グレイ・ゴブリン:何の前触れも無く現代から異世界のゴブリンに転生していた男。キシリトール教団に存在がバレたが為に村から旅立ちを余儀なくされた。逃亡しながら、人間に戻るための方法を探す。角一本。
スカーレット:レッド辺境伯の長女。ブルー領から逃亡した先にあった赤の森でグレイ・ゴブリンと出会った。優しい性格と物怖じしない性格で愛されていたが、人前で笑わなくなって久しい。
セバス:スカーレットの護衛騎士の女。五十歳。過去に娘がいたが流行り病で亡くなっている。スカーレットを我が子の様に可愛がる。
レッド辺境伯:スカーレットの父親。レッド領の統治者。昔はレイピアの達人だったが、妻を亡くしたストレスで膨れ上がり、今では見る影もない。
ブラッド:レッド辺境伯の長男。スカーレットの兄。父から受け継いだレイピア術でグレイ・ゴブリンへと勝負を仕掛けた。
ユング;キシリトール教騎士団第二隊隊長、通称『白犬騎士団』の団長。キシリトール教の騎士の基本技『光波剣』の達人。その名の通り執念深く、陰湿で嫌味な男。グレイ・ゴブリンに致命傷を負わせた。
「はあ……はあ……!」
駆ける、駆ける! 森の中を駆ける。勝手知ったる獣道を駆ける。一切舗装されていない道なき道を、自分でも信じられない速度で駆け巡る。
「ピギーッ!」
「むおっ」
水たまりめいて地面に広がるブルースライムを飛び越え、一切減速せずに駆ける。追っ手の事は考えない。ただ前へ進むことだけを考える。
物凄い勢いで走る俺に、魔物たちは誰も追いつけず、また襲う気配すら無く、俺を見るや道を譲るか、尻尾を巻いて逃げ去ってゆく。
そうすると、徐々に森が開けてきた。視界が広がって、目の前に草原が現れる。
「──────」
初めて目にする森の外に、俺はしばしのあいだ放心してしまった。足を止め、何処までも続くかのような草原を見渡す。
遠くに見える山々は青空に映え、どこか神秘的な美しさを感じた。風が強く、草木が激しく揺れ動いている。そんな中、獣の鳴き声が風の音に交じってあちこちから聞こえてきた。
森を抜けても、やはりここは弱肉強食の世界なのだ。危険度はあの森の中と何ら変わらない。味方がいないという意味では、中も外も変わらなかった。
「……」
こんな事をしている暇はないと分かってはいる。だがもう少しだけ時間をくれ。俺は背後を振り返り、故郷たる青の森を振り返る。ずっと見てきた景色。仲間たちと過ごした思い出の場所。もう二度と戻れないかもしれない場所。
別れを告げるように一度大きく息を吸い込み、静かに吐き出す。心の整理をつける。今までありがとう。そしてさようなら。また会うその日まで。
決意を新たに前を向く。草原の先には、延々と続く道がある。その先に青の町はある。まずは村長が話を付けたという協力者に会う事。それが目標である。その後は……それはその時にでも考えよう。
村と来て、次は町だ。不謹慎だが、こんな状況でもワクワクしている自分がいた。この世界の町はどんな感じだろうか。人々は何を思い、どうやって生活しているのか。その一端でも知ることができれば、こんなに幸福な事は無い。
俺は足元に落ちていた石ころを手に取り、地面に投げ付けた。飛んで行った石ころは転がり、草原の中へと消えていく。待ち伏せの類は無し。そして俺を狙う獣の気配もない。というか人の気配がない。
警戒を絶やすつもりはないが、しかし少なくとも今はそこまで気を張る必要はなさそうだ。そんな風に考えながら、俺は軽くストレッチをする。体に違和感はない。むしろはち切れんばかりの力が体中を駆け巡っている。
あのホーン・〝
まさかゴブリンの体がここまで進化するとは思ってもみなかった。それに加えて角一本だってずいぶんと長くなり、生えたての頃から比べ物にならない程頑丈で強固になっている。肌の色と相まって、まるで地獄の餓鬼のようだ。その内口から炎でも吐くのだろうか。
「ハッ!」
気合を入れ直し、再び走り出す。町へ向かってひたすら真っ直ぐ突き進む。
「うわっ!?」
「おっとごめんよ」
本当にゴブリンというものは何処にでもいるもので、拳大のデカさのバッタをむしゃむしゃやってたゴブリンの横を通り過ぎ、訳も分からず突進してきたブルーボアを飛び越え、道端のど真ん中に居座るブルースライムを避けつつ走り続ける。
意外な事に、こちらが近寄っても襲い掛かってくる者はほとんどいなかった。獣というものは基本的に危機に敏感だ。とりわけ格上の気配や臭いがしたら一目散に逃げていく。つまるところ、俺も彼らにとってそっち側になったという訳だ。
そうしていると次第に足元から緑が薄れてゆき、荒れてはいるが人の手が入った形跡のある道へと変わっていく。町まであと少しだ。……だが俺はそこで逸る足を緩めた。目の前に武装した人たちがいた。
数は二人。新品というほどではないがそれでも汚れの少ない真新しい装備に身に包んだ若者二人が、新人特有の警戒の薄い様子でくっちゃべりながら歩いていた。
「ふぅー……」
呼吸を落ち着ける。落ち着け。まだ俺の存在は公にはなっていないはずだ。彼らはただ青の森へと向かっているだけだ。出来るだけ堂々と歩く。自分には何の非もないただの訳ありの人間ですよと言わんばかりに。
ドンクドクンと心臓が高鳴る。真横を通過する瞬間が永劫にも感じられた。二人の若い冒険者は一瞬だけこちらに目をやり、そして何事も無く視線を外して会話を再開した。
無事に通り過ぎた後、速やかに距離を取る。一度深く息を吸い込み、呼気と共に今の状況を整理する。この世界で生き残る為には、常に警戒心を忘れず、相手の出方を見極める必要がある。だって俺は醜くて汚らわしいゴブリンなのだから。
喉の奥に唾を飲み込む音がうるさい。落ち着け。大丈夫だ。俺はまだ死んでいない。ここまで来れた。これから先も行ける。生き延びる事ができる。
そう自分に言い聞かせつつ、町へ向けて再び歩き出した。微風が吹く道を、逸る気持ちを抑えつつゆっくりと歩く。時折冒険者と思わしき若者とすれ違うが、やはり一瞥だけしてそのまま去ってゆく。
カセマージたちが言っていた冒険者というのは厄介ごとを嫌うと言っていた話は真実だったようだ。人間社会において、彼らは基本的に自分の身可愛さに走る。例外もあるだろうが、少なくとも今のところ俺に近付いてくる者は居なかった。
そうして歩き続ける事数十分。徐々に視界に現れ始めた建物群。遠目から見ても立派な造りをしている。町の入口には門番らしき人影も見えた。守衛所も設置されている。しかしあまりやる気は見受けられず、座り込んでタバコを吸っていたり、冒険者らしき者と雑談していたりしていた。
「……」
臆するな。堂々とを心掛けろ。あくまで何の問題も無い人間の様に。
意を決して近寄る。門番はどちらも若い兵士だった。一人は背中に大きな盾を背負い、もう一人は片手剣を装備している。二人共全く覇気を感じず、ただ仕事だからここに立っているというのが透けて見えた。……その気持ちは痛いほど理解できた。面倒くせえな。寄ってくるんじゃねえよ。そんな具合で。
良く分かるとも。だからそんなあからさまに面倒くさそうに顔を顰めないでくれ。俺だって本当はこんな事したくないのだから。
「ドーモ、コンニチワ。町二入リタインダケド、イクラダイ?」
「……銀貨一枚(日本円で約千円)」
盾持ちの守衛が無造作に突き出した掌に言われた通り銀貨を置けば、守衛はすぐさま手を引っ込め、顎をしゃくって進む様に促してきた。とっとと視界から消えろ。その目はありありと語っていた。
「……」
あっさりしたものだ。やはり門番というよりはただの受付係だろう。俺の考えを知ってか知らずかもう一人の守衛がつまらなそうに唾を吐き捨てた。おっかなびっくりに守衛の横を通り過ぎる。咎められることはなかった。
中へ入ると道は幅広く、大小様々な建物が並んでいた。多種多様な人間たちが行き交っており、市場のような活気がある。商店が立ち並び、食堂や酒場、宿屋に至るまで様々だった。
あまり大きな町とは言えないが、青の村とは比べ物にならないほど発展している。言っちゃ悪いがここに比べれば青の村など穴倉と相違ない。
「……」
観光気分で周囲を見渡す。俺が今まで住んでいた場所とは似ても似つかない世界だ。森や掘っ立て小屋ばかりの生活から一変して、突然目の前に現れた文明社会。ここが人間たちの住む世界なのだ。……本当は俺がいるべきだった場所……。
逃亡者としての自分を忘れかけるほどの魅力に引き込まれそうになるが、今はそんな場合じゃない。不信な動きをすれば注目を浴び、ともすれば正体がバレる危険がある。ただでさえ真っ黒いローブで全身をすっぽり覆い隠している不審者だ。何もしていないにもかかわらずあちこちから視線を感じる中で、妙な行動を起こすわけにもいかない。
まずは協力者の元へと向かわねばならない。目新しいものについつい立ち止まってしまいそうになる衝動をこらえながら、俺は地図を広げて現在地を確認しながら青の町を彷徨い歩いた。