ヤンデレと関わりたくない俺は、最強の異能を隠して異能学園を生き抜く 作:2F29くん
黒崎は静かに目を閉じた。深く息を吸い込み、森へ意識を溶かすように集中していく。そして目を開けるとその瞳は光っていた。
「……見えました」
黒崎の小さな声が届く。
「…三人です。動いておらず、何やら話しているみたいです…」
「ありがとう。そのまま監視を続けて」
短く返し、視線だけを前へ向ける。黒崎の索敵だけでも十分優秀だ。だが、それだけに頼るつもりはない。
俺は歩きながら右手をわずかに下ろした。誰かに見られていても、ただ指先を揺らしたようにしか見えない程度の動き。しかし足元へ落ちた影は、その僅かな合図に応えるように静かに形を変えた。
影は木陰へ溶け込み、倒木の裏を伝い、茂みの隙間へと流れていく。森には影が多い。その一つひとつを渡り歩くように、俺の異能は音もなく広がっていった。
陽菜は周囲を落ち着きなく見回している。結衣は俺の少し後ろを歩きながら、いつでも動けるよう腰を落としていた。二人ともまだ気づいていない。黒崎の索敵とは別に、俺も森へ手を伸ばしていることを。
静まり返っていた森へ一瞬だけざわめきが生まれた。その音に紛れるように、影の先で微かな違和感が走る。
――いた。
姿はまだ見えない。それでも十分だった。影越しに伝わる感覚は三つ。黒崎の報告と寸分違わない。
「橘くん?」
陽菜が小声で呼ぶ。俺は振り返らず、人差し指を口に軽く立てた。
その一つの仕草だけで、陽菜は口を閉じる。結衣も何も聞かなかった。
まだ動くには早い。
相手はこちらを探しながら前進している。こちらは位置を把握している。ならば焦る必要はない。先に仕掛けるのは、もっと確実に勝てる距離まで引きつけてからでいい。
先頭を歩く俺は速度を落とさず、一定の歩幅で木々の間を進む。その少し後ろを結衣と陽菜、さらに最後尾を黒崎がついてきていた。四人とも無駄な言葉は交わさない。
その静寂を破ったのは黒崎だった。
「……動きました」
声は小さい。しかし、その一言だけで全員の空気が変わる。
「距離、およそ三十メートル。かなりの速度で進んでいます。しかも、班内でバラけて左右に散開しています」
俺の影から伝わる情報と一致している。これは確定だな。
それにしても三人とも考えて動ける相手らしい。
真正面から突っ込んでくるような甘い相手なら、この学園で班を組むことすらできないか。
俺は周囲へ視線を巡らせる。木々が密集し、視界は悪い。だが、その分だけ影は濃い。
俺の異能には都合がいい。
「…何か飛んできています…」
黒崎くんがいきなり警告を発する。その途端、拳ほどの大きさの岩が一直線に飛んでくる。こちらの場所を気づかれたと思ったが、他の場所からも大きな音が聞こえる。
これは他の場所にも攻撃していて反応を見ているようだ。
「これには反応しないで」
そう後ろの二人に伝えようと声を出す。しかし、結衣は止まってくれたが、陽菜は止まらなかった。
彼女は反射的に小さなコンパクトを開いた。
パチン、と蓋が開く音。
次の瞬間、コンパクトの中から淡い光が溢れ、白いコンシーラーが掌ほどの盾へと形を変える。
岩は盾へ直撃し、鈍い音を立てて弾き飛ばされた。
「うわっ……!」
陽菜自身も少し驚いたように目を丸くする。だが、その手は震えていない。
彼女の異能――《コスメティカ》。
化粧品の機能を自在に拡張する能力だ。昨日も見たが、やはり汎用性が非常に高い。
「結衣」
名前を呼ぶだけで十分だった。結衣は小さく頷く。
右手を振る。
次の瞬間、目の前の大木へ一本の白い線が走った。
ズンッ。
遅れて幹が深く抉られる。それを抉ったのは風だった。薄く鋭く圧縮された風が木を裂き、そのまま敵のいた方向へ一直線に倒れていく。
「なんで倒れてくるんだ!」
誰かの叫び声。
木陰から飛び出した男子生徒が横へ転がる。風刃はその背後の木を真っ二つに裂きながら消えていった。
結衣の《風刃》。風を刃へ変え、自在に操る異能。攻撃範囲はさほど広くない。しかし、その切れ味は十分脅威になる。
「……あと二人」
黒崎が呟く。
「右十五メートル。一人は後方へ回っています」
敵もこちらの索敵役へ気付いたらしい。黒崎を狙う。当然の判断だ。
茂みが揺れる。
人影が一直線に飛び出した。
速い。
黒崎へ届く。そう思った瞬間だった。
「今!」
黒崎の声が森へ響く。
飛び出してきた男子生徒の動きが、不自然に鈍る。
一秒。
たった一秒。それだけだった。
しかし、それで十分だった。
陽菜がアイライナーを抜く。細い筆先が淡く輝き、空中へ一本の黒い線を描いた。
次の瞬間、その線が斬撃へ変わる。
音もなく放たれた極細の一閃が男子生徒の胸元を掠め、制服を切り裂いた。
「くっ!」
体勢が崩れる。その明確な隙を結衣は見逃さない。さらに二発。三発。風の刃が連続で放たれ、逃げ道を塞ぐように木々を切り裂いていく。
第七班の男子は咄嗟に身を伏せた。
その判断は正しい。だが、完全には避けきれない。制服の袖が裂け、腕へ浅い傷が走る。
「あと一人!」
黒崎が叫ぶ。俺は視線を向けない。その必要がなかった。だって、ずっと前から知っているから。もう一人は。
そこだ。
俺は右足を一歩踏み出した。すると、木陰から伸びた影が男子生徒の足首へ絡みつく。
「っ!?」
初めて相手の表情が変わる。影は一瞬だけ。本当に一瞬だけ動きを止めた。だが、その一瞬を逃すほど結衣は甘くない。
風が唸る。
白い斬撃が男子生徒の目前で止まった。
「こ、降参だ」
そう言った瞬間にスピーカーから機械音声が森へ響く。
『試合終了、勝者は第七班。けがをされた生徒は医務室までいらしてください』
アナウンスが終わっても、敵は呆然と自分の足元を見つめていた。
「……今の、何だったんだ?」
結衣と詩織にしか知られていない俺の異能だ。分からなくても無理はない。
俺は何事もなかったように影から足を離す。
影は再び木陰へ溶け込み、何事もなかったかのように森の一部へ戻っていった。
「やったぁ!」
陽菜が勢いよく拳を突き上げる。その拍子に腕の痛みが走ったのか、「いったぁ……」と顔をしかめて笑った。
「勝てたね、玲斗くん!」
結衣も嬉しそうに駆け寄ってくる。普段なら飛びついてきそうな勢いだったが、周囲の視線を気にしたのか、一歩手前で止まり、小さく笑みを浮かべるだけだった。
「黒崎くんもありがとう」
「い、いえ……僕は見ていただけなので……」
頬を赤く染めながら俯く黒崎を見て、陽菜が肩を叩く。
「何言ってんの! 一番最初に敵を見つけてくれたじゃん!」
「そ、そうですか……」
黒崎は照れくさそうに眼鏡を押し上げた。
先生の誘導で森を抜けると、待機していた生徒たちの視線が一斉にこちらへ向く。
「第四班、勝ったのか」
「連携が強かったな」
「黒崎って索敵系だったよな? あれ結構厄介じゃね?」
「朝倉の風、木まで切ってたぞ」
「西園寺も見た目通りの異能だけど、普通に強かったな」
あちこちから感想が聞こえてくる。だが、その中で一番多かったのは別の名前だった。
「……橘って何した?」
「最後、一瞬で終わったよな」
「影が動いたような……モニター越しだからそう見えただけか?」
そのどれもが曖昧な感想ばかり。以前、詩織と善戦していたことは皆が知っている。なのに目立った動きはしていなかったことに疑問が蔓延している。
その様子を少し離れた場所から見つめる少女が一人。
それは詩織だった。
腕を組み、第四班へ静かに視線を向けている。結衣や陽菜へ向くことはない。その視線は最初から最後まで、俺一人だけを捉えていた。
(やっぱり……)
最後の一瞬。何かが見えた。しかし、それが何だったのかまでは分からない。
けれど、予想ぐらいはできる。おそらく私にも使ってきた異能だろう。
詩織は小さく息を吐くと、その場を離れていった。
その一方で、広場の端ではまったく別の空気が流れていた。
ベンチへ腰掛けた雪代ミリアは、周囲の喧騒など存在しないかのように一冊の文庫本へ目を落としている。
「雪代、お前……」
先生が呆れたように声を掛ける。
「試合くらい出ろ。班員が困るだろ」
ミリアはページをめくる手を止めない。
「先生の強制させることなんて出来ないでしょ。諦めて」
その声は淡々としていた。冷たく、それでいて感情の起伏がまるで感じられない。
先生は深いため息をつくしかなかった。
「まったく……。」
周囲の生徒たちも苦笑いを浮かべる。
「雪代らしいな……」
「だからって出ないのはどうなんだ。」
「でもあいつ、本当に強いからな……。」
そんな声すら、ミリアの耳には届いていないようだった。やがて先生が全体へ向き直る。
「怪我をした者は医務室へ。第二回戦まで三十分休憩!」
陽菜は右腕を押さえながら苦笑する。
「さっきは興奮して気づかなかったけど……結構痛い」
結衣も膝を見下ろした。森の中を駆け回った際に制服が擦れ、赤く血が滲んでいる。
「じゃあ、医務室行こうか」
四人は訓練場を後にし、医療棟へ向かった。