ヤンデレと関わりたくない俺は、最強の異能を隠して異能学園を生き抜く 作:2F29くん
朝露に濡れた芝が冷たい。裸足の足裏へ伝わる感触に小さく身を震わせながら、詩織は木刀を握り直した。
庭の向こうでは、もう姉が構えている。
同じ木刀。同じ構え。
それなのに、どうしてあんなにも隙がないのだろう。
「それでは始め」
父の低い声が響いた。
詩織は地面を蹴る。
今日こそは…昨日より速く、一昨日より強く。毎日そう思って木刀を振ってきた。私の異能だと強くなるにはこれしかないから。
だから今日こそは届くと、本気で信じていた。
木刀を振り下ろす。だが、視界から姉が消えた。
カン――ッ。
鋭い音が庭へ響く。気付けば自分の木刀は高く弾かれ、首元には姉の切っ先が静かに添えられていた。
「そこまで」
父の声と同時に、全身から力が抜ける。
また負けた。
また届かなかった。
木刀を拾おうと手を伸ばす。けれど指先が震えて、うまく握れない。
悔しかった。姉は異能すら使っておらず、私の方は異能を全力で使っている。なのに、このザマだ。
「負けました…」
父は姉の肩へ手を置き、満足そうに頷く。
「これこそ白鷺の誇りだな」
その言葉を詩織は何度聞いただろう。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
(私は……?)
期待してしまう。ほんの少しでもいい。頑張ったな、と言ってほしかった。
父の視線がようやく詩織へ向く。
「詩織」
心臓が跳ねる。
「もっと努力しなさい。あれほど強くなれとは言わん。だが、一撃くらいは当てられるようにはなりなさい」
いつも言われる言葉だった。
(してるよ……)
朝も昼も夜も。誰より異能を使いながら木刀を振った。手の皮が剥けても、腕が上がらなくなっても、ずっと。
それでも父の目には映らない。母は私たちには無関心で男漁りにふけっている。
そんな家では姉だけが褒められる。
姉だけが認められる。
ふと顔を上げると姉は静かに木刀を納めていた。息一つ乱れていない、いつもの平然とした姿だ。そして、こちらを見る目は余裕の色が透けている。
あの目がほんとに嫌い。なぜ、姉妹でこんなに違うのだろうか?
神へ不満を募らせていると、気付けば言葉がこぼれていた。
「……姉さんは人間味がないのよ。あんなんじゃ……彼氏もできやしない」
私の口調が荒くなってしまったのはこの頃からだろうか。こんなストレスの溜まる家で育つと歪んでしまうのは仕方ないとは思ってしまう。
だが、私は白鷺奏音の妹として品位も求められた。だからこそ表向きは取り繕えるようにした。
入学式の日とかはかなり頑張れていただろう。面倒だがクラスメイトの席を教えてあげたり、勉強についての相談も熱心に乗った。
私はこの優等生キャラとして過ごしていくつもりだった。橘玲斗という存在と戦うまでは。
最初はただの好青年だと思っていた。自分と同じような波動を感じてはいたが、勘違いだと自分に言い聞かせてきた。しかし、彼と戦うことで完全なる勘違いだと確信できた。
彼が似ているのは私ではなく姉の方だった。あの全てを見通す目、余裕そうな目、非常にそっくりだった。
この時の私は表情を取り繕うことに必至で、所作などは適当になっていたかもしれない。けれど、目の前の青年が姉と重なって見えたのだから仕方ない。
私は彼を倒すべく剣を振るう。だが、ここでも嫌な記憶が呼び起こされる。あの姉に手加減されている感覚だ。そう感じた私はいてもいられなくなった。
無理やり人気のない場所まで呼び寄せて決闘を挑ませた。本気を出させたうえで、あの目を持つ彼をボコボコにするために。
結果は惨敗、彼にも届かなかった。
それでもなぜか私は諦められなかった。
こうなったら、もはやプライドバトルなので引き返せない。なんとしてでも勝つ。
そう思って3度目の戦いに挑んだ。執着女みたいで気持ち悪いな私……反吐が出る。でも、私の精神衛生のためだ。
「ねぇ橘、私はお前のことが嫌いだ」
私は土の上に倒れているのに橘は立っている。これだけで勝者がどちらかなど誰にでも分かる。こんな状態ではただの負け惜しみしか言えない。
「まあ、ここまであからさまだと嫌でも分かるよ。それでも詩織の言葉は響いたよ。だからこそ、方向指定《ディレクション》を見せたんだから」
彼はいつも通りの爽やかな笑顔で言う。戦ってる時とはまるで別人だな。こいつも普段は演じている。だから、最初に私と似た波動を感じたわけか。
玲斗はふと視線を木々の上へ向ける。
「もう大丈夫か」
呟くと、足元から伸びていた影が静かに木の幹を伝い枝葉の奥へ溶けていく。
数秒後、遠くの教師たちの慌ただしい声が聞こえた。
「映像が戻った!」
「第四訓練場、通信復旧!」
玲斗は小さく息を吐く。
「詩織は立てる?さっきからずっと倒れたままだけど」
「大丈夫です。少し昔のことを思い出していただけですから」
私は制服についた土を払い落とし、木刀を握り直した。勝敗は変わらない。負けた事実も消えない。それでも、胸の奥に渦巻いていた苛立ちは、さっきまでとは少しだけ形を変えていた。
「橘さん」
玲斗は振り返らずに足を止める。
「次は負けないですからね」
元の丁寧な物言いに戻った詩織だが、威圧感だけは先ほどと変わっていない。
それを受けてほんの一拍の沈黙が広がる。
「期待しているよ。戦いたくないないけどね」
それだけ言い残し、玲斗は夕暮れの森を歩き出した。私はその背中を睨みながら、小さく息を吐く。
「……絶対に追いついてやる」
「第四班、勝利おめでとう。これで全過程が終了したからみんな解散していいよ」
先生の声が訓練場へ響く。その一言で、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
「終わったぁ……」
陽菜はその場へしゃがみ込み、大きく息を吐く。彼女は大立ち回りをしたので、疲労が溜まりまくっていた。
「もう限界。午後の授業まで動きたくない……」
そんな様子に結衣は思わず笑みを漏らした。
「お疲れ様。陽菜さんも黒崎くんも助かったよ」
「い、いえ……僕はほとんど何も……」
黒崎は照れくさそうに頭を掻く。
謙遜しているのだろうが、彼の貢献は小さいものではない。もし、彼がいなかったら詩織と戦うことはなかっただろうに。
「じゃ、私は友達とご飯食べてくる!」
陽菜は手をひらひら振ると、待っていた女子生徒たちの方へ駆けていく。
「僕も失礼します」
黒崎も一礼し、人混みの中へ姿を消した。気付けば、その場には玲斗と結衣だけが残っていた。これだけで謎の安心感が湧いてくる。
「じゃあ、私たちも行こっか」
結衣は鞄を軽く持ち上げて微笑む。慎二と戦ったはずなのに疲労の色は見えない。昔からスタミナはすごいな。
なんて考えていると、お腹が空腹だと主張を始める。これからは昼休みなのでお腹がすいてきたようだ。たまらず今日のお弁当の内容を結衣に聞いてしまう。
「今日は何を作ってきてくれたの?」
玲斗が尋ねると、結衣は少しだけ得意げに笑った。
「唐揚げを揚げてきたんだ。サクサクしておいしいと思うよ」
「それは楽しみだな。早く教室に戻ろうか」
二人は並んで校舎へ向かって歩き始める。
昼休みを告げるチャイムが鳴る。生徒たちがそれぞれの昼食へ向かう中、廊下には団体戦を終えたばかりの興奮がまだ残っていた。各クラスでは多種多様な試合が展開され、いたるところで話題になっている。
「おーい! 橘!」
聞き覚えのある大きな声が背後から飛んでくる。振り返ると、慎二が手を振りながらこちらへ駆け寄ってきた。
息を切らしながら俺たちの前で立ち止まると、豪快に笑う。
「いやー、朝倉さん強かった! 完敗だったぜ!」
悔しそうに頭を掻きながらも、その顔はどこか晴れやかだった。
「でもさ、一番残念なのは玲斗と戦えなかったことなんだよな」
玲斗は困ったように笑う。
「そのうち機会はあるよ。その時はお手柔らかにね」
「それは無理なお願いだな。手加減というのは苦手なんだ」
慎二は玲斗への話を終えると、今度は結衣へ向き直った。
「朝倉さんも午後頑張ろうな!」
「そうだね」
結衣が笑顔で返すと、慎二は「じゃあまた!」と手を振り、自分の班の仲間たちのもとへ走っていった。その背中を見送りながら、結衣がくすっと笑う。
「本当に元気だね。玲斗くんも小さい頃は彼みたいに元気ハツラツとしていたのにね」
「そうだっけ?昔のことなんて覚えてないや。それに今の俺だって別に元気がないわけじゃないよ」
玲斗も苦笑を浮かべる。
その返答に対して結衣は一瞬疑問を浮かべるが、それを首を振って払いのける。玲斗くんがそう言っているのだから、そうなのだろう。私は幼馴染なんだから――。