「おう、来てくれたか。急な依頼で悪かったな」
「全くだぜ」
室内に入ってきた三人の冒険者へと村長が労いの言葉をかければ、三人のうちの一人、シンプルな形状のプレートアーマーで鎧った背の高い男、カセマージが渋い表情で応えた。
「俺もそう思うが、こっちも緊急だ。飲んでもらわにゃ困る」
「なに、昔から世話になってるんだ。これくらいならやるさ」
もう一人の男、革鎧を着こみ
「トロルがいるって話だったけど、詳しい話を聞かせてくれる村長?」
最後の一人、三人組の紅一点、黒いローブに身を包み、頭には同色の帽子を被る魔法使いのステレオタイプそのままのいで立ちの女、ヌイセラが村長へと問いかけた。
「あぁ、その話な」
村長はすぐには答えず、
「……」
手渡されるグラスを受け取りながらスルケープは一つ残されたグラスにさりげなく目をやり、眉根を顰めた。他の二人はそのことを気に留めずに受け取ったグラスにさっそく口を付け、その辛さに唸っていた。
「うぅからい……」
「ッくぅ~効く……で、どうなんだ爺さん」
カセマージが再び問うが老人はなおも答えず、酒を口に含み、その辛さと風味を舌でたっぷり味わうと、時間をかけてゆっくりと嚥下した。
「「「……」」」
彼らは互いに目配せをした。室内に、何やらのっぴきならない気配が漂い始めた。
彼ら三人はペーペーの新人であった頃からこの村長に冒険者のイロハを叩き込まれており、色々と現実を知り青の町で活動を行う様になってからは良き顧客として関係を続けていた。
それ故に依頼前にこうしたやり取りをすることは良くあった。しかし、今回はいつもと勝手が違うようだった。
開け放たれた窓から風が入り込み、カーテンをそよそよと揺らした。窓の向こう側には抜けるほどの晴天であり、丘の上に建てられた村長宅の向こう側には青々と葉を付ける青の森が見渡せた。
しかし、そんな朗らかさ漂うのどかな風景にもかかわらず、冒険者たちは何とも言えぬ薄気味悪さを感じていた。
何よりいつもならば子供の喧しい声や自警団の勇ましい掛け声が引っ切り無しに聞こえていたものだが、今は吹き込む風の音くらいしか聞こえない。
その静寂が不穏だった。まず間違いなく厄介なことが起きていることに、三人はすでに察しがついていた。
「まあ、大方察しがついてると思うが、面倒事だ。それもとびっきり厄介な奴」
「トロルでも厄介なんだがな。アイツの危険度は『C』だぞ? 俺らの一個下だ」
冒険者にはランク制度があり、Fから始まりトップランカーのA、そしてその中でもさらに優れた者のみが就くことを許されるSまで存在する。そして当然魔物にも危険度が割り振られてあり、ランク『C』以上の魔物は要警戒対象とされ、その対処は国やギルドの重要任務として扱われていた。
今回のトロルは「通常種」は危険度がCであり、青の森に生息する魔物の危険度は一番高いブルーベアですらそのランクはD止まりである。そんなアベレージの低い場所に、一ランク上の存在が下りてきたのである。
放っておけば生態系は大いに乱れること間違い成しの重要な案件である。
だが確かに厄介ではあるが、彼らBランク冒険者からすれば対処不能な程では無い。実際トロルならば何体か討伐してきた実績もある。問題は別に存在するのだ。村長はグラスを口元へと運びながら続けた。
「トロルといやあアレだろ」
村長は冒険者たちから目を逸らし、棚の上に飾ってあるブルードックの剥製へと目をやりながら口を開く。
「ずんぐりとした胴体、すっとろい動き、見た目通りの怪力に、見た目通りの足りねえ
「あぁ、デカいだけの木偶の坊。新米には酷だが、慣れりゃあいいとこデカい的だ。ゴブリンと大差ねえ」
「実際肌も緑色だしね。大きいだけのゴブリンよ、あれ」
「それよ」
村長は三人へ顔を戻し、彼らに向けて指を向けた。
「特異個体だ。色は灰色、おまけに『角付き』ときた」
途端に室内の温度が低下した。
「……マジか」
たっぷり間を開けてカセマージが呻くように言った。彼らは長い事冒険者家業に携わってきたが、特異個体の相手はしたことがなかった。彼らは堅実を好み、それゆえ頭打ちとなり青の町で燻ぶっていたのだ。
「証拠は? 見間違いって線はないでしょうね」
「残念ながら目撃者アリだ。それも複数。何人か頭の鈍いのが居たが、少なくとも
「……
「だから準備はしっかりしろって事か。……だがトロルの特異個体となるとBは下らんぞ」
「角付きなら下手すりゃAだな」
重い沈黙が室内を満たした。村長はため息一つ落とし、再び酒を口へ運んだ。
「情報が足りねえ。どこまで進出してきているのか分からん以上、余計な被害を出さずに討伐するのは至難の業だ。おまけに特異個体だ。村長は知ってるよな? 特異個体には妙な力を持っているのが多い。ふざけた初見殺しで全滅なんて御免だぜ」
カセマージに指摘されれば、村長は心得ていると言わんばかりに頷いた。
「この三日間で何もしかなった訳じゃねえ。こちらも出来るだけの事はした。で、分かったのは三つ。一つは怪力。トロルは両手で木を引っこ抜くが、あの野郎は片手で振り回しやがる。二つは再生力。発見者の一人が眼玉に鉈をくれてやったが、次見た時にはすっかり元通りになってやがる。三つ、クソ馬鹿。通常種のトロル以上にお頭が足りやがらねえ。以上だ。質問は?」
「……なるほど」
話を聞き、始めに口を開いたのはスルケープである。
「元来のクソがとびっきりのクソになって、他人の庭に土足で上がり込んだばかりか暴れまわっている訳か」
「そうなる」
「オーケー、分かった。この十字に誓ってこの俺がぶっ殺してやる」
首の十字架を握りしめ、スルケープは十字を切って掲げた。
「おい、あんまり安請け合いするな」
待ったをかけたのはこのパーティのリーダーであるカセマージである。スルケープはじろりと睨む。カセマージは目を逸らさずに真っ向から受け止める。ヌイセラは沈黙し、ただ二人のやり取りを見つめていた。
「なぜだ? 魔物は絶対殺。これはキシリトール教徒でなくとも常識だろう?」
「あぁそうだよ畜生。でもそれは通常種に限ってだ。特異個体は話が別だ。初見で手を出せばどんな結果になるか分からねえ。下手したら全員死ぬぞ」
「それがどうした」
スルケープは鼻で笑った。
「特異個体とはいえ、所詮はトロルだろ。何より特異個体を殺せばAに足が届く。このチャンスを蹴るなんざありえねえ」
「しかし事は慎重にだな」
「……だから上に上がれねえんだよ」
「おい」
カセマージが一歩出た。
「俺たちはBランクだ。裸一貫でやって来た割には十分上がったもんだろう。大人しく実力相応の獲物で地道に稼げ」
「ふざけるなよ。魔物は皆平等に倒すべき存在だ。通常種も特異個体も関係ない。そう教わってきた」
「確かにキシリトール教はそう説いている。でも現実を見ろ。俺たちの実力を考えりゃあリスクを飲んだところでたかが知れている。分かるか? 死んじまったら何も始まらねえんだよ」
「お前は偉そうにご高説たれちゃいるが、ホントはビビってるだけだろ?」
言葉と共にスルケープも一歩踏み出す。二人の間に火花が散る。村長宅内に先ほどまでの静けさは消え失せ、ピリピリとした緊張感が漂い始めた。
男二人は互いに額が付かんばかりに睨み合った。残った女は村長へと縋るように目を向ける。しかし村長は両手を上げるばかりで、見守りこそすれ手を出す気はないらしい。
「……勝算はあるんだろうな?」
「今までを考えてみろ。俺たちは十分に実績を重ねてきた。もう少し自信を持て」
カセマージが息をつき、スルケープから視線を外す。
「今回の件、どう動くか決めるのはお前だヌイセラ。俺たちBランクパーティ『鉄壁の盾』は無理はしねえ。分かったか?」
「……分かったわ。ちょっと頭冷やす」
ヌイセラは大きく息を吸い込むと、それをゆっくりと吐き出し、二人から距離を取った。
三人は再びグラスへと口を付け、中の酒を一気にあおった。凄まじい辛さが喉を焼く。その辛さが、茹った頭の芯を冷やしてくれた。魔女は口を開いた。
「スルケープの言う通り、私たちは上手くやって来た。―――ならそろそろ賭け事をするのも良くって?」
「……決まりだな」
「くそっ」
スルケープが勝ち誇ったように笑みを浮かべれば、カセマージが吐き捨てるように言った。
「―――穏便に決まってくれて何より」
「何が穏便よ。あわやパーティ瓦解の危機だったわ」
村長が飲み干したグラスに酒を注ぎ足しながらそう言えば、ヌイセラが非難がましく睨みつけた。しかし老人は取り合わず、話をしめにかかった。
「じゃ、正式に依頼するぜ。目標はトロルの特異個体一体の討伐。報酬は金貨二十枚(日本円で二十万円相当)だ。トロル一体にゃ破格もいいとこだ」
「まあ、妥当だな」
「通常種の魔石の値段は銀貨五枚(日本円で五千円)だから、三人で山分けしても十分な額ね」
「生きて帰れたらの話だがな」
自信満々に冗談を言い放つスルケープを横目に、カセマージは不安げな表情を見せる。ヌイセラは冷静さを取り戻し、依頼書へと視線を落とした。
「―――了解。引き受けます」
「おう、頼んだぞ」
村長が手を差し出す。ヌイセラはそれを握り返し、頭を下げた。スルケープは十字架に口付けをし、それを高く頭上に掲げた。最後に残ったカセマージも諦めたように頭を下げた。
「じゃあ早速だが諸君らには行ってもらうことになるが、当然敵の所在なんか分からんな? それを考慮してお前らに案内役を用意した。おい、入って来い!」
村長が叫ぶや否や、少し間を開けてドアが三回ノックされた。しかしそれだけで、返事もなければドアが開けられることもない。不審に思っていると、もう一度同じように三回ノックされた。やはり開かれる事は無い。
「~~~ッ何やってやがる、とっとと入ってこい!」
焦れた村長が怒鳴りつければ、漸く、非常に緩慢にドアが開かれ、その奥から小柄な影が、カクカクとした足取りで部屋へと入ってきた。
「「「──────」」」
彼らは目を一様にしばたたいた。呆然としたと言った方が正しいかもしれない。現れた存在はそれまで練っていた作戦を吹き飛ばし、自分が築き上げてきた常識を根本から揺るがしかねなかった。
その存在は。人間の服を着た、その魔物は。
「―――ッ!!!」
真っ先に武器に手をかけたのは骨の髄まで信仰が染み込んでいるスルケープであった。背中の長刀を引き抜き、その勢いのまま電光石火で切りかかった。
「―――おいよせ!」
「ッッッ!!!」
ガン、と鈍い音を立てて、人の服を着たゴブリンのほんの数ミリ横に長刀が叩きつけられた。
「……おい、村長。こりゃ、どういう事だ?」
未だ衝撃から立ち直り切れていないカセマージが、目の前に立つ異物に震える指を向け、掠れた声で問いを投げる。
緑色の肌、濁った黄色一色の瞳、ずんぐりとした胴体を粗末なシャツとズボンに押し込み、短い手足にブーツと手袋を履き、そして一際目を引く額の右端から延びる太さ三センチ程度の角である。
「と、特異個体……!」
呻くように言いながら、ヌイセラの顔が引きつった。
「見てのとおり、案内役だ。よく来てくれたな。ほれ、お前の分だ」
村長は思ったよりも理性的な反応を見せる冒険者たちに、刺激しないように努めて淡々と、言葉を選びながらゴブリンへと五つ目のグラスを手渡した。
「案内役って、まさか、こいつの事か!?」
「……」
スルケープは血走った目を目の前と背後の村長へ行ったり来たりしながら、心中の奥底からせり上がる激情と殺意をどうにか留め、押し殺した声を絞り出した。
その様を目の当たりにしたゴブリンはというと、感情の窺えぬ黄色一色の濁った瞳でゆっくりと一人一人見つめ、物珍しそうにつぶさに観察していた。それから村長へ目を向け、口を開く。さも当然の様に。
「ナントイウカ、如何ニモ冒険者ラシイ冒険者達ダネ、村長」
「「「……喋った」」」
再び彼らは度肝を抜かれた。常識外れの存在は、流暢な人間語を操ってみせたのだ。
「アァ、アイサツガ遅レタ、ジロジロ見テゴメンネ。ドーモ、ハジメマシテ。私ノ名前ハ『グレイ・ゴブリン』デス。冒険者ノ人達、オハヨ!」
「「──────」」
グラスの酒を呷りながら手を振って友好をアッピールする、グレイ・ゴブリンなる特異個体の魔物に、彼らはただただ絶句する他なかった。
「そいつは鼻が利く。そいつに従ってついていきゃあターゲットまで一直線よ」
「……おい待て糞ジジイ。俺に魔物の言う事を聞けってか? それも特異個体を相手に? 冗談じゃねえ。今すぐたたっ殺してやる!」
キシリトール教徒であるスルケープが真っ先に抗議の声を上げた。それどころか床に突き刺さった長剣を引き抜き、今まさに第二撃を放とうとする始末。
「おい小僧、そいつを殺せば今後一切青の村から依頼は出さんぞ。ついでに俺がひいきにしてる青の町のいくつかの店も使用禁止だ!」
「グルグルグル……!!」
あと一歩。あとほんの数センチ押し込めばグレイ・ゴブリンの首に刃が届くといったところで、何者かの手によってスルケープの肩を強く掴まれた。
「落ち着けスルケープ! 今は感情的になる時じゃねえ!」
「カセマージッ!!!」
冷静さを取り戻した同志に名前を呼ばれ、スルケープはギリッと奥歯を噛み締めながら、尋常ならざる憎悪と憤怒に燃える瞳で相棒を睨む。
二者は無言で睨み合った。先ほどの比ではない重い沈黙が一瞬満ちた。ヌイセラはすでに杖を引き抜き、体内魔力を活性化させ、杖の先端をグレイ・ゴブリンへと向けながら、視線だけを動かし状況を見守っている。
そんな中でもグレイ・ゴブリンは至って平然と酒を呷り、村長とともに酒を注ぎ足しあいながら、互いに肩をすくめ合っていた。
やがて。
「フーッ、フーッ……!」
怒れる信心深きキシリトール教徒は、ゆっくり、非常に緩慢な動作で、剣を握る指を、一本一本放してゆく。
カセマージも重い息をつき、スルケープの手から長剣を取り上げた。代わりに自身の短剣を引き抜いた。
「お前が案内するって言うんなら、俺たちは従うしかねえ。だが、万が一にも変な真似をしたら―――」
カセマージは短剣の切っ先をグレイ・ゴブリンへ向け、静かに告げた。
「―――全員でお前を殺す」
それは全員の総意であり、三つの冷たい殺意が、怪物の瞳を射抜いた。
「……」
一方グレイ・ゴブリンはというと、ただ無言でナイフの切っ先を見つめ、その刀身に映る己の姿を見た。薄汚れた、醜いその横顔を。
それから彼は一歩踏み出す。殺意が膨れ上がる。構わずにもう一歩。そして、あと一歩で爆発するかしないかといったところで足を止めた。目の前には今にも腕を伸ばして絞殺さんばかりに指をわななかせるキシリトール教徒が一人。
「アンタハ、キット正シイ」
「……」
おもむろに口を開く。
「俺モ聖書ハ読ンデル。アンタ等ノ思想モ、一定ノ理解ガアル」
「ならば、我らの神が貴様を殺すこと事こそお望みであることは分かっているな?」
ぎちりと、強張った掌が軋んだ音を立てる。カセマージとヌイセラは固唾を飲んでその様を見守る。村長は腕を組み、待ちの姿勢である。
「ウン。デモネ、アンタハ一ツ大事ナ事ヲ忘レテイルゼ」
「何だと、魔物のお前が何を知る!?」
「あっ」
ヌイセラが声を発した時にはスルケープの手がグレイ・ゴブリンの首に絡みついていた。
「貴様如きが何を知る! えぇ、ゴブリン風情が!」
「―――『敵ヲ愛セヨ』サ」
「──────」
キシリスチャンの動きが凍り付いた。カセマージとヌイセラもまた動けなかった。前者は言われるまで教えを思い出せなかったショックで、後者はこの怪物の驚くほどの知性にだ。
「マサカアンタハ敵ヲ殺ス事ヨリモ先二シナクチャイケナイ事ヲ放棄するツモリカイ。サラニ言エバソノ前二『隣人愛』ガアッタハズダ。困ッテイル人ガスグ傍二イルゾ。ナンデスグ助ケナイ? ナンデ?」
「こ、この……!」
スルケープは今すぐ両手に力を入れてこのゴブリンの口を黙らせてやりたかった。が、しかし、そんな行為こそが聖書の禁じる敵意そのものであると気付き、奥歯を噛み締める。
スルケープはグレイ・ゴブリンの首元から手を離し、後ずさりしながらも依然として警戒を解かず、胸の鞘からナイフを抜き、切っ先を向け続ける。だが、確かに心の片隅にショックは残留した。それは信心深いと自称していたにも関わらず、今日の今日までそれを思い出せなかった事に対する深い失望であった。
「お前の負けだなキシリスチャン」
「畜生……」
それまで沈黙を保っていた村長が、ニヤニヤと笑いながらスルケープの肩を組んだ。
「まあそういう訳だ。そいつの働きは俺が保証する。仮にへまをこきゃあ、その時はお前らの好きにすりゃあいい。文句はねえな、お前も、お前も」
「あぁ、そうだな」
「もう何でもいいわ……」
くたびれたように同意する二人へ頷きかけると、村長は最後にグレイ・ゴブリンを見る。怪物は頭を振った。初めからこうなる事は受け入れていると言わんばかりに。
「元ヨリソノツモリサ。問答無用デ殺サレナカッタダケ」
一旦話を区切り、天井を指差して、そして言った。
「神二感謝ダネ」
「口の減らねえ小僧だぜ」
村長は笑い声を上げ、グラスを口元へと運んだ。
すったもんだあったもののどうにか話がまとまり、グレイ・ゴブリンを先頭としたトロル討伐部隊は村人に見守られる中、森へと向かっていくのだった。