暗闇だった。
光も、音も、温もりさえ存在しない。
果てのない漆黒の世界に、一人の少女だけが佇んでいた。
身体の感覚は曖昧だった。
足元に大地はあるのか。
それとも宙へ浮かんでいるのか。
何一つ分からない。
少女は静かに周囲を見渡す。
何もない。
あるのは、どこまでも続く静寂だけ。
「……ここは?」
返事はない。
声は闇へ溶けて消えていく。
少女は胸へ手を当てた。
鼓動は感じる。
だが、自分という存在だけが空っぽだった。
「私は……誰?」
名前が分からない。
どこから来たのかも。
何をしていたのかも。
何一つ思い出せない。
その時だった。
『ようやく目覚めたか。』
どこからともなく声が響く。
男とも女ともつかない、不思議な声。
優しく。
穏やかで。
どこか懐かしい。
少女は声のする方を見つめた。
「あなたは……?」
『今は答えられない。』
「どうして?」
『君が、自分自身で答えへ辿り着かなければ意味がないからだ。』
その言葉には、不思議と温もりがあった。
否定したいとは思わなかった。
『君は記憶を失っている。』
少女は静かに頷く。
何も覚えていない。
だから否定することもできなかった。
『だが、一つだけ覚えていてほしいことがある。』
「……何?」
長い沈黙。
やがて声は静かに告げる。
『君は――世界を救う"ゼロ"だ。』
「……ゼロ?」
聞いたことのない言葉。
なのに。
胸の奥が小さく痛んだ。
懐かしい。
悲しい。
温かい。
様々な感覚が入り混じる。
それでも理由は分からない。
その瞬間。
背中に熱が走った。
「っ……!」
肩甲骨の奥から白い光が溢れ出す。
光はゆっくりと形を変え、
四枚の純白の翼となって少女の背中へ広がった。
羽根が一枚、また一枚と舞い落ちる。
少女は恐る恐る翼へ触れる。
柔らかい。
温かい。
機械でも、生き物でもない。
まるで生まれた時からそこにあったように、自分の身体へ馴染んでいた。
『その翼は君の証だ。』
『だが忘れないでほしい。』
「……?」
『君は戦うためだけに存在するわけではない。』
少女は黙って耳を傾ける。
『笑ってもいい。』
『怒ってもいい。』
『泣いてもいい。』
『誰かを愛してもいい。』
『君は感情のままに生きればいい。』
感情。
その言葉だけが頭の中で繰り返される。
笑うとは。
泣くとは。
怒るとは。
誰かを好きになるとは。
そんなものを、自分は知っているのだろうか。
「……分からない。」
少女は小さく呟いた。
『今は、それでいい。』
優しく微笑んだような気配がした。
『やがて君は多くの人と出会う。』
『仲間を得る。』
『別れを知る。』
『そして君自身の答えへ辿り着く。』
突然。
世界が震えた。
漆黒の空間へ無数の亀裂が走る。
赤黒い光が溢れ出し、景色が少女の瞳へ流れ込む。
崩壊した都市。
黒い結晶に侵食された高層ビル。
逃げ惑う人々。
異形の怪物。
巨大なホロウ。
そして。
その中心で、白い光が戦っていた。
『あれが君の向かう世界だ。』
声は少しずつ遠ざかっていく。
『どうか……』
『未来がどれほど残酷でも。』
『その翼だけは、誰かを守るために使ってほしい。』
『そして――』
『世界を救ってほしい。』
少女は咄嗟に手を伸ばした。
「待って!」
届かない。
姿は見えない。
世界が眩い白に包まれる。
すべてが光へ溶けていった。
◇
頬を撫でる風で少女は目を覚ました。
灰色の空。
崩れた高層ビル。
朽ち果てた車両。
誰もいない街路。
静寂だけが辺りを支配している。
少女はゆっくりと身体を起こした。
「……。」
自分が誰なのか。
何も思い出せない。
それでも背中には確かな重みがあった。
四枚の純白の翼。
その存在が、自分が普通ではないことを物語っている。
白い羽根が静かに舞う。
静寂が訪れた。
「……行こう。」
理由は分からない。
目的も分からない。
それでも胸の奥で、何かが自分を導いていた。
その先に待つ街。
新エリー都。
白き翼の少女は静かに歩き始める。
まだ少女は知らない。
自分が"世界を救うゼロ"と呼ばれた理由を。
その翼に秘められた、本当の力を。
そして、新エリー都で待ち受ける数々の出会いと別れを。
これは、一人の少女が感情を知り、仲間を知り、世界を変えていく物語の始まりである。
不定期投稿です。