負けヒロインと終戦四人組ー戦前の高級官僚たちがタイムスリップしてきたらー   作:房吉

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第21話 1巻4敗目 小鞠視点 非常階段

 

 

~4敗目~ 負けヒロインを覗く時、負けヒロインもまたあなたを覗いているのだ(非常階段・小鞠知花の側)

 

二次創作/視点:小鞠知花

 

---

 

 

【小鞠知花】

 

朝、部室の鍵を開けに行く途中で、八奈見に捕まった。

 

「小鞠ちゃん、聞いて!」

 

「な、なんだ」

 

「私、世界一ばかばかしい書類を手に入れたの」

 

……なんだそれは。

 

「な、なんの話だ」

 

「教えなーい」

 

「じゃ、じゃあ、言うな」

 

「言いたかったの」

 

「ど、どっちだ」

 

「言いたいけど教えたくないの」

 

「い、意味が分からん」

 

「そういうのあるでしょ」

 

ある。私にもある。

 

だから余計に腹が立つ。

 

「み、見せろ」

 

「やだ」

 

「い、一秒でいい」

 

「一秒でも読めるでしょ。小鞠ちゃん速いんだから」

 

ばれている。

 

「そ、そんなに嬉しいのか」

 

「うん。世界一だからね」

 

「あ、あと」

 

「なに?」

 

「ぶ、部誌の当番。代わったやつ」

 

「あー、ごめんごめん。今日は自分で行くから」

 

「そ、そうか」

 

「小鞠ちゃん、なんかあった?」

 

「な、ない」

 

「ふーん」

 

八奈見は鼻歌まで出していた。

 

――妙だな。

 

昨日の放課後、あの二人が部室で何をやっていたか、私は知っている。廊下から丸聞こえだった。

 

温水が何か言って、八奈見が出ていった。

 

それだけで、二週間は終わったのである。

 

――なのに、なんで上機嫌なんだ。

 

「じゃあね、小鞠ちゃん!」

 

「お、おい」

 

たったったっ、と八奈見は行ってしまった。

 

分からないまま、私は鍵を開けた。

 

---

 

 

【小鞠知花】

 

昼休み。

 

袋入りのパンを紙袋に入れて、旧校舎の非常階段へ向かった。

 

行き先は決めている。三階の踊り場だ。

 

理由は三つある。

 

一、温水があそこで食べろと言った。

 

二、教室で一人で食べるのは、二年生になっても慣れない。

 

三、あいつが昨日、振られたからである。

 

三番目が本体で、一と二は装飾である。

 

――ざまあみろ。

 

そう思っていたことは、まあ、認める。

 

---

 

階段を上がる途中で、松谷とすれ違った。

 

「あ」

 

「……小鞠か」

 

「な、なんで、ここに」

 

「通りかかった」

 

「う、嘘だ」

 

「なぜだ」

 

「こ、ここ、行き止まりだ。通りかかれない」

 

「……そうだな」

 

認めた。

 

「う、上に、誰かいるか」

 

「いる」

 

「だ、誰だ」

 

「言わない」

 

「な、なんでだ」

 

「上がれば分かる」

 

「い、意地悪だな」

 

「そうか」

 

意地悪と言われても、この男は表情を変えない。意味が分かっていないのだと思う。

 

「ま、松谷は、上がらないのか」

 

「上がった」

 

「え」

 

「上がって、降りてきた」

 

「な、なんでだ」

 

松谷はしばらく黙っていた。

 

「……二人だと、逃げ場がない」

 

「な、なんの話だ」

 

「三人なら逃げられる。誰かが黙っても、他の二人が喋る」

 

「じゃ、じゃあ、上がればいいだろ」

 

「俺が三人目だと、二人が話さない」

 

「わ、私だと違うのか」

 

「違う」

 

「な、なんでだ」

 

「上がれば分かる」

 

「さ、さっきもそれ言ったぞ」

 

「二回言った」

 

「に、二回言うな」

 

「三回目はない」

 

「な、なんでだ」

 

「二回で足りる」

 

そう言って、この男は階段を降りていった。

 

---

 

途中で、下から声がした。

 

「松谷君」

 

「……高木先生」

 

「昼食は」

 

「済ませました」

 

「何を」

 

「……パンを」

 

「何個です」

 

「一個です」

 

「足りません」

 

「足ります」

 

「足りません」

 

同じ言葉が二回来た。

 

手すりから覗きこんだ。長袖の先生が階段の下に立っている。旧校舎の図書室にいる人だ。

 

「高木先生」

 

「小鞠さん」

 

上を向きもせずに、名前を当てられた。

 

「ひ、人が見えるんですか」

 

「足音です。小鞠さんは、右足が先に鳴ります」

 

……知らなかった。

 

「昼食は」

 

「た、食べます。いまから」

 

「そうですか」

 

「せ、先生は」

 

「済ませました」

 

「な、何を」

 

先生はしばらく黙っていた。

 

「……一個です」

 

「な、なんの」

 

「答えません」

 

「な、なんで答えないんですか」

 

「答えると、心配されますので」

 

「し、心配されるの、嫌なんですか」

 

「慣れておりません」

 

「せ、先生。松谷と、知り合いなんですか」

 

「図書室の利用者です」

 

「そ、それだけですか」

 

「それだけです」

 

松谷が下で、小さく息を吐いた気配がした。

 

「先生。足りませんね」

 

「足ります」

 

「……に、二人とも、同じこと言うんですね」

 

「そうですか」

 

「そ、そっくりです」

 

「……そうですか」

 

上には誰かいる。この男は上がらずに降りてきた。

 

――なんでだ。

 

考えて、やめた。この男を推理しても、たいてい当たらない。

 

---

 

三階の踊り場に、温水がいた。

 

グラウンドを見ながらカレーパンをかじっている。

 

背中が丸い。

 

――うわ。

 

その丸さは知っている。先週、私がやった。

 

丸めているのではない。丸くなってしまうのだ。

 

人に指摘されて初めて気づく。

 

……誰も指摘してくれないんだけど。

 

---

 

「こ、ここにいたのか」

 

「うわ」

 

「う、うわとはなんだ」

 

「いや、誰か来ると思わなくて」

 

「わ、悪かったな」

 

「悪くはないけど」

 

ぴん、と温水が背筋を伸ばした。

 

――あ。

 

期待した顔だ。明らかに、別の誰かが来たと思った顔である。

 

そして私を見て、三段階くらい落ちた。

 

……失礼な男だ。

 

「小鞠、どうしたんだよ」

 

「お、お前だろ。ここで食べろって言ったの」

 

「言ったっけ」

 

「い、言った」

 

「いつ」

 

「せ、先月だ」

 

「よく覚えてるな」

 

「お、覚えてる」

 

過去のこいつが余計なことを言ったのである。

 

私は言われたことを一か月覚えている女だ。

 

「そ、それに。温水が、ふ、振られたって聞いて」

 

私は堪えきれず、ニマリとした。

 

「な、なんか、ざ、ざまあみろって思ったから。我慢できずに、来た」

 

「……お前さ」

 

「な、なんだ」

 

「オブラート、ダースで送ってやろうか」

 

「い、いらん」

 

---

 

「なんでお前、知ってんだよ」

 

「ぶ、部室であんなのやってたら、当たり前だ」

 

「つーかそもそも俺と八奈見さんそんなんじゃないって」

 

――出た。

 

私は手を止めた。

 

「往生際、悪い奴、だな」

 

「往生際って」

 

「し、四文字で言うと、そうなる」

 

「四文字で言うなよ」

 

「じゃ、じゃあ、なんて言う」

 

「……そんなんじゃない」

 

「ほ、ほら」

 

少し優越感があった。

 

私も先週まで、部長のことはなんとも思っていないと言い続けていた。

 

結果が、あれである。

 

――先に行ってるからな。

 

この男より一週間ぶんの先輩だ。

 

……何の先輩なんだ、これは。

 

---

 

 

【小鞠知花】

 

私は紙袋からバターロールを出して、モサモサと食べ始めた。

 

「お前、それいくらすんの」

 

「ろ、六個で九十八円」

 

「安っ」

 

「ぜ、税込み百五円。一個十七円五十銭」

 

「銭まで出すな」

 

「わ、割り切れないんだ」

 

「昼飯の予算いくらだよ」

 

「ひ、百五十円」

 

「飲み物は」

 

「か、買わない。予算が壊れる」

 

「……壊れるのか」

 

「こ、壊れる」

 

「飲まなくて平気なのかよ」

 

「ご、五限のあとに水道で飲む」

 

「我慢してんのかよ」

 

「が、我慢ではない。計画だ」

 

「お、お前は毎日カレーパンか」

 

「日替わり」

 

「ぜ、贅沢だな」

 

「贅沢……?」

 

「ま、毎日違うのは贅沢だ」

 

「そういうもんか」

 

小遣いはほぼ本に消える。だから昼の上限は動かせない。二年やっている。

 

---

 

「そ、そもそも温水だけ幸せになろうとか。な、生意気」

 

「ああ、お前ってこないだ振られたもんな」

 

「う、うるさい!」

 

「事実だろ」

 

「じ、事実は今いらない」

 

「なんだそれ」

 

「だ、誰かが言ってた」

 

八奈見である。先週、あの女が松谷に言うのを聞いて、使えると思って覚えた。

 

――言うな。

 

言いたいが、先に言い出したのは私だ。自業自得である。

 

かさり、と温水がカレーパンを袋に戻した。

 

食欲がなくなった顔だ。

 

――ああ、その段階か。

 

私は先週それを二日やった。二日目の夜に母に心配され、無理に食べて戻した。

 

――教えてやろうか。

 

  食欲がなくても、なんか口に入れておいた方がいい。

  入れないと、夜に効く。

  夜に効くと、次の日がもっとひどい。

 

思っただけで、言わなかった。

 

私の口は三割しか出力しない。その三割は、たいてい悪口に使われる。

 

親切のぶんは、いつも残りの七割に入っている。

 

---

 

「お前、昼飯それだけか?」

 

「そ、そうだが」

 

「毎日?」

 

「ま、毎日だ」

 

「六個入りのやつ?」

 

「よ、四個だ。今日は」

 

「減らしたのか」

 

「へ、減った」

 

「食ったんだろ」

 

「あ、朝、二個食べた」

 

「昼と朝で分けてんのかよ」

 

「わ、悪いか」

 

「悪くはないけど」

 

こいつは「悪くはないけど」ばかり言う。

 

二個目は眉をしかめて食べた。味の問題ではない。喉に詰まるのだ。

 

飲み物なしで二個が限界である。三個目は工事だ。

 

「これやるから。飲まないと喉詰まるぞ」

 

「い、いらない」

 

「詰まってるだろ」

 

「つ、詰まってない」

 

「さっきから眉間に皺寄ってる」

 

「よ、寄ってない」

 

寄っていた。

 

差し出されたのは、牛乳のパックだった。

 

---

 

「い、いいのか。温水は?」

 

「俺、水筒持って来てるから。お茶飲むよ」

 

「じ、じゃあ、なんで買った」

 

温水の手が止まった。

 

「……なんとなく」

 

「な、なんとなくで買うのか」

 

「買うだろ、たまに」

 

買わない。百五円の予算で牛乳は買えない。

 

だが指摘はしなかった。すると、こいつは気を遣う。

 

気を遣われるのが、いちばん嫌だ。

 

パックを受け取って、表示を見た。

 

  成分無調整

 

――え。

 

「せ、成分、無調整……」

 

「そんな珍しいか?」

 

「……め、珍しい」

 

「そっか」

 

うちの冷蔵庫は、たいてい加工乳か乳飲料だ。安いからである。

 

成分無調整を最後にいつ飲んだか思い出せない。

 

ストローを刺す手が、たぶん、ちょっと震えた。

 

---

 

 

【小鞠知花】

 

ごくり。

 

――うま。

 

味が濃い。というより、味がある。

 

いつものやつは、たぶん水に近い何かだ。

 

二口目、三口目。

 

飲みながら、視線を感じた。

 

「な、なんだ」

 

「いや」

 

「な、なんだよ」

 

「……餌付けしてる気分になっただけ」

 

「の、野良猫じゃないぞ!」

 

「言ってないだろ」

 

「か、顔に出てた」

 

「出てないって」

 

「で、出てた。ぜんぶ出てた」

 

出ていた。この男の顔は分かりやすい。

 

そして、たぶん当たっている。

 

袋のパンを眉をしかめて食べ、もらった牛乳に目を輝かせている女。

 

……野良じゃん。

 

自分で気づいて、自分で腹が立った。

 

---

 

私は先手を打つことにした。

 

「か、返せと言っても、もう遅いからな」

 

「返せなんて言ってないだろ」

 

「い、言う前に、封じた」

 

「封じたって」

 

「て、手続きだ」

 

「誰の影響だよ、それ」

 

「し、知らん」

 

「絶対あいつだろ」

 

「し、知らんと言っている」

 

我ながら完璧だと思った。

 

これは牛乳の話だ。もう三口飲んだ。返せない。物理的に不可能である。

 

非は私にない。

 

――ということにしておく。

 

温水は何か言おうとして、やめた。

 

そして、なぜか困った顔をした。

 

……なんで困るんだ。

 

---

 

ざあ、と風が吹いた。乾いた砂が舞う。

 

「あ、あの女、また走ってるぞ」

 

「あいつ、なにやってんだ……」

 

遠くで焼塩が体育教師に連行されていた。昼練は禁止のはずである。

 

――あの女は。

 

昨日、五限の前に、あの女は温水に何か言っていた。教室で、しゃがんで、下から。

 

廊下から見ていた。内容は聞こえない。

 

だが、あの女がああいう顔をするときは、だいたい本気である。

 

――先に行ってる、か。

 

あの女も、私も、八奈見も、この男より先に行っている。

 

三人とも、行き先を知らない。

 

---

 

 

【小鞠知花】

 

飲み終える頃には、温水も少しましな顔になっていた。

 

食欲がないと言いながら、結局カレーパンを袋から出して食べている。

 

「お、温水」

 

「ん」

 

「さっき、食えない顔してたぞ」

 

「してないだろ」

 

「し、してた。でも食ってる」

 

「……まあ、人がいると食えるんだよな」

 

「わ、私も――」

 

「ん?」

 

「な、なんでもない」

 

「なんだよ」

 

「い、言わない」

 

――だから、来たんだった。

 

そこで、ようやく自分の目的を思い出した。

 

ざまあみろと言いに来たのではない。いや、それも本当だが、表向きだ。

 

一人で食べるのが、きついのである。先週から、ずっと。

 

部室に行けば人はいる。だが部室には部長がいる。

 

ここには私と同じくらい駄目な人間がいる。だから来た。

 

――最低の動機だな。

 

動機が最低でも、パンは喉を通った。

 

---

 

空のパックを持ったまま、少し迷った。

 

「そ、それ」

 

「ん?」

 

「ご、ごみ箱、どこだ」

 

「一階の昇降口」

 

「……そ、そうか」

 

「持って帰るのか」

 

「か、帰らない」

 

「持ってるけど」

 

「も、持ってない」

 

持っていた。

 

温水がのそりと立ち上がった。

 

「俺、そろそろ行くわ」

 

「……お、おう」

 

「明日も来るのか」

 

「……こ、来ない」

 

「そっか」

 

「よ、予定次第だ」

 

「予定あるのか」

 

「……な、ない」

 

「じゃあ来いよ」

 

――なんだそれ。

 

私は返事をしなかった。

 

返事をしなかったが、たぶん、明日も来る。

 

空のパックは紙袋に入れた。捨てなかった。

 

理由はない。強いて言えば、まだ何か入っている気がしたからである。

 

入っていない。空である。

 

……分かっている。

 

---

 

階段を降りながら、一つ考えた。

 

昨日、松谷の手帳を見た。あの男は全部を時刻で書く。

 

そこに書かれた私は一行だけだった。

 

  二〇一六 小鞠、玉木に告白。

 

三か月半が、一行である。

 

では今日は、どうなるのか。

 

  一二四〇 小鞠、非常階段。牛乳を受領。

 

たぶん、そんなところである。

 

――それでいい。

 

今日の一行は、牛乳である。

 

昨日より、たぶん、ましだ。

 

---

 

昇降口の手前で、足が止まった。

 

旧校舎の角に、温水がいた。

 

一人ではない。

 

背の高い男が横に立っている。日に焼けて、肩幅があって、制服の着方が上手い。

 

「温水、ここにいた。探したんだぜ」

 

「え、あ、はい」

 

「え、俺なんかしました?」

 

「悪い、ちょっと人前じゃなんだし。こっち来てくれるか」

 

二人は旧校舎の裏へ消えた。

 

その場から動けなかった。

 

あの顔は知っている。四月に八奈見が三日に一回は名前を出していた男だ。

 

――は、袴田。

 

どくん、と心臓が鳴った。

 

振られた男。振った側の男。人気のない旧校舎裏。

 

「……こ、これは」

 

指が勝手に鞄の中を探っていた。

 

「た、滾る」

 

震える指で、私は八奈見に送った。

 

  温水がイケメンの不良に絡まれてる

  旧校舎裏

  シチュに滾る

 

送信して三秒後に気づいた。

 

……いや、待て。

 

これ、まずいのでは。

 

既読がついた。返事は来ない。

 

代わりに、遠くからたったったっと足音が近づいてきた。

 

「小鞠ちゃん、どこ!?」

 

……もう来た。

 

早い。

 

私はその日、自分の三割の出力が、生涯でいちばん余計な仕事をしたことを知った。

 

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