ヤンデレと関わりたくない俺は、最強の異能を隠して異能学園を生き抜く 作:2F29くん
詩織はそれ以上何も言わなかった。
ただ一度だけ俺を見つめると、静かに踵を返す。
その背中に迷いはない。
脅しではなく、本気で言っていたのだろう。
執着する人間は嫌というほど見てきた。このような人間は一度決めると簡単には止まらない。放っておけば、きっと毎日来る。
……それなら、一度で終わらせた方が早い。
面倒な相手に目を付けられてしまった。
そう思う一方で、どこか納得している自分もいた。
あれほど感情を露わにしながらも、自分の怒りを力で押し通そうとはしなかった。最後まで決闘という正当な手段にこだわったのは、それがこの学園のルールだからではない。詩織自身が、そういう人間だからだ。
少なくとも、卑怯な真似をする相手ではない。
だからこそ、一度断ったくらいで諦めることもないだろう。
俺は小さく息を吐いた。
「……待て」
詩織の足が止まる。
数秒遅れて、ゆっくりとこちらを振り返った。
その表情には驚きが浮かんでいる。
「一つだけ条件がある」
俺は詩織の目を見て言う。
「これで終わりだ。勝っても負けても、今日限り。二度とこの件で俺に付きまとうな」
詩織は黙ったまま俺を見つめる。
やがて、小さく頷いた。
「……分かった」
その返事に迷いはなかった。
俺は腕に装着された端末を操作し、決闘の申請画面を開く。
表示された相手の名前を選択し、確認ボタンへ指を伸ばした。
直後、端末が短い電子音を鳴らす。
《決闘申請を確認しました》
《橘玲斗 SAP8,700》
《白鷺詩織 SAP10,000》
《双方の承認を確認》
《
端末から短い電子音が鳴ると同時に、訓練場を覆う結界が完成した。
床の一部が静かに開き、二本の木刀がせり上がる。
詩織は迷いなく一本を手に取り、軽く振って感触を確かめる。俺も残った一本を握り、ゆっくりと構えた。
開始の電子音が響いた瞬間、詩織の身体が淡い光に包まれる。身体強化。全身の筋力と反応速度を底上げする、極めてシンプルでありながら強力な異能だ。踏み込んだ足元の地面が砕け、砂埃を巻き上げながら一気に距離を詰めてくる。
速い。
授業とは比べものにならない。
俺も同時に異能を発動する。足元へ落ちた影がゆっくりと波打ち、生き物のように形を変え始めた。影は俺の意思に呼応し、地面を這いながら周囲へ静かに広がっていく。
詩織は一瞬で間合いへ入り、身体強化の勢いを乗せた木刀を振り下ろした。俺は影を壁のように隆起させて受け止める。しかし衝撃は想像以上だった。影越しにも重さが伝わり、影が少し押される。
下を見れば衝撃で地面にもダメージが入っている。
その隙を見逃さず、詩織は身体を捻って二撃目を放つ。さらに返す刀で三撃目。流れるように連続する斬撃は、一撃ごとに威力を増していく。鍛え抜かれた剣術へ身体強化が重なり、真正面から受け続ければ押し切られるのは明らかだった。
俺は影を元へ戻し、最小限の動きで攻撃をかわしていく。木刀が頬を掠め、風圧だけで前髪が揺れた。紙一重。それでも詩織は止まらない。
攻撃を外しても体勢を崩さず、次の一撃へ自然に繋げてくる。その剣筋には無駄がなく、積み重ねてきた努力が見て取れた。
俺は足元の影を細く伸ばす。黒い線が蛇のように地面を這い、詩織の足元へ迫る。しかし詩織はそれを視界の端で捉え、踏み込みを変えて跳び越えた。
「甘い!」
身体強化の勢いを乗せた一閃が迫る。俺は木刀で受け流したものの衝撃を殺し切れず、大きく後退した。制服の裾が土埃を払い、靴底が地面を削る。
やはり正面からでは分が悪い。
身体能力ではもちろん勝てないな。
なら、勝負する場所を変えるしかない。
詩織は追撃のため再び一直線に踏み込んでくる。その瞬間、俺の影が直線上へ大きく広がった。詩織は反射的に左方へ飛ぶ。
拘束を警戒したのだろう。
だが、それは囮だった。
前方にある広げた影とは別に、俺の足元から一本だけ伸びていた細い影が、いつの間にか詩織の影へ触れている。
影と影を繋ぐ。
それが俺の狙いだった。
詩織の身体がわずかに沈む。
拘束ではない。
ほんの一瞬だけ重心を狂わせる。それだけの技だ。だが、身体強化で最高速まで加速した身体にとって、その一瞬の乱れは決定的だった。
「っ!?」
踏み込みが僅かにずれ、木刀の軌道がぶれる。
俺はその隙へ迷わず踏み込んだ。木刀を最短距離で振り抜く。乾いた衝突音が訓練場へ響き、詩織の木刀が高く宙を舞った。
回転しながら飛んだ木刀は地面へ突き刺さり、小さく震えて止まる。
詩織は目を見開いたまま、自分の手元を見つめていた。何をされたのか理解できない。そんな表情だった。
俺は静かに木刀を下ろす。
「終わりだ」
その直後、結界の外から決着を告げる電子音が静かに鳴り響いた。
決着を告げる電子音が、静まり返った訓練場に響き渡る。
二人の端末が同時に震え、画面へ結果が表示された。
《
《勝者 橘玲斗》
《SAP》
《橘玲斗 8,700 → 9,400》
《白鷺詩織 10,000 → 9,700》
数字を書き換えた画面を一瞥すると、俺は小さく息を吐いた。
……少し上がりすぎた。
詩織の身体強化は想像以上だった。まさか影を押し返されるとは。下手に加減を続けていれば負けていた可能性もある。あの場では勝つために、影を工夫して使うしかなかった。
けれど実戦でも十分通用することは分かったが、多用すれば手の内を晒すことになる。次からは使いどころを考えなければならない。
視線を上げると、詩織は落ちた木刀を静かに拾い上げていた。その動作に乱れはない。だが、柄を握る指先にはわずかな力が込められている。
悔しくないはずがない。
一度も油断はしていなかった。身体強化も最初から使い、持てる力を出し切った。それでも最後の一瞬、何が起きたのか理解できないまま敗れたのだ。
「……何をした」
ぽつりと漏れた問いに、俺は首を横へ振る。
「秘密だ」
それだけ答えた。
詩織は何かを言い返そうとして口を開きかける。しかし、すぐに閉じると静かに息を吐いた。問い詰めたところで答えが返ってこないことは分かっているのだろう。
しばらくの沈黙が流れる。
春の風だけが訓練場を吹き抜け、互いの制服を揺らした。
「……負けた」
詩織は自分に言い聞かせるように呟き、ゆっくりと木刀を肩へ担ぐ。そして一歩だけ歩き出したところで足を止め、振り返ることなく言葉を続けた。
「でも、私は諦めない」
その声に、先ほどまでの激情はない。
あるのは、揺るがない決意だけだった。
「必ず、お前も越える」
短く言い残し、詩織はそのまま訓練場を後にする。
俺は遠ざかる背中を見送りながら、端末の画面を閉じた。
SAPは9,400。
想定より高くなったのは予定外だったが、もう結果は変わらない。
なら、これ以上目立たないようにするだけだ。
そう考え、俺も静かに訓練場を後にした。