「―――アバッ」
「これが光波剣です。全く、我が白犬騎士団の支部長ともあろう者が、こんな虫けら相手になんという無様を曝している?」
血をまき散らしながら倒れ伏す灰色の小鬼の横を悠々と通り過ぎながら、その男は凝視したまま固まるアニマへと向けて、凍るような視線で睨め下した。
青色の鎧を身に着けた秀でた体躯、青色の髪をオールバックにした神経質そうな男だった。水晶の如き長剣を、これまた深い青色の鞘に納めながら、不甲斐ない配下へと詰問を続ける。
「ユング……隊長……! な、なぜこのような場所へ……!?」
アニマの口から絞り出された名前。それはこの地域、ブルー領に配置されている第二部隊『白犬騎士団』の隊長である男の名だった。
「なぜ貴方のような未熟者へいちいち私が説明をしてやらねばならない? それに、私は何と言った? なぜ、あんな虫けら相手に、無様を曝したと聞いているのだが?」
「グワ、グワーッ!?」
淡々と言いながら、ユングはアニマの背中を踏みにじった。硬い靴底が肉体を抉る。一撃ごとにアニマは苦悶の声を上げた。
ユングはしばらく舌打ちしながら見下ろしていたが、やがてため息をつき、足をどけた。
「もう良いです。行きますよ」
「―――ハイ……」
剣を支えにふらふらと立ち上がったアニマは、力無く返事をした。ユングは鼻を鳴らした。
「生きているんですね、彼等」
「ハイ、どうにか、ですが。あの魔物の死体はどうしますか隊長?」
アニマは地面に転がる灰色の小鬼の死体へ視線を向けた。ユングはそれを一瞥し、鼻を鳴らした。
「あんなものに触れろと? 貴方はいつから私に指図できるようになったのですか?」
「ハハ―ッ! 出過ぎた真似を!」
絶対零度の眼差しにアニマはすかさず腰を90度折って頭を垂れた。ユングは欠片も頓着せず手首に嵌めてあるバングルに触れた。
途端に青色の光が溢れたかと思えば、彼の周囲に十二頭のホワイトドックが召喚された。どの個体も突然召喚されたにもかかわらず、慌てることなくその場に座り込み、指示があるまで微動だにしない。
「アースクリエイト」
ユングは続けざまに片手を地面にかざしながら一つ魔法を発動させた。たちまち土が盛り上がり、メリメリと音を立てながら余剰の土を排しつつ形を変え、あっという間に即席のリヤカーを造り出した。
「運びなさい」
「「「ワォーン!」」」
大柄なホワイトドックたちは主の命令を受けて弾かれたように動き出し、てきぱきと負傷者をリヤカーへと乗せ始めた。よく訓練された無駄のない動きは下手な人間よりもよほど手際が良い。ほんの短い時間でリヤカーは負傷者で満杯になった。
「では行きますよ」
ユングは歩き出した。彼は最後まで倒れ伏した灰色の小鬼を見ることはなかった。彼は自分の光波剣に絶対の自信を持っており、打ち損じた事は一度としてなかった。その上相手との実力差は天と地ほども隔絶しており、仮に百体規模で襲ってきたとしても、ユングが負ける事は無いだろう。
だから、あの小鬼が何者であるかなど知る由もないし、知る必要もない。ただのゴミ同然の生物としか認識していない。まさに路傍の石も同然の存在だった。最早視界に入れる価値すら無い。
「「「ワォン!」」」
「「グルル……」」
後に残されたのは、血の海に沈んだピクリとも動かない灰色の小鬼と、二頭のホワイトドックだった。ホワイトドックたちはしばらく周囲を警戒していたが、何事もないことを確認すると、残忍な牙を剥き出しにした。
その顔に、それまでのプロフェッショナルめいた凛々しさは微塵も無い。ただただ生来の獰猛さに突き動かされる野蛮な獣と化していた。主の前に現れた時に見せた知性的な振る舞いはどこへやら。涎をたらして今か今かと血に飢えたその姿は正真正銘の魔物のそれだった。
「へへへ久しぶりの魔物の肉だぜオイ!」
「ここのところ人間ばっかで飽き飽きしてたところだ」
「まずはどこからいくよ?」
「当然顔からよ!」
「だよな!」
ホワイトドックたちは口の端からぼたぼたと涎をたらしながら、ゆっくりとした歩調で血の海に沈む灰色のゴブリンへと近づいて行った。
ゴブリンはピクリとも動かない。当然だ。あの第二隊長の光波剣をもろに食らったのだ。生きている方がどうかしている。ホワイトドックたちは試しに突いてみたが、やはりピクリとも動かない。
「さてさて、じゃあお楽しみの時間だぜ」
「早くしろ! 俺だってもう我慢できねーぞ」
「分かってら。じゃあ……いただきまーす!!!」
仲間に煽られながらホワイトドックは大口を開け、灰色のゴブリンの顔面を……噛み千切りにかかった。
■
天も地も、あらゆるものが色を失ったモノクローム色の荒野。そこに命の気配はなく、風の音一つもしないこの大地は静寂に満ちていた。
どこを見てもあるのは無限に広がる荒野のみで、どこまでも続くそれを見続けていれば何れ精神に異常をきたすだろう。もっともそれを試すような存在はこの地のどこにもいはしないのだが。
ゆえに極限の虚無の荒野のど真ん中にあるそれは、その赤は、一際異彩を放っていた。
その赤は……血の海は……血の海に沈む灰色の鬼は、酷く傷つき、打ちひしがれていた。
鬼は動かない。動かないまま、時間だけが過ぎてゆく。静寂の中で、灰色の虚無の中で、時間が流れているかどうかすら曖昧なこの世界で、ゆっくりと広がってゆく鮮烈なる赤だけが確かな質感を持ってそこにあった。
どれだけの時間が過ぎたのだろうか? それを観測する術はない。だが、次第に鬼の周りに、じわりじわりと黒い靄のようなものが染み出し始め、非常にゆっくりと時間をかけて何かの形を作り始めた。
一つは倒れ伏す鬼と非常によく似た姿を取った。一つは大柄な犬の形を取った。一つは鳥の形を。梟の形を。膨大な数の朧な影が形作られ、最後に一際大きな巨人の形を取った。
鬼から流れる血は未だ広がりを見せていた。鬼の命は今まさに尽きようとしていた。朧な影たちは無言でそれを見下ろしていた。
やがて、一体の小鬼の影が歩み寄り、背中の亀裂へと手で触れたかと思えば、ゆっくりと吸い込まれて消えていった。
それを皮切りに他の朧な影たちも次々と同じ行為を始めた。背中の亀裂へと、鳥が。梟が。猪が。次々と吸い込まれて消えてゆく。
やはり最後に残ったのは、あの巨人の影だった。巨人は静かに近づき、他の影と同様に取り込まれ始めた。ただ一つ違うのは、亀裂だけではなく鬼の全身から取り込まれていったことだ。
ゆっくりと、確実に、影は鬼の肉体を覆っていく。まるで灰色の鬼を包むように、影は両腕を広げて抱え込んだ。黒い巨大な球体と化した巨人だった影は徐々に縮小していき、やがて消失した。
影が消え去れば、そこには痛々しい傷跡を背に残す灰色の鬼があった。
ドクン、という鼓動の音が、無音の荒野に響き渡った。それは生命の証明のようでもあり、終末の予兆のようでもあった。鬼の指先が微かに地面を掻いた。
再び鼓動が鳴った。それはさっきよりもずっと強い。倒れ伏す鬼が雷に打たれたように痙攣した。
「……」
遠くでその様を、一匹の灰色の小鬼が椅子に座りながら見守っていた。その足元には、集合と雲散を繰り返す朧な影の姿もあった。彼らは無言で、鬼の変化を見つめいていた。
ドクン、ドクン、ドクン。
鼓動の感覚はどんどん早くなる。大きくなる。それに伴って世界が揺れた。空気が振動し、風が起こる。荒野全体がまるで巨大な生物の呼吸のように上下に動く。
やがて、鬼は目を見開いた。
グレイ・ゴブリンは覚醒した。
■
「ギイッ!?」
「―――は?」
あまりにもあっという間だった。相棒がゴブリンの死体の頭を食い千切りかかったかと思えば、突如としてゴブリンの片腕が伸ばされ相棒の頭を掴み、雑草を引き抜くようにあっさりと引きちぎったのだ。
「え?」
あっけにとられて固まっている間に、灰色のゴブリンは立ち上がった。その背にはさっきまで空いていた亀裂は奇麗さっぱりと消えていた。代りに、名残りのような傷跡だけが残る。
ゴブリンは千切り取った頭を放り捨て、ホワイトドックに背を向けたまま倒れ伏した胴体から心臓と魔石を引き抜くと、何のためらいも無くそれを飲み込んでしまった。
「あ……あ……」
残されたホワイトドックは唖然として立ち尽しながらその様を見る事しかできない。やがて、ゴブリンはゆっくりとホワイトドックへと振り向いた。べっとりと口元に付着した血もそうだが、一際目を引くのは
「……」
鬼は口元の血を払いもせず、決断的な歩調でホワイトドックへと近づいてゆく。先ほどまで死んだと見まがうほどに衰弱していたというのに。今ではこちらが戦慄する程の威圧感を放っていた。
「て、てめえ! 相棒に何しやがった!? なんで寄ってくる!?」
「殺すために」
「ナンデ!?」
ホワイトドックは後ずさりながら問いかけた。犬歯を剥き出して威嚇行為を示しながらも、内心では今すぐにでも逃げ出したかった。だが、足が動かない。恐怖で硬直してしまっていた。それほどまでに目の前の鬼は尋常ではなかった。
「アンタは俺を食おうとしていた。ならば逆に食われたって、文句は言えまい」
鬼はぞっとするほどの冷たさで答えた。表情は変わらず、声色も平坦だった。
「な、舐めるんじゃねェ―、ゴブリン風情が―!」
牙を剥き出しにして飛び掛かってきたホワイトドックに対して、鬼は無感情に右腕を掲げて噛みつかせた。
「ガルル! グルル!」
牙は肉に突き刺さり、口腔内に鮮血が溢れ出した。血の味を舌で感じたホワイトドックは恐怖も何もかもを本能で上書きされ、より一層激しく咬み続ける。
だがそれ以上彼が行動を起こす事は無かった。鬼の左手がホワイトドックの後頭部を捕まえ、力任せに引きちぎったのだ。
「……ナンデ?」
千切られた首が上目遣いに鬼を見ながら問うた。鬼は答えず、ただ頭を振った。首は白目を剥き、沈黙した。
「……」
鬼は深い溜息を吐き、それから首をそっと地面に置くと、千切られた胴体へと屈み込み、先ほどと同様に心臓と魔石を抜き取って丸呑みした。それから右腕を見る。傷跡は奇麗さっぱりに消え去っていた。
「……生きている」
小さな声でつぶやいた鬼の言葉を、誰も聞いていなかった。聞いていた者は、すべて己の手で消し去ってしまった。
「俺は、生きている」
グレイ・ゴブリンはなおも言葉を重ねた。確かめるように。生きていることを、己自身に刻み付けるかのように。
しばらくの間彼はうつむいて沈黙していたが、やがて彼は走り出した。
進化した彼の脚力は先ほどまでの比ではなく、あっという間に関所までたどり着くと、突然の魔物の襲来に慌てふためく守衛たちを横目に、手の中に生成した棍棒を一閃。閉ざされていた関所を一撃で破壊した。
破片がばらばらと降り注ぎ、悲鳴があちこちで上がる中で、関所の残骸を彼は踏み越え、走り出した。
生きるために。目的を果たすために。人間に戻るために。グレイ・ゴブリンは更なる地獄へと突き進んでいった。