負けヒロインと終戦四人組ー戦前の高級官僚たちがタイムスリップしてきたらー   作:房吉

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第12話 3敗目 四人組視点 三つに割る

       Intermission 三つに割る

 

 二〇一四 手筒花火、暴発。玉木が素手で処理。右手に熱傷。

 

 二〇一六 小鞠、告白。

 

 二〇一七 玉木、回答保留。

 

 二〇一八 小鞠、離脱。方角、バンガロー。

 

 二〇二三 月之木、玉木を打擲。離脱。

 

 二〇二六 玉木、離脱。方角、不定。

 

 松谷誠は手帳を閉じた。

 

 書いてしまえば落ち着く。落ち着いたところで、これをどうする。

 

——渡す先がない。

 

 いつもならここで止まる。数えて、書いて、それきりだ。それが二か月間の彼のやり方であり、二十年間のやり方でもあった。

 

 彼はポケットからもう一つを取り出した。

 

 昼に一度、教えられた。

 

  「読めばいいだけだけど」

 

  「上にスクロールしろって」

 

 宛先は高木惣吉。

 

  まつたに『松谷です。生徒三名が別行動中』

 

 送信までに二分かかった。

 

 続いて同じ内容を加瀬俊一に送ろうとして、彼は手を止めた。

 

——同じ文を、もう一度打つのか。

 

 打った。今度は三分かかった。同じことを二度書き写すのは、彼にとって何一つ苦にならない。

 

 二十年、控えを取り続けてきた男である。

 

 苦にならないが、遅い。

 

  高木『了解。方角を』

 

  まつたに『月之木、荷物を持って北へ。県道方面』

 

  まつたに『玉木、方角不明』

 

  まつたに『小鞠、バンガロー』

 

 打ち終えるのに七分かかった。

 

 そのとき、画面が勝手に切り替わった。

 

  加瀬俊一があなたをグループに招待しました

 

  グループ名『合宿・連絡』

 

「……なんだ、これは」

 

  加瀬『三人まとめて話した方が早いので作りました』

 

  加瀬『松谷さん、同じ文面を二度打っておられましたね』

 

  加瀬『それ、一回で済みます』

 

  加瀬『ここに書いたものは、全員に同時に届きます』

 

 同時に。

 

 彼は指を止めた。

 

 昨夜、豊橋の街灯の下で考えたことを、いま実物として手の中に持っている。

 

 四つの役所。四つの壁。一つの文を届けるのに丸一日。

 

 返事はさらに二日後。

 

——同じ文が、同じ瞬間に、四人の手元に届く。

 

「……くだらん」

 

 そう呟いてから、その言葉が誰に向いているのか、自分でもよく分からなかった。

 

       *

 

  高木『整理します。問題は三つです』

 

  高木『一、月之木さんが夜道を歩いている。危険です』

 

  高木『二、玉木君が動けずにいる。動かす必要があります』

 

  高木『三、小鞠さん』

 

  まつたに『三が一番重い』

 

  高木『ええ。ですが、三は誰がやっても解決しません』

 

  まつたに『解決させる必要はない』

 

  高木『……と言いますと』

 

  まつたに『あの子は、いま何が起きているか知らない』

 

  まつたに『走って出ていったからだ』

 

  まつたに『二〇一八以降のことを、何一つ知らない』

 

  加瀬『……なるほど』

 

  まつたに『知らないまま一人にしておくのが、一番悪い』

 

  まつたに『三組に割る』

 

  まつたに『高木先生と温水、玉木』

 

  まつたに『加瀬と八奈見、月之木』

 

  まつたに『俺と焼塩、小鞠』

 

  加瀬『私が月之木さんですか』

 

  まつたに『年上の女性を止めるのが上手いのは君だ』

 

  加瀬『……身も蓋もない評価ですね』

 

  まつたに『事実だ』

 

  高木『松谷君。慰めるのは、あなたの得意分野ではないと思いますが』

 

  まつたに『慰めない』

 

  まつたに『番をする』

 

       *

 

 そのとき、また画面が切り替わった。

 

  加瀬俊一が松平康昌をグループに招待しました

 

  まつたに『秘書官長』

 

  松平『先生、でしょう』

 

  まつたに『失礼しました』

 

  まつたに『先生は、それを打っておられるのですか』

 

  松平『打っております』

 

  まつたに『筆ではなく』

 

  松平『筆では届きませんので』

 

 松谷誠は画面を見下ろした。

 

 この人は、答案の点数を毎朝十分かけて磨った墨で書く。その同じ人が、板の上を指で撫でて文字を出している。

 

  松平『加瀬さんから伺いました』

 

  まつたに『三組に割ります』

 

  松平『よろしいと思います』

 

  松平『一つだけ』

 

  まつたに『はい』

 

  松平『餌は、多過ぎるより少な過ぎるほうがよろしい』

 

  まつたに『……は』

 

  松平『魚の話です』

 

  まつたに『魚』

 

  松平『おやすみなさい』

 

 彼はしばらく画面を見ていた。

 

——魚。

 

 意味が分からなかった。

 

 分からないので、手帳に書いた。

 

  餌は、多過ぎるより少な過ぎるほうがよい。(松平先生・魚)

 

 書いてから、破らずに閉じた。

 

       Intermission 動かし方

 

 玉木慎太郎は、炊事場の裏の暗がりに座っていた。

 

 高木惣吉は五メートルほど手前で足を止めて、そこから動かなかった。

 

 隣で温水和彦が小声で言った。

 

「先生。声、かけないんですか」

 

「かけません」

 

「え」

 

「あの状態の人間に近づくと、逃げます」

 

「……はあ」

 

「温水君。あなたが行きなさい」

 

「俺がですか」

 

「私は教員です。教員が来たと分かった瞬間に、あの人は姿勢を正します」

 

「正すと、どうなるんですか」

 

「姿勢を正した人間は、本当のことを言いません」

 

 温水はしばらく黙って、それから息を吐いた。

 

「……行きます」

 

「一つだけ」

 

「はい」

 

「助言はしないでください」

 

「じゃあ何を言えばいいんですか」

 

「何時かを言えばよろしい」

 

「時間ですか」

 

「二十二時を過ぎました、とだけ。それで足ります」

 

 温水は納得のいかない顔で歩いていった。

 

 高木は動かなかった。

 

       *

 

 四分ほどして、玉木慎太郎が立ち上がった。

 

 宿の方ではない。県道の方角へ、走っていく。

 

 温水が戻ってきた。

 

「……時間言ったら、立ち上がりました」

 

「そうでしょう」

 

「なんでですか」

 

「決められない人間に必要なのは、助言ではありません」

 

 高木は懐中電灯を点けた。

 

「締切です」

 

「それだけで動くもんですか」

 

「動きます」

 

「……ずるくないですか、それ」

 

 高木はしばらく黙っていた。

 

「ずるいです」

 

「認めるんですか」

 

「認めます。ですが、締切を作らずに待っていると、たいてい間に合いません」

 

 先生はそう言って、道の先へ光を向けた。

 

「私は、それで一度、間に合いませんでした」

 

 温水が何か聞こうとして、やめた。

 

 賢明である、と高木は思った。

 

       Intermission 止め方

 

 加瀬俊一は、バス停の灯りの下で追いつくと、まず荷物に手を伸ばした。

 

「お持ちします」

 

「はっ? ちょっと、加瀬君?」

 

「最終バスは、十九時二十分に出ております」

 

「……知ってるわよ」

 

「駅までは徒歩で二時間半ほどかと。この先、街灯がありません」

 

「歩くって言ってんの。荷物返して」

 

「返します。ですので、まず座ってください」

 

 そう言いながら、彼はすでにベンチに荷物を置いていた。

 

 置かれたものを取り返すには、一度そこへ行かなければならない。行けば、ベンチが目の前にある。

 

 月之木古都は舌打ちをして、座った。

 

「……あんた、性格悪いでしょ」

 

「よく言われます」

 

「先輩!」

 

 遅れて追いついた八奈見が、膝に手をついて息を切らしている。

 

 加瀬は自動販売機で買った紅茶を二本、差し出した。

 

「夜は冷えますので」

 

「……なんで二本あるの」

 

「一本は八奈見さんの分です」

 

 そして彼は、三歩下がった。

 

 そのまま黙った。

 

       *

 

 八奈見杏菜が隣に座って、月之木古都はしばらく何も言わなかった。

 

 言わないまま、ペットボトルの蓋を三回開け閉めした。

 

「……ごめんね。せっかくの合宿だったのに」

 

「いいですよ、そんなの」

 

「私、最低よね。後輩が告白した直後に、あんな」

 

「先輩」

 

 八奈見は前を向いたまま言った。

 

「私、こないだ振られたんです」

 

 月之木先輩が顔を上げた。

 

「……知ってる」

 

「あの日、私、笑ってたんですよ。その場で。ちゃんと笑って、おめでとうって言って」

 

 八奈見は紅茶を一口飲んだ。

 

「そのあと三日くらい、何も覚えてないですけど」

 

 沈黙。

 

「……八奈見さん」

 

「はい」

 

「私、そんなに偉くない」

 

「知ってます」

 

「即答ね」

 

「はい」

 

 月之木先輩が、少しだけ笑った。

 

       *

 

「……去年のクリスマスにね」

 

 しばらくして、先輩がぽつりと言った。

 

「あいつと二人で駅前歩いてて。ツリーの前でなんか言われたんだけど」

 

「なんて言われたんですか」

 

「さんざん私の悪口を並べたあげく。売れ残ったら俺がもらってやるから安心しろ、って」

 

 八奈見の動きが止まった。

 

 ペットボトルを口に運ぶ途中で、完全に止まった。

 

 そして、口を開こうとした。

 

 その瞬間、三歩後ろで加瀬が小さく咳をした。

 

 八奈見が振り返る。

 

 加瀬は何も言わなかった。ただ、ゆっくりと首を横に振った。

 

 八奈見はしばらく加瀬を見て、それから先輩に向き直り、口を閉じた。

 

「……八奈見さん? どうしたの」

 

「いえ」

 

「なんか言いかけてなかった?」

 

「言いかけました」

 

「なんで言わないの」

 

 八奈見は少し悔しそうな顔をして、それから笑った。

 

「私が言うと、ズルになるので」

 

「なにそれ」

 

「……なんでしょうね」

 

 そのとき、砂利を蹴る音が近づいてきた。

 

       Intermission 番

 

 バンガローの前の階段に、松谷誠は座っていた。

 

 中には入っていない。

 

 入っても、できることが一つもないからである。

 

 扉の向こうからは、時々すすり泣きの音が漏れてくる。そのたびに焼塩檸檬の声が小さく何かを言っていて、言葉までは聞き取れない。

 

 慰めるという行為を、彼は知らない。

 

 二十年、彼が人に対してやってきたのは、伝えることと、隠すことの二つだけである。どちらも慰めではない。

 

 だから彼は外に座って、時刻を数えていた。

 

  加瀬『収束しました』

 

  加瀬『玉木先輩がご自分で話されました』

 

  高木『我々は何もしていません』

 

  まつたに『それでいい』

 

 二二時二十一分。

 

 砂利を踏む音がして、松谷は顔を上げた。

 

 玉木慎太郎が歩いてくる。

 

 右手にハンカチはない。走ってきたのに、扉の前で足を止めて、しばらく動かなかった。

 

 松谷は立ち上がった。

 

「玉木先輩」

 

「……ああ。松谷君、だっけ」

 

「はい」

 

「小鞠ちゃん、いるか」

 

「います」

 

「……そうか」

 

 玉木は扉を見たまま動かない。

 

「先輩」

 

「ん」

 

「決めてこられましたか」

 

「……ああ」

 

「では、行ってください」

 

「なあ」

 

「はい」

 

「これ、正しいのかな」

 

「分かりません」

 

「正直だな」

 

「正しいかどうかは、あとで決まります。いま決まるのは、遅いか早いかだけです」

 

 玉木はしばらく黙って、それから短く笑った。

 

「お前、何歳だっけ」

 

「十五です」

 

「そうか」

 

 それだけ確認して、松谷は扉を二度叩いた。

 

 顔を出した焼塩の腕を、彼は無言で引いた。

 

「え、ちょっと」

 

「出るぞ」

 

「なんで——」

 

 そこで焼塩も、玉木の姿を見た。

 

「……あ」

 

 焼塩は素直に外へ出た。

 

 扉が閉まる。

 

       *

 

 松谷と焼塩は、灯りの届かないところまで下がった。

 

「……これ、あれだよね」

 

「そうだ」

 

「返事、だよね」

 

「そうだ」

 

「早いね」

 

「早い」

 

「昨日の今日だよ」

 

「昨日でも早くはない。二年経ってから返事をした人間を、俺は知っている」

 

「に、二年!?」

 

「……たとえだ」

 

 焼塩は膝を抱えて座りこんだ。

 

「あたし、ここにいていい?」

 

「いていい」

 

「松谷君は?」

 

「番をする」

 

「バン?」

 

「……見ているだけだ」

 

「見てて、どうすんの」

 

「どうもしない」

 

「意味なくない?」

 

「ある」

 

「なに」

 

「何が起きたかを、あとで言える」

 

 焼塩がこちらを見上げた。

 

「誰に」

 

「……本人にだ」

 

「本人、知ってるじゃん」

 

「知らない。中にいた者は、外で何が起きたかを知らない」

 

 焼塩はしばらく考えて、それから膝に顎を乗せた。

 

「……あー」

 

「なんだ」

 

「あたし、昨日それだったかも」

 

「どういう意味だ」

 

「部室で、あたし、中にいたから。外で何が起きてたか知らないんだよね」

 

 松谷は答えなかった。

 

 しばらく、二人は黙っていた。

 

 扉の向こうから声は漏れてこない。何を言っているのかも、どちらが話しているのかも分からない。

 

 七分ほどして、扉が開いた。

 

 玉木慎太郎が出てくる。

 

 こちらには気づかず、下を向いたまま宿の方へ歩いていった。

 

 その姿が消えてから、焼塩が小さく息を吐いた。

 

「……早かったね」

 

「七分だ」

 

「七分か」

 

「短い方がいい。長い方が優しいわけではない」

 

 焼塩が松谷の顔を見上げた。

 

「そういうもん?」

 

「……そういうものだ」

 

       *

 

 しばらくして、扉が開いた。

 

 小鞠知花が出てきた。

 

 手には花火の小袋を持っている。泣いた顔をしていたが、泣いてはいなかった。

 

「小鞠ちゃん!」

 

 焼塩が駆け寄る。

 

「……や、焼塩」

 

「大丈夫?」

 

「だ、大丈夫」

 

 小鞠は袋を掲げてみせた。

 

「せ、線香花火。まだ残ってた」

 

「やろやろ!」

 

「……や、焼塩」

 

「なに」

 

「……あ、ありがと」

 

「なにが」

 

「い、いてくれて」

 

 焼塩は一瞬きょとんとして、それから袋を奪い取った。

 

「行くよ!」

 

「ひ、引っぱるな」

 

       *

 

 松谷誠は、二人が水場の方へ歩いていくのを見送った。

 

 追わなかった。

 

 しばらくして焼塩が一人で戻ってくるのが見えた。

 

「あれ、松谷君まだいたの」

 

「小鞠は」

 

「まだやってる。あたし、一本で飽きちゃって」

 

 焼塩はへらりと笑った。

 

「線香花火って、爆発しないじゃん」

 

「……そうだな」

 

「あたし、爆発するやつのほうが好き」

 

「知っている」

 

「なんで知ってんの」

 

「今日、二本まとめて火をつけていた」

 

「見てたんだ」

 

「見ていた」

 

「……松谷君さ」

 

「なんだ」

 

「ずっと見てるよね、みんなのこと」

 

 松谷は答えなかった。

 

「べつに、嫌じゃないけど」

 

 焼塩はそう言って、大きく伸びをした。

 

「じゃあおやすみ!」

 

 走っていく背中を見送って、松谷は水場の方に目をやった。

 

 小さな影が一つ、しゃがんでいる。手元に橙色の点が揺れている。

 

——行くべきか。

 

 考えて、彼は一歩前に出た。

 

 出たところで、宿の方から別の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

 温水和彦である。

 

 松谷は足を戻した。

 

 そして、灯りの届かない木の陰に身体を入れた。

 

 温水は彼に気づかず、通り過ぎていった。

 

       *

 

 隠れる必要はなかった。声をかけてもよかった。

 

 だが松谷誠は、二十年、誰と誰を会わせるかだけを考えて生きてきた男である。

 

 その男の目には、いま水場に必要な人間が誰なのかが、はっきり見えていた。

 

 自分ではない。

 

 彼は木の陰に立ったまま、手帳を開かなかった。

 

 

 

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