時は少々遡り、グレイ・ゴブリンが去ってからわずか一時間ほどで、招かれざる客はやって来た。
「えーオホン……私は白犬騎士団青の町支部小隊隊長アニマである! この村に喋る小鬼なる魔物が出たという情報を得て参上した! 至急情報、ないし小鬼の身柄を提供せよ!」
アニマの横を、汗水たらした女が忙しなく横切った。大抵こういった小規模の村に教会の騎士がやって来たら誰も彼もが興味本位で集まってくるものだが、どうもこの村は女子供、それどころか老人にいるまでみんな忙しそうだった。騎士は訝った。
「すみませんえね碌なお出迎えができず。ほんの数日前にトロルの特異個体なんてものがでちまったんで、その対応でみんな大忙しなもんなんですわ」
と騎士に説明したのは青の村の村長で、横には負傷した足をこれ見よがしにアピールするバラクラバで目元を隠した冒険者の男が立つ。
「ぬっ!? 特異個体とな!? そいつは今どこへ?」
「こいつらがぶっ殺してくれましたよ」
村長は横に立つ男へと親指を向けた。バラクラバの男は恭しく頭を下げ、首に下げていた十字架を掲げて見せた。
「私は『鉄壁の盾』で斥候をやっていましたスルケープと申します。騎士殿、お会いできて光栄です」
「おお、我が兄弟ですか! それも鉄壁の盾! なんとそれは」
二人は手を取り合って互いを称え合う。
「話は概ね聞いとります。例の喋る小鬼とかいう話ですよね?」
「そうですな、何か知っていたら」
「あたしらから言えることは、そんな話は知らないって事ですかね」
「……」
片眉を吊り上げたアニマへ、村長は頭を振った。
「聞けばその話を語って聞かせたっていうのはコメットとかいう老婆だったそうですな」
「その通りだ。彼女は己の命を振り絞ってこの情報を我らへと届けた。であるならば、それに応えねば騎士たる資格はないであろう」
堂々と宣言するアニマに村長は鼻を鳴らした。アニマの後ろに控えていた騎士たちが殺気立った。しかし頓着せずに老人は続ける。
「あの婆さんとちょいと会話したなら、正気じゃないことはすぐに分かったと思いますがね。アンタは何も感じなかったか。いいや感じたはずだ。この話は真実なのかってな」
「……だが」
「このクソ狭い村で隠し事をするのはな騎士殿、蓋の空いた壺を草むらに隠すようなもんさ。すぐにバレる。実際あほな会計士が一人鞭打ちになった。気になるならその辺にいる奴に話を聞けばいい。俺の言ってる事が噓じゃねえってのが分かるぜ」
「私はこの男と付き合いが長い。今の話は私が保証します」
「あー……」
アニマ含め他の騎士が目に見えて狼狽えだした。二人の証言に噓は見受けられないし、実際魔物がいるというにはこの村はあまりにも平和だった。
「そういうこった騎士殿。この正気のキシリトール教の信徒と、どう見てもいかれたババアの妄言と、どっちが信ずるに値するかってえ話よ」
「ぐぬぬ……」
騎士が歯噛みし、撤退を宣言しかけたその時だ。
「隊長ぉ! 魔物の痕跡を見つけました!」
「何だと!?」
声のした方へ顔を向ければ、ホワイトドックを連れた一人の騎士が興奮気味に手を振って駆け寄って来た。
「教会の近くの小屋に行ったときにこいつらが反応したんです! で、中を見れば、ビンゴです! もぬけの殻でしたが、臭いは真新しい。これなら追えます!」
「はっはっは! やはりいるのではないか! 貴様ら我々を謀ったな!」
アニマが勝ち誇って高笑いを上げれば、村長とスルケープはそろって目をしばたたいた。寝耳に水とでもいうような反応だった。騎士は訝った。
「何だその反応は」
「なんてこった、あのババア! 俺たちに嫌がらせをするばかりかこの村に魔物を呼び込んだのか!」
「??????」
狼狽えるのでもなく誤魔化すのでもなく初めて知ったとばかりに怒る村長の反応に、アニマの思考が停止した。目をしばたたいている間に二人の男は駄目押しとばかりに捲し立てた。
「つまりこうだ! コメットの野郎は俺たちを恨むあまり森から魔物を手引きして村に引き入れ、機を見て俺たちを害そうとしたのだ!」
「俺もコメットの事は知っています。偏屈で正気を失った老女です。あの狂人ならば十分に可能性はあります」
「あー、つまり?」
理解不能といった表情でアニマが問い返した。
「つまりアンタはあのババアの身勝手な復讐の手伝いをさせられそうになった訳だ。魔物を庇えば俺たちを処刑できるっていう建前でな」
「な、な、な、何だとおおおお!?」
アニマは憤慨して叫んだ。
「先ほども申し上げました通りトロル騒ぎで村人たちは満足に動けませんでした。その時にでも村に引き入れたのでしょう。恐ろしい事です」
慌てふためく騎士達を横目にスルケープはしれっと言った。
「クソァ! あのババアを墓地から引きずり出してブタの餌にしてやる! 行くぞ!!!」
「その前に逃げ出した魔物を追いましょう! 神敵殲滅重点です!」
「あー……貴様、ホワイトドックを先行させろ! 全隊、行くぞ!!!」
「「「ハイ!」」」
「「ガウガウ!」」
怒り狂ったアニマが剣を高々と掲げ、先行したホワイトドックを追って駆け出し、その後を隊員たちが忙しなく追いかけていった。
「これで時間稼ぎになったか?」
とスルケープが言えば。
「さあな。だがあいつならどうにかするだろ」
村長は煙草を取り出して咥え、マッチを擦って火をつけた。
■
「オエー!」
「コロセー!」
「……っ」
引っ切り無しに轟く怒声と罵声を一身に浴びながら、グレイ・ゴブリンは町の出口へと向かってまっしぐらに走っていた。それを追うのは怒りに燃える冒険者たちだ。
「すばしっこい野郎だ。くらえファイヤショット!」
「ウォーターシュート!」
「エアブラスト!」
四方八方から放たれる火炎を、水の塊を、風の衝撃波を、灰色の小鬼は見事に躱し続ける。その動きはこの町で燻ぶっていた冒険者達で追う事は叶わず、屋根の上から矢を放った冒険者は、その稲妻の如き反応速度でかわし切った敵に目を見張った。
「あ、当たらねえ!?」
「動きが早すぎる!」
「やべえ、敵が逃げるぞぉ! 門を閉めろーっ!」
追いつけないと判断した冒険者の一人が、町の出口を固める守衛へ向かって怒声を張り上げた。
「あわあわあわ!」
だが守衛たちは狼狽えるばかりで碌に動けなかった。ここに配属されて以来碌に訓練もせずにサボってきたツケがここにきて回ってきた形だ。
「頭上ヲ失礼!」
「うぎゃっ!?」
当然グレイ・ゴブリンはその隙を見逃すはずも無く、疾走の勢いそのままに先頭で盾を構えていた新兵の前で跳躍し、更にその頭を踏みつける事で更に高く跳び、門の上へと跳び乗った。
「何じゃあの脚力は!?」
「ゴブリンの動きじゃねえ!」
「おい! 止めろ! 叩き落せ!」
「……」
叩き落そうと必死に魔法や矢を放つ冒険者達を尻目に、グレイ・ゴブリンはその小さな身体を門から投げ出し、そのままひょいと町の外へと飛び出して行った。
「ちっきしょー! 追うぞ!」
「馬鹿よせ! 今ギルドのほうから連絡があった! 教会の騎士どもがあの特異個体を追ってるらしい!」
「げえまじえ!?」
「ざけんじゃねえ、面倒はごめんだ! 俺ぁ引くぜ、あばよ!」
冒険者たちの声が、ものすごい勢いで後方へと遠ざかっていく。それを背中で感じながら、グレイ・ゴブリンはフードを被りなおして再び森へと向かって走り始めた。この先へ行けばレッド領とブルー領を隔てる関所がある。そこを抜けてしまえば、一心地付けるだけの猶予は出来る事だろう。
「フウ……」
グレイ・ゴブリンは一息つき、それから疾走の勢いをさらに早めた。急がば回れ? 急いては事を仕損じる? 糞くらえだ。
だが、あと少しで関所が見えてくるというところで、ぞっとする気配が背筋を撫でまわした。
「―――なんだ!?」
思わず足を止めて後方を仰ぎ見るグレイ・ゴブリン。その視界に白い何かがみるみると迫ってきているのが映った。
「「「ギャアァァァァァッ!!!」」」
それは巨大な犬だった。ブルードックよりも一回りは大きいだろう。しかもそれが三頭。悪夢のような光景だった。
「「「ハハハア!」」」
純白の聖なる猟犬の駆ける速度は並大抵ではなく、あっという間にグレイ・ゴブリンとの距離を詰めれば、その周りをグルグルと旋回し始めた。
「くそったれ……!」
初めて見る手合いだが、一目でそれが教会の手先と理解したグレイ・ゴブリンはダメ元で話しかけにいった。
「なああんたら、ここらじゃ見ない顔だな。何者だ?」
「「「俺たちは教会の尖兵。てめえら糞どもをバラバラにする死の矢だ!」」」
予想以上の話の通じなさに早々に会話の糸口が断たれた。最早問答は埒も無し。グレイ・ゴブリンは覚悟を決めた。
「ならば来てみろ! 自慢の三本矢、叩き折ってやる!」
手の中に棍棒を生成し、迎撃の構えを取ったグレイ・ゴブリンに向かって残忍なる猟犬たちが飛びかかった。
「ガウッ!」
「ガァウッ!」
「ギャウッ!」
狂ったように吠え声を上げながら、牙を剥く純白の猟犬たち。その動きは素人目にも戦闘熟練者の域であり、グレイ・ゴブリンが一頭目のホワイトドックの攻撃を受け止める事で戦いの火蓋は切って落とされた。
「ハハア、この糞袋俺の攻撃を受け止めたぞ!」
「任せろ、俺がぶち殺してやる!」
「見てろよお前ら、コイツは今から死ぬんだ!」
「好き勝手言いやがって……!」
グレイ・ゴブリンは二頭目のホワイトドックの前足の叩きつけを軽くひねって回避すると、そのまま追撃を食らわせようと身構えていた三頭目の背後に周り込み、驚く猟犬の首筋を右手の棍棒でぶっ叩いた。
「ギャアァァァンッ!?」
一頭目の犬が振り向こうとする間も無く、二頭目の犬が噛み付こうと飛びかかってくる。グレイ・ゴブリンは動かなくなった三頭目を捨て置き身を低くしてそれをかわすと、素早く立ち上がり、ブーツから鉈を抜いた。
「ガワアアア!?」
そのままグレイ・ゴブリンは飛びかかりをかわしながら腹部に鉈を突き立て、勢いのまま振り抜いた。
開かれた腹から臓物を零しながら地面に倒れ込む猟犬。同時に、残ったホワイトドックが憎悪とともにグレイ・ゴブリンに飛びかかって来るが。
「ハァッ!」
「ギャアッ!?」
グレイ・ゴブリンが力強く棍棒を振るうと、ホワイトドックはあっけなく弾き飛ばされて木に激突し、あべこべにねじ曲がった四肢を投げ出して地面に落ちた。
「死んだか……いや」
一匹一匹を短く確認しもう動かないことを確認すると、グレイ・ゴブリンは移動を再開しようとした。
しかし彼は複数の足音がすぐそばまで来ていることに気が付き、舌打ち一つ零して毒づいた。どうやらまんまと敵の思惑に乗せられてしまったことに遅れて気が付いた。
警戒を絶やさずに身構えていれば、やがて鎧姿の集団が現れた。どうやら本命のお出ましのようだ。グレイ・ゴブリンはフードの奥で目を細めた。