社会神10年目の俺と、社会神2年目の狐。 作:宮原ワタル
ここ数ヶ月では定番となった、イネと食べる休日の朝ご飯。
簡単なものにはなるが、最近は少し作る料理のレパートリーも増えてきた。
今日の朝飯はホットプレートで焼いたホットサンド。
部屋には、食パンの焼ける香ばしい匂いと、とろけたチーズの匂いがキッチンから漂っているのだろう。
焼き上がったホットサンドを取り出し、包丁で斜めに切り分け、2枚のお皿にそれぞれ乗せる。
「できたぞー」
「はいっすー……」
キッチンへ運ぶと、イネは椅子の上で体育座りをし、自分の5本の尻尾を胸元へ抱き寄せるようにして座っていた。
頬を少し膨らませ、耳も心なしか寝かせたまま、じぃっとこちらを見つめている。
……どう見ても、機嫌が悪かった。
「なにしてんだ」
昨日帰るまでは普通だったはずだ。一晩寝てこの部屋に来るまでの間に何があった?
お皿をテーブルに置き、俺も椅子に座る。
「だきやーす」
「…………いただきます」
イネはホットサンドを一口だけかじる。
もぐもぐと無言で咀嚼して、一度ごくりと飲み込む。
それから、ゆっくり息を吸った。
「先輩のヘタレ」
「え何で今罵倒されたの???」
イネは「私は怒ってます」と全身で主張するような顔をしたまま、ホットサンドを小動物みたいにちびちびとかじっている。
いや、怒るなら怒るでいいから、せめて理由だけ教えてくれよ。
朝らしい静かな部屋には、窓から差し込む柔らかな日差しが流れている。そんな、いつもなら心地いいはずの時間が、今日は妙に落ち着かなくなってしまっている。
──そして結局、そのまま無言で食べ終わってしまった。
「……で、何に怒ってんだよ」
「…………怒って無いっす」
「嘘つけ」
ホットサンドはとっくに食べ終えているのに、イネはお皿の縁を擦ってばかりで、どこか物足りなさそうな印象も受ける。
「おかわり、いるか?」
「……いらないっす」
五本の尻尾を抱え込んだまま、膝に顎を乗せるイネ。
「トゥエンシさん、綺麗っすよねー」
「あぁ?トゥエンシさん?そりゃまぁ、整ってるとは思うが……」
雑談でも始めるような口調で飛び出してきた単語は、つい3日前にウチの部署に入ってきたエルフの新神の名前。
イネは皿の上を見つめたまま、一度もこちらを見ようとはしない。
「先輩、トゥエンシさんが来てからずっと機嫌良さそうっすね」
「…………はい?」
思わず聞き返す。
そんなに機嫌良く見えただろうか?
強いて言うならば、業務が増えたのに、定時で帰れた。俺の中では最重要項目であるそれが満たされたがために、比較的気分は良かっただろうとは思うが。
「そりゃ、定時で帰れてるしなぁ」
「ウチのときとは違って、トゥエンシさんの教育担当になってもずっと定時帰れてるっすもんねぇ」
「お前さぁ……」
珍しいイネの自虐に、いよいよイネの考えていることが分からなくなってしまう。
イネは頬を少しだけ膨らませている。
これは……怒っているというより、拗ねているのだろうか。ただ、それが分かった所で、やはり何をどう返せばいいのか余計に分からない。
「……さっきヘタレって言ったの取り消すっす。先輩は遊び人ならぬ、遊び神っす」
「なんか今日言葉鋭くね?」
少しの抗議もイネには届かないのか、むしろさらにジトっととした目でこちらを見つめ返される。
「女に優しくして勘違いさせようとする男は、遊び神っす……告白の返事もしないで」
「ぐっ……」
彼女の口から放たれた後半の一言だけで、心の裏を小さく突かれたような気がした。
もちろん、軽口で返そうと思えば返せる。
でも、それを口にするのは本当に
「分かってるっす、ウチは焦ってるだけなんすよ……でも」
イネはようやく顔を上げる。
翡翠色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「告白したのに、ずっと答えを出してくれない先輩は、遊び神って言われてもしょーがないっす」
「…………悪い」
短く謝る。
謝る資格があるのかは分からない。
それでも、まず口から出たのはその一言だった。
「もう、半年は待ってるっすよ?……いくら神の時間間隔が悠長だからって、待たせ過ぎっす」
「……………………」
窓の外では、小鳥が一度だけ鳴いた。
時計の秒針だけが、小さく時を刻んでいる。
返事を探している間にも、時間は何事もないように流れていく。
「……今から、割とひどいこと言うぞ?」
「先輩にデリカシーもモラルもそこまで求めてないんで大丈夫っす」
「おい」
思わず肩から力が抜ける。
こんな空気でも遠慮などなく返してくるあたり、やっぱりイネらしい。
「……まぁ良い。知ってると思うが、神になった俺たちは、これから先何千年、何万年と生きるんだ。そんで、イネはまだこっちに来て2年も経ってないだろ……まだ、決めるには早いんじゃないか?」
自分へ言い聞かせるように言葉を並べる。
これは何度も考えた理由だった。
きっと、これから何かしらでイネは色んな神々と出会うだろう。
その中にはきっと、俺よりも良い男なんて、文字通り何万といるはずだ。
だから考えれば考えるほど、彼女とは休日のどちらかを共に過ごしているだけの現状が、1番正しい状態だと思ってしまいたくなる。
「理屈はわかるっすよ。でも、それだけなら答えは出せるじゃないっすか……せめて、ちゃんとフッてくださいよ」
イネの声がわずかに震えた。
俯いた拍子に、淡い金色の髪と、照明に照らされた雫が頬へ落ちる。
その上では、耳だけがぴくりと震えていた。
「意外と、この時間が好きなんだよ」
「……えっ」
目に涙を貯めたイネが、顔を再度上げる。
その表情には、恐らく驚きと戸惑いが混ざっていた。
「最初の1ヶ月ぐらいは、もっと寝たいとか、思ってたよ」
目覚ましをかけて早い時間に起きて、誰かのために飯を作る。
少し前の俺なら、全てが面倒だと思って、やるわけの無い行為。
「ただ、なんと言うかな……誰かと飯を囲むのも悪くないと、最近は思う。……だからこの時間が無くなるのは、惜しい」
休日の朝に、誰かとくだらない話をして過ごすこと。
そんな何気ない時間が、いつの間にか自分の日常になっていた。
「……あと」
そこまで言って、口が止まる。
こんなことを口にする歳では無いはずだし、
「前世含めても告白されたの、初めてなんだよ」
イネの耳が、ぴくりと動く。
「なんか、理屈じゃ駄目だって分かってる。それでも……この返事を終わらせるのが、惜しいと思ってる……すまん」
言った瞬間、やはり自分でも最低だと思った。
こんな理由で返事を引き延ばしているなんて、誰が聞いても呆れてしまうだろう。
相手は半年も待っている。
自分の気持ちを伝えて、答えを求めている。
なのに俺は、自己中心的な理由で、その時間を引き延ばしている。
誰が聞いても、都合の良い言い訳にしか聞こえないに違いない。
イネは小さく鼻をすすった。
涙を拭うと、一度だけ深呼吸をする。
感情を無理やり整えるようにして、それからこちらを見た。
「……先輩って彼女いたことないんすか?」
しかし。
返ってきたのは、責める言葉ではなかった。
イネは、涙を引っ込めた顔で、心底不思議そうにこちらを見る。
「無い」
「えぇ……」
即答すると、何故か少し引かれた。
「なんで引いてんの?」
「いや……だって」
イネは俺の顔をじっと見る。
「顔、悪くないじゃないっすか。仕事もできるし。もっと普通に……」
そこまで言って、何かに気付いたように口を閉じた。
「……あぁ、なんとなく分かった気がするっす」
小さく頷き、何かを察したような顔をされる。
「何が分かったんだよ」
「怒りません?」
「怒らん」
イネは右肘を左手で掴み、右手を顎に当てて、「んー」と言葉に出す。
「……先輩は、〝彼氏〟って感じはしないっすよね。誰にでも対応変わんないから、特別感とか無さそうっす」
……似たようなことを言われた記憶がある。
確か、数年前にモスさんと飲みに行った時。
『タイヨーくんは誰に対してもフラットで、それは個人的には良いなと思うんだけどー……逆に言えば、誰かだけ特別扱いすることもないよね~。彼女とかは当分できなそー』
そんなことを言われた。
よく考えればまぁまぁ遠慮の無さすぎる評価だったが、その時はそんなものかと思っただけだった。……が、イネにも言われたとなると、少しだけ引っかかってしまう。
「そういや」
イネがふと呟く。
「先輩の前世の話って、あんまり聞いたことないっすねー」
「前世、なぁ……」
もうそろそろ、前世で俺が死んで、
何かしらのきっかけが無ければ、あの頃を思い出すことは、最近はめっきり無くなっていた。
それでも、
こうして誰かに問われると、記憶の奥に沈めていたものが少しずつ浮かび上がってくる。
まだ
岩中太陽という、一人の人間だった頃──とりわけ、社会人になった後の頃を。
***
──12年前、前世にて。
大学を卒業して、新卒で入ったのはゲーム会社だった。
理由は単純に、ゲームが好きだったから。
子供の頃から、暇があればゲームをしていたタイプの人間だった。自分で攻略を考えて、友達と情報交換して。
時には、どうすればもっと面白くなるのかなんて、素人ながらに考えることもあった。
だから、プランナーとしてゲーム会社の内定が初めて出たときは、飛び跳ねるぐらい嬉しかった記憶がある。
入社したばかりの頃は、本当に楽しかった。
「岩中くん、この仕様書の初稿作成お願いしてもいい?」
「はい!かしこまりました!」
先輩に任されて、好きなゲームタイトルの新作に携われた。
「岩中……さっきの会議でサラッと出てたデータ、ヤバくね?」
「いや間違いない。俺ら得過ぎる」
同期と一緒に、思い出のゲームの裏側を知って、盛り上がった。
「ごめん岩中くん!こっちのデバッグ、人手足りないから手伝ってもらえる!?」
「もちろんです!」
頼られることが嬉しかった。
自分の好きなことで、自分の能力を活かせて、さらに誰かの役に立てるのだ。楽しくないわけがない。
「岩中くん、マジで助かった」
「いやいや、これぐらいなら全然!」
これは、心からの言葉だった。
好きなものに関わる仕事をできるのに、断る理由なんてなかったのだ。
気付けば、仕事量は少しずつ、それでも着実に増えていった。
もちろん、繁忙期だったということもあるが──
「岩中くん、これもお願いできる?」
「はい」
「岩中~、この資料今日中に見てもらえる?」
「分かりました」
「ごめん!このデバッグ、引き継いでもらっていい?」
「もちろんです」
いつからだったか。
自分の机に積まれる仕事が、最初の数倍に跳ね上がっていた。
それでも、周りが困っているなら……自分に、できるなら。
断る理由はないと思っていた。
それに、自分が選んだ仕事だ。
自分がやりたくて入った業界だ。
だったら、最後まで責任を持つべきだ。
「今日も終電コースか……」
夜遅く、誰もいなくなったオフィスで、独り言のように呟く。
疲れてはいた。
眠たくもあった。
休日もゲームには触らず、気付けば寝て終わることが増えた。
それでも、やはり。
「まぁ、好きで選んだしなぁ」
そう自分を納得させていた。
自らが望んだ場所なのだから。
自分で選んだ道なのだから。
逃げて良いわけない。
変わらず、責任をこなすことを思い続けていた。
……いつからだっただろう。
楽しくゲームを作ることより、早く終わらせることだけを考えるようになったのは。
画面を見る時間より、時計を見る時間の方が増えた。
新しい仕様を見るたびに、楽しみより先に「また増えるのか」と思うようになった。
それでも、手は止めなかった。止められなかった。
〝自分が選んだ仕事だから〟
〝責任を持つべきだから〟
そしてついには。
「……電車、止まんねぇかな」
別に、本気で事故を願っていたわけじゃない。
ただ、今から会社へ行かなくて済む理由があればいい。せめて、少しでも出勤を遅らせても良い理由が欲しい。
そんな、逃げ道を探し始めるようになった。
「……インフルとか、流行んねぇかなー」
終電を降り、家までの道を歩く時間で、そんなくだらないことを呟く。
昔は、あれだけ楽しみにしていたゲーム作り。
好きで入ったはずの場所。
そこへ向かう行為そのものが、既に嫌悪するものとなってしまっていた。
──そんなことを考えたまま、俺は死んだ。
***
「……とまぁ、こんな感じで死んだから、俺はもう絶対に残業しない、って決めた訳だ」
「ほーほー」
イネは、両肘を机の上に置き、掌に自身の顎を乗せて相槌を打つ。
「働かない、とは考えないんすね?」
「それは割り切ってる。ひじょーに遺憾ではあるが、働かねーと生きてけねーし」
なんで死んでまで働いてるんだと、思わないわけでは無いが、そこは仕方がない。
「真面目っすねー」
思わず鼻を鳴らし、苦笑が漏れた。
「……自分で言うのもなんだが、残業を回避するために現場でサボろうとする、ダメな社会神だぞ?」
「それは一旦置いといて……言いたいのは、〝自分が負った責任〟は、絶対取ろうとするとこっす」
その言葉に、少しだけ息が止まった。
自分では当たり前だと思っていたことで、むしろそこまで大したことではないと思っていた部分。
それを、イネは真っ直ぐ見ていた。
「〝自分が負った責任〟からは逃げなくて、でも真面目過ぎなくて、一緒にいて甘えられて、素で入れる先輩だから、ウチは好きになったっす」
「…………」
「告白の返事をすること、責任感じてくれてるんすよね?」
「……あぁ、だって──「先輩」」
理由を続けようとした俺の言葉を、イネが静かに遮った。
少しだけ俯きながら、何かを決意するように、小さく息を吐く。
「──先輩はもう、それに責任を感じなくても良いと思うっす」
「…………は?」
予想していたどんな返答とも違った。
怒られるか、もう待てないと言われるか。
良くても、まだ待つと言ってくれる程度だと思っていた。
しかしまさか、俺が抱えているものを手放せと言われるなんて、思えるわけがない。
「……ウチが新神の頃、言ってくれたっすよね。『誰がどんな責任を負えるかなんて、それぞれ違う』って。『責任を果たした上でそれでも無理なら、逃げることは悪いことじゃない』って」
一瞬、いつの話だったか分からなかったものの、すぐに思い出した。
〝怒り〟とか〝嫉妬〟のような負の感情を初めて集めたとき、ショックを隠し切れなかった後輩。
そんな彼女に、あの時俺は確かにそう言った。
「先輩は、十分責任を果たしてるっす」
その声は、どこまでも柔らかく、優しかった。
「……半年間も、休みの日、朝ご飯一緒に食べてくれて、その後も一緒に過ごしてくれて。……これでOKも貰いたいなんて、ウチの我儘なんで」
ひとつひとつ、確かめるように言葉を重ねたイネ。
どう考えても返事を返していない俺が悪いはずなのに、それでもイネは、それすら抱え込ませまいとしている。
「先輩がウチのことを振っても、悪いことだなんて、思わないっすよ」
そう言って綺麗に笑うイネ。
ただ、 耳だけが、隠しきれないほど小さく震えている。尻尾も、いつものように元気よく揺れてはいなかった。
本当は怖いのだろう。
本当は、そんな未来を望んでなんていないのだろう。
それなのに、俺に逃げ道を残すために、そう言ってくれている。
「でも、もっかいだけ、ちゃんと言わせて欲しいっす」
イネは一度深く息を吸う。
翡翠色の瞳は、しっかりと俺を見据えていた。
「タイヨーさん」
あの日以来。
久々に「先輩」ではなく、「さん」を付けられて名前を呼ばれる。
イネは一度だけ強めに目をつぶり、息を整えた。
そして開いた翡翠色の瞳には、もう迷いは残っていない。
「好きです」
静かな部屋に、その言葉だけが落ちる。
「ウチと、恋人になってください」