羽澄の視界が白く染まる。
光の中に包まれ、喫茶店の内装も、暴れるメラモンも、ウェンの姿すら見えない。
それなのに、目の前のファンビーモンの姿だけははっきりと見えていた。
「……力が、溢れる!!」
ファンビーモンは光の中で強く手足を伸ばし、ダクトテープを引きちぎった。僅かに残っていた粘着物も羽ばたきで吹き飛ばし、ファンビーモンはそのまま空中へと躍り出た。
それを呆然と見上げた羽澄は周囲の光が次第に収束していくのに気が付いた。
「……あ……」
その光は羽澄の腕に集まり、一つの小さなデバイスの形に収束した。
「……これ……」
光が収まった時、羽澄の腕に巻かれていたのはウェンの腕にあるのと同じもの。
「デジ……ヴァイス……」
羽澄はファンビーモンと目を合わせた
「……これって……つまり」
「はい!!羽澄さん!あなたは……私の『パートナー』です!!」
「『パートナー』……」
それを見届けたウェンが唇の端で笑った。
「『必然』……か……」
ウェンはそう呟き、頬の焼け焦げを拭い捨てて再びメラモンに向かっていく。
羽澄はすぐさまファンビーモンへと目を向けた。
「……ファンビーモン……」
「わかっています!」
ファンビーモンは皆まで聞くことなく、メラモンに向けて襲い掛かった。
「『ギアスティンガー』!」
ファンビーモンは店内を縦横無尽に飛び回リながらお尻の針を連射する。
だが、メラモンの炎の身体は針が刺さってもすぐさま刃を融解させてしまう。
「ファンビーモン!目だ!目を狙え」
「わ、わかりました!!」
「ゴツモン!メラモンをファンビーモンに近づけさせるな」
「ガッテン!」
ウェンの指揮のもと、デジモン達が駆け回り、ウェンもまた隙をついて自らの手足で打撃を叩き込んでいく。
それをカウンター裏で見ていた羽澄は自分の身体の震えが止まっていることに気が付いた。
「…………」
羽澄は一度大きく深呼吸をする。
メラモンに熱せられた灼熱の大気を肺にいれ、額の汗をぬぐう。そして、羽澄はもう一度、大きく店内を見渡した。
逃げることしか考えていなかった時には窓や扉にしか意識が向かなかった。だが、『戦う』覚悟を決めれば、今まで見えなかったものが見えてくる。
羽澄は何かに気づいたかのようにカウンター裏を抜け出し、厨房へと駆け込んだ。
目当ての物はすぐに見つかった。
羽澄は『それ』を腕一杯に抱え込み、すぐさま店内へと駆け戻った。
その瞬間、店内にメラモンの咆哮が響き渡った。
「シャラクセェエエエエエエエ!モエサカレェェッェエエエ!」
見れば、メラモンの右眼にファンビーモンの針が命中していた。だが、それは決して致命打にはならず、メラモンの炎は更に激しさを増していく。爆炎のように激しく舞い上がる炎に店内の全てが赤く染まる。その熱風に押しやられファンビーモンがきりもみ回転しながら壁に叩きつけられた。ウェンとゴツモンは踏ん張ってこそいるが、ゴツモンの身体は燃え盛る石炭のように赤くなっていき、ウェンの髪の毛先がチリチリと音を立てて燃えていく。
羽澄はそんなウェンとゴツモンを見て、歯を食いしばった。
羽澄の背中の傷が疼く。
かつて母から浴びせられた熱湯の痛みを羽澄はまだ覚えていた。
ウェンはこの戦いで幾度も火傷を負った。それは、全て羽澄が巻き込んだことで起きたことだ。それなのに、ウェンは恨み言一つ言わず、羽澄を常に守ろうとする。そんな彼に、これ以上あの痛みを増やさせてなるものか。
羽澄は意を決し、腕を振り上げた。
「……ウ、ウェン!!」
それは羽澄が今までの人生の中で一番ともいえる大声だった。
「羽澄!?おめぇ!あぶねぇから裏に……」
「んっ!!」
羽澄は手に持っていたものをメラモンめがけて投げつけた。
羽澄が投げた物は赤い水筒のような形状の物体。それは、放物線を描いて店内を横切り、メラモンに直撃した。ビニールの袋が弾けるような破裂音と共に、青白い液体がぶちまけられる。
直後、今まで真っ赤に燃えていたメラモンの炎が一気に弱まった。
天井まで焦がさんばかりだった熱が急激に収まり、メラモンの体格が180cm程度に縮む。
「……や、やった」
羽澄が投げたのは厨房に常備してあった『消火弾』だ。ビニル製の容器の中に鎮火のための化学物質が詰め込まれた消火器具であり、本来であれば火元に投げ込んで使うもの。先程、羽澄は厨房の逃げ場を確認にそれがあったことを思い出したのだ。『逃げ道を探す』という視点では何の気にも留めなかったが、『戦って逃げ道を作る』という視点ならこれ以上この場に則した物もなかった。
「……コレハ……クソッ……キサマ!!」
メラモンが羽澄に向かって身を乗り出した。
「っっ!!」
「させませんよ!!『ギアスティンガー』!」
復活したファンビーモンがすぐさま羽澄とメラモンの間に割り込んだ。ファンビーモンはすかさず針を打ち込み、残った左眼を打ち抜いた。
「GYAAAAAAAAAA」
メラモンが絶叫する。
羽澄は怯えて下がりそうになる足を叱咤してその場に踏みとどまる。羽澄は覚悟を決めた顔で手に持っていたもう一発の『消化弾』を投げつけた。
「……あ」
だが、羽澄の渾身の第二投は明らかに飛距離が足りてなかった。
投げられた『消火弾』はカウンターの上に落ち、水の入ったペットボトルのような音を立てた。その音に引き寄せられるようにメラモンが手を伸ばす。
その瞬間、ウェンが動いた。
ウェンは一息にカウンターの上に身体を持ち上げ、大きく足を延ばして『消火弾』をメラモンめがけて蹴り飛ばした。『消火弾』は手を伸ばしたメラモンの身体に命中し、炎の勢いが更に弱まる。メラモンの身体の炎が揺らめき、その内側に隠されていたパペットのような本体の姿が露出する。
「今だ!やれぇっ!」
ウェンの吠えるような号令にゴツモンとファンビーモンが応えた。
「『アングリーロック』」
「『ギアスティンガー』」
ゴツモンの石礫とファンビーモンの針が同時にメラモンの身体に突き刺さる。
メラモンの声にならぬ絶叫があがった。確実に致命打だった。
だが、ウェンが勝利を確信したその時。
『パペットの中』から黒い瘴気が吹きあがった。
「えっ!?」
「うわっ!!」
ゴツモンとファンビーモンが距離を取る。吹きあがった瘴気には見覚えがあった。先程、羽澄の携帯から吹きあがったものと同質のものだ。煙のような姿をした瘴気が壁を沿って広がり、部屋全体を覆いつくした。
そして、その瘴気に『目』が浮かび上がった。
真っ赤な目だ。血のような赤黒い目。
闇色の瘴気の表面にその目が無数に浮かび上がり、ウェンと羽澄を見つめていた。
ウェンはその姿のデジモンに覚えがあった。
「コイツ……まさか……」
その時、水底から這い上がってきているかのような、深ひどくしゃがれた声がした。
「シャシャシャ、『これ』はもうダメか……」
その瞬間、メラモンの本体であるパペット状の身体が赤いひび割れと共に、引き裂かれ始めた。
「っ!!」
「GYAAA……AAA……AAAA……………」
獣のような雄叫びが途切れ、メラモンの身体が赤い燐光となって散っていく。
その破片を食い尽くすかのように瞳を持った影が全てを呑み込んだ。
無数の赤い目がゴツモンとファンビーモンを舐めるように見定め、嘲笑うかのように細められる。
「シャシャシャ……またな」
「っ!!」
その瘴気は窓やドアの隙間から吹き抜けるようにして消えていった。
静寂が訪れる。
次いで聞こえてきたのは窓の外から流れてくる蝉の音。窓の外の炎は消え、部屋の中の気温も夏特有の湿度を持った蒸し暑さに包まれる。今日も最高気温を更新したらしい昼の日差しの中、空調の力が戻ってきたのか店内は急速に正常な気温へと戻っていった。
ウェンが頬の煤を拭いながら、先程までメラモンが立っていた場所を足で払う。
その場に残されていたのは黒い焦げ跡のみ。周囲を見渡しても焦げ付いたものは一つもない。
まるで、メラモンの幻覚でも見せられていたような気分だった。
だが、砕け散った『消火弾』の欠片や割れた水銀式温度計のガラス片がそこで戦いがあったことを証明してくれていた。
「…………はぅ……」
ドサリ、と音がしてウェンが後ろを振り返る。
「羽澄!」
カウンターの裏で羽澄が力尽きたように床にペタンと尻もちをついていた。
ウェンはカウンターを乗り越えて、羽澄の横に膝をつく。
「おいっ、大丈夫か!?」
羽澄は真っ赤な顔で汗だくの額をぬぐう。
ウェンはすぐさまその額に自分の手を差し込んだ。
「うわっ、あっつ、熱中症じゃねぇか!」
昔から引きこもりがちであった羽澄は皮膚の汗腺が乏しく、汗の量が平均より少ない。そのため身体に熱をため込みやすい体質だった。短時間とはいえ、メラモンの熱気にさらされた羽澄の身体はあっという間に熱中症手前にまで追い込まれていた。
「……大丈夫……平気」
「平気なもんかよ。ちょっと待ってろ」
ウェンは厨房の方に走り、冷蔵庫の中身が無事であることを確認した。流石のメラモンも隣の部屋の業務用冷蔵庫を貫通するほどの熱波は飛ばせていなかった。
「おーい、ゴツモン、ファンビーモン。ちょっと手伝え」
「はーい」
「わかりました」
ゴツモンとファンビーモンが厨房に消え、店内に羽澄だけが残される。
「…………」
羽澄は重い身体をなんとか持ち上げ、立ち上がった。カウンターを手すり代わりにして、店側へと回り視線を滑らせる。
「…………」
目的のものはすぐに見つかった。カウンター席の足元に羽澄の携帯が落ちていた。それは赤いノイズに覆われ、羽澄のタップにはもう反応してくれない。
「羽澄……おい、動いて大丈夫なのか?」
「……ウェン……」
羽澄は疲れ果てたように目を細め、力なくスマホの表面を撫でる。
「……昨日と同じ……動かない」
「寿命はたった1日だったな」
「……誕生日……プレゼント……」
「……気にすんなよ。お前のせいじゃねぇさ。マスターもわかってる」
「…………」
肩を落とす羽澄。ウェンはその頭に濡れタオルを被せた。
「いいから座れ、今動いたらぶっ倒れるぞ。保冷剤持ってきたから脇の下にでも挟んどけ。それで、後は……」
「…………」
「冷たいもんでも……飲むか?」
羽澄は顔を隠したタオルの下で小さく頷いた。
ウェンは僅かに聞こえる嗚咽を聞こえないふりをしていた。
そんな時、裏口の方から陽気な声がした。
「あれ?ウェン君?もしかしてもう戻って……うわぁっ!ファンビーモン!なんでこんなところに、しっかり拘束していたはずじゃ!?ウェンくぅん!ウェンくぅぅん!」
「………はぁ……」
ウェンがため息を吐きだす。羽澄はこっそりタオルで顔を拭い、いつもの無表情を取り戻した。
「とりあえず、説明するか」
「……うん」
「あ、それと。忘れないうちに言っとく」
「……?」
「ありがと、助かった」
一瞬、ポカンとする羽澄。
だが、すぐに『消火弾』のことだと気が付いた。
「……私の方が……助けてもらってる……ありがとうは……私の台詞」
「それでもな、礼を言わない理由にはならねぇからさ」
「……じゃあ……どう……いたしまして?」
「なんで疑問形なんだよ」
ウェンはそう言って喉奥で笑い、羽澄をカウンター席に座らせた。その時、ちょうどファンビーモンに追われた『マスター』が部屋に飛び込んできた。
「ウェン君!ゴツモンを!はやく!」
「ですから、私は無境に襲っていたわけではなくですね!話を聞いてください!」
ウェンは「めんどくせぇ」と呟き、渋面を作る。
それを見て羽澄の口元がほんの少しだけ緩んだのだった。