学食からの帰り道。
廊下を歩く。
いつまでつきまとってくんねん。
いい加減にうっとうしいわ。
直子は苛立ちながら歩くスピードを速めた。
追いすがるように男は背中を追ってくる。
「あの、禪院さん。禪院直子さん。あなたをプロデュースさせてください。私があなたを
無視をしていれば心が折れて消えると思っていたが、このカスは人を苛つかせる天才のようで、直子の思うようには行動してくれなかった。立ち止まる。一度叩きのめしてやろうと決めた。
「……はぁ」
振り返る。
しょぼい男や。
肌はしろくてひょろひょろでモヤシみたいな顔しとる。
直子は髪をかきあげる。
鷹のような瞳でプロデューサーかぶれを睨みつけた。
「君、ほんまきっしょいなぁ。無視されてる理由とか想像できへんのん? やってることプロデューサーやなくてストーカーやで。禪院家に報告したら──」
くいっと親指で首をかき切る動作をした。
「──退学処分にできるんやで?」
モヤシ男がメガネを上げる。
「分かってます。それでも、話を聞いてもらう前から諦めたくない。私は禪院さんを
丁寧に腰を折る男の頭を見下ろし、直子は片方の
「おもろない冗談やめてくれへん? うちはなぁ、君の力なんて借りんでもプリマステラになれるんや。君はただ、禪院のバックアップと、うちの才能を手に入れて、油揚げをさらうトンビみたいに旨みを持っていきたいだけやろ?」
思い切りスリッポンを振り抜く。
1秒を24分割して美しい弧を描くようにイメージされたその動作は見事にトレースされ、モヤシ男の頭を靴底が打ち抜く。
スパァンと銃声のような音が鳴った。
男は微動だにせず、頭を下げ続けている。
直子は片方の眉をあげた。
「へぇ、おもろいやん。それともリアクションがとろいんか? 年下の女の子にこんなことされて何にも思わへんのん?」
「禪院さんが実家の力と確かな実力を目当てにスカウトされているのは承知しています。私もそういった他の人たちと同一視されることも覚悟のうえです。けど、私は、ほんとうに、禪院さんの力になれると確信しているんです。どうかプロデュースさせてください」
ため息を吐いて、首を撫でながら直子はスリッポンを履き直した。このカスは話ができんみたいや。プロデュースさせてくださいの一点張りで、何ができるんかを言うてもこん。こっちから訊いてやる義理もないし、頭を思いっきりしばけてストレスも解消できたからもうええわ。直子は背を向け立ち去ろうとした。
聞き捨てならない言葉が彼女の歩みを止める。
「……禪院直子さん、あなたは一人じゃ
「……ああ?」
振り返る。
モヤシ男は面を上げてメガネの位置を整えていた。
「なんや聞き間違いか? いまうちがプリマステラにならへんって聞こえたけど」
「聞き間違いではありません。ハッキリとそう申し上げました」
「……呆れてものも言えへんわ。この学園はある程度見回った。星南ちゃんの実力も把握した。あれはあっこで頭打ちや。
「花海咲季さんです」
「……はぁ?」
「あなたと同級生の、首席入学の、花海咲季さんですよ」
直子は腹を抱えて笑った。
あまりにありえないことだった。
猫が虎に勝てるわけがない。
あの子と自分とではものが違う。
モヤシ男は身動ぎせずに直子を見つめ続ける。
「はぁ、おもろ。君、冗談言うんだけはうまいやん。咲季ちゃんのことならうちも知っとる。なんせ首席合格やからなぁ。うちより優秀や。けど、それは試験での話。お勉強やら何やらを加味した点数や。ただの総合力自慢にうちが負けるわけあらへん」
「けど、負けてる」
「……」
「あなたはすでに、入学時点で負けています」
直子の額に青筋が浮く。
「話が分からん人やね。せやからそれはアイドルとしての能力値の合計とは違うってことが分からへん?」
「ずいぶん必死に言い訳ばかりしてますね。本当は認めたくなくて、屁理屈をこねているだけでしょう」
「……きっしょいなぁ、ええ加減にせんと痛い目見るで?」
「どうぞ。暴力でしか反論できないのならその時点で禪院さんの負けですから。いくらでも痛い目を見させてください」
モヤシ男が手を後ろで組んで頬を突き出す。
まるで殴れと言わんばかりだ。
直子はため息をついて両手を挙げた。
「降参や。君、口喧嘩上手やなぁ。そうや、負けは負けや。うちもビックリした。まさか首席逃すとは思わんかったわ。たしかに咲季ちゃんは逸材かも知らへんね。けど、それがプリマステラへの道を阻む話に繋がるようには思えへん。もしかして、うちのこと煽ってお喋りする作戦?」
「それもありますが、花海咲季さんが禪院さんのライバルになる予想は嘘じゃありません。そして、今のままではあなたは負ける。禪院さんには欠点があります」
壁にもたれかかり腕を組んだ直子が尋ねる。
「欠点ねぇ。プロデュース受ける気はないけど、その欠点とやらは聞かせてもらえるん? どんなこと言われるか興味あるわ」
「はい」
モヤシ男がタブレットを取り出す。そこには入学試験の課題曲を歌い踊る直子の姿があった。手本通り、完璧なダンスだ。歌は妥協点だが、合格ラインは優に超えている。歌唱力はボーカルレッスンでこれから重点的に伸ばすつもりだ。直子には投射舞踊がある。ダンスに充てる時間を他に割り振れる強みがあった。
どうせ歌がどうのこうの言うつもりだろう。
そんなこと誰から言われなくても自分で気づいている。
こいつはポンコツや。
モヤシ男は言う。
「直子さんの弱点は──ダンスです」
「……はぁ?」
開いた口が塞がらなかった。
苛立つというよりも的を得ない指摘に嘲笑が浮かぶ。
直子は髪の毛をかき上げ、やれやれと肩をすくめた。
「なに言われるんか思ったらダンスが弱点? 君ほんまにプロデューサー科の学生さん? 節穴もええところやね。リサーチ能力もぜんぜんあらへん。うちが投射舞踊の使い手なん知らへんのん? めっちゃ有名な話やけど」
興味を失った鷹の瞳に、けれどモヤシ男は動じなかった。タブレットを操作し、学生証の写真と五角形のパラメータ、そして手書きメモが残されたレポートを見せてくる。歌5、ダンス3、ビジュアル10、体力7、スター性8。投射舞踊のことも書いてある。
十段階のうちダンスがたったの3?
投射舞踊のことを知っておきながら?
アホすぎて笑える。
「もうええわ。話にならん。うちは振り付け師のダンスを見て、それを覚えてしもうたら練習せんでも通しで踊れるんやで? そんな選ばれた人間がダンス3なわけないやん。君ポンコツすぎ」
モヤシ男の手からタブレットをはたき落とす。
見せつけるように直子はそれを踏みにじった。
しかし彼は怯むことなく真正面から目を合わせてくる。
自分の言葉が正しいとでも言わんばかりに。
気に入らん。
きしょすぎる。
「気ぃ悪いわ。もう二度とうちの視界に入らんといて。約束破ったらパパに言いつけて退学処分や。恨まんといてや。君が悪いんやから」
「禪院さん」
「なに? いまさら命乞いしても無駄やで」
「たしかにあなたには特別な能力があり、それはアイドル活動において途轍もないアドバンテージを生むものです。見て覚える、それだけで、練習の必要すらなくあらゆるダンスを踊ってしまえるんですから」
「そや。うちはこの学園のカスどもが真似できんような芸当ができる。ぶっちゃけダサい思てんねん、鏡見ながらセコセコ踊り覚えんの。幼稚園児のお遊戯会みたいや」
「そうですね。あなた以外のアイドルは何十時間も鏡と向き合い、自分の姿を見つめながらダンスを仕上げていく。けれどステージに立ったとき、禪院さんと並んだとき、観客を魅了するのは、泥臭い努力をしたアイドルの方です」
「はっ、もうええて。怒らせて話伸ばす作戦なんやろ?」
「だって禪院さんの投射舞踊は、お手本ダンスの後追いなんですから」
「──は?」
「なんの面白みもない、魅力がにじみ出ていない、味のしないガムのようなダンスなんですから」
言わせておけば……。
最高速度でぶち抜いたる!
1秒を24分割してモーションを作る。
流れるような動作でモヤシ男の鼻っ柱を殴る。
男はよろめきながら後退し、鼻を押さえた。
ぽつぽつと鼻血が垂れる。
いい気味だ。
直子は笑った。
しかし、その笑顔はやがてひきつる。
彼は一切慌てなかった。
痛みに動揺したり、恐怖する様子を見せなかった。
落ち着き払ってポケットティッシュを取り出すと鼻血を抑えてとうとうと話しだす。殴りつけておきながら、直子は目の前の男が得体のしれない理解不能のバケモノに思えた。
「暴力的なところも矯正していかないといけませんね。今のご時世、パワハラの記事が出るだけでアイドル生命が絶たれる危険があるんですから。精神面も鍛えていきましょう」
「なんやのん、君、きしょすぎるわ」
「……私の伝え方が悪かったかも知れません」
「なんでまだ話しようとしてんねん」
モヤシ男が廊下に落ちたタブレットを拾い上げ、なにやら操作をして、また画面を見せてくる。それは直子が踊る姿と振り付け師が踊る姿を同時再生した動画だった。
まるで鏡に写った姿であるかのように、寸分たがわず、振り付け師のダンスを直子が
モヤシ男は丸めたティッシュを鼻に詰めて言った。
「これはあなたのダンスじゃない。振り付け師の先生のダンスなんです。ほかのアイドルたちは、この振り付けを覚える中で、自分をもっとも効果的に輝かせる微細な動きを追加していきます。大きな流れからはみ出さず、それでも千差万別の踊りをするんです。自分が一番かわいく見える最高のダンスを」
「……」
「禪院さん。あなたは投射舞踊という類まれなる能力に甘えて魅せるダンスができていない。はっきり言って、ただダンスが上手いだけであなたの魅力が伝わってきていないんですよ」
むっつりと黙り込み、不満げな顔を浮かべる直子に、トドメとばかりに用意していた動画を見せる。それはトップアイドル五条里美とその振り付け師のダンスを同時再生した動画だった。
振り付け師の姿が目に入らない。
なびく白髪。
煌めく青い瞳。
しなやかな指先に、躍動する手足に、目を奪われる。
トップアイドルに、否応なく、全神経を惹きつけられる。
「私の言いたいことが分かりましたよね?」
直子は眉毛を寄せて奥歯を噛んだ。
こんなもんは里美ちゃんがスゴいだけや。
舌打ちをしてモヤシ男に背を向ける。
そのまま歩み去ろうとする彼女に彼は約束を取りつけた。
「禪院さん、初星レセプションには出場されるんですか?」
「あたりまえや。全員ボコボコにしたる」
では、とモヤシ男が声を張り上げる。
「もしそこで1位になれなかったら、私をプロデューサーとして受け入れてください。あなたが独力でレセプション1位を勝ち取ったのならスカウトを諦めます」
金色の瞳が男を射抜く。
まぬけな顔。
鼻にティッシュなんか詰めてアホみたいや。
「──うちがポンコツどもに負けるわけないやろ」
荒々しい足取りで直子は廊下を歩いていった。