負けヒロインと終戦四人組ー戦前の高級官僚たちがタイムスリップしてきたらー 作:房吉
~4敗目~ 負けヒロインを覗く時、負けヒロインもまたあなたを覗いているのだ(非常階段・小鞠知花の側)
二次創作/視点:小鞠知花
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一
【小鞠知花】
朝、部室の鍵を開けに行く途中で、八奈見に捕まった。
「小鞠ちゃん、聞いて!」
「な、なんだ」
「私、世界一ばかばかしい書類を手に入れたの」
……なんだそれは。
「な、なんの話だ」
「教えなーい」
「じゃ、じゃあ、言うな」
「言いたかったの」
「ど、どっちだ」
「言いたいけど教えたくないの」
「い、意味が分からん」
「そういうのあるでしょ」
ある。私にもある。
だから余計に腹が立つ。
「み、見せろ」
「やだ」
「い、一秒でいい」
「一秒でも読めるでしょ。小鞠ちゃん速いんだから」
ばれている。
「そ、そんなに嬉しいのか」
「うん。世界一だからね」
「あ、あと」
「なに?」
「ぶ、部誌の当番。代わったやつ」
「あー、ごめんごめん。今日は自分で行くから」
「そ、そうか」
「小鞠ちゃん、なんかあった?」
「な、ない」
「ふーん」
八奈見は鼻歌まで出していた。
――妙だな。
昨日の放課後、あの二人が部室で何をやっていたか、私は知っている。廊下から丸聞こえだった。
温水が何か言って、八奈見が出ていった。
それだけで、二週間は終わったのである。
――なのに、なんで上機嫌なんだ。
「じゃあね、小鞠ちゃん!」
「お、おい」
たったったっ、と八奈見は行ってしまった。
分からないまま、私は鍵を開けた。
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二
【小鞠知花】
昼休み。
袋入りのパンを紙袋に入れて、旧校舎の非常階段へ向かった。
行き先は決めている。三階の踊り場だ。
理由は三つある。
一、温水があそこで食べろと言った。
二、教室で一人で食べるのは、二年生になっても慣れない。
三、あいつが昨日、振られたからである。
三番目が本体で、一と二は装飾である。
――ざまあみろ。
そう思っていたことは、まあ、認める。
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階段を上がる途中で、松谷とすれ違った。
「あ」
「……小鞠か」
「な、なんで、ここに」
「通りかかった」
「う、嘘だ」
「なぜだ」
「こ、ここ、行き止まりだ。通りかかれない」
「……そうだな」
認めた。
「う、上に、誰かいるか」
「いる」
「だ、誰だ」
「言わない」
「な、なんでだ」
「上がれば分かる」
「い、意地悪だな」
「そうか」
意地悪と言われても、この男は表情を変えない。意味が分かっていないのだと思う。
「ま、松谷は、上がらないのか」
「上がった」
「え」
「上がって、降りてきた」
「な、なんでだ」
松谷はしばらく黙っていた。
「……二人だと、逃げ場がない」
「な、なんの話だ」
「三人なら逃げられる。誰かが黙っても、他の二人が喋る」
「じゃ、じゃあ、上がればいいだろ」
「俺が三人目だと、二人が話さない」
「わ、私だと違うのか」
「違う」
「な、なんでだ」
「上がれば分かる」
「さ、さっきもそれ言ったぞ」
「二回言った」
「に、二回言うな」
「三回目はない」
「な、なんでだ」
「二回で足りる」
そう言って、この男は階段を降りていった。
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途中で、下から声がした。
「松谷君」
「……高木先生」
「昼食は」
「済ませました」
「何を」
「……パンを」
「何個です」
「一個です」
「足りません」
「足ります」
「足りません」
同じ言葉が二回来た。
手すりから覗きこんだ。長袖の先生が階段の下に立っている。旧校舎の図書室にいる人だ。
「高木先生」
「小鞠さん」
上を向きもせずに、名前を当てられた。
「ひ、人が見えるんですか」
「足音です。小鞠さんは、右足が先に鳴ります」
……知らなかった。
「昼食は」
「た、食べます。いまから」
「そうですか」
「せ、先生は」
「済ませました」
「な、何を」
先生はしばらく黙っていた。
「……一個です」
「な、なんの」
「答えません」
「な、なんで答えないんですか」
「答えると、心配されますので」
「し、心配されるの、嫌なんですか」
「慣れておりません」
「せ、先生。松谷と、知り合いなんですか」
「図書室の利用者です」
「そ、それだけですか」
「それだけです」
松谷が下で、小さく息を吐いた気配がした。
「先生。足りませんね」
「足ります」
「……に、二人とも、同じこと言うんですね」
「そうですか」
「そ、そっくりです」
「……そうですか」
上には誰かいる。この男は上がらずに降りてきた。
――なんでだ。
考えて、やめた。この男を推理しても、たいてい当たらない。
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三階の踊り場に、温水がいた。
グラウンドを見ながらカレーパンをかじっている。
背中が丸い。
――うわ。
その丸さは知っている。先週、私がやった。
丸めているのではない。丸くなってしまうのだ。
人に指摘されて初めて気づく。
……誰も指摘してくれないんだけど。
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「こ、ここにいたのか」
「うわ」
「う、うわとはなんだ」
「いや、誰か来ると思わなくて」
「わ、悪かったな」
「悪くはないけど」
ぴん、と温水が背筋を伸ばした。
――あ。
期待した顔だ。明らかに、別の誰かが来たと思った顔である。
そして私を見て、三段階くらい落ちた。
……失礼な男だ。
「小鞠、どうしたんだよ」
「お、お前だろ。ここで食べろって言ったの」
「言ったっけ」
「い、言った」
「いつ」
「せ、先月だ」
「よく覚えてるな」
「お、覚えてる」
過去のこいつが余計なことを言ったのである。
私は言われたことを一か月覚えている女だ。
「そ、それに。温水が、ふ、振られたって聞いて」
私は堪えきれず、ニマリとした。
「な、なんか、ざ、ざまあみろって思ったから。我慢できずに、来た」
「……お前さ」
「な、なんだ」
「オブラート、ダースで送ってやろうか」
「い、いらん」
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「なんでお前、知ってんだよ」
「ぶ、部室であんなのやってたら、当たり前だ」
「つーかそもそも俺と八奈見さんそんなんじゃないって」
――出た。
私は手を止めた。
「往生際、悪い奴、だな」
「往生際って」
「し、四文字で言うと、そうなる」
「四文字で言うなよ」
「じゃ、じゃあ、なんて言う」
「……そんなんじゃない」
「ほ、ほら」
少し優越感があった。
私も先週まで、部長のことはなんとも思っていないと言い続けていた。
結果が、あれである。
――先に行ってるからな。
この男より一週間ぶんの先輩だ。
……何の先輩なんだ、これは。
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三
【小鞠知花】
私は紙袋からバターロールを出して、モサモサと食べ始めた。
「お前、それいくらすんの」
「ろ、六個で九十八円」
「安っ」
「ぜ、税込み百五円。一個十七円五十銭」
「銭まで出すな」
「わ、割り切れないんだ」
「昼飯の予算いくらだよ」
「ひ、百五十円」
「飲み物は」
「か、買わない。予算が壊れる」
「……壊れるのか」
「こ、壊れる」
「飲まなくて平気なのかよ」
「ご、五限のあとに水道で飲む」
「我慢してんのかよ」
「が、我慢ではない。計画だ」
「お、お前は毎日カレーパンか」
「日替わり」
「ぜ、贅沢だな」
「贅沢……?」
「ま、毎日違うのは贅沢だ」
「そういうもんか」
小遣いはほぼ本に消える。だから昼の上限は動かせない。二年やっている。
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「そ、そもそも温水だけ幸せになろうとか。な、生意気」
「ああ、お前ってこないだ振られたもんな」
「う、うるさい!」
「事実だろ」
「じ、事実は今いらない」
「なんだそれ」
「だ、誰かが言ってた」
八奈見である。先週、あの女が松谷に言うのを聞いて、使えると思って覚えた。
――言うな。
言いたいが、先に言い出したのは私だ。自業自得である。
かさり、と温水がカレーパンを袋に戻した。
食欲がなくなった顔だ。
――ああ、その段階か。
私は先週それを二日やった。二日目の夜に母に心配され、無理に食べて戻した。
――教えてやろうか。
食欲がなくても、なんか口に入れておいた方がいい。
入れないと、夜に効く。
夜に効くと、次の日がもっとひどい。
思っただけで、言わなかった。
私の口は三割しか出力しない。その三割は、たいてい悪口に使われる。
親切のぶんは、いつも残りの七割に入っている。
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「お前、昼飯それだけか?」
「そ、そうだが」
「毎日?」
「ま、毎日だ」
「六個入りのやつ?」
「よ、四個だ。今日は」
「減らしたのか」
「へ、減った」
「食ったんだろ」
「あ、朝、二個食べた」
「昼と朝で分けてんのかよ」
「わ、悪いか」
「悪くはないけど」
こいつは「悪くはないけど」ばかり言う。
二個目は眉をしかめて食べた。味の問題ではない。喉に詰まるのだ。
飲み物なしで二個が限界である。三個目は工事だ。
「これやるから。飲まないと喉詰まるぞ」
「い、いらない」
「詰まってるだろ」
「つ、詰まってない」
「さっきから眉間に皺寄ってる」
「よ、寄ってない」
寄っていた。
差し出されたのは、牛乳のパックだった。
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「い、いいのか。温水は?」
「俺、水筒持って来てるから。お茶飲むよ」
「じ、じゃあ、なんで買った」
温水の手が止まった。
「……なんとなく」
「な、なんとなくで買うのか」
「買うだろ、たまに」
買わない。百五円の予算で牛乳は買えない。
だが指摘はしなかった。すると、こいつは気を遣う。
気を遣われるのが、いちばん嫌だ。
パックを受け取って、表示を見た。
成分無調整
――え。
「せ、成分、無調整……」
「そんな珍しいか?」
「……め、珍しい」
「そっか」
うちの冷蔵庫は、たいてい加工乳か乳飲料だ。安いからである。
成分無調整を最後にいつ飲んだか思い出せない。
ストローを刺す手が、たぶん、ちょっと震えた。
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四
【小鞠知花】
ごくり。
――うま。
味が濃い。というより、味がある。
いつものやつは、たぶん水に近い何かだ。
二口目、三口目。
飲みながら、視線を感じた。
「な、なんだ」
「いや」
「な、なんだよ」
「……餌付けしてる気分になっただけ」
「の、野良猫じゃないぞ!」
「言ってないだろ」
「か、顔に出てた」
「出てないって」
「で、出てた。ぜんぶ出てた」
出ていた。この男の顔は分かりやすい。
そして、たぶん当たっている。
袋のパンを眉をしかめて食べ、もらった牛乳に目を輝かせている女。
……野良じゃん。
自分で気づいて、自分で腹が立った。
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私は先手を打つことにした。
「か、返せと言っても、もう遅いからな」
「返せなんて言ってないだろ」
「い、言う前に、封じた」
「封じたって」
「て、手続きだ」
「誰の影響だよ、それ」
「し、知らん」
「絶対あいつだろ」
「し、知らんと言っている」
我ながら完璧だと思った。
これは牛乳の話だ。もう三口飲んだ。返せない。物理的に不可能である。
非は私にない。
――ということにしておく。
温水は何か言おうとして、やめた。
そして、なぜか困った顔をした。
……なんで困るんだ。
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ざあ、と風が吹いた。乾いた砂が舞う。
「あ、あの女、また走ってるぞ」
「あいつ、なにやってんだ……」
遠くで焼塩が体育教師に連行されていた。昼練は禁止のはずである。
――あの女は。
昨日、五限の前に、あの女は温水に何か言っていた。教室で、しゃがんで、下から。
廊下から見ていた。内容は聞こえない。
だが、あの女がああいう顔をするときは、だいたい本気である。
――先に行ってる、か。
あの女も、私も、八奈見も、この男より先に行っている。
三人とも、行き先を知らない。
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五
【小鞠知花】
飲み終える頃には、温水も少しましな顔になっていた。
食欲がないと言いながら、結局カレーパンを袋から出して食べている。
「お、温水」
「ん」
「さっき、食えない顔してたぞ」
「してないだろ」
「し、してた。でも食ってる」
「……まあ、人がいると食えるんだよな」
「わ、私も――」
「ん?」
「な、なんでもない」
「なんだよ」
「い、言わない」
――だから、来たんだった。
そこで、ようやく自分の目的を思い出した。
ざまあみろと言いに来たのではない。いや、それも本当だが、表向きだ。
一人で食べるのが、きついのである。先週から、ずっと。
部室に行けば人はいる。だが部室には部長がいる。
ここには私と同じくらい駄目な人間がいる。だから来た。
――最低の動機だな。
動機が最低でも、パンは喉を通った。
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空のパックを持ったまま、少し迷った。
「そ、それ」
「ん?」
「ご、ごみ箱、どこだ」
「一階の昇降口」
「……そ、そうか」
「持って帰るのか」
「か、帰らない」
「持ってるけど」
「も、持ってない」
持っていた。
温水がのそりと立ち上がった。
「俺、そろそろ行くわ」
「……お、おう」
「明日も来るのか」
「……こ、来ない」
「そっか」
「よ、予定次第だ」
「予定あるのか」
「……な、ない」
「じゃあ来いよ」
――なんだそれ。
私は返事をしなかった。
返事をしなかったが、たぶん、明日も来る。
空のパックは紙袋に入れた。捨てなかった。
理由はない。強いて言えば、まだ何か入っている気がしたからである。
入っていない。空である。
……分かっている。
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階段を降りながら、一つ考えた。
昨日、松谷の手帳を見た。あの男は全部を時刻で書く。
そこに書かれた私は一行だけだった。
二〇一六 小鞠、玉木に告白。
三か月半が、一行である。
では今日は、どうなるのか。
一二四〇 小鞠、非常階段。牛乳を受領。
たぶん、そんなところである。
――それでいい。
今日の一行は、牛乳である。
昨日より、たぶん、ましだ。
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昇降口の手前で、足が止まった。
旧校舎の角に、温水がいた。
一人ではない。
背の高い男が横に立っている。日に焼けて、肩幅があって、制服の着方が上手い。
「温水、ここにいた。探したんだぜ」
「え、あ、はい」
「え、俺なんかしました?」
「悪い、ちょっと人前じゃなんだし。こっち来てくれるか」
二人は旧校舎の裏へ消えた。
その場から動けなかった。
あの顔は知っている。四月に八奈見が三日に一回は名前を出していた男だ。
――は、袴田。
どくん、と心臓が鳴った。
振られた男。振った側の男。人気のない旧校舎裏。
「……こ、これは」
指が勝手に鞄の中を探っていた。
「た、滾る」
震える指で、私は八奈見に送った。
温水がイケメンの不良に絡まれてる
旧校舎裏
シチュに滾る
送信して三秒後に気づいた。
……いや、待て。
これ、まずいのでは。
既読がついた。返事は来ない。
代わりに、遠くからたったったっと足音が近づいてきた。
「小鞠ちゃん、どこ!?」
……もう来た。
早い。
私はその日、自分の三割の出力が、生涯でいちばん余計な仕事をしたことを知った。
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