「おい」
「あん?」
それは俺がせっせとビー玉サイズの赤い木の実『ゴブの実』を取っている最中の事だった。
声のした方向へ振り返ると、俺と同じようなみすぼらしいゴブリンが、ふてぶてしく佇んでいた。
「なんだい、見ての通り俺は今忙しい。要件があるなら手短にしてほしいな」
「なんでえたかがゴブの実拾いだろ。そんなのが忙しい訳ないじゃないか」
と目の前のゴブリンが鼻で笑いながら言う。俺は頭を振るって答えてやった。
「仕方ないだろ。俺は狩りが下手で、『アオウサギ』すら狩れやしない。だから木の実を食うしかないんだ。でも高所の木の実はあの糞ったれな『ブルーバード』や『ブルーオウル』が取っちまう。なら茂みに生えてるゴブの実を食うしかないじゃないか」
「ふぅ~ん」
俺は渋くて苦いゴブの実をポリポリ食いながら現状を嘆いてみせたが、目の前のゴブリンはまるで興味が無さそうだった。
「まあまあそんな
片眉を吊り上げる俺に、ゴブリンは馴れ馴れしく肩を組んできた。
「俺に触るな。で、要件ってなんだよ」
ゴブリンの腕を払いのけ、苛立ちも露な俺に、そいつはにやりと笑った。その拍子に頬まで裂けた口の隙間から黄ばんだ歯が剥き出しとなり、俺の眉間の皺がますます深くなっていくのを感じた。同族嫌悪という奴だ。
「ここからそう遠くないところにブルードックが五匹ばかり屯しててな、どいつもこいつも弱っちそうだから数を集めて襲撃しようって話になったんだ」
「へえぇ」
今度は俺が興味のない声を上げる番だった。その事にゴブリン野郎はえらく腹を立てだし、ずいっと顔を前に出して凄みながら声を荒げた。
「やい、何だその興味なさそうな顔は! お前を加えれば丁度二十体なんだ、つべこべ言わずに来い!」
掴みかかってくる腕を払いのけ、俺は目の前のゴブリンをつぶさに観察してみた。体の大きさは俺と大して変わらないが、俺と比べて肉付きが良く、他の集まった個体はどうだか知らないが仮に同じ程度と仮定すると、なるほど、この提案に乗るのも悪くない気がしてきた。
この世界で自己を見出してから一か月余りの時が経過していた。進展は殆ど無く、もどかしくて試行錯誤の日々が続いた。ここは一丁賭けに出るべき時なのかもしれない。結局のところ虎穴に入らなければ虎児を得られない。それに、いざとなればこいつらを囮にして逃げればいいのだ。
「いいよ、俺も行く」
「あ? 何だよ行くのかよ。だったら初めからそう言えよ」
俺の一言でゴブリンは躍起になって掴み掛ろうとする手を止めた。単純なようでまことに結構だ。
「俺はノビタ・ゴブリンだ。まあよろしくいこうや」
ゴブリン改めノビタ・ゴブリンは先ほどと一転して気安く名乗ってきた。起伏に激しく、それでいて単純な、ゴブリンという生物の見本のような奴だった。
「あぁよろしく」
俺は応えながら、手を差し伸べた。
「あ、何だよその手は?」
「握手だよ握手。友好の証しさ」
突き出された手を怪訝そうに眺めるノビタ・ゴブリンに、俺は努めてにこやかな表情と声音で友好をアッピールした。しかし、彼の次の言葉で、俺の胸中は凍り付くことになる。
「なんだそりゃ。
「……」
差し出された手は無視され、ノビタ・ゴブリンは鼻を鳴らして背を向けて歩き出した。俺はというと、手を突き出した姿勢のまま、しばらくの間固まっていた。
『人間じゃあるまいし』
彼からすれば何気ない言葉で。悪気も無ければこちらを傷つける意図も無いだろう。当然だ。彼はゴブリンで、その言葉を理解する俺も当然ゴブリンな訳で。
俺は人間で。
それをありありと突き付けられた一幕であった。背を向けて遠ざかるノビタ・ゴブリンと、
■
「ついに揃ったな! これで俺たちは無敵だぁ!」
「「ゴブブオーッ!」」
「……」
ノビタ・ゴブリンの案内されるがままについて来てから数分後、総勢十九匹のゴブリンを前にして俺は早くも回れ右して帰りたい気持ちでいっぱいになった。
というのも、集められたゴブリンは俺を案内したノビタ・ゴブリンと似たり寄ったりで、何か大きなことをするという言うからもっと物々しい感じをイメージしていたので、肩透かしを食らった気分だった。
そして最大の理由はゴブリンというものは弱いくせして謎に自信過剰で、傲慢でいい加減ですぐに物を忘れる生き物だ。それが群れるとなるとその性質が膨れ上がり、手が付けられなくなる。
他の生物の陰口から聞いてはいたが、いざそれを目の当たりにすると想像以上にうんざりしている自分がいた。
「みんな聞いてくれ!」
集められたゴブリンの中でも頭一つ大きいゴブリン、名をタケシ・ゴブリンというゴブリンが、大声を出して注目を集めた。その一歩後ろにはスネオ・ゴブリンという俺よりも小さな体躯の腰巾着が手を揉みながら、下卑た顔つきで俺たちをねめつけていた。
数を揃えて気の大きくなった烏合の衆へ、タケシ・ゴブリンは神妙な顔つきで、勿体ぶるようにタメを付けてから口を開いた。
「俺たちは元々最強で向かうところ敵なしの種族だが、それがさらに二十匹も集まったとなれば、最早俺たちを止められる者はいない!」
タケシ・ゴブリンの言葉に、集った愚か者たちはそうだ、その通りだと、もう全てをやり遂げたような表情で相槌を打っていた。
「キツネ共も言っていた! 『お前たちが集まればブルードックなんて簡単にやっつけられる。我々は目覚めたのだ。大いなる種族たるゴブリンである君への今までの無礼、この情報でどうか許してくれまいか』と! つまり! あの卑しいキツネ共は我らについに白旗を振ったのだ!」
「「ワオオォ―ッ!」」
ゴブリンたちは腕を掲げ、手近な者と肩を組み、どしどしと足を鳴らした。俺は眩暈がし、天を仰いだ。
キツネ。この森でキツネと言ったら『ヒノコノキツネ』という、尻尾に発火物質を蓄えた危険な魔物を示す。だが連中の恐ろしさはそこではなく、狡賢く、他種族を貶める事に無類の情熱を注いでいるところにある。
三千世界の何処を見ても、キツネとカラスは信用ならないロクデナシと相場が決まっているというもの。
そんな奴らが神妙に? 遜って? ナンセンスだ。
絶対にこの話には裏がある。状況を見て、すぐに離脱できるようにしなければ、俺にも火の粉が降りかかるであろうことは明らかだ。
「随分と弱っちそうな奴だな。おい新入り、お前名前は?」
熱狂の中でそんな事を考えていると、近くにいたひょろ長でやけに歯が出っ張っていて糸みたいに目を細めているゴブリンが俺に話しかけてきた。
「俺は──────」
名乗ろうと思い口を開いた俺だが、そこで固まった。人間でなくなった俺はかつての名は名乗れない。しかし、今の俺には名前が無い。親に付けられるよりも前に野に放り出されてしまったからだ。
早く名乗らねば要らぬ不信感を与えてしまう。漁夫の利目当てで参加したのに計画前に追い出されては骨折り損も良い所だ。しかし名とは。今の俺に相応しき名とは……。
その時ふと脳裏に浮かんだのはずいぶん昔の記憶。子供の頃に見たUFO特集の雑誌で見た古い白黒写真。あの時見た恐らくはフェイクであろう、子供くらいの背丈の不気味な人型の記憶が脳裏を過ったのだ。
「―――『グレイ』」
気が付けば、自然とその名が紡がれていた。
「俺は
「そうか、俺はヤンス・ゴブリンだ。いいか新入り、覚えておけよ」
ヤンス・ゴブリンは俺にずいと顔を近づけて凄んで見せながら、精一杯ドスを利かせた声で脅すように言った。正直怖くもなんともなかったが、ゴブリンの性質上ここで否定すると逆上するのは目に見えていたから、ここは口を挟まず黙って聞くことにした。
「お前のような新入りは俺たち先輩を立てなくちゃいけない。分るな?」
「……もちろんさ」
俺はヤンス・ゴブリンが二の句を挟むよりも前に頷いて見せた。これ以上こいつらの御託を聞いていたら、気が狂いそうになる。
「あんたらのようなゴブリンの勇士を前に出しゃばるなんてとても出来ないよ。あんたに言われなくとも、俺は元々そうするつもりだった。誇り高き戦士の聖戦を邪魔するなんて無粋をしたくない。いやぁ~こんな素晴らしい日に立ち会えるなんて俺は何て運が良いんだろう」
「ほほう、お前! よくわかっているじゃないか!」
黄ばんだ歯を剥き出しにして笑みを浮かべると、ヤンス・ゴブリンは馴れ馴れしく俺の背中をバシバシと叩き、目的地であるブルードックの住処へと向かい始めたタケシ・ゴブリンの背を上機嫌で追って行った。
「……はあ」
ため息を吐き、付かず離れずの距離を保ちながら、俺も彼等の後を続いた。
ブルードックの住処はここからそう遠くない場所にあった。朽ちた木の前にあるやや広めの空間に、五匹のブルードックが寝そべっていたり、足で地面を掻いたりしていた。
パッと見た印象では、どの個体も若い印象を受けた。そのせいか経験も浅く狩りも上手くいってないのか、どいつもこいつもやせ細っていた。
大方群れとはぐれた個体が寄り集まり、計画性も無くぶらついた結果があの有様だろう。
耳を澄まして聞こえてくる彼らの会話はのっぴきならず、いつ爆発するかもわからぬ殺気が空間に張り詰めていた。こっちの事など、気付く素振りも見せない。空腹とストレスとで注意が散漫になっている。
なるほど、確かにこれならばいくらゴブリンが弱くとも数を揃えさえすれば勝てるかもしれないように思える。
だがこの情報をチラつかせたのがキツネというだけで、一気に信憑性に疑いが出てくる。あいつらが善意で他者に助言するなどある筈がない。これは確実に裏があると見ていいだろう。
そう結論付けた俺はタケシ・ゴブリンの元へと向かった。
「フーッ、フーッ!」
「イヒヒッ早く行きやしょうぜタケシのダンナ!」
「ちょっといい?」
俺の声に反応したタケシ・ゴブリンが血走った目を向けた。スネオ・ゴブリンは自慢の弁舌を遮られて怒り心頭の赤ら顔である。
タケシ・ゴブリンの手の中には古びたナイフが握られていた。これは森の賢者を自称し人間の道具を集める変人であるハカセ・ゴブリンから譲り受けたという得物であるという。
とはいえ、しょせん打ち捨てられた拾い物。刀身はところどころに錆が浮かび、刃こぼれすらしている。これじゃあ切るどころか突くのすら難儀しそうだ。せいぜい鈍器とどう違う。
「何だお前は! 俺たちは今から戦いに行くって時に水を差す気か!?」
腰ぎんちゃくが口の端から泡を吹いて糾弾する。俺は慌てて待ったをし、今にも得物を振りかぶらんばかりに興奮する
しかし、俺は二人を前に何も言えないでいた。というのも、当初の予定としては言葉巧みに唆してブルードックへと突っ込ませ、そのおこぼれを頂戴するというものだった。
唆すのは簡単だ。ゴブリンは単細胞かつ瞬間湯沸かし器。ほんのちょいと煽ってやれば百倍の怒りで持って返ってくる。ここまでは順調である。
問題はその後だ。まさか怒り狂ったゴブリンがこんなにも恐ろしいなんて思ってもみなかった。殺気を全開にして威圧する生き物を前に頭が真っ白になるなんて考えつかなかった。体がこんなにも竦むだなんて!
「やいこら、なんとか言え!」
スネオ・ゴブリンがまくしたてる。タケシ・ゴブリンの瞳がどろりと濁った。
「……ああ、そうだね。じゃあ改めてさ」
カラカラの喉を唾で湿らせ、俺は深呼吸を一つして心を落ち着かせた。今ここで取るべき行動は決まっている。あとはほんの少しの勇気を出すだけだ。さあ言え、言ってしまえ! あとは野となれ糞となれ!
「お前らみたいなちんけで頭の悪いゴブリンどもはブルードックに食い殺されちまえ! ……ってキツネどもが言ってたヨ。ホントだよー……」
「「―――」」
スネオ・ゴブリンとタケシ・ゴブリンの動きが止まった。何なら俺の声を聞いたほかのゴブリンどもも動きを止めた。まるで世界が凍り付いたかのような静寂だった。
「……それは、マジの、マジか?」
凍り付いた世界に、スネオ・ゴブリンの震え声が波紋を広げた。彼の顔は真っ赤を通り越して真っ青で、体が小刻みに痙攣していた。
「あ、あぁ、うん……そうだね」
しどろもどろで返答するのと、静寂が爆音で破られたのはほぼ同時だった。
「「ゴブオオオォーーー!!!」」
それは怒りだ。純粋なる怒りと憎悪のはかり知れんばかりのエネルギーが火山の噴火めいて吹き上がった。それが目前まで迫ってきていた。緑色の壁。避けられぬ死。
「き、君たちの敵はあっちにいるぜ」
「「ワオオオォーーー!!!」」
脳裏に死がひらめいた俺はとっさに指さした。ブルードックがたむろする広場に向けて。怒り狂ったゴブリンたちは示される方向へ向け、タケシ・ゴブリンを先頭にして脇目も降らずに突撃していった。
「あわあわあわ」
俺はすっかり恐れ入ってしまい、突入の機会を逃してしまった。……それが幸いしたのは、はたして良いことだったのか悪いことだったのか。
緑色の塊が遠ざかってゆく。俺はそのさまを、ただ黙って見守るほかない。
「うおおっ!」
タケシ・ゴブリンが騎士めいて掲げる錆びたナイフを、あっけにとられているブルードックへと突き立てんと迫る。
果たして勝負の行方は?