ヤンデレと関わりたくない俺は、最強の異能を隠して異能学園を生き抜く 作:2F29くん
陽菜と別れてからしばらく歩くと、今度は結衣が立ち止まる。目の前には女子寮があるだけなのだが。
「私はこっちだから」
「うん。また明日」
「……お弁当、楽しみにしてて」
「もちろん」
その一言だけで結衣は満足そうに頷き、小さく手を振って帰っていった。一人になった玲斗は、夕暮れの歩道をゆっくり歩き始める。
その時だった。背後からいきなり声をかけられる。
「橘玲斗さん」
後ろから落ち着いた声が響く。玲斗が振り返ると、一人の女生徒が静かに立っていた。
夕日に照らされた淡い碧の髪。整った顔立ちに、どこか感情を読み取らせない瞳。制服の胸元には一年生の学年章が付いている。
「……俺?」
「はい」
少女は一歩だけ近付いた。
「やっと見つけました」
玲斗は首を傾げる。
「えっと、どこかで会った?」
「直接お話しするのは初めてです」
少女は静かに首を横へ振る。
「ですが、私はあなたを見てしまいました。正しくは監視カメラを隠した影越しに見ていました」
「……」
「団体戦の決勝のことです」
その言葉に、玲斗の思考が一瞬だけ止まる。
女生徒は玲斗の表情を見逃さず、続けた。
「あの時、他の人は何も気付いていませんでした。でも私には、一瞬だけ違和感が見えたんです」
「違和感?」
「ええ。暗転したカメラの前で、空間が僅かに揺らいだように見えました」
玲斗は内心で息を呑む。
カメラを覆うために伸ばした影は、自分から離れすぎたせいで強度が落ちていた。そのせいで目の前の人物には見られてしまったようだ。普通の人間には認識できないはずだが、目の前の少女だけはその僅かな揺らぎを捉えていた。
こいつは何者だ?
「最初は見間違いだと思いました。けれど、意識して注視するとぼんやりと見えました。あなたが彼女へ何をしたのか」
女生徒は穏やかな口調のまま言う。まるで、楽しい世間話をするように。
「それについてお聞きしたくて」
「それで僕を探してた、と」
「はい」
玲斗は苦笑を浮かべた。
「随分と目がいいね。まさか見られていたとは。君は相当やり手だな」
少女はその言葉を否定も肯定もせず、小さく微笑む。
「申し遅れました」
制服の裾を整え、静かに頭を下げる。
「一年C組、エイル・グレイです」
その名前を聞いた瞬間、玲斗は思わず目を細めた。
(一年生の……十傑)
思ったよりもビッグネームが飛び出してきた。それに彼女は食堂で一度見たじゃないか。留学生だと知らない人が言っていたことを思い出した。
玲斗は足を止め、ゆっくりと振り返った。その表情は、つい先ほど結衣や陽菜と話していた時と何一つ変わらない。
穏やかな笑み。
柔らかな目元。
誰がどう見ても好青年だった。
「どうした?俺の顔に何かついている?」
自然な問い掛け。けれど、その一言を受けた瞬間、エイルは胸の奥に小さな違和感を覚えた。
優しくて穏やかな表情。そのはずなのに、不思議と距離を詰められない。まるで、薄い氷を一枚隔てて話しているような感覚だった。
「先程の件で少しお話がしたいんです」
「そうなんだ、でもごめん。今日はあまり時間がないんだ」
丁寧な断り方だった。乱暴さも棘もない。
それでもエイルには、その言葉の奥にある「これ以上近付くな」という意志がはっきりと伝わってきた。
「私は別にあなたのことを吹聴したいわけじゃない。ただ、あなたの異能を確かめたいだけなの」
その瞬間だけ、玲斗の笑みがほんの僅かに止まる。夕風が二人の間を吹き抜けた。
「俺の異能を確かめたい?そんな必要はないよ。団体戦を見ていたら分かるよね、影を操ることさ」
笑顔のまま返す。
「これで満足?俺は本当に時間がないんだ。じゃあね」
最後まで彼は笑顔だった。けれど、その笑顔には温かさが一切なかった。
柔らかい仮面を被ったまま、静かに扉を閉ざされたような感覚。嫌でも拒絶されていることが理解できる。
「分かりました」
それ以上は踏み込まない。玲斗は軽く会釈すると、そのまま歩き出した。去っていく背中を見送りながら、エイルは小さく息を吐く。
「……これは本物ですね重みが普通の人とは違う。纏ってる雰囲気から何までこちら側としか思えません」
あの日、団体戦決勝で偶然見た"あの光景"。それは見間違いではなかった。エイルは静かに碧色の髪を揺らしながら踵を返した。
「次はもう少しあなたを知ってから話しましょう」
玲斗の背中が夕暮れの街並みに溶けていく。エイルはその姿が見えなくなるまで、ただ静かに立ち尽くしていた。
こんな時に限って幼い日の記憶が静かに蘇る。
物心ついた頃から、私の世界は屋敷の中だけだった。
大きな庭。高い塀。門の向こうには街がある。でも、その向こうへ行ったことは一度もない。
「お嬢様、お庭までですよ」
「外は危険ですから」
誰もが同じことを言った。だから私は、本を読むしかなかった。
世界地図。
異能名鑑。
歴史書。
見たこともない景色。
知らない異能。
ページをめくるたびに、新しい世界が広がっていく。
(外って、どんなところなんだろう)
私は外の世界を知らない。ずっと家の中だけで暮らしていたから。だからこそ知りたい。特に異能は格別に面白かった。名鑑には信じられないことがたくさん書いてあって興味の種が尽きない。
その好奇心は日に日に大きくなっていった。
とある日に私は思い切って家の外に出ることにした。メイドさんにも何も言わず、大きな玄関の扉を開けた。すると、窓の外が真っ白に光る。
次の瞬間、空気を震わせる轟音。
それをもたらしたのは雷だった。その稲妻が真っ直ぐ屋敷へ落ちてきていた。
(……怖い)
胸が締め付けられる。だけど、その次に浮かんだ感情は恐怖ではなく困惑だった。
(なんで、こっちに落ちるの?)
次の雷は避雷針が取り付けられている屋敷ではなく、なぜか私の方に落ちてくる。この時、私は死んだと思った。しかし、落ちてきた雷が不自然に軌道を変えた。
一直線だった光は、何かに引っ張られるように空中で向きを変え、そのまま庭の外れへ叩き付けられる。
轟音。
地面が揺れ、土煙が空高く舞い上がる。何本もの木が根元から吹き飛び、庭の一角が抉られていた。
屋敷の中から悲鳴が響く。
「お嬢様!」
「ご無事ですか!」
使用人たちが慌ただしく駆け寄ってくる。私はその人たちを見ることもなく、煙の向こうを見つめていた。
(……なんで曲がったの?)
怖い。でも、それより。
(どうして?)
その疑問だけが頭の中を埋め尽くしていた。しばらくして父が部屋へ入ってくる。庭を一瞥すると、静かに私へ視線を向けた。
「目覚めたか」
「……?」
「エイル家の異能だ」
父は短く告げる。
「重力操作《グラビティ・オーダー》」
「これが私の異能……?」
「詳しいことはそのうち分かる。それと、もうお前は立派な我が一族の者だ。これからは外出を許可する。好きにすればよい」
それだけ言って父は踵を返そうとした。私は慌てて呼び止める。
「待って」
父が振り返る。
「世界で一番強い人ってどんな人?私はその人と会ってみたい」
父は少しだけ驚いた顔をした。
「何故そう思う」
「異能名鑑を見てたら気になったの。世界最強の人はどんな無茶苦茶なことが出来るのか」
父は娘の返答にしばらく黙っていた。やがて、小さく息を吐く。
「……お前は昔から変わらんな。じゃあラバー学園という学園を調べなさい。私が知る限りだと、あそこの一位が世界最強に最も近いと言われることが多い」
そう言って頭を軽く撫でると、静かに部屋を出て行った。
その日からだった。外に出られるようになり、異能も自由に使えるようになって、私はラバー学園を目指すことに決めた。
やがて私は親にも黙ってラバー学園への留学を決めた。きっと父なら理解してくれると信じて。
こんなことをした目的はただ一つ。
世界最強に最も近い存在、第一位と話をすること。その人は何を見て、何を考えているのか知りたかった。
夕風が碧色の髪を静かに揺らす。
エイルは玲斗が去っていった道を見つめ、小さく微笑んだ。
「……でも」
第一位は後回し。彼女は全然姿を現してくれないもん。だから今、一番知りたいのは。
「橘玲斗」
その名前を静かに口の中で転がしながら、エイルはゆっくりと歩き出した。