実家は老舗の料亭を営んでおり、幼い頃から父の手伝いをしてきたため、日の出前には自然と目が覚めるようになっていた。
クイーンサイズのベッドから起き上がった霊は、部屋に備え付けられた洗面台で顔を軽く洗い、動きやすい服に着替えて部屋を出る。
「おはようございます、霊様」
廊下には、メイド服に身を包んだ使用人が控えていた。
「……おはよう。百は?」
「百お嬢様は現在お支度中でございます。あと3分ほどでいらっしゃるかと」
今日は雄英高校の入学初日である。
霊は八百万と登校するため、前日から八百万邸に泊まっていた。
幼い頃からお互いの家を行き来していた二人は、宿泊することもそう珍しいことではなかった。そのため、それぞれの家にはお互いの専用の部屋まで用意されていた。
「……じゃあ、玄関で待っとく」
「かしこまりました。百お嬢様にお伝えしておきます」
霊は使用人に見送られながら、玄関ホールへと向かった。
そして、そう掛からない内に、運動着に身を包んだ八百万がやってきた。
「霊さん、おはようございます。お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「……おはよう、百。大丈夫、行こ」
軽く挨拶を済ませてから、二人は外に出た。
霊と八百万は、毎朝のランニングを日課にしていた。
ヒーローは身体が資本。ヒーローを志したその日から、ずっと続けている体力づくりである。
八百万邸の敷地内に造られた外周コースを並んで走りながら、二人は他愛のない話をしていく。
「いよいよ今日からですね。霊さんは何か楽しみにしていることはありますか?」
「ん、ランチラッシュの学食」
「ふふっ、霊さんらしいですね」
「そう?」
「ええ、そう答えると思っていましたわ」
「……そう言う百は、オールマイトの授業?」
「ええ。No.1ヒーローの授業を受けられるなんて夢にも思いませんでしたから、この幸運に感謝し、しっかり学び取りませんと!」
そう言って八百万は胸の前で両手を強く握った。
一般入試の合格発表から間もなく、No.1ヒーロー『オールマイト』の雄英教師着任が発表され、世間を騒がせた。
もちろん、霊もびっくりしたし、入学をより楽しみにしていたが、八百万は霊とは比べ物にならないほど心を熱く燃やしていた。
ふんっふんっと気合十分な八百万を横目に、霊は「……子供みたい」と薄く笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆
雄英高校の校門前に、一台の黒塗りの高級車が静かに停まった。
登校中の生徒たちが何事かと視線を向ける中、運転席から降りたスーツ姿の男が後部座席のドアを開く。
そして、そこから一人の少年が姿を現すと、その場にいた全員の目が奪われた。
白絹のような柔らかそうな白髪をウルフカットに整えた金目の美少年──
霊は周囲の視線を気にも留めず、座席に左手を差し出した。
そして、その手を取るようにして、もう一人の人物がゆっくりと降り立った。
艶やかな長い黒髪をポニーテールに結んだ美少女──八百万 百である。
幼い頃から富裕層の社交に触れて育った彼らには、このような所作はごく当たり前のことだった。
「ありがとうございます、霊さん」
「ん」
霊は小さく頷き、八百万の足元を確認してから静かに手を離した。
「では、いってまいります」
「……いってきます」
「いってらっしゃいませ、百お嬢様、霊様」
運転手に見送られながら、二人は並んで校舎へ歩き出した。
「……王子と姫かよ……」
それを眺めていた誰かの呟きは、誰の耳にも届かぬまま朝の風に流れて消えた。
◆◇◆◇◆
雄英高校の長く広い廊下を、二人は並んで歩いていた。
「それにしても、同じクラスでよかったですね」
「ん……気楽でいい」
「ふふっ、ええ。わたくしも少しほっとしましたわ」
二人は揃ってA組に配属され、今は教室へ向かっている最中だった。
霊と八百万が通っていた小・中学校は、エスカレーター式の名門校だった。成績順でクラス分けが行われていたため、主席と次席を独占していた二人が別々のクラスになることは一度もなかった。
高校生活という新たな環境にある小さな“いつも通り”は、二人の緊張を和らげるのに十分なものだった。
ちなみに、霊と八百万が同じクラスに在籍していたことで他の生徒たちの勉強意欲は大きく向上し、霊たちの世代は創設以来最高の成績を記録したという。
閑話休題。
他愛のない会話をしながら教室に辿り着くと、霊は身の丈の2倍以上もある引き戸を開けた。
「む、おはよう!」
「おはようございます」
「……おはよう」
扉を開けると、眼鏡を掛けた生徒が元気よく挨拶をして、二人を迎えた。
彼は呆然と二人を眺める他生徒の間を縫って、ずんずんと近づいて来ると、二人の前で足を止めた。
「はじめまして。ボ……俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ。席順は出席番号順で、詳しくは黒板に張り出されている用紙を確認してくれ」
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは堀須磨大付属中学出身、八百万 百と申します」
「……同じく、言葉 霊。よろしく」
「堀須磨大付属……! 全国有数の名門校ではないか……! 君たちと共に学べることを嬉しく思う。こちらこそよろしく!」
挨拶を済ませると、霊と八百万は座席を確認してそれぞれの席へ向かった。
霊が席に着くと、近くで談笑していた男子生徒が数名霊の席に近寄ってきた。
「おはよう! 俺ぁ切島鋭児郎、前の席だ。よろしく!」
「俺、上鳴電気! 席は切島の前! よろしくな!」
「俺は瀬呂範太、切島の隣な。よろしく」
「俺、後ろの席の砂藤。よろしくな」
「常闇踏陰。席は隣だ。よろしく頼む」
「……言葉 霊。よろしく」
彼らは席が近い者同士で親睦を深めていたようで、霊もそれに自然と加わった。
そして一通り自己紹介を終えると、上鳴が身を乗り出して霊に詰め寄った。
「と・こ・ろ・で! 一緒に来てたあの黒髪美人とは、どういう関係なん? もしかして付き合ってたりする感じ?」
「あ、それ、俺も気になる。なんか言い表せない雰囲気? みたいなの纏ってたし、ただの友達ってわけじゃないっしょ?」
上鳴の問いかけに、瀬呂が便乗する。他のメンバーも少なからずその話題が気になるのか、黙って耳を傾けた。
「? 幼馴染」
「「なッ!?」」
「へぇ~、幼馴染で一緒に雄英入学って凄ぇな。昔から一緒に訓練とかしてた感じか?」
「ん、模擬戦とかしてた」
「おお! お互いに高め合える関係ってやつか! いいな、それ!」
「……美男美女幼馴染って現実にいるんだな」
「然り……」
驚愕に言葉を失う上鳴と瀬呂。素直に二人の関係性を羨望する切島と、別の意味で感心する砂藤と常闇だった。
「美人の幼馴染と一緒に雄英進学……本人も中性的な超絶イケメン……しかも、全国レベルのハイパー名門校出身……どんだけハイスペックだよぉ……!」
項垂れる上鳴の肩を、瀬呂がぽんと叩く。
「安心しろ、上鳴。俺たちはまだスタートラインに立ったばっかだろ? なんてったって、あの雄英に入れたんだ。人生の本番はこれからだって」
「そ、そうだよな! あんだけ頑張って雄英に入ったんだ! 絶望するにはまだ早ぇよな!」
「おう、その意気だ!」
上鳴と瀬呂が勝手に立ち直る中、霊はそんなことなど露知らず、切島と訓練についての話を続けていた。
そして……。
「机に足を掛けるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に、申し訳ないと思わないか!?」
「思わねぇよ! テメェどこ中だよ、端役が!」
突如響いた言い争いの声のもとに、教室中の視線が集中した。
そこでは金髪の不良風の生徒が机に足を掛けて座っており、それを飯田が注意していた。
「ボ……俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ」
「聡明~!? クソエリートじゃねぇか、ぶっ殺し甲斐がありそうだな!」
「なッ!? ブッコロシガイ……君酷いな、本当にヒーロー志望か!?」
霊はその金髪の生徒に見覚えがあった。
一般入試日の朝、校門付近で見かけた少年だった。初めて生で荒々しい言葉を聞いた霊は、彼のことはよく覚えていた。
「(すごい……本物の不良だ……!)」
霊はまるで珍しい野生動物を見つけたかのように、彼──爆豪勝己をじっと見つめた。
霊の視線に気付いた爆豪が「なんだテメェ」と言わんばかりに凄い形相で睨み返す。しかし霊は敵意など微塵もなく、ただ純粋な興味から爆豪を見つめ続けていた。
「…………」
「…………」
「なあ、アイツら何してんの?」
「さ、さあ……?」
しばらく無言で見つめ合う(片方は睨み付ける)二人に困惑して、瀬呂が砂藤に問いかけるが、同じく困惑するだけに終わった。
「……お友達ごっこしたいなら他所へ行け……ここはヒーロー科だぞ……」
教室の扉付近から響いた気怠げな声に、霊は視線を向けた。
そこには、いつからいたのか、ゼリー飲料を飲み干しながら寝袋からもぞもぞと出てくる、くたびれた雰囲気の男がいた。
「はい、静かになるまで8秒掛かりました。時間は有限……君たちは合理性に欠くね」
男は扉の前で会話をしていた飯田たちにそう言うと、彼は教室の中に視線を向けた。
「……担任の
そう名乗った男──相澤に、クラスが一瞬だけどよめいた。
それを気にも留めず、相澤は寝袋から学校指定の体操服を一着取り出した。
「早速だが、コレ着てグラウンドに出ろ。女子は更衣室に案内するから付いて来い」
それだけ言うと、相澤はさっさとその場を後にした。
「……と、とりあえず、皆指示に従おう!」
飯田のその呼びかけでクラスが一斉に行動を開始した。
霊も鞄から体操服を取り出し、その場でさっさと着替え始める。
「(……あの人、姿勢は悪いけど重心はしっかりしてたな……)」
なんてことを考えながら。
◆◇◆◇◆
「「「個性把握テストォ!?」」」
体操服に着替え、グラウンドに出たA組の生徒に、相澤は個性把握テストなるものをやると説明した。
「入学式は!? ガイダンスは!?」
「ヒーローになるなら、そんな悠長な行事出る時間ないよ」
茶色の髪を肩口で切り揃えた女生徒──麗日お茶子の上げた声に、相澤は変わらず気怠げな声で答えた。
「雄英は“自由”な校風が売り文句。そしてそれは先生側もまた然り……。お前たちも中学の頃からやってるだろ? 個性使用禁止の体力テスト」
相澤は懐から小型端末を取り出し、そのモニターを生徒たちへ向ける。そこには体力テストの計8種目が一覧で表示されていた。
「実技入試成績のトップは爆豪だったな。中学の時、ソフトボール投げ何メートルだった?」
「67メートル」
「じゃあ、個性使ってやってみろ。円から出なければ何してもいい。ほら、早よ。思いっ切りな」
相澤は取り出したボールを爆豪に投げ渡して、そう指示を出した。
「んじゃまぁ……」
爆豪は肩を軽くストレッチしてから投球フォームを取った。そして……。
「死ねぇ!!!」
──FABOOOOOOM!!!
掌で発生させた爆発の勢いをボールに乗せて放った。
「まず自分の最大限を知る。……それが、ヒーローの素地を形成する合理的手段」
相澤はそう言って手元の端末を霊たちに向けた。そこには『705.2m』と表示されていた。
「「うおおおお!!」」
「705メートルってマジかよ……」
「ナニコレ、面白そう!」
「個性思いっ切り使えんだ、さすがヒーロー科!」
「…………面白そう、か」
思い思いに歓声を上げる生徒に、相澤は低い声音で続ける。
「ヒーローになるための三年間、そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい?」
相澤は一度生徒たちの顔を見渡すと、「よし」と不敵な笑みを浮かべた。
「8種目トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」
「「「はあああああ!!?」」」
相澤のとんでもない発言にA組生徒が悲痛な叫び声を上げる。
霊も珍しく驚愕に目を見開いた。
「生徒の如何は
相澤は長い前髪をかき上げ、不敵に嗤った。
「最下位除籍って、入学初日ですよ!? いや、初日じゃなくても理不尽すぎる!」
「自然災害、大事故、そして身勝手なヴィランたち……いつどこから来るかわからない厄災……日本は理不尽にまみれている。そういう
麗日の上げた抗議の声に、相澤は静かな声音で続ける。
「放課後マックで談笑したかったならお生憎。これから三年間、雄英は君たちに全力で苦難を与え続ける……更に向こうへ『Plus Ultra』さ」
相澤は挑発するように人差し指をくいっくいっと曲げて見せた。
「全力で乗り越えて来い」
「「「っっ!」」」
相澤の言葉に、A組生徒の目つきが変わる。
それは霊も例外ではない。
「……百」
霊の小さな呟きに、隣に立っていた八百万が視線を向ける。霊は力強い眼差しを八百万へ向け、薄く笑みを浮かべていた。
「……負けない」
「っ……ええ。わたくしも負けるつもりはありませんわ」
一瞬目を見開いた八百万だったが、すぐに表情を引き締め、霊にも負けない力強い目つきで笑った。