小学五年生
修行を始めてから、もう何年も経った。
黒い翼。
風。
雷。
どれも少しずつ身体に馴染み、今では意識することなく自然に扱える。
それでも。
毎日の修行だけは欠かさない。
強くなるため。
誰かを守れるようになるため。
そして、いつかヒーローになるために。
◇◇◇
朝。
「行ってきます」
「行ってきまーす!」
玄関から飛び出してきた友羽那が、元気よくランドセルを背負う。
「てんにぃ!早く!」
「そんな急がなくても大丈夫だよ」
「今日は体育あるもん!」
「転ばないようにね」
「はーい!」
「二人とも気を付けてね」
お母さんに見送られ、俺と友羽那は並んで家を出た。
神社の石段を降りる。
朝の澄んだ空気が気持ちいい。
「今日もいい天気だね!」
「そうだね」
空を見上げる。
雲一つない青空。
飛びたくなるような天気だった。
◇◇◇
授業を終え。
放課後。
「ただいまー!」
「ただいま」
ランドセルを置くと、友羽那が俺の部屋へ駆け込んできた。
「てんにぃ!」
「今日もお山!」
「もちろん」
「やった!」
二人で裏山へ向かう。
烏間神社の裏山。
そこには修行のために整備された広場がある。
木製の的。
走り込み用のコース。
木刀を置く棚。
幼い頃から、毎日のように通っている場所だった。
◇◇◇
広場へ着く。
軽く身体を動かし、深呼吸をする。
次の瞬間。
背中から黒い翼が大きく広がった。
「今日も綺麗……」
友羽那が目を輝かせる。
俺は軽く笑い、そのまま地面を蹴った。
翼を一度羽ばたかせる。
身体がふわりと浮き上がる。
もう飛ぶことに迷いはない。
自由に。
思うままに。
空を駆ける。
木々を越え。
山の上を抜け。
風を切る。
「気持ちいい……!」
自然と笑みがこぼれる。
この景色が好きだ。
山々。
遠くの街並み。
夕日に染まり始める空。
飛んでいる時だけ見られる、この特別な景色。
何度見ても飽きることはない。
◇◇◇
十分ほど飛んだあと。
ゆっくりと広場へ戻る。
「おかえり!」
友羽那が大きく手を振る。
「ただいま」
「次は分身!」
「了解」
俺が小さく呟く。
すると。
ぽんっ。
ぽんっ。
ぽんっ。
ぽんっ。
四体の小さな分身が現れた。
「今日は当てる!」
「負けない!」
「本体、覚悟!」
「頑張れー!」
みんな相変わらず賑やかだ。
「それじゃあ始めようか」
「おー!」
俺は再び空へ舞い上がる。
一体の分身が風を放つ。
俺も風を放ち、正面からぶつける。
二つの風が打ち消し合い、霧のように消えた。
続けて雷。
青白い稲妻が迫る。
俺も雷を放ち、空中で相殺する。
「まだまだ!」
「右!」
「上!」
「そこだ!」
四体が連携しながら次々と攻撃を仕掛けてくる。
俺は翼を大きく羽ばたかせ、空中を自在に飛び回る。
急上昇。
急降下。
急旋回。
攻撃を避け、必要なら風と雷で打ち消す。
ただ飛ぶだけじゃない。
実戦を想定した飛行訓練。
額から汗が流れる。
「はぁっ!」
一気に加速し、四体の間をすり抜ける。
「速い!」
「また避けられた!」
「悔しいー!」
「次は絶対当てる!」
その様子を見ていた友羽那が笑いながら拍手する。
「てんにぃかっこいい!」
その一言だけで。
疲れなんて吹き飛ぶ気がした。
「よし」
地面へ降り立つ。
呼吸を整える。
その時だった。
「お疲れ」
聞き慣れた声が後ろから聞こえる。
振り返る。
「兄さん」
鳥話兄さんが木刀を肩に担ぎながら立っていた。
「飛ぶだけじゃ強くなれない」
兄さんは一本の木刀を投げる。
俺はそれを受け取った。
「少し休憩したら」
「組手、やるぞ」
俺は木刀を握り直し、小さく笑った。
「望むところ」
木刀を握って構える。
兄さんも静かに木刀を構えた。
「始め」
その声と同時に俺は地面を蹴った。
一気に間合いを詰める。
木刀を振り下ろす。
――カンッ!
兄さんは難なく受け止める。
「甘い」
そのまま押し返される。
俺は後ろへ飛び、着地と同時に翼を広げた。
一気に空へ舞い上がる。
「空に逃げるか」
「逃げないよ」
「戦い方を変えるだけ」
兄さんの頭上へ回り込み、そのまま急降下。
しかし。
「遅い」
木刀が横から迫る。
ギリギリで身体を捻り、紙一重でかわす。
その勢いのまま風で加速。
兄さんの横を抜ける。
「いい判断だ」
「でもまだ単調だ」
兄さんは迷いなく追ってくる。
俺は木を蹴り、空へ。
空中で向きを変え、再び突っ込む。
何度も攻撃を繰り返す。
だが届かない。
木刀は全て弾かれ、受け流される。
(どうすれば……)
兄さんの動きを見る。
肩。
足。
視線。
呼吸。
その全てを観察する。
(……あった)
踏み込む瞬間。
ほんの僅かだけ右肩が下がる。
その瞬間だけ。
反応が遅れる。
次の瞬間。
兄さんが踏み込んだ。
「そこ!」
翼を大きく羽ばたかせる。
正面から行くと見せかけ――
風で急加速。
兄さんの視界から一瞬消える。
空中で身体を捻り、背後へ回り込む。
「っ!」
兄さんが振り返る。
その時にはもう遅かった。
俺の木刀が兄さんの胴へぴたりと止まる。
静寂。
風だけが木々を揺らしていた。
やがて兄さんは木刀を下ろす。
「……そこまで」
俺も木刀を下ろした。
「兄さん……?」
兄さんは少しだけ笑う。
「今回は俺の負けだ」
「……!」
思わず目を見開く。
「本当に?」
「ああ」
「最後の動きは完全に一本だった」
「フェイントも、風での加速も良かった」
「ようやく空を移動するためじゃなく、戦うために使えるようになったな」
胸の奥が熱くなる。
初めて。
兄さんから勝ちを認められた。
「ありがとうございました!」
俺は深く頭を下げる。
兄さんは俺の頭を軽く撫でた。
「まだまだ強くなるぞ」
「うん!」
◇◇◇
家へ戻る。
夕食を終え、自室で今日の組手を思い返していると、兄さんが部屋へ入ってきた。
「天理」
兄さんは小さなアクションカメラを机に置く。
「今日飛んでる時の景色、綺麗だったか?」
「うん。絶景だったよ!」
「その景色さ、誰かに見せたいと思わないか?」
その言葉に昼間見た夕焼けを思い出す。
山々。
雲。
空。
飛べる俺だから見られる景色。
「……見せたい」
自然と口から出ていた。
兄さんは笑う。
「じゃあやってみろ」
「動画でも配信でもいい」
「趣味として楽しめばいい」
俺は頷いた。
「やってみる」
◇◇◇
その夜。
スマホで新しいアカウントを作る。
活動名。
少しだけ考える。
黒い翼。
空を飛ぶ自分。
「……烏」
入力する。
『烏』
これが俺の活動名になった。
◇◇◇
翌日。
学校が終わると、小型カメラを持って裏山へ向かう。
翼を広げる。
空へ飛び立つ。
夕焼けの空。
流れる雲。
山々を見下ろす景色。
神社や家が映らないよう気を付けながら撮影を続ける。
家へ戻ると兄さんに編集を教わった。
動画を書き出し、タイトルを付ける。
『夕焼けの空の中』
投稿ボタンを押す。
数分後。
通知が鳴った。
『チャンネル登録者が増えました』
登録者数。
1人。
「早い……」
さらに。
2人。
3人。
コメント欄を開く。
「景色めっちゃ綺麗!」
「また見たい!」
「すっごく綺麗!!✨」
思わず笑みがこぼれる。
「ありがとう」
画面に向かって小さく呟く。
こうして。
空が好きな一人の少年と。
配信者『烏』の物語が、静かに始まった。