「ゴアアアアン!!!」
炎を引き裂き、巨人は憤怒の咆哮を張り上げた。その体は惨たらしい有様で、全身が黒焦げになっている。だが生き残っていた部分から再び新しい皮膚が生まれようとしており、ぐずぐずと音を立てて再生が始まっていた。
「化け物め……!」
スルケープが短く叫んだ。魔法使いの攻撃を受けても尚立ち上がろうとするトロルの姿に戦慄したのだろう。
「だが明らかに弱ってる! 畳みかけるぞ!」
「くそったれの化け物が! ぶっ殺してやる!」
カセマージとスルケープは即座に武器を構え直し、ヌイセラも新たな魔法を構成し始めた。
「アレデモ死ナナイノカ! コレガ特異個体ノシブトサッテ事カ……ナンテコッタ!」
グレイ・ゴブリンは明らかに致命傷を受けているにもかかわらず、しかしそこから踏みとどまり急速再生を試みるトロルの生命力に驚嘆と焦りを禁じ得なかった。
「「オオオ!」」
「おっと、俺もいかなくちゃな!」
真横を通り過ぎていった二人の冒険者の鬨の声に気が付き、グレイ・ゴブリンは我に返って自分も戦場へと加わるべく背中の得物を抜き放った。
それは人間の大人サイズの薪割り用の斧だった。彼の背丈は精々が120センチがいいところで、彼が持てばそれは大斧と言って差し支えないほどだった。
「ブオオオ!」
「くらえ!」
「シャア!」
攻撃圏内まで近づいたカセマージとスルケープはトロルの丸太めいて太い巨椀をくぐりぬけて懐に入り込むと、獲物の剣をそれぞれ右足と左脚を思い切り切りつけた。
「グオオオ!?」
はたしてそれは弾き返されることなく皮を肉を裂き鮮血を飛散らせた。万全ならばいざ知らず、炎により深いところまで炙られた肉体は今や防御力も低下しており、二人の一撃は容易くトロルの身を切り裂いた。
「ぬっ!?」
「これは!」
カセマージとスルケープは目を剥いた。切り裂かれた部位がごぼごぼと泡立ち、血が止まり、肉が盛り上がって傷を塞ぎ始めたのだ。何という再生能力であろうか。
「グワワーン!」
「しまっグワーッ!?」
「カセマージ!」
驚愕の隙を、巨人の蹴りがとらえた。まるで遊び半分に放られた人形の様にカセマージは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。カセマージはびくびくと痙攣し、しかし立ち上がる気配はない。完全に意識を手放してしまったようだった。
「カセ―――ッ! クソぉ!」
スルケープは倒れ伏した相棒へと駆け寄ろうとしたが、『施設』仕込みの直観が咄嗟に彼に回避行動をとらせた。それが彼の命を繋いだ。次の瞬間彼がほんの少し前にいた地点に鉄槌が叩きつけられた。トロルの振るったそれは、岩石すらも粉砕する威力を持っていた。当たれば間違いなく潰れたトマトよりも悲惨なことになっていただろう。
「グアオオオン!」
トロルは再び咆哮を張り上げた。その目は元々薄かった理性すら消え失せ、ただ憤怒と激痛によって白濁していた。巨人は今度こそスルケープを仕留めようと両腕を無茶苦茶に振り回した。
スルケープは即座に反応し、必死で回避した。死に瀕しているというのに、トロルの振るう腕の速さは彼ですら反応するのがやっとの早さだった。ほんの数ミリ先を死が通過してゆく様に、スルケープは恐怖した。神への祈りの言葉を吐くほどに。だが神は答えなかった。
「オオオオオ!!!」
代りに、鬼気迫る雄たけびが聞こえて顔を上げれば、異種族の友がトロルの真横から迫り、振り上げた薪割り用の斧を、彼が付け、もう塞がりかけている左脚の傷へと叩きつけた。
渾身の力でもって叩きつけられた斧は塞がりかけの肉を裂き、骨の半ばまで食い込んで止まった。
「ブオオオン!?」
悲鳴を上げたトロルが足を引こうとした時には既に遅く、グレイ・ゴブリンは食い込んだ斧から手を放して逃走。蹴り飛ばされたカセマージの身体を担ぎ上げて離脱していた。
「ナイスよ! 貴方たちの奮闘のおかげで溜まったわ! 離れて!」
「ッ! 分かった!」
意図を察したカセマージが慌てて距離を取る。カセマージが離れれば、ヌイセラは自らの正面に火球を生成し、解き放った。
「くらえファイヤーボール!」
「ソノ魔法ハ!」
トロルへ向かって一直線に飛んでゆく火球を目にしたグレイ・ゴブリンの脳裏に閃いたのはかつての記憶。群れを焼き払った地獄の業火の記憶だった。その威力を良く知る彼は、この一撃で終わることを願い、ただ拳を固く握りしめた。
「ガアアッ!?」
トロルは避けようと足に力を入れたが、両足とも未だ傷の再生は済んでおらず、特に左脚の傷は深刻だった。
結果、回避は間に合わず、火球は見事に命中した。今度は燃え広がることなく、爆発音と共に灼熱が飛び散った。命中を目の当たりにした瞬間、勝利を確信した三人の顔に安堵の色が浮かんだ。
が。
「ガアアッ!? ガアアッ!?」
黒煙が晴れ、見るも無残に炭化したトロルの顔が露わとなった。しかし巨人はもだえ苦しみこそすれ絶命する気配はなく、ここまで来るとその馬鹿馬鹿しいまでの生命力に恐怖よりも呆れさえ抱くほどだった。
「糞が……いい加減にくたばれや……!」
気絶から復帰したカセマージが押し殺した声で吐き捨て、うつ伏せのまま両手を突き出し魔力を活性化させたかと思えば、前方に風の球体を複数個作り出し、連続で解き放った。
「ウィンドボール! くたばれ化け物!」
「私も、はあ!」
ヌイセラも続けて火球を放ち続ける。両者ともに限界が近かった。しかしここでしくじればどのような惨劇が起こるか理解しているがゆえに、彼らは無理をしてでも魔力を振り絞って魔法を叩き込み続けた。
ボン、ボン、ボン、とくぐもった炸裂音が森中に響き渡り、二人の放つ魔法は止むことがなかった。しかしどれだけダメージを与えても巨人は立ち上がり、止まる事は無い。
「いい加減に死ね、死ね、死ねぇーっ!」
ついに限界を迎え、その場に崩れ落ちた二人を目尻に、スルケープはあえて声を張り上げてトロルの注意を引くと、十字を切り、神への祈りとともに身体強化の魔法をかけると突っこんでいった。
「グ、グオオオ!」
魔法の連打でトロルは最早元の形をかろうじて保っているだけのボロ屑のような有様だった。それでもなお生きているのは、果たして生命力が強いだけで片付く話しか?
「なるほど、これが奴の固有の力ってわけか」
滝のような汗を流し、真っ青な顔で浅い呼吸を繰り返すカセマージとヌイセラを戦線から引き下げながら、グレイ・ゴブリンは一人得心していた。
特異個体には固有の力を持つものが時折出てくるというが、恐らくあのトロルも固有の力、仮に名付けるとしたら『趙生命力』とでも言おうか、それが働いて、あの人知を超えたしぶとさを実現しているのだろう。
「おあああああ!」
「グオオ!」
スルケープは緩急を交えた動きで巨人を翻弄し、隙あらば切り付け、着実に血肉を、再生能力を鈍らせていった。しかし一方的な攻め手に見えたが、実際は相当苦戦していた。スルケープ自身、精神的にすでに限界近く、いつ意識が飛ぶか分からない有様だった。
二人を安全な場所まで退避させ終えると、グレイ・ゴブリンはすぐさまスルケープの援護をするために駆け戻っていった。
ブーツから鉈を引き抜き、声を張り上げて注意を引く。すると、それまでスルケープに首ったけだったトロルの注意が一瞬でグレイ・ゴブリンへと向いた。
トロルの眼球は片方が煮崩れ、弾け飛んでいた。残った片方も視力が残っているのかすら怪しい。にもかかわらず、隻眼の眼光が放つ憤怒と憎悪は依然として強烈だった。
「グレイ・ゴブリンンンンンンン!!!」
巨人は憎悪の咆哮を上げながら、両手で振り下ろされた拳をグレイ・ゴブリン目掛けて叩きつけようとした。グレイ・ゴブリンはその攻撃を予測して跳び退き、あやうく直撃を避けることに成功する。
直後にズゴンというとても生物が出した音とは思えぬ音が鳴り響き、ダイナマイトの爆発並みの衝撃により地面に小クレーターが出来上がっていた。当たっていれば肉塊になるどころか消し飛んでいただろう威力だ。
だが大ぶりの攻撃の隙に、彼の意図を酌んだスルケープが巨人の左脚、未だ斧が食い込んでいる箇所に向けて、身体強化を限界までかけた一撃を叩き込んだ。
「ギアアアアア!?」
その一撃により、ついにトロルの左脚の足首から先がもげ、地面を転がった。
「―――ハハッ! やったぞ!」
スルケープは勝ち誇ったように笑い、そして怒り狂った巨人の平手が自分目掛けて振り下ろされるのを見た。
「アギャッ―――」
悲鳴とともに押しつぶされた冒険者は、しかしグレイ・ゴブリンにはその安否を確める暇すらもが与えられなかった。
何故ならば足を破壊され、立つことがままならなくなったトロルが悪あがきと言わんばかりに両腕を振り回して暴れ出したのだ。
振り回される両腕はさながら破壊の嵐の如く壁を作り、遠距離攻撃手段の無いグレイ・ゴブリンはただ避けることを強いられた。
「畜生、畜生、畜生! あと少しだってのに!」
グレイ・ゴブリンは歯噛みし、怒涛の如く振るわれる腕をただひたすら避け続ける。そうこうしていれば巨人の肉体は蒸気を発し、ほんの少しずつではあるが肉体が再生しつつあった。
「このままじゃ……」
グレイ・ゴブリンの脳裏に撤退の二文字が浮かび上がったその時。ボン、と音を立てて巨人の横っ面に小さな火の塊が着弾した。
先のファイヤーボールに比べればはるかに小規模な炸裂だったが、傷つき、弱り切ったトロルを怯ませるには充分であった。
「―――ッ!?」
グレイ・ゴブリンは咄嗟に火の塊が飛んできた方向を見た。そこには弓を構えた自警団連中を引き連れたフンターと村長が。その足元には両腕を突き出したクレスが、ダイ、チュー、ショーの三兄弟が、それどころかあのネズまでいるではないか。
「各員、放て―ッ!」
「「「ワオオオオオ!!!」」」
フンターが号令を張り上げれば、一斉に放たれる無数の矢や魔法。火球、水弾、風弾。それら全てがトロルに降り注ぎ、再生途中だった巨人の肉体を削り取っていく。
「「オラオラオラ!」」
「ひえーっ」
子供たちも大人に負けじと魔法を放ち、巨人の再生を少しでも阻害するために奮闘した。
「受け取れゴブリン!」
クレスは声を張り上げてグレイ・ゴブリンへ向けて何かを投げ渡した。雨あられと放たれる魔法や矢の中を縫って、それはグレイ・ゴブリンの真横に落ちてきた。
「コレハ……」
それは棍棒であった。三兄弟の得物である棍棒であるが、彼らはしょっちゅう破損させるため、家の倉庫にはスペアがたんまりあった。これはその一つだろう。
グレイ・ゴブリンは感謝の意を込めて棍棒を受け取り、トロルへ向けて構えた。
「任サレタゼ、親友……!」
グレイ・ゴブリンは鉄火場へと踏み込み、全速力でもってトロルへと突っ込んでゆく。
「グレイ……ゴブリンンン……!」
それは憎悪か。執念が故か。いずれにしろ、雲霞の如く放たれる魔法や矢の只中であってなお、巨人は憎むべき敵を視界に収め、叩き潰そうと腕を振り上げた。
「ココダ!」
グレイ・ゴブリンはこみ上げる恐怖を抑え込み、叩き潰される直前まで引き付け、当たるか当たらないかのぎりぎりで身を投げ出してかわし、その勢いを前転で殺さず前へ進む推進力と化して巨人の体を駆け上がり、渾身の力でもって棍棒を頭部に叩きつけにいく。
しかし巨人は生存本能を爆発させ、限界を超えた反射神経でもって頭を動かし、振り下ろされる棍棒の一撃を、頭頂部に生えた角でもって受けた。
棍棒、破砕。グレイ・ゴブリンの小さな体は衝撃を受け流し切れずに上空へと打ち上げられた。
「バハ―ッ!」
死に体のトロルは上空へと吹き飛んだグレイ・ゴブリンを見上げ、その口を開けた。小さなゴブリンは白目を剥いて失神している。このままでは彼は丸呑み一直線だ。
「グレイ―ッ!!!」
クレスの悲鳴にも似た甲高い声が、怒号が飛び交う戦場を駆け巡り、グレイ・ゴブリンの鼓膜を揺らし、脳みそに届き、魂を震わせた。グレイ・ゴブリンは刮目した。
ドクンという鼓動の音を、この場にいる全ての者の耳が拾い上げた。クレスが、フンターが、村長が、子供たちが、自警団たちが、そしてトロルが、一様に上空のゴブリンへと目を向けた。
「ウルオオオオオ!!!」
それは生存本能を爆発させ、獣の本能を剥き出しにしたゴブリンの咆哮だった。
そして見よ。グレイ・ゴブリンが未だ握りしめていた棍棒の残骸がメキメキと異音を軋ませて育ち、新たなる棍棒を形成したのだ。
「オオーン!」
巨人は尋常ならざる命の危機を感じ、咄嗟に右腕を掲げて防御の姿勢に入る。
「いい加減にしやがれこの木偶の坊。てめーはここで終わるんだ。ウィンドカッター!」
「ギャアッ!?」
村長が飛ばした風の刃が、巨人の腕の付け根から吹き飛ばした。悲鳴を上げ、巨人は膝をついて無防備な後頭部をグレイ・ゴブリンへとさらした。
「「「やれーっ!!!」」」
再び放たれる魔法や矢の雨。グレイ・ゴブリンはその中を突進し、もう一度棍棒を振り上げる。
今度は角で受けることは出来ない。トロルの視界はふさがれ、反応すら間に合わない。完全に不意打ちだ。大地を割るような音を立てて、棍棒が巨人の頭頂部へと叩き込まれた。
「ブヘ―ッ!?」
巨人の頭部が、爆ぜた。脳症が飛び散り、残った眼球が宙を飛んでクレスの目の前に落下した。
「へんっ」
クレスは鼻を鳴らし、そして無慈悲に踏みつぶした。
トロルは最期に一声唸り、そして一矢報いようと残った左腕をグレイ・ゴブリンへと伸ばした。
「ガアッ!」
グレイ・ゴブリンは獣の如き唸り声とともに棍棒を振るって左腕を弾き飛ばし、トロルの胴体へと突進。そのまま胴体に噛みつき、炭化した肉を食い破り進み、心臓を噛み千切って丸呑みにし、反対側へと突き抜けて血飛沫と共に飛び出した。
「グルオオオオオオ!!!」
全身血まみれの怪物は勝鬨の如き咆哮を高々と上げた。その背後で巨人は完全に動きを止め、そして前のめりに倒れ伏した。
巨人が倒れ伏したのを確認すると、彼は左手に持つ野球ボール大の黒紫色の禍々しき石、魔石を、唖然として見つめる観衆の下で何のためらいもなく丸のみした。
「―――ッッッ!!!」
瞬間、再びこの場の全員の耳に鼓動の音が鳴った。しかもさっきよりずっと強い。
「オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
突如としてグレイ・ゴブリンが苦しみだし、悲鳴をあげ始める。それはまるで内部から食い破られるかのような、生理的な嫌悪感を伴う断末魔だった。
立っていられず仰向けに倒れ伏し、胸元を押さえてのたうち回るゴブリン。その口からは血泡が噴出し、体中からメキメキと嫌な軋み音が聞こえる。特異個体の魔石を取り込んだことにより、グレイ・ゴブリンの体内で何かが変わろうとしていた。
「あっ」
クレスが声を上げた。何事かと思い注視してみれば、変化はあっという間だった。
ほんの瞬きする間で、グレイ・ゴブリンの体色が緑色から特異個体のトロルと同じ色へと変わったのだ。即ち灰色へと。
そして、メキメキと音を立てて、額の右端から生える角がより太く長く育ち、ついには反り返り、天を衝く禍々しき角へと変化した。 魔石を取り込むことによって、彼は進化……いや、変貌を遂げたのだ。
「──────アバッ」
変化が終わり、ひとしきり苦しみに叫んでいたかと思えば、びくっと痙攣し、それから糸が切れたかのように動かなくなった。
「──────運べ。今すぐだ! 怪我人を運べ! 村を救った英雄をとっとと担ぎ込めこのボケども!」
「「「はい!」」」
真っ先に我に返った村長の号令の下、自警団員たちがグレイ・ゴブリンと冒険者パーティ『鉄壁の盾』のメンバーたちを担ぎ上げ、急いで青の村へと運んでいった。
「グレイ、大丈夫かな?」
「まあ、大丈夫だろ」
クレスが村長へと不安に満ちた声をかけると、村長はぶっきらぼうに答えた。彼はクレスの頭を無造作に撫でると、それから倒れ伏す巨人を見つめていた。
戦いが終わった。彼らは勝った。だがそれで終わりではない。支払いの事。治療費の事。やることは山積みで、考えれば考えるほど村長の気は重くなるのだった。
だが、まあ。
お祭り騒ぎではやし立てる若い衆を見ながら、今くらいはそれを忘れてもいいかと、村長は思うのだった。
村に戻って村長が勝利を告げれば、村中大歓喜に包まれた。やんややんやの大騒ぎで、自警団の若者たちは此度の
老人方はそんな若者たちが誇らしくてたまらず、普段の仲の悪さなど忘れ去り、一緒に酒を酌み交わす始末だった。
子供たちも例外ではなく、ダイ、チュー、ショー、ネズ、そしてクレスは大人たちに担ぎ上げられ、その勇気ある戦いぶりを有る事ないこと盛りに盛ってぶちまけては周囲から尊敬を一身に集めていた。
青の村は戦士たちを称え、冒険者たちを称え、そして一匹の魔物を称えた。抑圧から解放された反動からか、宴は夜の帳が落ち、陽が明けてなお続いていた。
……一人の老婆が、そろりそろりと抜き足で、村を出た事にも気が付かずに。