負けヒロインと終戦四人組ー戦前の高級官僚たちがタイムスリップしてきたらー 作:房吉
~4敗目~ 負けヒロインを覗く時、負けヒロインもまたあなたを覗いているのだ
二次創作/視点:八奈見杏菜
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一
【八奈見杏菜】
木曜の夜、草介からLINEが来た。
『杏菜、ごめんな』
それだけ。
……は?
十年以上の幼馴染だから分かる。あいつがこういう送り方をするときは、たいてい何かやらかしている。しかも本人に悪気がない。
私は既読をつけて、返事を打たなかった。
打つと、たぶん聞いてしまう。聞いてしまったら、私は寝られない。
――朝、聞こう。
そう決めて、その日は結局、二時間しか寝られなかった。
意味がなかった。
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翌朝、駅で捕まえた。
「草介」
「……おう」
「昨日の、なに」
あいつは正直だから、全部言った。
温水君が、旧校舎裏で、私がまだ草介を好きだって言ったこと。
そして松谷君が、それを裏づけたこと。
六月十一日から三十九日。
名前を出したのが十一回。
一度も悪く言っていない。
「……あいつ、そこ丸暗記してたんだよな」
「暗記じゃないと思う」
「え」
「たぶん、書いてある」
「書いてある?」
「手帳。全部、時間つきで」
「……こわ」
「こわいでしょ」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「嬉しくないし」
「顔」
「……電車来た」
――そりゃそうだ。
あんな言われ方をしたら、私だって覚える。
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私は、駅のホームでしばらく立っていた。
草介は、たぶん怒られたがっていた。
分かる。十年見ていれば分かる。あいつは謝りたいのではなく、許されたいのである。
だから、怒らなかった。
「……分かった。ありがと」
「怒らないのか」
「怒ってるよ」
私は前を向いたまま言った。
「でも、草介にじゃない」
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電車に乗る直前、私は一つだけ言った。
「草介さ」
「ん」
「私、ちゃんと、他の人にもごはん作るからね」
「……は?」
「なんでもない」
あいつは意味が分からない顔をしていた。
分からなくていい。
小学一年から、私はあいつの食べ残しを食べる係だった。
――もう、やめる。
そう決めたという報告である。
伝わらなくていい報告というものが、この世にはある。
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二
【八奈見杏菜】
終業式の日の昼休み。
私は二人を非常階段の三階に呼び出して、段に座らせた。
見下ろす角度って、けっこういい。今度から使おう。
「なんで私に聞かないの」
温水君はすぐ立ち上がって、頭を下げた。
「ごめん。本当にごめん」
「うん」
「言っていいことじゃなかった。八奈見さんに断るべきだった」
「うん」
「その……なんで言ったのか、いま説明しようとしたんだけど」
「うん?」
「たぶん、説明したら言い訳になる」
――ずるい。
そういうところがずるいんだよ、この人は。
言い訳をしないのではない。言い訳をしないと宣言することで、言い訳を全部済ませている。
……いや。
たぶん、そこまで考えていない。
そこまで考えていないのが、いちばんずるい。
「……そう」
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「松谷君は?」
「事実確認を求められた」
「うん」
「袴田草介から、直接、問われた。答えないという選択肢は――」
「あったでしょ」
「……」
「あったよね?」
松谷君が黙った。
この子が黙るときは、頭の中で何か計算している。
五秒くらいで終わったらしい。
深く頭を下げられた。
「すまなかった」
「理由は」
「ない」
「ないの?」
「言えば、言い訳になる」
――真似した。
温水君の言葉を、五秒で拾って再利用しやがった。
「あとさ。昨日の、あれ」
「どれだ」
「私が帰ろうとしたとき、道ふさいだやつ」
「ふさいでいない。立っていた」
「同じでしょ!」
「……同じか」
「同じだよ」
「では、そこも謝る」
「そこはいい」
「なぜだ」
「……いいの」
私は手すりに肘をついた。
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この二人が並んで頭を下げているのを見て、私はけっこう笑いそうになった。
背丈も体格も全然違う男子が二人、段の上で同じ角度で頭を下げている。
――絵面がひどい。
そして、怒りが半分くらい飛んだ。
こういうところが、私の駄目なところだと思う。
三日くらい怒っていたかったのに、三十秒で持たない。
「……もういいよ」
「え」
「怒ってる。すっごい怒ってる。でも、もういい」
私は手すりに背中を預けた。
「二人が謝ったから。それだけ」
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「あとさ」
私は少し目を逸らした。
「松谷君」
「なんだ」
「……一度も悪く言ってないって、言ったんでしょ。草介に」
「言った」
「それ」
手すりの塗装を、指でカリカリと引っかいた。
言うかどうか、三秒迷った。
「それだけは、私、自分じゃ絶対に言えないやつだから」
「……」
「言われて、ちょっと、良かったなって思った。ほんのちょっとだけね」
松谷君は返事をしなかった。
――助かる。
ここで何か言われていたら、私はたぶん、この階段で泣いた。
この子は返事の仕方を知らない。知らないことが、たまに正解になる。
「はい、この話おしまい! 二人とも、次はちゃんと私に聞くこと。分かった?」
「はい」
「……了解した」
「なんで敬語じゃないの」
「敬語が必要か」
「必要でしょ、この場面は」
「……了解しました」
「よろしい」
「……八奈見」
「なに?」
「君は、上から言うのに慣れている」
「褒めてないよね、それ」
「事実だ」
「褒めてよ!」
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そのあと松谷君は、いきなり「俺は戻る」と言って階段を降りていった。
「え、なんで」
「……用が済んだ」
――え。
こういうときだけ気が利くの?
昨日、旧校舎裏で温水君の真後ろに突っ立っていた子と、同じ子とは思えない。
「……あの子、たまに勘がいいよね」
「たまに?」
「うん、ほんとに、たまに」
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三
【八奈見杏菜】
「……あのさ、八奈見さん」
「なに」
「その、ちょっと話があって」
――え。
「話? 今から? ここで!」
「ああ。こんな風に二人で話をする機会って、そうそうないからさ」
いや、待って。
待ってほしい。
私はさっきまで説教していたのである。段に座らせて、上から見下ろして、二人まとめて叱っていた。
その流れで「話がある」は、ない。
「ちょっと待って待って! 温水君、もう一度良く考えてみた方が良くないかな? 物事には適切なタイミングとか――」
「何度も考えた。でもここで言わないと俺はきっと後悔する」
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――うわ。
真剣な顔をされた。
この人が真剣な顔をするのは、私が知る限り、二回目である。
一回目は、私に千円を差し出したときだ。
……あれは真剣というか、諦めだった気もするけど。
「え、えーと。じゃ、じゃあ聞くだけなら」
私は髪を直して、襟を直して、リボンとスカートも整えた。
咳払いまでした。
――別に。
期待していたわけじゃない。全然。一ミリも。
ただ、心の準備というものは、しておいて損がない。
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温水君が半歩、踏み出した。
肩がびくっとなった。
「友達になってくれないか!」
「ごめん! 君のことは友達だと――」
……。
……。
見事に被った。
ことん、と私の首が勝手に傾いた。
「……友達?」
「……うん」
イソヒヨドリが手すりに降りてきて、なんか物悲しい声で鳴いた。
――うるさいよ。
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私は手すりに両肘をついて、長い長い溜息をついた。
「……そっちかー」
心の準備をしたぶんの行き場が、どこにもない。
いや、勘違いしないでほしい。
期待していたわけじゃない。
ただ、あの角度で半歩踏み出されたら、誰だってそう思う。誰だってそう思うと思う。思うよね?
「ほら、貸したお金も全部返してもらったし、一緒にご飯食べることもなくなったじゃん」
「……うん」
「確かに俺たちはクラスメイトで同じ部活だけど、だから、その、友達として――」
早口である。手も動いている。
聞いてないよ、そんな長い前置き。
というか。
「ん? 待って。私、いま告られてもないのに振ってない?」
いや逆だ。
振っていない。振られてもいない。何も起きていない。
「なんかさっき俺、告ってもないのに振られてない?」
「えー、まあ、どちらかと言えば振られてたね」
私は温水君の肩に、ぽん、と手を置いた。
「ようこそ、振られ人の世界に」
「振られてないし、そもそも告ってないし」
「あるでしょ」
「八奈見さん、ちょっと意識し過ぎじゃない?」
「ちょっと待ってよ! いまの流れって完全にそれでしょ? で、私がそれを振って完成っていうか!」
「八奈見さん落ち着いてくれ。いいか、告白ってのはそんなもんじゃないんだ」
「……え」
「まずだな。告白に先立って二、三年くらいは友達付き合いが必要だろ」
「……私、いま温水君に恋愛について諭されてる?」
「お互いを知って、好意を確認し合って、思い出の場所とかに呼び出して、ようやく辿り着くというか」
「それ、プロポーズじゃん」
「……そんな気もする」
「つまり三年後に私は温水君にプロポーズされるってこと? 今のうちに断っとこうか?」
「しないし。その予約キャンセルしといて」
――〇勝〇敗の男が、〇勝一敗の私に恋愛を教えている。
なにこれ。
でもまあ、ちょっと面白かったから、黙って聞いてあげた。
正確に言うと、聞いているあいだ、私は何も考えなくて済んだ。
それが、けっこうありがたかった。
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「……あのさ。それで」
「なに」
「友達の件って、どうなったかなって……」
急に声が小さくなった。
出た、モショモショ喋り。
「なんでまたモショモショ喋りに戻るのよ……。そもそも友達でしょ。私たち」
「え……そうなの?」
「他になんだっていうのよ」
「……なんかごめん」
「なんで謝るの」
「なんとなく」
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――ほんとにね。
他に、なんだっていうんだろう。
四日前まで、私はそれに名前がないと思っていた。
恋人じゃない。友達っていうほどでもない。お金の貸し借りでくっついてただけの二週間。
名前がないものは、なくなっても、なくなったって言えない。
そう思っていた。
でも、名前はあった。
ずっとあった。
二人とも、探さなかっただけである。
「……なに? 俺の顔をじっと見て」
「そういうとこだよ、温水君」
「どういうことだよ、八奈見さん」
くすくす笑って、私は答えなかった。
教えてあげない。
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四
【八奈見杏菜】
「あ、そうだ。じゃあ松谷君も友達でいいよね」
「え、なんでそこで急に」
「だってさっき、二人並んで謝ってたじゃん」
私は鞄を軽く叩いた。
「あの子、変な書類くれたし」
「書類?」
「教えなーい」
「気になるだろ、それ」
「気にしてればいいよ」
「性格悪いな」
「よく言われるの」
「絶対いま考えたろ」
「失礼な」
言われてない。
いま思いついた。
「あとね。あの子、私に聞くんだよ。一昨日も、昨日も」
「聞いた?」
「うん。二回とも聞き方は最悪だったけどね」
「最悪って」
「最悪だったの」
私は手すりの向こうを見た。
「でもさ。聞かれたの、あれが最初だったから」
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温水君が、ぎこちない笑顔を作った。
たぶん本人は自然にやっているつもりだと思う。全然できていない。
「ありがと、八奈見さん」
――不意打ちはやめてほしい。
私はちょっと驚いてから、同じような笑顔を返した。
「どういたしまして」
そして拳を突き出す。
「これからも頼むぜ、振られ仲間」
「俺、振られてないし」
こつん、と拳が合わさった。
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五
【八奈見杏菜】
帰り道。
私は鞄から、あの紙を出して広げた。
借用証書(第二号・案)
三、目的物 もろきゅうサンドの製法(無形・分割伝授)
何度読んでも意味が分からない。
署名はしない。絶対にしない。
だってこれ、署名したら私、一生あの二人にサンドイッチを作り続ける契約になるんじゃないの。
よく読むと返済期日が書いてない。
――書いてないんだよなあ。
そういえば第一号にも書いてなかった。「当事者間の協議による」だった。
……あの子、わざとやってないよね?
いや、たぶんやってない。
あの子はただ、書式が好きなだけである。
そういうことにしておく。
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明日から夏休み。
二学期になったら、また非常階段でお昼を食べてもいいかな、と思った。
借金はもうない。証書もない。査定もない。
理由が一個もない。
……あれ。
理由がないと、行っちゃいけないんだっけ。
行かなくてもいい場所に、行かなくてもいい時刻に行くというのは、あれが最初だ。
水曜の廊下で言われたことを、私は思い出した。
あのときは、なんか重たい事情のある子なんだなと思った。いまでもそう思ってる。
でも。
――それって、けっこういいことじゃない?
理由もないのに行きたい場所があるって、いいことじゃん。
私はそう思うけどな。
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校門を出たところで、車が停まっていた。
黒い車である。運転席の窓が開いて、松平先生が顔を出した。
「八奈見さん」
「あ、先生」
「終業式でしたね」
「はい」
「よい夏休みを」
「……先生」
「はい」
私は少し迷って、聞いた。
「あの書類、署名しませんでした」
「存じています」
「なんで知ってるんですか」
「署名なさる方は、たいてい翌日に持ってこられますので」
しれっと言う。
「先生」
「はい」
「あの、変なこと聞いていいですか」
「どうぞ」
「負けたあとって、どうすればいいんですか」
言ってから、自分でびっくりした。
先生はハンドルに手を置いたまま、しばらく前を見ていた。
「八奈見さん。西郷隆盛という人をご存じですか」
「……名前は」
「あの人は、明治のはじめに新政府を出て、鹿児島へ帰りました。そのあと、政府と戦をして、負けています」
「はい」
「学生のころ、私の学校の先生が、こう申しました」
先生は指を一本立てた。
「どちらが勝っても、日本の統一は成る。だからこの戦は、意義がある」
「……え」
「勝った方が正しいのではありません。あの戦をやったこと自体に、意味があったという話です」
「……よく分かんないです」
「私も、聞いたときは分かりませんでした」
先生は少し笑った。
「二十年ほどかかりました」
「二十年」
「ええ」
「長くないですか」
「長いです」
そして、こう続けた。
「ですが、負けた方の話が二十年後に残っているというのは、それだけでたいしたことです」
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私は、鞄の中の紙を思い出した。
署名のない証書である。
効力はない。何も決まっていない。ばかばかしい書類である。
でも、持っている。
「先生」
「はい」
「私、負けたんですかね」
「さあ」
「さあって」
「勝ち負けは、あとで決まります」
「いつ決まるんですか」
「さあ」
「また『さあ』ですか」
「私も、まだ待っております」
先生は窓を閉めかけて、途中で止めた。
「八奈見さん」
「はい」
「今日、何かお作りになりますか」
「え」
「夕食です」
「……作りますけど」
「では、それで足ります」
すう、と窓が閉まった。
黒い車が、静かに走っていった。
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私はしばらく校門の前に立っていた。
……なんだあの人。
毎回そうだ。全部の質問に答えて、一つも答えていない。
でも、なぜか、足が軽くなった。
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私は紙をきれいに折り直して、鞄の内ポケットにしまった。
そして、家に着く前にスーパーに寄った。
キュウリともろみ味噌を買った。
……別に。
夕飯のおかずが足りなかっただけである。
《借用証書 第二号・案 署名欄 空白のまま》