re:spring~もしも有馬公生が中学1年生の頃に逆行したら~   作:東雲るぅ

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 中学三年生の冬、宮園かをりがこの世を去った。

 

「ありがとう、有馬君。かをりの人生をカラフルにしてくれて」

 

 1週間が経ち、公生は、かをりの墓へ足を運んだ。

 そこでばったり、かをりの両親と出くわす。

 彼らは、公生に一枚の手紙を渡した。

 

 ──有馬公生様

 

 それは、宮園かをりが有馬公生に宛てた手紙だ。

 

 かをりの両親に感謝の言葉を伝えたあと、公生は墓地から抜け出す。

 

 公生は、手元にある手紙に視線を送る。

 この手紙には彼女の想いが、言葉が残されている。

 読みたい。だけど読むのが怖い。宮園かをりのすべてを知ってしまいそうで。

 少しだけためらったあと、公生は手紙を読むことにした。

 

 歩きながら、封を切る。中身をのぞこうとした、その瞬間であった。

 

 ────ブロロロロ。

 

 エンジンをふかした音、動く物体が空気をのける音。

 気が付いた時には遅い。歩道に、車が。公生にめがけて一直線に。公生は身動きができない。

 

「……あ」

 

 公生の視界が、真っ暗になった。

 意識を失う寸前、道路の向こう側で、座りこんだ黒猫が公生を見つめていた。

 

 

 ★

 

 

「ううっ、うわぁ!!」

 

 公生は叫んだ。パニック状態のまま周囲を見渡す。

 

「あ、あれ? ここは、僕の部屋……?」

 

 ベッドから起き上がった公生は、違和感を覚える。

 まずは冬とは思えないほど、室温が温かい。まるで春のようだ。

 

「ん、んん。声が変だな……? 風邪でも引いたのかな?」

 

 それに心なしか、自分の声が普段とは違って、少し甲高い。

 公生は部屋を出て、洗面所に向かう。そして鏡で自分の姿を目にした瞬間、仰天する。

 

「……なんだこれ?」

 

 鏡に映った公生は、いつもより少し幼い顔立ちをしていた。なにより身長が縮んでいる。

 まるで12、13歳の頃に若返ったようだった。

 

 

 ★

 

 

「公生! 起きてるー!? 早くしないと遅刻するわよー!」

 

 聞きなじみのある、幼馴染の声だ。玄関口にいるのだろう。

 公生は、ばたばたと朝の身支度を終える。

 玄関のドアから顔をだした公生は、二人の人物を見かける。

 

「今日は中学の入学式なんだから! 早めに行かないと、青春の良いスタートダッシュを切れないわよ!」

 

 ひとりは、澤部椿である。

 公生は、椿の姿を視界にとらえて、硬直する。

 椿も、公生と同じように、数年前の姿だったのである。

 市立墨谷中学校の制服に身を包み、両手に腰を当てて、ふんぞりかえっている。

 

「おおっと、主役は遅れて登場ってわけか?」

 

 もう一人は、渡亮太だ。

 渡の爽やかな整った顔立ちが幼く見える。

 そのせいか、いつもの軽薄な雰囲気が一切なく、子供っぽい印象を与えてくる。

 

(中学の……入学式?)

 

 そんなまさか、と公生は思った。

 深呼吸して心を落ち着かせてから、二人にこう尋ねる。

 

「……椿、渡。今日は何年の何日なのか教えてくれない?」

 

 

 ★

 

 

 どうやら自分は、タイムリープによって過去に戻ったらしい。

 それも2年前の、中学一年生の4月1日に巻き戻ったのだ。

 公生はこめかみに手を当てる。

 

(僕は頭がおかしくなってしまったのか?)

 

 こんなバカげたことは夢に違いない。しかし夢にしては意識が鮮明すぎる。

 やはり幻覚か? 頭がおかしくなったのか?

 

 学校へ向かう通学路を、椿と渡と共に歩く。

 2人は、これからの中学生デビューに胸をふくらませて、あれやこれやと話に興じていた。

 そんな2人に反して、公生はどこかおぼつかない足取りで進む。

 

「ねえ、公生」

「どうかしたの椿?」

「何か、変な感じ」

「変な感じって、なにが?」

 

 公生の問いかけに、椿は、むむむ、と眉を寄せて口にする。

 

「うーん、どう言葉で表現すればいいのか分かんないんだけど……すごく大人っぽくなったというか」

「お、おとな?」

「おーそれそれ! 俺も思った! なんというか、男として一皮むけた感じ?」

 

 椿と渡の言葉に、公生は首をかしげる。

 

(確かに昔の僕はいつも俯いてばかりなやつだったけれど……)

 

 かつて公生の視界は、譜面のようにモノトーン色で染まっていた。

 母を失い、ピアノを弾けなくなり、ついには心を閉ざしてしまった。

 だがあの春の日に、宮園かをりと出会い、モノトーンだった視界がカラフルに色づいた。

 

(そうだ、宮園さんがいなければ今の僕はいない……だけど、彼女にはもう感謝は伝えられない)

 

 感傷に浸りかけた公生だったが、ふと思考が止まる。

 

(……いや、待てよ。どうしてこんな簡単なことが、今までわからなかったんだ!)

 

 ここは2年前の過去だ。

 なら、宮園かをりは生きている。

 

 気が付くと、公生は走り出していた。

 

 

 ★

 

 

 全力疾走で5分。公生は、市立墨谷中学校の校門までたどり着く。

 学校の敷地内は、新入生で溢れかえっている。

 

(どこだ、宮園さんは? もう校舎の中に行っちゃったのかな?) 

 

 公生は、かをりの姿を必死に探す。

 だがいくら駆けずり回っても、かをりは見つからない。

 

「公生ー! いきなり走り出して、どうしたの?」

「まあ落ち着けよ、椿。公生はワクワクしすぎて走り出しちまったんだ」

 

 渡と椿が公生の元にやってくる。そんな二人をみとめた公生は、落ち着きを取り戻していく。

 

「……う、うん。そうだよ渡。ごめんね、椿。ちょうど今、冷静になったところだから」

「もー、やっぱり今日の公生は変だよ」

「あはは、それはきっと椿の気のせいだ」

 

 公生は、頭の中が急に冷めていくような感覚を覚えた。

 もし宮園かをりと会ったところでどうなる。

 2年前の時点で、かをりと公生は面識がない。話しかけたところで、変な奴だと思われるだろう。

 なにより、かをりは自分のことなど見向きもしないはず。

 

 ──『かをちゃんは、渡のことが好きなの!』

 

 宮園かをりは、いずれ渡亮太に恋をする。

 そこに自分が入る余地はなく、どこまで行っても自分は、彼女の友人Aにしかなれないのだ。

 

「ごめんね、それじゃあ二人とも行こうか」

 

 公生は笑って、自分の心情をごまかした。

 

 

 ★

 

 

 公生に、衝撃が走った。

 その少女を一言でいえば、どこにでもいる女の子だ。

 金髪のおさげ。黒縁の眼鏡。うつむきがちな顔は、少し陰気な雰囲気を漂わせている。

 

 靴箱がある玄関口。たくさんの人だかり。公生は、二人と他愛もない会話をしながら、上履きに履き替える。

 その時である。人混みの中にいる一人の少女と目が合った。

 

「宮……園さん」

 

 髪型も違う。

 雰囲気も違う。

 顔立ちも少し幼い。

 初めて出会った時の彼女とは、まるで別人だ。

 それでも公生は、一目見て、彼女だと分かった。

 

「……え」

 

 公生のつぶやき声に、宮園かをりは目を見開いた。

 

「宮園さん!!」

 

 公生は大声を張り上げて、かをりに近づく。

 周りにいる生徒たちは、突然叫んだ公生に注目している。しかし今の公生にとって心底どうでもいいことだ。

 

「君は、宮園かをりさんだよね」

「は、はい」

「そうか、そうなんだ……本当に生きているんだよね」

「……い、生きている?」

 

 思わず公生は、かをりの手を取って、固く握った。

 かをりの手は、あの冬の日のように細くやつれておらず、艶があって生命を感じる。

 

「ふぇっ!?」

 

 かをりは顔を紅潮させ、びくりと体を震わせる。

 冷静になった公生は、すぐに、かをりの手を放す。

 

「わ、ごめん。つい……」

 

 それから公生は押し黙る。

 近づいて、手を握ってしまった。

 初対面で最悪な印象を与えてしまった。彼女に嫌われてしまったかもしれない。

 

 ところが、かをりの反応は、公生の予想していないものだった。

 

「こんなの嘘。どうして公生君が、私のことを……?」

 

 かをりは、ありえないものを見かけたような、そんな驚きの表情を浮かべていた。

 それに対して、公生も驚愕する。

 

「……え、なんで君が僕のことを知っているんだ?」

「あ、えっとそれは……」

 

 かをりが話を続けようとしたところで、公生は背後から衝撃を受ける。

 

「こらー! 公生ー! なにしてんの! 入学早々女の子をナンパするなんて!」

 

 後ろから椿が、公生の背中に頭突きしたのである。

 そのさらに後方から、渡がカラカラと笑いながら、歩いてくる。

 

「マジかよ、公生。まさかお前が女の子を口説こうとするなんてな。男子三日会わざれば……ってやつか?」

「もう、渡、茶化さないの! お姉ちゃんは公生をこんな子に育てた覚えはありません」

 

 ひとまずこの場を収集しなければ。公生はそう思った。

 その瞬間である。かをりは暗い表情で目線を下げ、踵を返した。

 

「あっ、待って!」

 

 そのままかをりは、逃げるように廊下の向こうまで走り去る。

 公生は、どんどん遠のいていくかをりに、手を伸ばした。

 

 ──待って、もう置いていかないで。

 

 公生の頭の中で、フラッシュバックする。

 太陽のように輝かしかった彼女。

 春の日差しのようだった彼女は、しだいに冬の空のように、薄く、白くなって、やがては雪のように消えていく。

 

 また、いなくなってしまうのか。

 公生は、ひどく悲しく感じた。

 

 

 ★

 

 

 ──ありえない、こんなことはありえるはずがない。

 

 宮園かをりは、全力で校舎の階段を駆け上がる。

 

「どうして、公生君が……」

 

 かをりは、動揺していた。

 それは当然のことだった。

 あの有馬公生が、ずっと憧れていたあの少年が、自分に話しかけてきたのだから。

 

 

 全ての始まりは、かをりが5歳の時である。

 当時、かをりが通っていたピアノ教室の発表会。そこで一人の少年が、ピアノの演奏をする。

 少年の名は、有馬公生という。

 公生が一音を奏でた瞬間、かをりは、その演奏に心を奪われる。

 

 ──『おとうしゃん、おかあしゃん、ヴァイオリン買って! コーセー君にピアノ弾いてほしいの!』

 

 かをりは、熱心にヴァイオリンに打ちこんだ。

 すべては有馬公生と一緒に演奏するため。

 

 それから8年が経ち、かをりは、偶然、同じ中学校に公生が入学することを知った。

 かをりは舞い上がった。

 どうやって声をかけよう。どうすれば仲良くなれるだろう。

 

 そんな思いを抱えつつ、登校初日、かをりは公生の姿を見かける。

 だが、かをりは話しかけることができなかった。

 

 公生のそばには、2人の幼馴染がいたのだ。

 彼ら3人はぴったりと固まっている。

 かをりは、ただ、眺めていることしかできない。

 諦めて、公生から視線を外しかけたその時、不思議なことが起きる。

 

 ────「宮園さん!!」

 

 公生がなぜか、自分の名前を叫び、自分の元に近づいてきたのだ。

 ずっと憧れていた彼が自分をまっすぐ見つめてくる。

 かをりは気が動転して、その場から逃げた。

 

「……どうしよう、私、最悪だ」

 

 校舎の屋上までたどり着いて、かをりはその場で座り込む。

 逃げてしまったのは、かをりの、自信のない性格のせいだ。

 

 幼少期の頃、かをりは天真爛漫な性格であった。

 だがある日、手術を受けたことをきっかけに、定期的に通院することとなる。

 その時から、自分の体があまり良くないことに気がついた。

 そうして、しだいにかをりの明るい性格は暗くなっていった。

 

(きっと公生君に嫌われた。あそこで彼と話をすればよかったのに)

 

 かをりは壁に背を預けて、快晴の空を見上げていた。

 しばらくすると、屋上の扉が開いた。

 かをりは、息をのむ。

 

 有馬公生だ。

 息を切らした公生はこちらに近づいてくる。

 かをりの心臓が、どくん、と鳴った。

 

「あの……さっきはごめんね」

「……い、いいの。私はぜんぜん、気にしていないから」

「ううん、君が気にしていなくても、僕は気にしている。君に迷惑をかけてしまった」

 

 それから数秒間、おたがいに沈黙する。

 次に「あの……」と、2人が同時に声を出す。お互いの声に覆いかぶさって、またしても二人は沈黙する。

 だが、その緊張した空気はすぐに壊れる。

 

「くしゅんっ!」

 

 いきなり公生がくしゃみをした。おそらく花粉症なのだ。

 

 かをりは、そんな公生の姿を見て、思わず笑ってしまう。

 

 あの忘れられないピアノコンクールの日、5歳だった公生はイスにお尻をぶつけて、周囲の笑いを誘った。

 目の前の彼は、あの頃の彼と何も変わっていない。

 

 どこか不器用で、だけどすごく優しい目をしている。

 

 彼は、まぎれもなく、宮園かをりが憧れた有馬公生その人だ。

 

 (やっぱり、君がいい。君じゃなきゃ嫌だ!)

 

 今ここで逃げ出せば、死ぬまで後悔する。

 かをりは、一生分の勇気を振り絞って、口にする。

 

 声音が震える。

 緊張と、興奮。

 それから、どうしようもないほどの喜びで。

 

「有馬公生君、私と友達になってください」

 

 

 

「あらためて、私は宮園かをりといいます。澤部さんと渡さんも、私と仲良くしてくれたら、すごくうれしいです」

 

 そう言って、かをりはぺこりと頭を下げた。

 

「宮園さん、そんなに大仰しくしなくていいよ」

 

 公生が優しげに言えば、かをりは恥ずかしそうに顔をそらす。

 

「だって、初対面の人だし、有馬君の友達だもん。緊張しないわけがないよ……」

 

 それを見かねたのように、椿がフォローを入れる。

 

「全然っ、気にしないで! 公生の友達は私の友達だもん。私のことは椿って呼んで! 私はかをちゃんって呼ぶから!」

 

 渡は、自分の髪をかき上げて、言い放つ。

 

「やっぱり俺の目に狂いはなかった。宮園さんは一見地味に見える。だがその素朴な感じたまらなくイイ!」

 

 かをりは、ぽりぽりと頬をかく。

 

「えーと、椿ちゃん、渡君、ありがとう……」

 

 それから公生たちは、一つの机を囲うように4人で席に座り、昼食をとった。

 

 時刻は、お昼休み。

 4限のチャイムが鳴ったあと、新入生たちが詰め込まれた教室は一斉に騒がしくなった。

 食堂で昼食を買った公生は、隣の教室に移動し、そこで三人と一緒に昼食をとることとなった。

 

(まさか、宮園さんがいきなりあんなことを言うなんて)

 

 公生は、食堂で購入したたまごサンドをほおぼりながら、かをりを眺める。

 

 突然、かをりは「友達になってほしい」と言ってきたのだ。

 公生は、意表を突かれつつも、その頼みにうなずいてしまったのだ。

 

(どうして彼女は『友達になりたい』だなんて言ったのだろうか……?)

 

 かをりからすれば、公生はいきなり接近してきたストーカー野郎である。

 彼女の言動が不可解でならない。

 じっと公生がかをりを見つめていると、視線に気が付いたのか、かをりも公生を見つめ返す。

 かをりが「あ」とつぶやいて、頬を朱に染めながら、下を向いた。

 

 そんなかをりの態度を不審に思ったのか、椿は公生とかをりに質問する。

 

「やっぱりだけど……公生とかをちゃんって、知り合いだったの?」

「え?」

「ん?」

「だって公生、かをちゃんの名前を呼んでいたじゃん。それにかをちゃんも『公生君』って言っていたし。そもそも変な話だよ。人見知りの公生が女の子にナンパするわけがないもん」

 

 公生もたしかに耳にした。

 かをりは公生と面識がないはずだ。

 それなのに公生のことを知っていたのだ。

 もちろん、かつて公生は同年代の間では有名だったので、顔を知られていることもある。

 

 だが、それでも違和感をぬぐえない。

 

 かをりは、もじもじしながら、打ち明ける。

 

「実は、ずっと昔に有馬君の演奏を聞いたことがあって──」

 

 そしてかをりの口から語られたことは、公生にとって驚愕の真実だった。

 なんと宮園かをりは、公生が5歳の時に参加したピアノ教室の発表会に参加していたのである。

 

 椿は納得したのか、満足げな顔でうなずいた。

 

「ふーん、じゃあ、かをちゃんもあの時、一緒だったのね。公生と、私と、渡と」

 

 あの5歳の日に、自分と彼女はとっくに出会っていたのだ。

 公生は、なんともいえない不思議な感覚に圧倒された。

 

 場が少し和んだところで、渡が疑問を挟んだ。

 

「あれ? それはそうと、公生がなんで、かをりちゃんを知っているんだ?」

 

 公生は焦った。

 まずい。なんと答えようか。

「2年半後の未来の世界で彼女と友人だった」といえるわけがない。

 

「……実は、ずっと昔に、ヴァイオリンの発表会で、宮園さんを見かけたんだ」

「どこの発表会だ?」

「忘れちゃった。もう昔のことだから。もしかしたらコンテストかもしれない」

「へえ」

 

 そこで渡の追及が終わり、別の話題に移る。

 公生は安堵の息をついた。

 

 

 ★

 

 

 

 放課後を迎えたあと、公生は一人で帰路についた。

 残念ながら、椿と渡は部活の勧誘にあったせいで、一緒に帰ることはできなかった。

 

「宮園さん?」

「……有馬君」

 

 偶然だろう。その途中で、公生はかをりを見かけた。

 公生は、かをりを前にして、口を閉ざす。

 どう言葉を紡げばいいのか、わからなかった。

 

「宮園さん、せっかく仲良くなったんだし、一緒に帰らない」

「えっ、いいの!?」

「良いも悪いもあるもんか。こっちからお願いしているんだよ」

「う、うん!! よろしくお願いします!」

 

 かをりは、嬉しそうに声を上げる。まるで飼い主にしっぽを振る子犬みたいだ。

 公生の心はかき乱される。

 

(なんでそんなに喜んでいるのだろう)

 

 いきなり自分の友人になりたいと言い出したことといい、かをりの言動が腑に落ちない。

 

 それから公生とかをりは、並んで、通学路を歩いた。

 並木道には、桜が咲き誇り、路面には桜の花びらが散乱している。

 

(昔の宮園さんは、こんな感じだったんだなぁ……)

 

 公生は、隣を歩くかをりに対して、そんな感想を抱く。

 

 公生が出会った頃の、かをりは、一言でいうならば、印象最悪。暴力女。

 だけど、カヌレが好きで、演奏家で、渡亮太に恋をしていて、人を惹きつける雰囲気と、掴みどころのないミステリアスさがある、素敵な女の子。

 

 だが2年前の、今の宮園かをりはどうだ。

 

 容貌は、黒縁の眼鏡に、控えめなおさげの金髪。性格は真逆で、おとなしい。

 公生の記憶にいる彼女は、もっと豪快でズケズケとしていた。

 あの時の宮園かをりとは、大違いだ。

 

(僕は、宮園さんのことを全然知らないや)

 

 自分と出会う以前は、彼女はどんな生き方をしていたのだろう。

 最後まで、彼女は何を考えていたのだろう。

 

 ずっと黙りっぱなしだったかをりが、質問をする。

 

「あの、有馬君はもうピアノを弾かなくなったの?」

「うん?」

「もうずっと、有馬君がどこのコンテストにも出場しなくなって、いったいどうしたんだろうってずっと思っていたの」

「なぜそんなことを……?」

「実は、あのピアノ教室の、有馬君の演奏がすごく印象に残っていて……有馬君がコンテストに出るたびに、ちょくちょく見に行っていたから……」

 

「あ、ごめんね、聞かない方がよかったかな」とかをりはうつむく。

 公生は、衝撃を受けた。

 5歳の時の、初めての人前でのピアノ演奏。

 公生にとっては、あれは、うっかり椅子にお尻をぶつけて笑われるという、苦い過去の思い出だ。

 しかし宮園かをりにとっては、そうではなかったらしい。

 

(君はそんな風に思っていたのか……)

 

 印象は違えど、公生が知る宮園かをりと、すぐそばにいる宮園かをりは同じ存在だ。

 なので、最後まで謎だらけだった彼女の本心を、またひとつ知れた気がする。

 

「宮園さん……」

「はい」

「大丈夫だよ」

「え?」

 

 公生は言い切る。

 

「僕はもう、ピアノが弾けるようになったんだ」

「本当に……?」

「すごく時間がかかった。だけど、色んな人に支えられて、また弾けるようになったんだ」

「よかった、よかった……」

 

 心底嬉しそうにつぶやくかをり。公生は目を細めた。

 

「実はさ、学校の音楽室にピアノがあるんだけど、もしよかったら……」

 

だから、ついこう口にしてしまった。

 

「……僕と演奏しない?」

「私と有馬君で……演奏?」

「そうだよ、君がヴァイオリンを奏でる。僕がピアノを弾いて伴奏をする。きっと、すごく楽しいと思う」

 

 公生の言葉に、かをりは、あっけに取られたのかポカンとしていた。

 

 

 ★

 

 

「ど、どうしよう。勢いで公生君の誘いに乗っちゃった……」

 

 翌日の早朝。かをりは、いつもより一時間ほど早く、家を出て、学校に着く。

 ヴァイオリンを入れたケースをひっさげ、かをりは、音楽室の扉の前で深呼吸していた。

 

 かをりは、心臓がバクバクしっぱなしだった。

 

 昨日と今日で、かをりにとって、信じられないことばかりが起きている。

 あの有馬公生と知り合い、あまつさえ友人になった。

 それどころか、公生から一緒に協奏(コンツェルト)しようと誘いを受けた。

 

(ずっと、公生君と演奏してみたかった。それが今日に叶うなんて……)

 

 憧れの、公生と一緒に演奏をする。

 それは宮園かをりの、幼い頃からの夢だった。

 

 意を決して、かをりは音楽室の扉を開ける。

 室内にいる公生の姿を見つけて、心拍数が跳ね上がる。

 

「おはよう、有馬君」

 

「うん、今日は良い天気だね。宮園さん」

 

 公生は、グランドピアノの前に腰かけて、リラックスしている。

 かをりは、ドギマギを隠しながら言う。

 

「……有馬君、これでいいかな?」

 

 かをりは、肩にかけていたピンク色のケースを開き、ヴァイオリンを公生に披露する。

 公生は、目を瞬きさせる。

 

「よく手入れされたヴァイオリンだね。きっとこのヴァイオリンは宮園さんが持ち主で喜んでいる」

「え、えへへ、そうかな……」

「絶対そうだ」

 

 公生の誉め言葉に、かをりは、思わず舞い上がりそうになった。

 

「あ、あの、じゃあ、不束者ですがよろしくお願いします」

「うん! よろしくね」

 

 公生はニコリと笑う。

 かをりの、心臓の音はますます早まった。

 

 

 ★

 

 

(落ち着け、落ち着け! 平静を取り繕って、こうクールな感じで!!)

 

 公生は、息を深く、吸って吐く。

 

 ────『もう一度、僕と演奏してください』

 

 あの冬の日、病院での屋上でかをりと約束を誓った。

 だがその約束は、彼女の死によって果たされなかったけれど、今こうやって、過去の世界で実現しようとしている。

 

 たしかにここは舞台ではなくて、どこかホコリの匂いがする音楽室だけれど。

 それが、言葉にならないほど、嬉しい。

 

「ところで有馬君、何を演奏するの?」

 

 かをりがおずおずと尋ねてくる。

 

「私は正直、有馬君みたいなすごい演奏ができないし。だから、有馬君はガッカリするかもしれないよ」

 

 そんなわけがあるものか、と公生は思った。

 

「じゃあ簡単な曲を弾いてみよう」

「簡単な曲?」

「きらきら星だよ」

「……きらきら星」

 

 弾けるかい? と公生がたずねる。かをりは、うんと頷いた。

 きらきら星は、かをりがヴァイオリンを始めて、一番最初に練習した曲であるという。

 念のために楽譜を持参していたが、かをりは必要ないと言った。

 

 

 2人の演奏が始まった。

 静寂な音楽室に、どこか拙いヴァイオリンの主旋律と、それを見守るようなピアノの伴奏音が響く。

 

「Twinkle、Twinkle、Littlestar、How I wonder what you are──」

 

 ピアノの伴奏に、公生の低めのボイスが、のっかる。

 ぱらぱらと、カラフルな旋律が現れる。

 まるで一流の絵描きが、色彩を付け足していくみたいに。

 

 ふと、ヴァイオリンの音色が止んだ。

 公生が、かをりの方に視線をやる。かをりは演奏をやめて、公生にくぎ付けになっているみたいだった。

 

「わぁ、すごい……やっぱり公生君のピアノは……」

 

 と、ひとりごとを口にして。

 公生はそんなかをりの言葉に、むずがゆくなる。

 そして、公生は言葉をつむぐ。きっと彼女が同じ立場だったら、こんなこと言うだろう。

 

「さぁ、もう一度。アゲイン」

 

 

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