re:spring~もしも有馬公生が中学1年生の頃に逆行したら~ 作:東雲るぅ
あの入学式の日から、今日でちょうど2週間が経過した。
あれから、公生とかをりは放課後になると、二人で音楽室に入り浸り、一緒に演奏するようになった。
部活中の渡が「ひゅーひゅーお似合いだ」と二人をからかってきたり。
「やばい! 割っちゃった!」と、椿が野球ボールをノックして音楽室の窓ガラスを割ったり。
乱入者二人に巻き込まれて、あわあわするかをりだったり。
そんな慌ただしい光景もありつつ、公生は毎度苦笑していた。
「いやー、かをりちゃんってヴァイオリンがすごく上手なんだな!」
「ほんとほんと、コンクールに出場する予定とかある?」
「えっと……あはは、おだてるのはやめてよ」
いつもの昼休み。4人で昼食をとっている時、かをりがある話題を出したことで、空気が少し変わったのだ。
「え? 宮園さん、今度の藤和音楽コンクールに参加するの?」
椿がそうたずねると、かをりはうなずいた。
「う、うん、その予定だったんだけど、今回は見送ろうかな……」
渡は首をかしげた。
「なぁ、椿、藤和音楽コンクールって、なんだっけ?」
「ちょっと前にできたばかりの、全国規模のヴァイオリンのコンテストだって。詳しいことは私も知らないんだけど」
へーよく知っているな、と納得したような顔をする渡に、椿は、えっへんどうよ、と鼻を伸ばす。
公生は、かをりに質問を投げた。
「どうして参加を見送ったの?」
かをりは、気まずそうに目線を下ろして、答える。
「伴奏者の人が怪我しちゃったみたいで、参加できなくなったの……」
藤和音楽コンクールは、他のコンクールとは少し違った部分がある。
それが伴奏者付きの課題曲であることだ。
たいてい、コンクールの予選では、伴奏を伴わない課題曲が与えられる。だがこのコンクールでは、予選を含め、すべて伴奏つきなのだ。
「……そっか、じゃあ仕方ないね」
公生はそうつぶやいた。
伴奏者がいないということは、課題曲を演奏することができない。
仮に別の伴奏者を見つけてきたところで、どうにもならない。
コンクールの一次予選まで、あと2週間しかないのだ。その短い期間で、まともな伴奏に仕上げられるはずがない。
つまり、かをりは事実上、コンクールに参加不可能となったのだ。
★
その日の帰り道、公生は、ひとりで考えごとしていた。
(藤和音楽コンクールか⋯⋯)
忘れもしない、中学三年の春、第6回藤和音楽コンクールで初めて宮園かをりの演奏を聴いた。
そしてその後、かをりの強引な誘いによって、同じコンクール第二予選で、彼女の伴奏者として舞台に立ったのは、良い思い出だ。
「僕が、演奏者になれば……」
もし自分がそれを願い出れば、かをりはどう思うだろう。
「……宮園さんともう一度、舞台の上に立ちたい」
公生の脳裏に浮かんだのは、あの瞬間だ。
舞台の上にたった二人。乾いた冷房、ほこりのにおい。彼女の「アゲイン」という言葉。
公生はぎゅっと、自分のこぶしを握り締めた。
明日、彼女にこう伝えよう。「自分が伴奏役をつとめたい」と。
藤和音楽コンクールの第一予選まで、あと2週間。
だが、そこのところは問題ない。
今回のかをりの課題曲は、昔、公生が弾いたことがあるものだった。
さらに公生は、未来の世界では東日本コンクールの優勝者であり、同年代においては日本屈指のピアニスト。
短い期間ではあるが、練習を詰め込めば、今回のコンクールの課題曲をものにすることは十分できる。
そうして公生は、はやる気持ちで帰宅した。
その日から、宮園かをりは学校に来なくなった。
★
かをりは夢を見ていた。
幼い頃の夢。
それは初恋の思い出。あのピアノ教室の記憶だ。
舞台にたった幼い姿の公生が、ぎこちない動きでピアノに触れる。奏でられた音色が空間を満たしていく。そんな情景。
やがてかをりの視界がぐにゃりと歪んで、夢から覚める。
目を覚ましたかをりは、水色の患者衣を身に着けて、病室のベッドの上にいた。
「ああそっか、私、倒れちゃったんだ……」
かをりは、さんざん泣きはらした目をまばたきさせて、そうつぶやいた。
今から3日前のことである。
かをりは、自宅で意識を失って倒れた。
そのまま病院に運び込まれ、病室に搬送されたのだ。
それがその日の深夜のことだった。
意識を取り戻したかをりは、病室を出て、待合室にいる両親と医者の姿を見かける。
両親は感情的に、医者に詰め寄っていたのだ。
『あの子が長くないってどういうことですか!』
そこで知った。
知ってしまった。
昔から、かをりは、よく入退院を繰り返していた。
だから自分の体がよくないということを、本人は自覚していたのだ。
それでも、自分が余命いくばくもないと聞いて、深く絶望した。
──『いやだ、死にたくない』
かをりは、眠れない夜を過ごした。
日が沈んで夜になるたびに、死の恐怖から吐き気がこみあげてきて、病院食をもどしてしまう。
「公生君に会いたいよ」
かをりの絞り出したような声が、病室に響く。
「会いたい……会いたいよ……」
有馬公生。脳裏に彼の姿が浮かんでくる。
かをりが憧れた少年。幼い頃の初恋相手。
そんな彼と、どういうわけか、友達になることができた。
かをりの中から、会いたい、という強い想いが湧いてくる。
だが、かをりは、その想いを振り払おうとした。
「……どうして、私、公生君に近づいちゃったんだろう」
おそらく、自分はこれから学校にあまり行けなくなるだろう。
公生たちと過ごす機会は減っていくはず。
「はは、これって神様の罰なのかな? 嘘をついて公生君に近づいたから……」
もういっそのこと、これを機に、公生から離れれば────。
トントン、と病室のドアからノックの音がした。
誰だろう。
看護師だろうか、医師だろうか。それとも両親だろうか。
かをりは「どうぞ」と言う。
ドアが開いて、廊下から誰かが入ってくる。
かをりは、その人物の姿を確認して、唇をわななかせた。
「有……馬くん?」
★
公生は、かをりが学校に来なくなった理由をすぐに知った。
どうやら彼女は入院しているらしい。かをりのクラスの担任に尋ねると、そう教えてくれたのだ。
──都津原大学付属病院。
未来の世界で、かをりはこの病院に通院していた。
そしてどうやら過去の時間軸でも、かをりはこの附属病院に通っていたようである。
公生は、目の前にいる、患者衣を身に着けた宮園かをりを凝視する。
そして言葉にできない悪寒を感じ取っていた。
「宮園さん、はい、これ。お見舞い」
公生は背負っていたバックを開き、その中に入っていたものを、かをりに差し出す。
それは、ケーキの箱が入った袋だった。
おずおずといった様子でかをりは、袋を受け取り、箱を開く。
「これは……カヌレ?」
「そうだよ、もしかして嫌いだった?」
かをりは、カヌレが好物だった。
それを知っている公生は、病院に向かう道中に、駅近くのケーキ屋に立ち寄って購入したのである。
「カヌレは二つあるよ。一緒に食べない?」
公生がそう、優し気に声をかける。
肩を震わせながら、かをりは、目じりからぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「ど、どうしたの? やっぱり、嫌だった!?」
「……ううん、違うの。嬉しくて……有馬君が、お見舞いに来てくれた」
かをりは、涙をぬぐって、つづけた。
「もしかして……私がカヌレを好きなことを知っていたの?」
「いや、違うよ。僕がカヌレが好きなんだ」
「うん、わたしも、すごく好き。やっぱり、有馬君はすごいや……」
すごいだって。一体なにが? 公生はかをりの言葉の意味を分からなかった。
その意味を問いただそうとするが、公生はやめることにする。
かをりは、頬をゆるませていた。
そこには先ほどの、翳りのある表情がなくて。
そんな彼女の顔を見つめているうちに、だんだんと、どうでもよくなってしまったのだ。
それから二人は、カヌレを食べることにした。
公生がフォークでカヌレの切れ端を口には運んでいると、かをりが口を開いた。
「心配させてごめんね……そんな大したことじゃないから」
「本当に?」
「うん、ウチの廊下で躓いて、階段に頭をぶつけちゃったんだ。……あはは、私ったら、本当にドジ…………」
「……」
嘘だ。
公生には既視感がある。未来のかをりも、自分が倒れた時、こうやってごまかしていた。
公生は、かをりの手を握る。その手は、少し冷たかった。
「本当のことを話してほしい」
だから、踏み込んだ。
たとえ嫌われても構わないと思った。
これ以上、かをりに嘘をつかせたくなかったから。
「……あ」
かをりは頬をみるみるうちに、朱色に染まった。
「僕は君と友達になって日が浅い。だから宮園さんは、僕を信用できないかもしれない」
もしかしたら、怒っているのだろうか。いや、それでも彼女の真意を知りたい。
「僕は君に嘘をついてほしくない。君の嘘ひとつもない、本当の話を聞かせてくれないかい?」
公生の言葉を受け取ったあと、かをりは目線をそらした。
どう返すのか迷っているのだろう。
それから戸惑ったようにオロオロしたあと、今にも泣きそうな顔を作った。
「……私の体、あんまりよくないみたい」
★
かをりは、ぽつぽつと語りだした。
昔から、自分の体があまりよくないこと。
倒れたのは躓いたのではなく、自分の体を病が侵しているからであること。
自分の余命が、他の人よりずっと短いこと。
全てを聞き終えた公生は、その場で立ちくらんだ。
(もうこの時点で病気は進行していたのか……?)
宮園かをりは、中学三年の冬、病でこの世を去る。やはり今回もかをりはその末路を避けられないというのか。
「有馬君、今日はありがとう……お見舞いに来てくれて」
かをりは笑みを浮かべる。自分の苦しさを取り繕うな、ぎこちない表情だった。
だから公生は、自分の想いを彼女に打ち明けた。
かをりに、そんな顔をしてほしくなったから。
「ぼくを、君の伴奏者にしてほしい」
「……え?」
「ぼくが伴奏者として参加すれば、君はコンクールに出場できる。宮園さんはコンクールに出たいでしょ?」
「……嘘」
「嘘じゃない、僕は君と演奏がしたいんだ」
かをりの瞳がはげしく揺れる。
「わたしは、もうあと何年かすれば死んじゃうんだよ。ヴァイオリンなんて弾いたって、今更なんの意味もないよ」
「それは、分からない……」
きっとその答えは、いずれ未来で、君が自力で見つけ出すに違いない。
「だから、その意味を一緒に探そうよ。大丈夫、ぼくが付いている」
未来の彼女は、公生にこう言った。
────『くじけそうな私を、支えてください』
もちろん、君を支えてやる。たとえ君が何度くじけそうになっても、ずっと。
「だから、一緒に舞台に立とう」
色を失っていたかをりの瞳に、少しずつ光が宿る。
それから声を震わせながら、こうつぶやいた。
「やっぱり君は、有馬公生だ」
「うん?」
「気分がふさぎ込んでいるときに、こうやって会いに来てくれて。しかも私がぴったり好きなものをくれた」
かをりは、頭を下げながら、こう口にした。
「こちらこそ、よろしくお願いします。私と舞台で演奏してください」
公生は、かをりの言葉を聞いて、固く決意した。
(今度は僕の番だ)
自分が過去の世界に戻った理由。
それは、きっとこの瞬間のためだったのだ。
かつて彼女が自分を導いたように、今度は自分が彼女を導く番なのだ。
★
それから数日後、かをりは退院して、学校に来るようになった。
藤和音楽コンクールの第一予選開催まで、残された日数はわずか、短い。
時間は切迫している。
公生は、心を鬼にしなければならない、と思った。
「さぁ、本番までみっちりと練習するからね」
「有馬君。か、勘弁して」
白いバンダナを頭に巻き付けて、公生はメラメラと瞳に炎を燃やしている。
「君の体の調子があるし、無理な練習はできない。だからといって、準備を怠るわけにもいかない!」
公生は、びしっと人さし指を立てる。
「だから君が体に負担がかからないギリギリのラインまで、練習をおこなう」
かをりが傷つくことは嫌だ。しかし、演奏家である彼女を支えたい。
「覚悟してね、宮園さん」
だからこその、スパルタ精神なのである。
公生は、にこりとほほ笑んだ。かをりは、顔をひきつらせた。
鬼畜の笑みである。
そうして、スパルタコーチと化した公生は、心と体が疲弊しないギリギリのラインを見極め、かをりをしごきはじめた。
「三連符のリズムを正確に!」
「う、うん!」
「テンポがずれているよ! さぁ、僕のピアノを聞いてごらん」
「あ、あわわ!」
「そこ! 早すぎる、もっと丁寧に!」
「ひぃっ!」
公生は、自分の記憶を思い返した。
そういえば彼女と練習したとき、いつも彼女はスパルタ染みた言動をしてきた。
今や、自分が同じ立場になっているのが、どうにも不思議だ。
公生とかをりは残された時間をめいいっぱい使い、演奏曲を仕上げていく。
そうして練習を重ね、来るべきコンクール予選に備えるのであった。