界渡りの不確定な切り札 作:アルフレッド
――キョウスケside
だが。
今の俺では届かない。
ライン・ヴァイスリッターとの戦いから数日。
俺は基地の訓練空域で、ライの模擬戦を受けていた。
「……また外したな」
通信機から、ライの冷静な声が聞こえる。
「分かっている」
俺はアルトアイゼンの照準を修正する。
模擬戦とはいえ、これで三発目だ。
そして三発とも――ライには当たっていない。
『敵を見すぎだ、キョウスケ』
「敵を見ずにどうやって当てる」
『そういう意味ではない』
ライの機体がこちらの射線から外れる。
追う。
照準を合わせる。
だが――。
『遅い』
「!」
警告音。
モニターに撃墜判定が表示された。
「…………」
『お前は目の前の敵を追い始めると、それしか見えなくなる癖がある』
「近接戦闘では当然だ」
『だからと言って周囲を見なくていい理由にはならん』
「……続けろ」
『敵の視線。武器の向き。機体の重心。推進器の動き。そして周囲の地形』
ライが淡々と続ける。
『見るべきものは多い。だが、全てを同時に意識すればいいわけでもない』
「矛盾しているぞ」
『必要なものだけを見ろ』
「…………」
『不要な情報を切り捨て、必要なものだけに意識を向ける。それが――』
一瞬。
ライの機体が動いた。
右か。
いや――。
「左!」
アルトアイゼンを反転させる。
照準。
発射。
模擬弾がライの機体を掠めた。
『……今のは悪くない』
「当たってはいない」
『さっきよりはマシだ』
「随分と上からだな」
『教えているのはこちらだからな』
「……覚えておけ」
『何をだ』
「次は当てる」
『期待しておこう』
その時だった。
『模擬戦中の各機へ。訓練を中止してください』
「?」
管制から通信が入る。
『緊急出撃命令です』
ライの表情が変わる。
『敵か?』
『詳細を送ります。目標は――』
モニターに情報が表示される。
そして。
『アーチボルト・グリムズ』
「…………!」
ライが――黙った。
通信が途切れたわけではない。
ほんの一瞬。
呼吸を忘れたような沈黙。
それだけだった。
だが、その一瞬だけで十分だった。
ライという男が、ここまで感情を露わにすることなど滅多にない。
「ライ?」
通信が一拍遅れる。
『……問題ない』
さっきまで俺に。
必要なものだけを見ろ。
そう言っていた男の目が――。
アーチボルトという名前だけを見ていた。
◇ ◇ ◇
「ライ、深追いするな!」
『奴を逃がすわけにはいかん!』
「周囲を見ろ!」
『黙れ!』
『やはり来ましたねぇ、ライディース・F・ブランシュタイン』
「アーチボルトォォ!!」
『おやおや。随分と怖い顔をなさる』
「貴様だけは……!」
『そう。それですよ』
「何?」
『あなたは私しか見えていない』
「……そういうことか」
『ライ?』
「俺はまた……見えていなかった」
『キョウスケ』
「なんだ」
『そのままアーチボルトを追え』
「ライ?」
『今度こそ逃がすな』
「お前はどうする」
『……俺には、俺の見るべきものがある』
「ライ!」
『……戻ってきたのか』
「当たり前だ!」
『アーチボルトは』
「逃がした」
『……馬鹿が』
「黙れ」
『俺が……何を教えた』
「…………」
『見るべきものを……間違えるな』
「ライ!」
俺は倒れた機体へ駆け寄った。
コックピットは大きく損傷している。
嫌な予感がした。
「ライ! 聞こえるか!」
『……キョウスケ……か』
「待っていろ。今助ける」
『無駄だ』
「黙れ!」
『自分の身体だ……分かる』
まただ。
また――この言葉か。
「喋るな。救護班を――」
『キョウスケ』
「……なんだ」
『アーチボルトを……』
「…………」
『あいつを……俺の……』
唇が震える。
言葉が止まる。
続かない。
「ライ?」
『…………』
「分かった」
俺は答えた。
「奴は俺が――」
『いや』
「何?」
『……違うな』
「ライ?」
微かに。
本当に微かに、ライが笑ったように見えた。
『キョウスケ……お前は、お前のなすべきことをやってくれ』
「…………」
『それが――』
ライが息を吐く。
『俺たちの望みだ』
「俺たち……?」
『ああ』
ライが目を閉じる。
『アヤも……』
「…………」
『リュウセイも……きっと、そう言う』
「ライ……」
『あいつなら……』
ほんの少しだけ、口元が緩む。
『復讐なんかより……もっと面白いことやれって……言うだろうな』
「……あいつなら言いそうだ」
『だろう……?』
「……ああ」
しばらく沈黙が続いた。
『キョウスケ』
「なんだ」
『俺たちのことで……立ち止まるな』
「…………」
『お前には……まだ、やることがある』
脳裏に浮かぶ。
アヤ。
リュウセイ。
そして――エクセレン。
『見るべきものを……間違えるな』
「!」
あの日。
俺に言った言葉。
模擬戦で何度撃墜されても、
ライは感情を荒げなかった。
『敵だけを見るな』
『必要なものだけを見ろ』
『不要なものは捨てろ』
あいつは何度もそう言った。
そして今。
自分自身が、その教えを守れなかった。
「……覚えている」
『そうか……』
ライの呼吸が浅くなる。
『なら……いい』
「ライ」
『……頼んだぞ、キョウスケ』
「…………」
俺は。
すぐには答えられなかった。
アヤを救えなかった。
リュウセイも救えなかった。
そして今。
ライまで――。
それでも。
こいつは俺に復讐を頼まなかった。
俺が俺の道を進むことを望んだ。
――俺たちの望みだ。
その言葉を。
俺は受け取る。
「……分かった」
ライの手を握る。
「約束する」
『……ああ』
「俺は――俺のなすべきことをやる」
『それで……いい……』
ライの手から。
静かに――力が抜けた。
◇ ◇ ◇
ライを荼毘に付していると、背後から足音が近づいてきた。
振り返るまでもない。
「ライディースは逝ったのか」
いつの間にか、アクセルが俺の後ろに立っていた。
「ああ」
炎の向こうで、ライの亡骸が静かに燃えている。
「これで……ブランシュタイン家の者は、誰もいなくなった」
エルザム。
マイヤー総司令官。
カトライア。
レオナ。
そして――ライ。
一人ずつ、脳裏に顔が浮かんでは消えていく。
俺に全員を救えるなどと考える方が、思い上がりなのかもしれない。
マイヤー総司令官ほどの人物を、俺が守れるなどと考えること自体、おこがましかったのかもしれない。
それでも。
「……もう少し早ければ」
炎を見つめたまま口から漏れた言葉に、アクセルは……。
「お前がいれば全員救えた、などと思うな」
アクセルの声は静かだった。
「……」
「マイヤーも、カトライアも。あの場にいた誰もだ。」
「…………」
「だが、救えなかったことを忘れる必要もない。」
俺は黙って炎を見つめ続けた。
「忘れなければ、次に救える命もある。」
「それで十分だ。」
「……そうだな。」
炎から目を離さず、俺は静かに答えた。
「これからでも救える者はいる。」
「一人でも多く――この手で救う。」
それが今の俺にできることだ。
「……俺にもいる」
「?」
「救えなかった奴らがな。いや――この言い方は卑怯か」
アクセルは炎を見つめたまま続けた。
「俺たちは、奴らを救えなかったんじゃない。追い詰めた側だ」
「アクセル……?」
「ラウル・グレーデン。フィオナ・グレーデン。そしてミズホ・サイキ、ラージ・モントーヤ……」
「エクサランス……」
「そうだ」
アクセルはしばらく黙っていた。
炎の中で薪が爆ぜる。
やがて、胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出すように、再び口を開いた。
「お前と合流する前の話だ。俺は戦力を欲していた。時流エンジン――そして、それを搭載したエクサランスをな」
「…………」
「だが、あいつらは最後まで首を縦に振らなかった。エクサランスは戦うための機体ではない。人を救うための機体だとな」
アクセルが自嘲するように口元を歪めた。
「今なら分かる。あいつらは……お前と同じだったんだな」
「俺と?」
「ああ。戦う力を持ちながら、その力を誰かを救うために使おうとした」
炎を見つめるアクセルの目が細くなる。
「だが、あの頃の俺にはそれが分からなかった」
「…………」
「いや――分かろうともしなかった、が正しいか」
静かな声だった。
だからこそ、その言葉に込められた後悔が嫌というほど伝わってきた。
「俺は奴らを追った。追い詰めた。時流エンジンさえ手に入れば、戦況を変えられる。それしか見えていなかった」
それしか――見えていなかった。
つい先ほどまで聞いていた言葉が脳裏をよぎる。
――見るべきものを間違えるな。
「そして最後には……時流エンジンが暴走した」
アクセルの拳が、ゆっくりと握られる。
「ラウルたちはエクサランスごと――時の彼方へ消えた」
「…………」
「俺が、追い詰めた結果だ」
「だが、お前も後悔しているんだろ?」
「……当たり前だ」
「なら、まだ終わってはいない」
「何?」
「時の彼方に消えたのなら――時の果てで再会すればいい」
アクセルが、わずかに目を見開いた。
「…………」
「その時までに考えておけ」
「何をだ?」
「本人たちに言う言葉をだ。俺に懺悔しても意味はない」
「……ふっ」
アクセルが小さく息を漏らした。
笑ったのか、それとも呆れたのかは分からない。
「簡単に言ってくれるな、これが」
「簡単ではない」
俺は炎を見つめる。
「だから、やるんだ」
炎の中で、また一つ薪が爆ぜた。