悲鳴はあげられなかった。
目の前にいたのは羽澄が見たことも聞いたこともない生き物だった。言うなれば蜂の姿を模した巨大な工業ロボット。丸い胴体からスタンガンのような形状の巨大な機械腕が伸び、バチバチと火花を散らしていた。顔はバイザーのような金属の仮面に覆われ、その感情を読み取ることはできない。『それ』は自分が『生物』であることを主張するように羽澄の頭上で顎を激しく打ち鳴らしシャカシャカと音を立てた。
「キシャァァァァァァアアアアアアアア」
機械の蜂が吠える。その身体から重機のような激しいエンジン音が鳴り響く。
羽澄は振り上げられたその機械腕を目で追いかける。それが振り下ろされる先は自分の頭上だ。それがわかっていながら羽澄は動けなかった。
「…………」
羽澄の走馬灯はとても短かった。
彼女の脳裏に浮かんだのは誰もいないリビング、ゴミ袋だけが積み重なるキッチン、近くの市営図書館、そして友人の『日笠 ミカ』の笑顔。
たったそれだけだ。
羽澄の短い人生を構築してきたものはそれだけだった
「あ……約束……」
そんな言葉が口から洩れた。
幾度となく頭の中で繰り返される日常の風景。
そんな走馬灯の最後になぜか割り込んできた光景があった。
それは高校入学後にずっと見てきたもの。
前の席に座る『若石 ウェイミン』の大きな背中。
「ゴツモン!!」
「アイサー!!」
衝撃音が響き、何か大きなものが倒れる音がした。
風が巻きあがり、羽澄の髪が吹き上がる。
世界が急激に動き出す。
羽澄の目の前に『若石 ウェイミン』がいた。
彼は羽澄を振り返り、制服を一瞥し怪訝な顔を浮かべた。
「おめぇ、慶風か……ったく、進学校のボンボンがこんな時間に出歩いてんじゃねぇよ」
彼はそう呟き、羽澄を庇うように一歩前に出た。
その『若石 ウェイミン』は不思議な生き物を連れていた。それは、岩石でできた小人だった。黒ずんだ色の岩石で構築された二足歩行の生き物。いや、一見しただけでは『これ』を『生き物』と称するのは難しかっただろう。だが、その瞳に宿る強い意思が何よりも雄弁に『それ』が生きているということを物語っていた。
「ゴツモン、大丈夫か?」
その『岩石の小人』は若石 ウェイミンに『ゴツモン』と呼ばれていた。ゴツモンは首を左右に降り頭の砂利を落としながら返事をする。
「ウェン、オイラの石頭の固さは知ってんだろ?このぐらい屁でもねぇや」
「そうだったな」
「それより……コイツ
若石 ウェイミンと『ゴツモン』が僅かに後退する。
身を引いたのではない。
この場にいる相手を『全て』牽制する目的だった。
「あっちは『フォージビーモン』『成熟期』ってのはいい……それで、てめぇはなんだ?」
彼が声をかけた先。
そこに不思議な生き物がもう一匹いた。
『黒い炎』とでも形容すべきか。暗闇の中、成人男性程の大きさの揺らめく輪郭が噴水の傍で揺らめいていた。
だが、闇の中にいる影はあまりに視認しずらく、その全容がまるでつかめない。
「……………」
その時、機械蜂の怪物の方が再び雄叫びをあげた。
「キシャァァァァァァアアアアアアアア」
ウェイミンが舌打ちを放った
「やっこさんはやる気みたいだな……」
「オイラだってやる気まんまんだぜ!ウェン!」
「ああ……こっちも行くぞ」
「…………………」
羽澄は目の前で起きる現象にまるでついていけなかった。
突然現れたクラスメイトが不思議な生き物を連れて現れ、巨大な怪物と戦いだす。
あまりにも突拍子がなさすぎて、小説ならリアリティが足りないと酷評されるだろう。
だが、目の前の現実は加速度的に現実味を失っていった。
【ゴツモン……進化――ゴーレモン】
ゴツモンと呼ばれた岩石の小人が光り輝いたと思ったら、巨大なゴーレムに変身したのだ。その大きさは人の丈を遥かに越え、大型トラック並みの体格を持っていた。その身体を構築しているのは大小様々な岩。それをワイヤーで繋いで身体を作っていた。その腕は歪ながらも力強く、拳は成人男性を握りつぶせる程に大きい。背中から突き出た突起からは黒い煙が噴き出し、その度に背中に描かれた不思議な文字群が怪しげな光を放っていた。顔面部分は鼠色に光る金属製の仮面が覆い隠していたが、その姿がいくら変化しようとも、隙間から覗く瞳だけはゴツモンの時と変わらぬ色を讃えていた。
ウェイミンはそのゴーレモンの隣に立ち、肩を回した。
「いくぞ……」
「オウ」
ウェイミンが拳を構える。足を前後に開き、前足の踵を浮かせた猫足立ち。古流空手等で良く見られる構えだ。
そして、ゴーレモンがそれと全く同じ構えを取る。
『黒い炎』『機械鉢』『ゴーレモン』が対峙する。
『ゴーレモン』の視線は『機械蜂』へ
ウェイミンの意識は『黒い炎』へ
空気がひび割れそうな程の緊張感。
だが、真っ先に『黒い炎』がその場から掻き消えた。
気配もなく
音もなく
最初からそこに何もいなかったかのように『黒い炎』はその場からいなくなった。
「………逃げた……か……」
ウェイミンがそう呟くとほぼ同時にゴーレモンが動いた。
ゴーレモンの背中から煙が爆発的に吹き出し、ゴーレモンが一気に飛び出した。背中の噴煙をまるでジェットエンジンのように使い、ノーモーションで間合いを詰めたのだ。ゴーレモンは砂ぼこりを巻き上げ一気に『機械蜂』の眼前まで踏み込んだ。
次の瞬間、ウェイミンが後ろ足を蹴り出した。
その動きをゴーレモンが完全にトレースした。まるで、見えない糸で繋がっているかのようにゴーレモンの身体がウェイミンと同期する。
ウェイミンが足を踏み込み、ゴーレモンの太い脚が石畳の上に叩きつけられる。
ウェイミンが腕を振り、ゴーレモンが拳を捩り込む。
気合いの裂帛と同時放たれた一撃が『機械蜂』の顔面をとらえた。
「ギシャっ!!」
叩きつけられた岩の拳はフォージビーモンの顔を殴り飛ばした。だが、ゴーレモンの攻撃はそれだけにとどまらない。ウェイミンは素早く拳を引き戻しながら身体を捻り、掌底によるアッパーカットで『機械蜂』の顎を突き上げた。強烈な打撃に『機械蜂』の首が跳ね上がり、無防備な腹が剝き出しになった。
『カース・クリムゾン!』
ゴーレモンの関節から噴煙が吹き上がる。熱に犯され、赤熱した岩の身体が灼熱の拳を生む。
ウェイミンが腕を引く。
ゴーレモンが拳を引き絞る。
そして、ウェイミンは唇の端をサディスティックに歪めながら全身をぶつけるようなコークスクリュー・ブローを放った。
人間の身体であれば肩から捻りを加えてもその回転角は220°が限界点。だが、岩で作られたゴーレモンの腕に稼働制限はない。
捻り上げられたゴーレモンの腕はその勢いのままに回転数を上げ、螺旋を描きながら灼熱の拳となって『機械蜂』の腹で炸裂した。
「ツッッ…………」
『機械蜂』の口から琥珀色の液体が漏れる。あまりに強烈な打撃に声をあげることすらできず、『機械蜂』が吹き飛ばされた。『機械蜂』の丸い身体が地面を跳ね、そのまま仰向けにひっくり返って動かなくなった。
ゴーレモンとウェイミンはそんな『機械蜂』に残心の姿勢を取る。
だが、『機械蜂』が立ち上がってこない。
『黒い炎』も戻ってこない
彼らは数秒をかけてそのことを見定め、大きく息を吐きだした。
「ふぅ………」
それを合図に羽澄は大きく息をついた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
どうやら無意識に呼吸を止めていたらしく、羽澄は肩で息をしていた。羽澄の額から汗が吹き出し、手足に体温が戻ってくる。
そんな羽澄をよそにウェイミンは労うようにゴーレモンの膝部分を叩いた。
「お疲れ、ゴーレモン」
「オウ……オツカレ……ウェン」
ウェイミンとゴーレモンが拳をぶつけ合う。気心が知れた関係であることがそれだけで伺えた。ウェイミンはゴーレモンの身体に怪我がないことを確認し、携帯を取り出しどこかへと連絡を入れた。
「お疲れ様です……すみません……はい……はい……フォージビーモンです……場所は自然公園……目撃者は……一人……」
ウェイミンはそう言って、羽澄の方を振り返った。
「慶風学園の生徒です……いえ……まぁ……はい……わかりました」
ウェイミンは通話を切り、彼女のところへと歩を進めた。
「よう、大丈夫か?」
「…………」
羽澄は目の前で起きた一連の出来事に頭が追いつかず、茫然としたままその場にへたり込んでいた。ウェイミンはそんな彼女の前に膝を折り、視線を合わせた。
「おーい……おい、聞いてるか?意識あるか?チビッてねぇか?」
「あ……うん……チビっては……ない」
「そうか、そいつは上場だ。ちなみに俺は初めて襲われた時にマジでチビったからな」
ウェイミンは特別面白いジョークを放ったかのようにケラケラと笑う。だが、羽澄が無反応なのを見て渋い顔になった。彼は退屈そうにため息を吐き、彼女に向けて手を差し出した。
「立てるか?」
「……う、うん……」
羽澄はその手を取ろうと腕を伸ばす。
だが、ウェイミンが掴んだ彼女の手は今も小刻みに震えており、まるで力が入っていなかった。
ウェイミンはその腕を引いて羽澄を立たせようとしたが、彼女の足腰は糸の切れた人形のように力なく垂れ下がったままであった。
「……立て……ない……です」
「まぁ……そりゃそうか……」
ウェイミンはそう言って、再び羽澄の前で膝を折った。
「近くに俺の行きつけの喫茶店がある。『Philip,D』って店なんだけど、知ってるか?」
羽澄は静かに首を横に振る。
「まぁ、とにかくそこで一旦落ち着こう。聞きてぇこともあるだろ?それに、俺の方も色々と聞きたいこともあるしな」
「……聞きたいこと?……私に?……」
「ああ、『偶然』ならそれでいいんだが、こういうのは往々にして『必然』であることが多い」
「……?……どういう……」
「まぁ、順を追って話してやるよ。その為にもまずは移動しよう。えーと……立てねぇならしょうがねぇ……どうやって運ばれたい?三択にしてやる。肩に担がれるか、背負われるか、抱きあげられるか、どれがいい?」
「…………えと……」
「希望がないなら肩に担ぐぞ?」
「……背負うので……お願いします」
「はいよ」
ウェイミンは彼女に背を差し出した。羽澄はその肩に腕を乗せ、身体を預ける。若石 ウェイミンはそんな羽澄を軽々と背負いあげ、公園の出口を目指して歩きだした。その後ろにはゴーレモンが大きな身体を引きずりながらついてきていた。
「……あ、あの……」
「なんだ?」
「……さっきの……機械蜂は……あのままで……いいんですか?」
「ああ、あいつか……ゴーレモン」
ウェイミンが声をかけると、ゴーレモンがその大きな手を差し出してきた。
「……?」
「そいつの掌に乗っているのがさっきのデカい蜂だよ」
「……え?」
羽澄がゴーレモンの掌をのぞき込むと、そこに小型犬くらいの大きさの蜂が乗っていた。
だが、それは先程の先程の恐ろしい『機械蜂』とはまるで似ても似つかない。
その姿はむしろ絵本の中に登場するミツバチようにデフォルメされた姿に近かった。丸みを帯びた頭部と茶と黄の縞模様のある腹部。頭からは青色の1対の触手が伸び、手足にはミツバチを思わせるような柔らかな体毛が生い茂っていた。爪や顎の先は鋭角にはなっているものの鋭さはなく、唯一の例外はお尻の針であり、そこだけがダガーナイフのような形状の刃になっていた。
とはいえ、目を回してひっくり返ったまま「きゅ~~……」と情けない吐息を漏らしている姿に恐れを感じろと言う方が無理がある。
「……これが……さっきの?」
「ああ、ゴーレモンがぶっ飛ばして小さくした」
「………」
ウェイミンはそう言ってゴーレモンの方を視線で示す。羽澄がそちらを見ると、ゴーレモンの丸い瞳と目が合った。
「……あの……あなたは……」
「アナタ……ジャナイ……オイラ……ゴーレモン」
「……ゴーレモン?」
「ソウ……ゴーレモン……アナタ……マモレテヨカッタ」
ゴーレモンはそう言って僅かに口を歪め、目を細めた。
岩の顔貌とは思えない、優しい笑顔だった。
「……ゴーレモン……その……助かりました……ありがとうございました」
羽澄がそう言って頭を下げると、ゴーレモンその大きな指で羽澄を指さした。
「アナタ……ナマエ……アル?」
「……名前……和歩……和歩 羽澄」
羽澄が名乗ると、ウェイミンの方が反応した。
「和歩?なんか聞いたことあんな……」
「……私……あなたの後ろの席……」
「そうだそうだ。どうりで見覚えのある顔だと思ったよ。ってことは俺のことは知ってるのか?」
「……うん……若石 ウェイミン……」
「そうだな……うん……」
若石 ウェイミンは少し間を置き、言った。
「初めまして……でいいか?」
「……うん……初めまして」
4月からずっと同じ教室で授業を受けてきた2人。今日がその2人のファーストコンタクトであった。
4か月越しの『初めまして』であった。