ヤンデレと関わりたくない俺は、最強の異能を隠して異能学園を生き抜く 作:2F29くん
模擬戦はその後も滞りなく進み、最後の一組が勝敗を決すると、先生は空になった缶コーヒーをゴミ箱へ放り投げた。
「今日の授業はここまでだ。これからは自由時間とする。校内を見て回るのも勝手だが、立ち入り禁止区域には近づくなよ。面倒事を起こしたら私が怒られる」
適当な締めくくりに、教室からは小さな笑いが漏れる。
生徒たちはそれぞれ知り合った者同士で話し始め、訓練場はさっきまでの緊張感が嘘のように賑やかになった。
「玲斗くん!」
結衣が小走りで駆け寄ってくる。
「けがしてない?」
「平気だよ」
「本当に?」
心配そうに肩へ手を伸ばしかけ、途中で「あっ」と気付いたように引っ込める。
「ご、ごめんね」
「結衣が謝ることじゃないよ」
そう返すと、結衣はようやく安心したように微笑んだ。
「よかったぁ……」
その笑顔を見ていると、自然と肩の力が抜ける。
それを感じ取ったのか結衣が一歩だけ俺の隣へ寄ってくる。ほんの少し、肩が触れそうなくらいの距離まで。
「この後さ、寮を見に行かないか?」
斎藤が気軽に誘う。
「結衣は玲斗くんと一緒なら、どこでもいいよ」
即答だった。
その返事に斎藤は「あ、そう?」と笑うだけで気にした様子はない。
結衣は斎藤へ笑顔を向けている。
けれど、その笑顔は俺へ向けるものとは少し違った。
礼儀として笑っているだけ。そんな印象を受ける。もう少し隠せないだろうか?
「じゃあ三人で行くか!」
斎藤は何も気付かず歩き出す。
結衣も「うん」と返事をして後に続いた。
校舎へ向かう道には、模擬戦を終えた新入生たちが思い思いに歩いている。異能の話で盛り上がる者、寮生活への期待を語る者、さっそく
自由な校風というのも、あながち間違いではなさそうだ。
監視されていることだけは気に入らないが、それ以外は思っていたよりも窮屈ではない。少なくとも今は、誰かに縛られるような雰囲気は感じなかった。
結衣がこの学園を勧めた理由も、少しだけ分かる気がした。
寮の案内が終わり、気付けば空は夕焼けに染まり始めていた。
教室へ置いた荷物を取りに戻り、そのまま廊下へ出る。
人通りは昼間よりも少なく、校舎には部活動へ向かう生徒たちの足音だけが静かに響いていた。
その時だった。
「……橘さん」
背後から、静かな声が聞こえる。聞き覚えのある声だった。
振り返ると、そこには白鷺詩織が立っていた。
昼間と変わらない穏やかな笑みを浮かべたまま、小さく頭を下げる。
「少し、お時間よろしいですか?」
その声音は柔らかい。
けれど、なぜか断ってはいけないような空気をまとっていた。
放課後の廊下には、部活動へ向かう生徒たちの足音が響いていた。
俺は詩織へ視線を向ける。
「何か用?」
「はい。できれば、人の少ない場所でお話ししたいんです」
「ここじゃ駄目なのか?」
「……少し、込み入った話なので」
断る理由も見当たらない。
俺は小さく頷き、詩織の後をついて歩き出した。
校舎を抜け、中庭を横切る。さらに訓練棟の裏手まで来ると、生徒の姿はほとんど見えなくなっていた。吹き抜ける風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに響く。
詩織は立ち止まると、一度だけ周囲を見渡した。
「ここなら、大丈夫ですね」
「それで、話って?」
問いかけると、詩織は俯いたまま指先を落ち着きなく絡め始めた。
「実は、その……」
いつもの落ち着いた口調とは違う。
どこか緊張したように声が震えている。
「今日、一緒に戦って……その……」
言葉が続かない。
何度か口を開いては閉じる姿は、本当に何かを伝えようと決心している少女そのものだった。
やがて小さく息を吸い込み、ゆっくりと顔を上げる。
頬はわずかに赤く染まり、その視線は真っ直ぐ俺へ向けられていた。
「私、橘さんのことが好きに――」
そこで言葉が止まる。
沈黙。
風だけが二人の間を吹き抜けた。
(……これは告白でもされるのか?まだ会って間もないというのに?)
一瞬だけ、そんな考えが頭をよぎる。
次の瞬間だった。
「――なるわけねぇだろ」
低い声だった。
さっきまでの柔らかな声音とは別人のように冷え切っている。俯いていた顔がゆっくり上がる。
そこにあった穏やかな笑みは消えていた。
「……ん?」
思わず声が漏れる。
詩織は一歩踏み出し、俺との距離を詰めた。
「お前、授業で手ぇ抜いてやがったよな」
「何のことだ?」
「とぼけんな」
さっきまでの丁寧な口調は跡形もない。
荒々しい言葉が、怒りとともに吐き出される。
「あの程度の攻撃、お前なら避けられただろ」
「買いかぶりすぎだ」
「違う」
即答だった。
「あの最後の一撃だってそうだ。避けようと思えば避けられた。わざと食らっただろ」
詩織の拳が震えている。怒りだけじゃない。
もっと別の感情を押し殺しているようにも見えた。
「そういう目なんだよ……」
小さく漏れた声。
「そういう、余裕ぶった目が気に食わねぇんだ」
詩織は唇を強く噛む。
「本気を出さなくても勝てる相手だって思ってんのか? それとも、お前もあいつと同じで……」
そこで言葉が止まる。
言い過ぎたと気付いたのか、一瞬だけ表情が揺らぐ。
しかし、その揺らぎもすぐに怒りへ塗り潰された。
「……いや、違うな」
詩織は自嘲するように笑う。
「違うなら証明しろ」
鋭い視線が俺を射抜く。
「口で何を言われても信じねぇ。本気じゃなかったっていうなら、本気で戦って見せろ」
その声音は静かだった。
けれど、怒鳴るよりもずっと重く、相手を逃がさない圧があった。
俺は詩織の視線を受け止めたまま、小さく息を吐いた。
「悪いけど、その期待には応えられない」
短く返すと、詩織はゆっくりと目を細めた。俺の言葉を受け入れるつもりなど、最初からないのだろう。
「まだ誤魔化すのか」
「誤魔化してるつもりはない」
静かなやり取りだった。しかし、その静けさとは裏腹に、二人の間には張り詰めた空気が流れている。
詩織は拳を握り締め、何かを堪えるように唇を噛んだ。その手は小刻みに震えている。ただ怒っているだけではない。長い間押し殺してきた感情が、今にも溢れ出そうとしていた。
「……私を見てなかった」
その一言は、怒鳴り声ではなかった。
だからこそ重かった。
「授業中、お前の視線は一度も私を見てなかった。相手として見ていない奴の目だった」
俺は否定しない。ただ黙って聞いていた。
「そういう目をする奴は嫌いなんだ」
詩織は拳を握る。白くなるほど力を込めた指先が、小さく震えていた。
「……昔から何度も見てきた」
その言葉だけが、静かに零れる。
「『どうせ勝てない』『相手にならない』……そんなふうに見られる目だ」
俺は少し眉をひそめる。
詩織は今日が初対面だ。
それなのに、その言葉は俺へ向けたものというより、もっと別の誰かへ向けているようにも聞こえた。
「お前は違うって言うんだろうな」
風が吹き、長い髪が揺れた。
詩織はそれを払おうともせず、静かに言葉を続ける。
「でも、私は何度も見てきた。だから分かる」
一歩、詩織が距離を詰める。
「本気で戦ってる奴と、力を隠してる奴くらい」
「勘違いだ」
短く返す。
それだけで十分だった。
しかし、その一言が詩織の感情に火をつけた。
「本気で戦ってる奴と、力を隠してる奴の違いくらい」
俺は数秒黙ったあと、静かに首を横へ振る。
「勘違いだ」
その一言だけだった。
それが詩織には、何より気に入らなかった。
「……そうかよ」
乾いた笑みが漏れる。
諦めたような笑い方だった。
けれど、その笑みは一瞬で消え失せる。
「だったら証明しろ」
一歩。
詩織が俺との距離を詰めた。
「私に
その声は不思議なほど落ち着いていた。感情を爆発させるのではなく、すべてを押し殺した先にある静けさ。だからこそ、その言葉には有無を言わせない重みがあった。
「断る」
即答だった。
俺には戦う理由がない。目立つ理由もない。
だから断る。それだけだった。
詩織はしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく息を吐く。
「お前が自分から決闘を申請したくなるまで、私は何度でも追いかける」
静かな宣言だった。
脅しではない。
あれは――決意だった。