社会神10年目の俺と、社会神2年目の狐。 作:宮原ワタル
「重いってなんすかぁ!?!??」
鼓膜をぶん殴るような大声で、無理やり意識を引きずり上げられた。
遺憾である。
「うるさ……」
半分だけ目を開ける。
薄暗い部屋に、閉め切ったカーテンの隙間から朝日がほんの僅かに差し込む。
休日とは、休む日である。
どこかへ遊びに行くもよし。趣味に没頭するもよし。惰眠を貪るもよし。
社会神にとって、いや労働する全生命体にとって、絶対に欠かしてはならない聖域だ。
昼まで寝る。
起きて飯を食う。
また寝る。
これを繰り返すのが、俺にとって完璧な休日のスケジュールだ。
もったいない、と言うヤツもいるかもしれない。
だが、平日に削られた体力と気力を回復するには、このぐらい徹底した省エネ行動が必要である。
当然、今日も昼まで寝る予定だった。
だったはずなのだが──
「まだ9時じゃねぇか……寝かせろ」
呻きながら、布団を頭まで引き上げる。
「寝ーかーさーなーいっっっす!!」
「ぐえっ……」
布団が勢いよく引き剥がされ、朝の冷たい空気が一気に肌へ触れる。
冷たい空気が首筋を撫で、反射的に肩が跳ねた。
布団を剥ぐという蛮行だけは、全世界の法律で禁止すべきだと思う。
仕方なく、薄く両目を開けると、イネが威厳を醸し出すかのように、腕を腰に当ててこちらを睨んでいた。なお、寝癖のついた髪があちこち跳ねている。
酒臭さはだいぶ抜けているが、代わりに寝起き特有のぼんやりした空気をまとっていた。二日酔いの頭を気力だけで無理やり動かしているような顔である。
昨日、酔い潰れたイネをリビングのソファへ放り投げておいたはずなのに、もう起きてきたらしい。
「起きたなら帰れよ……」
「……帰るっすけど!その前に!色々と言いたいことが!」
そう言って、イネは指で俺の横腹をぐりぐりと押し始める。
昨日、居酒屋で好き放題飲み散らかしたうえ、そのままソファへ転がしておいたせいだろう。
彼女が着ているシャツはしわくちゃだ。
それでも本
相変わらず、地味に痛い。 いや、痛いというより鬱陶しい。
ぐりぐり。ぐりぐり。
一定のリズムで繰り返される嫌がらせに、睡魔より先に苛立ちが蓄積されていく。
「それ止めろや……」
「先輩が起きたら止めるっす」
「なんでだよ……」
腹を押され続けながら、仕方なく上半身を起こす。
眠気でぼやける視界の中、イネの狐耳が先ほどよりも強く動くのが見えた。
「……んで、なに」
「あーっ……」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか。
イネは急に歯切れ悪く視線を逸らすと、そのままベッド脇の床へぺたりと座り込んだ。
尻尾が落ち着かなさげに左右へ揺れている。
一本が右へ。もう一本が左へ。
残りの三本もそれにつられるようにふらふらと動き回り、まるで本
「まず、ご迷惑おかけしましたっす」
「おぉ……」
しおらしく頭を下げるイネ。
狐耳もしゅんと伏せられていて、さっきまで布団を剥ぎ取って俺の安眠を破壊して犯
「変な感じに酔っぱらって変なとこ見せたのも、申し訳ないっす」
「あ、あぁ……そう、だな?」
まだ半分ぐらい寝ている頭で適当に返す。
何というか、昨日散々酔い散らかしてる姿を見ているせいで、今さら改めて言われても感想に困るのだ。
しかしそんな俺の反応もなんのその、耳と頭を伏せたまま言葉を続けるイネ。
「潰れたウチを、寮まで運んでくれたのも、感謝っす。ウチの部屋じゃないのは……まぁしゃーないっす。寝ちゃったウチが悪いっす………………でも」
「?」
ゆっくりと顔を上げる。
伏せられていた狐耳が、ぴん、と立った。
それまで弱弱しく揺れていた尻尾も、急に生気を取り戻したように持ち上がる。
「先輩……ウチのこと、重いって言ってたっすよね!?」
「おう、言ったな」
「一切悪びれてない!?」
がばっと身を乗り出したイネが、大袈裟なほど目を見開く。
耳は忙しなくぱたぱた動き、尻尾も抗議するように左右へ振られていた。
数秒前まで神妙な顔で謝っていた奴と
「……とにかく!先輩は乙女なウチを重いって言った責任を取るべきっす!」
「乙女(笑)」
「なんかアタリ強くないっすか!?」
悲痛な声を上げながら胸を押さえるイネ。
しかし、その目は全然悲痛ではなかった。
むしろ、ここからどう言い返してやろうかと考えている顔である。
「そもそも、潰れたお前が悪い」
「それはそうっす」
「なんでそこは素直なんだよ……?」
反論が飛んでくると思っていたので、思わず眉をひそめる。
しかしイネは胸の前で腕を組み、ふんすと鼻を鳴らした。
狐耳が得意げにぴこりと動く。
どうやら本
「でもそれとこれとは別問題っす!」
「別じゃなくね?」
「別っす!たしかに潰れたのはウチが悪い!でも、乙女に向かって重いって言った先輩も悪いっす!デリカシー無さすぎっす!」
「だから誰が乙女だよ」
「まーた言ったっす!」
即座に返すと、イネの尻尾が5本まとめてぶわっと膨らんだ。
「酷いっす!傷ついたっす!」
「コイツほんと……」
ダメだこの狐。
ギャアギャア騒ぎながら、目元を押さえて泣き真似を始めるイネ。そして指の間から、ちらちらとこちらの様子を伺っている。
そんな器用な真似をする後輩を眺めながら、俺は額を押さえて大きくため息を吐いた。
「……責任ってなんだよ」
「おっ!ようやく乗り気になったすか!?」
「乗り気ではない」
「……まぁまぁ、間違いなく最高の休日になる提案っすよ!」
狐耳がぴくりと立つ。
そのまま親指を自身に向け、くしゃっとした笑顔で俺に告げる。
「今日はウチと遊ぶっすよ!」
「おやすみ」
「えぇ!?」
当然、即拒否である。
何が楽しくて休日も会社の同僚と遊ばなきゃならんのだ。
俺にとって最高の休日とはひたすらに寝ること。
考える余地など、どこにも無い。
「あのなぁ、今日は休日だぞ?」
「そうっすね」
「いつだってダラダラと寝るのが好きなんだよ俺は」
「知ってるっす」
「だから寝る」
掛布団を捲り、イネに背中を向けて再び夢の世界に旅出つ準備をする。
「じゃあ、ウチも寝るっす」
当然のように言い放ちながら、イネがベッドへよじ登ろうとした。
マットレスが沈み込み、金色の尻尾が視界を横切ろうとする。
「……はぁ!?」
「なんすか、悪いっすか?」
「いや悪いわ!?てか俺が社会的に悪くなるんだよ!?」
慌てて肩を押し、ベッドから引き剥がす。
油断も隙も無い。
あと一秒遅ければ、普通にベッドに侵入されてしまうところだった。
「ケチ」
「そういう問題じゃねぇんだわ」
むしろ何で許されると思った。
常識という概念を生前に置いてきたのかこの狐。
しかしイネは諦める様子もなく、その場で膝を付き、ベッドから顔を覗く姿勢になった。
「じゃあ、今日は何するんすか」
「寝る」
「その後!」
「寝る」
「……その後」
「寝る」
イネの視線がジトっ……としたものになる。
「先輩、
「余計なお世話だ」
そう返したところで、イネはふいに視線を落とし、目をマットレスに当てた。
さっきまで騒がしく揺れていた5本の尻尾が、いつの間にか静かになっている。
耳もわずかに伏せられた。
部屋の中に流れていた騒がしい空気が、ほんの少しだけ落ち着いていく。
さっきまで騒がしく揺れていた五本の尻尾が、いつの間にか静かになっている。
「……こっちの世界来てから」
ぽつり、と。
今までより少しだけ小さな声だった。
ついさっきまで騒がしかった部屋が、不思議と静かに感じる。
イネはベッドの縁に顎を乗せたまま、視線だけを窓の方へ向けていた。
閉め切ったカーテンの隙間から差し込む朝の光が、その横顔を淡く照らしている。
「休みの日の過ごし方が、分かんないんすよ」
その言葉に、思わず顔を向けてしまう。
光を眺めながら、ただ静かに言葉を続けていた。
「生きてた頃は、考えたことも無かったっす。」
「……」
「手伝いとか、友達と遊ぶとか……やれることも、やりたいことも、沢山あったんすけどね……」
「……」
どこか遠くを見るような声。
正しく、もう二度と戻れない場所を、心に浮かべて眺めている。
彼女が神になって2年。
生前の友達はもういない。当然、家族もいない。
「イネ……
まだ酔ってんのか?」
「デリカシーというかモラルが無い!!!」
まぁ、流石に今のはわざとである。
少なくとも、あいつが珍しく弱音らしい弱音を吐いていたことぐらいは分かる。
……分かるが。
だからといって、休日を潰される理由にはならないのだ。
「俺の休日を侵略するヤツにやるデリカシーもモラルも無い!」
「ダメな
イネは大きく頭を抱えた。
「じゃ、せめて朝ご飯ぐらい一緒に食べましょうよー」
「ごーほーむ」
「……」
「帰れ」
「……帰りますけど」
珍しくイネが食い下がらない。
「どうせ部屋帰っても暇なんすよ、なーんもすること無いですし」
──ぐぅ。
腹の音が鳴る。
その音源はと言うと、視線の先ではなく、俺の中からだった。
「はぁ……わーったよ」
「……!っす!」
渋々掛布団を畳みなおし、床に足を下ろす。
欠伸を噛み殺しながらキッチンに向かうと、その後ろをイネがぴょこぴょこと付いてくる。
道中、リビングに目を向けると、ソファにジャケットが放り出されているのが見えた。──昨日、俺が布団の代わりにイネに掛けていたイネのジャケットだ。
それを見て、五感の1つの感覚が急に鋭敏になる。
くるりと後ろを向いて、妙に嬉しそうな顔をしたイネに対して、告げた。
「……作っとくから、その間に1回部屋戻ってシャワー浴びてこい」
その言葉に、イネの顔が笑みを浮かべたまま固まる。
耳と尻尾もぴたりと止まった。呼吸すら止まった気がする。
「……ウチ、臭うっすか?」
そのまま鼻にシャツの裾を近づけ、鼻を鳴らす。
尻尾も止まった。
くん。
くんくん。
「………………」
彼女の顔は、死んだ。
「うん、まぁ……そういうことだ」
「………………」
元獣人であるイネは、鼻が良い。だから、もう嫌と言う程感じただろう。
服から漂う、あの居酒屋独特の、色々な匂いが混ざり合い飽和した、強烈な匂いが服や毛に付いていることを。