営の中で特に温まっている者を一名ずつ引きずり出して皆が見ている前で滅多打ちにすることでどうにか場は収まった。
そんなこんなで村に不穏な気配が漂い始めてから丸々三日経った頃、漸く使いに出していた村人が件の冒険者を引き連れて来た事でやっとこさ事態が動き始めた。
「おう、来てくれたか。急な依頼で悪かったな」
「──────」
村長の自室の前、ドアを隔てた向こう側に依頼した冒険者たちがいる。俺はというと冒険者たちが来てから間もなくフンターさんがやって来て、俺も村長宅へと行くようにと、言われるがままに来てみれば、呼ばれるまで待機してろとのこと。
村長と冒険者と思わしき者達のやり取りを聞きながら、俺は内心気が気ではなかった。引っ切り無しに当り前の様についてきたクレスと三兄弟と無理やり連れてこられたネズとに振り返っては殺されないかどうか、その事ばかり話していた。
当り前の話だが、基本的に魔物とは悪であり、キシリトール教の教えが幅を利かせているこの世界では魔物、すなわち悪即斬である。つまり、出会い頭に真っ二つにされても、俺は文句など言えないのだ。
ガタガタ震える俺の背を、クレスはバシバシと叩いた。
「ダイジョブだって安心しろって」
「「「そうそう考えすぎだよ!」」」
「痛い痛い痛い! 俺の背中は叩かんでいい!」
三兄弟に背中を強打されて悲鳴を上げるネズの頭に、フンターさんの拳骨が落とされ強引に黙らされるのと、俺が呼ばれたのは、はたして同じタイミングであった。
「―――お前らに案内役を用意した。おい、入って来い!」
「行けよゴブリン。ガンバレ!」
「―――ッ!」
カチコチになりながら、俺はドアを控えめに三回たたいた。しかし返事がない。不審に思ってもう一度叩けば「何やってやがる、とっとと入ってこい!」と凄まじい怒声が返ってきた。
「シ、失礼シマス……!」
若干言葉に詰まりながら、俺は子供たちに見守られる中で、地獄への扉を一思いに抉じ開けた。