界渡りの不確定な切り札 作:アルフレッド
――キョウスケside
――あれは、まだシャドウミラーと合流する以前のことだった。
俺はある機密情報を入手し、テスラ・ライヒ研究所の地下施設へ潜入していた。
表向きの研究区画ではない。
存在そのものが記録から抹消された、地下深くの機密研究区画。
警備システムを突破し、最深部へと進む。
そして――俺はそこで、彼女を『見つけた』。
「…………」
保管室。
規則正しく並べられた生体維持カプセルの一つ。
淡い光を放つ特殊培養液で満たされた透明な円筒。
その中に浮かんでいたものを見て、俺は足を止めた。
人間の脳。
そして、そこから伸びる脊髄。
無数の電極と生命維持用のケーブルが接続され、人工的に生命活動だけを維持されている。
カプセル側面のモニターには、脳波と生体反応が表示されていた。
――生きている。
そして、その下に表示された被験体情報。
俺はその名前を知っていた。
「……アヤ・コバヤシ」
SRXチームの隊長。
強力な念動力者。
俺の前世の記憶では、確かに一人の人間として存在していた女性。
だが――。
「これは……どういうことだ」
俺の知っている歴史と違う。
いや。
すでに分かっていたことだ。
ここは俺が知る物語そのものではない。
似ているだけの、別の世界だ。
それでも――。
カプセルの中に浮かぶ彼女を見つめる。
脳と脊髄だけにされてもなお、生かされ続けている一人の人間。
「…………」
何のためにこんな状態にしたのか。
何を研究していたのか。
それは後で調べればいい。
今決めるべきことは一つだけだった。
「……待っていろ、アヤ」
俺はカプセルの制御端末へ手を伸ばした。
「ここから出す」
(マッテ……)
「!?」
突然、頭の中に声が響いた。
耳から聞こえた声ではない。
直接、意識へと届く声。
そして――俺は、その声を知っていた。
(ワタシハ……人間トシテハ、モウ死ンダモ同然……)
「アヤ……?」
カプセルを見る。
脳と脊髄だけとなった彼女に、口などあるはずがない。
だが、間違いない。
アヤ・コバヤシ。
彼女の声だった。
「まだ意識があるのか! なら!」
助けられる。
そう言いかけた俺を、アヤの声が遮った。
(モウ……ダメ)
「何?」
(私ノ意識ハ……近イウチニ消滅スル)
「…………」
生命維持装置は動いている。
脳波も表示されている。
だが――それが彼女自身の意識まで維持できることを意味しているわけではない。
(ソノ前ニ……アナタニ受ケ取ッテホシイモノガアル)
「俺に?」
(エエ……)
「何をすればいい?」
ほんのわずかな沈黙。
そして再び、頭の中に声が響いた。
(カプセルニ……手ヲ当テテ)
「…………」
俺は透明なカプセルへ近づいた。
培養液の中に浮かぶアヤ。
その中で唯一残された彼女へ、もっとも近い場所。
そこへ右手を当てる。
「……こうか」
(エエ……)
その瞬間――。
「っ!?」
何かが流れ込んできた。
情報ではない。
記憶でもない。
もっと根源的な――。
人間の魂そのものに触れるような感覚。
(アナタ……不思議ナ人ネ)
「何?」
(人間ナノニ……人間ダケジャナイ)
「…………」
俺の中に存在するアインスト。
飛行機事故の日、本来なら俺を侵食するはずだったもの。
逆に俺が取り込んだ力。
アヤには、それが見えているのか。
(デモ……アナタハ、アナタ)
「当たり前だ。」
微かな感情が伝わってきた。
――笑った?
(フフ……ソウネ)
そして。
カプセルの中から淡い光が生まれた。
「これは……!」
(私ノ力……)
光が俺の掌へ集まってくる。
(私ガ……最後マデ守ッテキタモノ)
「待て、アヤ。まさか――」
(受ケ取ッテ)
「…………!」
頭の奥へ衝撃が走った。
同時に――分かった。
これは単純なエネルギーではない。
念動力。
それも、アヤ・コバヤシが持っていた力の根源。
(コレデ……私ガ生キテイタ証ハ……残ル)
「やめろ!」
思わず叫んだ。
「そんなものを残すために、自分を消すな!」
(違ウ……)
声が少しずつ弱くなっていく。
(モウ消エルカラ……託スノ)
「…………」
(ダカラ……)
最後に感じたのは――。
恐怖ではなかった。
安堵だった。
(生キテ……)
光が弾けた。
「アヤ!!」
――静寂。
カプセルの生命維持装置だけが、無機質な電子音を鳴らし続けていた。
だが。
もう――声は聞こえなかった。
俺はしばらく、カプセルから手を離すことができなかった。
「…………」
やがて掌を見る。
何も変わっていない。
だが、自分の中に今まで存在しなかった何かがあることだけは分かった。
アインストとも違う。
前世の記憶とも違う。
人間が本来持つ可能性。
――念動力。
そして、それ以上の何か。
「……確かに受け取った」
返事はない。
「お前が生きた証も……その力も」
俺はカプセルの中のアヤを見つめた。
「無駄にはしない」
この時の俺はまだ知らなかった。
アヤ・コバヤシから受け継いだものが、単なる念動力ではないことを。
そして――。
それが後に俺を『サイコドライバー』へと至らせる、最初の一歩になることを。
◇ ◇ ◇
――そして、現在。
「…………」
意識が現実へ戻る。
あの地下研究施設。
培養槽の中に残されたアヤ・コバヤシ。
彼女から受け取った力。
もう随分前のことだ。
なぜ今になって思い出したのか。
理由は――分かっている。
静かになった戦場を見渡す。
先ほどまで無数に存在していた敵影は、もうない。
代わりに残されているのは、焼け焦げた大地と大量の残骸。
そして――傷ついた味方機。
アルトアイゼンも無傷ではない。
装甲の各所には傷が走り、警告表示がいくつも点灯している。
通信回線を開く。
「無事か、アクセル」
わずかなノイズ。
やがて聞き慣れた声が返ってきた。
『なんとかな』
「そうか」
『ヴィンデルたちも無事に退却できたようだ』
「……ならいい」
公都市民を乗せた艦隊。
ヴィンデル率いる部隊。
少なくとも、守るべきものは守れた。
だが――。
「テンザンも、残念ながら逃がしたか……」
『ああ』
アクセルの声にも疲労が滲んでいる。
『ヴァルシオン改も相当やったはずだがな。最後はアインストどもを盾にして離脱しやがった』
「奴らしい」
『それより――』
『仲間たちも、大分やられたがな……』
「…………」
レーダーへ目を落とす。
帰ってこない識別信号。
大破判定を示す機体。
救難信号。
そして、応答のない味方。
勝った。
――そんな言葉を使える戦いではなかった。
俺たちはただ、市民を逃がすことに成功しただけだ。
「……生存者の救助を優先する」
『分かっている』
「動ける機体を集めろ。敵が戻ってくる可能性もある」
『了解した』
通信を切ろうとして――アクセルが言った。
『キョウスケ』
「なんだ」
『さっきの動き……』
「…………」
『アルトアイゼンに、あんな加速ができたか?』
俺は答えなかった。
いや。
答えられなかった。
自分でも、まだ理解できていない。
あの瞬間。
味方機へ迫る攻撃。
間に合わない距離。
助けなければ死ぬ。
そう思った瞬間――。
頭に浮かんだ、たった一つの言葉。
――加速。
そしてアルトアイゼンは、俺の知る機体性能を超えた。
「……俺にも分からん」
『そうか』
アクセルはそれ以上聞かなかった。
「だが……」
自分の手を見る。
あの時。
アヤから何かを受け取った時と同じ感覚だった。
「一つだけ、心当たりはある」
『何?』
「昔の話だ」
再び戦場を見る。
「いずれ話す」
『……そうか』
通信が切れる。
俺はシートへ深く身体を預けた。
その瞬間、全身を強烈な疲労が襲った。
「ぐっ……」
やはり――代償はある。
便利な力というわけではなさそうだ。
だが。
間に合った。
それだけで十分だった。
俺は再び操縦桿を握る。
「救助を始める」
まだ戦争は終わっていない。
――シャインside
艦内には、普段なら存在しないほど多くの人々がいた。
通路にも。
格納庫にも。
食堂にも。
毛布を渡され、床へ座り込んでいる者までいる。
ですが――。
皆、生きています。
泣いている子供。
その子を抱きしめる母親。
家族の名前を呼び続ける人。
怪我の治療を受けている人。
そして。
何も言わず、ただ俯いている人。
この全てが――わたくしの国の民。
「…………」
窓の向こうを見る。
もう公都は見えません。
わたくしが生まれた場所。
育った場所。
そして――守るべきだった場所。
『これ以上、公都は守れない』
キョウスケさまの言葉が、頭から離れない。
あの時は迷っている暇などありませんでした。
公女として決断しなければならなかった。
だから避難命令を出しました。
ですが……。
「シャイン王女」
声をかけられ、振り返る。
そこにいたのは――キョウスケさまでした。
戦闘を終えたばかりなのでしょう。
パイロットスーツにも汚れが残っています。
「キョウスケさま……」
「怪我はないか」
「はい。わたくしは」
答えてから、思わず聞いてしまいました。
「……キョウスケさま」
「なんだ」
「わたくしたちは……」
言葉が止まる。
公女であるわたくしが、こんなことを聞いていいのでしょうか。
ですが。
「……帰れるのでしょうか」
キョウスケさまは答えませんでした。
ほんの数秒。
ですが、とても長く感じました。
やがて。
「分からん」
やはり、この方は優しい嘘をついてはくださらない。
「……そうですか」
「だが」
顔を上げる。
「帰れるようにはする」
「…………!」
「約束はできん」
「キョウスケさま……」
「今の俺たちには、まだ奴らを押し返すだけの力がない」
拳が握られる。
「だから力をつける。そして――」
キョウスケさまは窓の向こうを見る。
「取り戻す」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥にあった何かが、ほんの少しだけ軽くなった気がしました。
「……はい」
わたくしは笑った。
今はそれで十分でした。
――その時。
艦内に警報が鳴り響いた。
『総員、第一種戦闘配置!』
「!」
キョウスケさまの表情が一瞬で変わる。
『前方に敵性反応!』
「数は?」
キョウスケさまが通信端末を取る。
『……一機です』
「一機?」
『はい! ですが――』
オペレーターの声が震える。
『アインスト反応を確認!』
キョウスケさまの目が鋭くなった。
そして。
『機影、モニターに出します!』
画面に白い機体が映し出される。
「…………!」
キョウスケさまの顔から――表情が消えた。
わたくしは、その顔を初めて見ました。
「キョウスケ……さま?」
返事はありません。
ただ、画面の機体を見つめています。
まるで。
その機体を――知っているかのように。
「……まさか」
小さな声。
「キョウスケさま?」
そしてキョウスケさまは踵を返しました。
「アルトアイゼンを出す」
『しかし少佐! アルトは先ほどの戦闘で――』
「構わん」
「キョウスケさま!」
一度だけ。
キョウスケさまが振り返る。
「ここにいろ、シャイン」
それだけ言って、走り去っていきました。
わたくしは再びモニターを見る。
白い機体。
その姿が――。
なぜでしょう。
とても悲しそうに見えました。