そんな時、店の奥から一人の男性が顔をのぞかせた。
丸眼鏡に卵型の温和な顔立ちをした壮年の男性だった。
「あっ『マスター』……今まで裏で何してたんですか?」
『マスター』と呼ばれた彼はウェンに拝み手を向け、眉をハの字に曲げた。
「いや、ごめんごめん、色々と手間取っちゃって」
「本当ですか?勘弁してくださいよ、俺に泣いてる女子を慰めるなんて器用なことできねぇんですから」
「僕だって得意なわけではないんだけど……」
その時、『マスター』と羽澄の目が合う。
「あっ、君が今日デジモンに遭遇した子だね。僕は藍沢 伝次。一応、この店の『マスター』をやらせてもらってる。よろしく」
『マスター』は人懐っこい笑顔で羽澄に向けて手を差し出した。羽澄はその握手に慌てて応えた。
「……あ……和歩 羽澄です……よろしくお願いします」
「うんうん、さっそくだけど。フォージビーモンに襲われた状況を教えてくれるかな?」
『マスター』はそう言いつつ、ウェンにコーヒーを要求した。ウェンは「しゃぁなし」という顔で肩をすくめ、またサイフォン式のコーヒーに取り掛かる。
「……あ……えと……状況……ですか?」
羽澄は口ごもってしまう。羽澄は元々喋り上手というわけでもない。『自然公園』で起きたあの突拍子もない一連の出来事を説明できる気がしなかった。
そんな羽澄に『マスター』は説明の取っ掛かりとなりそうな話を振った。
「通常、デジモンの出現にはその直前に何かしらの兆候があるものなんだが、そういうのはなかったかい?具体的に言うと電子機器の異常とかなんだけど」
「……あ……それなら……」
羽澄は自分の携帯を取り出し、その時の状況について説明を行った。直前まで行っていたオンラインゲーム、放り投げた直後に起きた街灯の破裂、そして、赤いノイズが走ったまま動かなくなった自身の携帯。
そこまで話を聞き、ウェンがせせら笑う。
「ゲームでキレて、携帯ぶん投げて壊したのか?お前、大人しそうな顔して、なかなか尖ってんな。いいじゃねぇか」
「……褒めてる?」
「褒めてる褒めてる。勉強一辺倒の奴らなんかよりよっぽど人間らしくていい」
本当は携帯を投げ捨てたのはゲーム内容とは関わりのないことであったのだが、羽澄は詳細を話したくなかったのもあり強く否定はしなかった。
その話を聞いた『マスター』は顎を指先で撫で、眉根を寄せていた。
「ふぅん、赤色のノイズね……携帯はまだ持ってる?」
「……はい……これです」
羽澄は画面の割れた携帯を差し出した。その液晶には先程までと変わらない赤いノイズが走り、操作に一切反応しないままだった。
「……これは……ただのフリーズではなさそうだね」
「……え?」
「和歩さん。君が直前までやっていたオンラインゲームはなんだったけ?」
「……あ……えと……『FoC』……です」
正式名称は『Fantasy of Craisis』だが、『マスター』はその部分を特に追及はしなかった。それよりも、彼は羽澄の携帯端末について詳しく聞き始めた。機種や、稼働時間、最近連絡を取り合った相手などなど。そして、話を一通り聞き終わった『マスター』は携帯を1時間程預からせて欲しいと言ってきた。
「修復できないか少しやってみてもいいかな。場合によっては内部データをサルベージできるかもしれない」
「……え……今から……ですか……」
羽澄は店にかけられている柱時計に視線を送る。時計の針は既に10時に達しており、これ以上遅くなるのは少し憚られた。
「そうか、もうこんな時間か。良ければ両親には私から説明してもいいが。それとも、明日取りに来るかい?」
「……あ……いえ……」
どうやら、携帯を預けるのは既に決定事項のようだった。とはいえ、完全に沈黙した携帯など羽澄が持っていてもなんの意味もない。ならばと、羽澄は小さく首肯した。
「その……それでは……お願いします……ここで待ちます……あと、電話はいいです……心配する両親は……いないので」
「そうかい?高校生で一人暮らしなのは珍しいね」
「……いえ……」
『マスター』はそう言い、深く言及しようとはしなかったが、丸眼鏡の奥で光る瞳はこちらの言い分を信じているようには見えなかった。
「とにかく、やってみるよ。ウェン、その間、彼女の相手は任せたよ。得意でしょ?」
「人を女たらしみたいに言わないでください。っていうか、そういうのはむしろ苦手っていうか……」
「そうじゃなくて、コーヒーだよ。彼女はいたく気に入ったみたいだから」
確かに、ウェンが羽澄の手元を見ると彼女のコーヒーカップは既に空になっていた。
「怖い思いをしたんだ。とびっきりのものを注いでやってくれ。1杯だけ許可しよう」
「それなら……まぁ……」
「それじゃあよろしくね」
『マスター』は気軽な様子でそう言い、手を振りながら再び奥へと引っ込んでいってしまった。
「…………」
携帯に思い入れはない。特別な個人情報などもない。ゲームのアカウントも家に帰ればPCから復元できる
だから、本当に携帯が必要という訳ではない。
ただ、この状況が『偶然』なのだと証明して欲しかった。
明日からまた『日常』が帰ってくることを保証して欲しかった。
「あんま心配すんな」
ウェンがそう言った。
顔をあげると彼は神妙な顔で次の一杯の為の準備をしていた。
「マスターは趣味が高じてこんな喫茶店を開いてるが、本業はシステムエンジニアだ。詳しくは知らないけどかなり優秀らしい。あの人がサルベージできるってんなら、できるんだろ」
「…………」
羽澄の心配事はそれではなかったが、彼は彼なりに羽澄を安心させようとしているらしかった。
「それよか、2杯目の希望は?」
ウェンは気楽そうな顔でそう言った。
羽澄もいつもの表情の乏しい顔で「次はブラックで」とだけ返事をした。
「ブラックね……俺がコーヒーのコクを出せてねぇのがばれるな」
ウェンは苦笑いをしながらコーヒーの準備を始める。
サイフォン式のフラスコと漏斗を再びセットして火にかければ、フラスコの中でお湯がポコポコと泡を立て出す。
ウェンと羽澄は小さなフラスコの中で踊る泡を何の気なしに眺めた。蒸気と共に移動する液体。次第に色づいていくコーヒーの色。ジャズミュージックの音楽だけが流れる中、ウェンと羽澄は出来上がったコーヒーを2人で分け、静かに口に運んだ。
「……おいしい」
「世辞はいいよ」
「……ううん……おいしい……」
羽澄はカップを両手に持ち、冷えた身体を温めるようにコーヒーを味わう。
そんな羽澄の隣の席にゴツモンが飛び乗り、大きく胸を張った。
「だろ!ウェンのコーヒーは町内一だ」
「……町内……狭い」
「しょうがねぇじゃん、『世界一』って言ったらウェンが怒るんだもん」
「そりゃそうだろ、この程度で世界一とか、ありえねぇっての」
ウェンは自分のコーヒーに不満そうな顔をしながら、だが、どこかまんざらでもないような顔でコーヒーを傾けていた。
コーヒーの香りで一息つき、ウェンと羽澄はゴツモンを交えてデジモンのことについて少し話をした。
最初はデジモンの成長段階や種族の話をしていたのだが、話が行きつく先はやはり先程の公園で経験した出来事だった。
「……あの……さっきの蜂は……どんな、えと、デジ……モンなの?」
「ああ、あいつか……あいつは」
ウェンは右腕に巻いた電子時計のような器具を操作し、画面に映った情報を羽澄へと見せた。
小さな液晶画面には先程の巨大な『機械蜂』の3Dモデルが映り込み、その片隅に『フォージビーモン』『成熟期』という文字が表示されていた。
「……フォージビーモン、成熟期……」
「わかってる情報はこれだけだ。どうしてコイツがお前の前に現れたのか……そもそもどうやってコッチの世界に出てきたのか……」
「……デジタルワールド……だっけ?」
「ああ、世界の壁ってのはそう簡単に越えられるもんじゃねぇはずなんだよ。本当にただの偶然なのか……お前に何か恨みでもあるのか……」
「……なるほど」
羽澄が素直に納得し、ウェンが眉をひそめた。
「……恨まれる覚えがあるのか?」
「……冗談」
羽澄は眉1つ動かさずにそう言った。
一瞬、場が硬直する。
ウェンはどう反応すべきか迷った末に、ひとまずは受け流す方針を取ることにした。
「……まぁ。アイツが素直に喋ってくれれば世話ねぇんだけどな」
ウェンが顎で示したのは今もテーブルで転がっている蜂型のデジモンである。
「……あの……あの蜂は……えと……フォージ……ビーモン?と同じデジモンなの?」
「そうだな、退化してレベルが一段階下がった姿だ。今のあいつはファンビーモンだ」
「……ファンビーモン……」
今も目を回して微動だにしないファンビーモン。
手足は丸く、爪の先も丸い蜂。絵本のようにデフォルメされたその姿と公園で出会った暴走機械のような姿がどうしても一致しない。
だが、ゴツモンだって先程戦っていた時の不気味な程に静かな印象とはかけ離れている。
「……進化……すごい」
「その一言でまとめんのもどうかと思うがな」
ウェンはそう言って、腕の器具を再度操作した。
羽澄はそれを携帯端末のデバイスかと思ったが、どうやら違う。羽澄も詳しいわけではないが、明らかに見たことのないデザインだった。
「……ウェン……それって……」
「これか?これはデジヴァイスって言って……まぁ、簡単に言えばデジモン専門の便利グッズだ。それにしても……ゴツモンは何してんだ?」
ゴツモンは縛られたファンビーモンの唯一武器となりうる尻尾の針を布で包んでいるところだった。
それだけならいいのだが、ゴツモンはその針を一本引き抜こうとしていたのだ。
「んんんんっ……抜けねぇか」
「抜いてどうすんだよ。抜いても新しく生えてくるらしいぞ。ってか、本来ならその針飛ばしてくるらしいからな」
「そうなのかよ!?そういうことは先に言えよ!」
「最初に言ったぞ」
「えぇ……言ったっけ?」
ゴツモンが不満そうな声を漏らす。
そこに羽澄が一言呟いた
「……言ってない」
その瞬間、ウェンの手が止まる。
「……言ってないか?」
「……うん……多分」
「言ったろ?」
「……言ってない」
僅かな沈黙。
「やめろ、そんな目で俺を見るな。ゴツモン、悪かったからそんな目で見んじゃねぇ!」
そんなことをしゃべっているうちに、1時間という時間はあっという間に過ぎていった。
そして、『マスター』が店の裏に引っ込んで1時間と15分。
『マスター』は球の汗を浮かべながら顔を出した。
「イヤ~……予想外に手間取ったね。でもなんとかサルベージに成功したよ。はい」
『マスター』が手渡してきたのはどこからどう見ても新品の携帯であった。だが、外見は1世代前の携帯だ。
「ごめんね、今データ移せるのはそれしかなくて。あっ、でも中身は最新式だよ。僕が趣味で組み上げてたものだからね」
羽澄が携帯を起動してみると、画質こそ僅かに劣るものの使い心地は従来のものとそう変わらない。
羽澄は中身を確認する。
たった一人しか登録者のいないアドレス帳、枚数の乏しい写真データ、そして色々と大事なことを書いたメモ帳。そのどれもが、以前の携帯に残っていたものと変わらないものだった。
そして、羽澄は最後にオンラインゲームのアカウントを確かめた。
携帯の個人情報と紐付けされていたアカウントデータは携帯を変えればアカウント移行の手続きが必要のはずだったが、なぜか今までの携帯と同じようにそのアプリを起動できてしまった。しかも、今まで使っていた機種よりも断然に動きが滑らかで反応も早い。携帯の処理能力が1段階は確実にあがっていた。
羽澄は『マスター』を見上げる。
「……あの……これ……お代は」
不安そうな顔をする羽澄に向け、『マスター』は親指を上げてグッドサインを掲げた。
「君、今日誕生日でしょ?だから、これは僕からのプレゼントってことで」
自信満々な顔でそう言った『マスター』。
「……………え」
羽澄の表情が固まる。
「……たん……じょうび……ですか?」
「うん!」
自信満々に頷く『マスター』。
だが、すぐに自分が『初対面の女子中学生の誕生日をなぜか知っているおっさん』と化していることに気が付いたらしい。
「あっ!ごめん!これ個人情報だ!!いや、ごめん!本当にゴメンね!!データ移行する時にカレンダーのとこ見ちゃって!まぁ、とにかく、そんなに高いものじゃないから遠慮せずに受け取って」
「…………あ、いえ……個人情報は……別に……いいんですが……」
羽澄は茫然と携帯と『マスター』を交互に見る。
「その……本当に……」
「うん、気楽に受け取ってくれていいよ。ジャンク品の塊だからそんな上等なものじゃないし」
羽澄はその携帯を両手で持ち、『マスター』に向け深く頭を下げた
「……ありがとう……ございます……」
「そんな大げさな」
「……いえ……本当に……大切に……します」
羽澄は携帯をギュッと胸に抱きこんだ。
まるで、人生最大の宝を得たかのような態度にウェンと『マスター』は目を見合わせる。
『マスター』は自分がそこまでのことをしたと思っていなかったのもあり、どこか困惑したような様子だった。ウェンは彼から気の利いた言葉は得られないと判断し、ため息一つこぼした。
「とにかく。今日はこれでお開きにしよう」
「あっ、そうだね。うん、もうこんな時間だし」
時計を見ればもうすぐ日付が変わってしまう頃合いだ。
「もう遅いし、帰らないと。でも、和歩さんは一人暮らしなんでしょ?大丈夫?」
「マスター……まさか自分の家に連れ込む気じゃ」
「そんなわけないじゃん!せめてこの店を使ったらと思ったんだよ!」
「襲ってきたデジモンを転がしているこの場所を?」
「あ……それもそうか……じゃあ、どうしようか……ウェン君の家は流石にねぇ」
「……い、いえ……大丈夫……です」
羽澄は慌てて首を横に振る。既に色々と助けてもらった上に襲ってきた元凶は拘束してもらっている。これ以上はお世話になれない。
「……私は……平気……です」
羽澄は小さな体を縮こまらせ、そう言った。ただ、『マスター』もウェンもそんな彼女の言葉を鵜呑みにできる程に朴念仁ではない。
ウェンと『マスター』の視線が一瞬だけ交わった。そして、無言のやりとりの末にウェンが前に出ることになった。
ウェンは携帯を取り出し、羽澄に見せる。
「ほれ……俺の連絡先」
「……え……」
「夜の1時でも、朝の4時でもかけつけてやる……だから、なんかあったらまず逃げろ。そんで、俺に連絡しろ……いいな?」
「え……」
「今回の件が落ち着くまで、ボディガードを買ってやるって言ってんだ」
ウェンはそう言って押し付けるようにして自分の携帯を羽澄に手渡した。
「……なんで……そこまで」
「……さっき言ったろ……俺はトラブルにはできるだけ首を突っ込むようにしてんだ。だから、これは俺の都合だ」
わずかに苛立ちが乗った声。
羽澄はそれ以上追及してはいけないと悟った。
「……あ……ありがと……ございます」
「気にすんな。それよか、本当に遠慮すんなよ」
「……うん…………あの……」
「なんだよ」
「……友達登録……どうするの?」
「マジかお前」
携帯アプリの使い方を説明するウェンと羽澄のやり取りを見ていた『マスター』は内心で『青春だねぇ』と呟いたのだった。