負けヒロインと終戦四人組ー戦前の高級官僚たちがタイムスリップしてきたらー   作:房吉

4 / 12
第2話 1巻1敗目 小鞠視点 幽霊部員回収大作戦

【小鞠知花】

 

 作戦名、「幽霊部員回収大作戦」。

 

 立案、小鞠知花。実行、小鞠知花。承認、誰もしてない。

 

 だって部長は逃げたから。

 

 ことの起こりは昨日の放課後である。生徒会から一枚、紙が来た。

 

「名簿に載ってるのに一度も来てない部員が二名いるんだって。実態に即して報告しろって」

 

 古都先輩は、その紙を指で弾いた。

 

「丁寧でしょ。丁寧で、事務的で、つまり死刑宣告」

 

「……ご、五人しか、いないのに」

 

「そう。うち二人が幽霊。で、私と玉木は来年いない」

 

 先輩は指を折った。

 

「小鞠ちゃん、引き算できる?」

 

「……一人」

 

「うん。来年の文芸部、小鞠ちゃん一人」

 

「せ、先輩は」

 

「卒業するね」

 

「た、玉木先輩は」

 

「する」

 

「じゃ、じゃあ」

 

「小鞠ちゃん一人」

 

「……む、無理です」

 

「うん、無理だね」

 

「そ、そこは嘘ついてください!」

 

「嘘ついてどうにかなるなら、いくらでもつくよ」

 

 一人の部は、部じゃない。

 

 部室がなくなったら、私は、どこで本を読めばいいの。

 

 だから私は立ち上がった。比喩じゃなくて、物理的に。それで教室の入口で二十分、立ったままでいる。

 

……だ、だって、一年C組、遠いんだもん。心理的に。

 

 教室というのは、怖い。知らない人間が入っていくと、空気が一瞬「ん?」となる。

 

 あの「ん?」で私のHPは八割削れる。

 

 でも行くしかない。部室のためだ。

 

——ちなみに私は、昼休みに一度、逃げている。

 

 図書室に。

 

       *

 

 旧校舎の図書室には、非常勤の高木先生がいる。

 

 春に来た先生で、数学と倫理を持っていて、あとはずっとここにいる。若い。若いのに姿勢がおかしいくらい良い。

 

 背もたれに触らずに一時間座っていられる人を、私は他に知らない。

 

 この人の前だと、なぜか少しだけ喋れる。

 

 たぶん、こっちを見ないからだ。本の背表紙に番号を貼りながら聞いている。

 

「……せ、生徒会から、紙が来て」

 

「拝見しました」

 

「え」

 

「小鞠さんが持ってきて、机に置いて、逃げていきました。三日前です」

 

「……」

 

 覚えられていた。

 

「二人、増やさないと、部が」

 

「なくなりますね」

 

 言い切られた。

 

 この先生は慰めない。だから私は、この先生のところへ来る。

 

「……ど、どうしたら」

 

「教室へ行くのでしょう」

 

「む、無理です」

 

「そうですか」

 

 先生は次の本を取った。

 

「では、来年の四月に、あなた一人で部室の鍵を開けることになります」

 

「……」

 

「それでもよければ、無理をなさらないほうがいい」

 

 私は本棚の陰から、先生の背中を見た。

 

 こわい。この人の言い方、こわい。

 

「せ、先生」

 

「はい」

 

「……い、意地悪、ですか」

 

「いえ」

 

 先生は手を止めた。

 

 そして、初めてこちらを見た。

 

——やっぱりこの目、こわい。

 

「私は、決断を先延ばしにする人を、たくさん見てきました」

 

「……」

 

「みなさん、理由がありました。いま動くと角が立つ、もう少し様子を見よう、動いて失敗したらどうする。全部、もっともな理由です」

 

 先生は薬瓶を出して栓を抜き、中身をあおった。顔をしかめる。

 

「そうやって様子を見ているうちに、見るべきものが無くなりました」

 

「……」

 

「小鞠さん。傷つくのが怖くて何もしないというのは、慎重とは言いません」

 

 言葉が、途中で止まった。

 

 先生が言い直したのが分かった。もっときつい言い方をしかけて、やめたのだ。

 

「——負けに行く態度、と言います」

 

「ま、負け……」

 

「はい。いちばん、みっともない負け方です」

 

 私は本棚を掴んでいた。

 

 指が痛い。

 

「そ、そんな言い方」

 

「すみません」

 

 先生はあっさり謝った。

 

「ですが、訂正はしません」

 

 この人、絶対いい人じゃない。

 

……いい人じゃないのに、なんで私は、ここに来るんだろう。

 

「小鞠さん」

 

「……はい」

 

「二人とも、断らないと思いますよ」

 

 顔を上げた。

 

「な、なんで」

 

「名前だけ置いて二か月来ない生徒というのは、たいてい、行く場所がないだけです」

 

 先生は本を棚に戻した。

 

「行く場所がない人間は、呼ばれると、来ます」

 

       *

 

 というやりとりがあって。

 

 私はいま、一年C組の入口に立っている。

 

 目標その一、温水和彦。

 

 入学式の直後に見学に来て入部届を書いて、それきり来なくなった人。顔は……ええと……思い出せそうで思い出せない。写真で見ると「ああ」ってなるのに、目を離すと消える顔。

 

 教室を覗きこむと、いた。窓から三列目。机に突っ伏して消えようとしている。

 

……あ、あの人だ。消え方に見覚えがある。

 

 私は深呼吸を三回した。

 

(すみません、文芸部の小鞠です。入部届の件でお話が)

 

 よし。完璧。今日の私は喋れる。

 

 突入した。

 

「あ、あの……ぬ、温水君、ですよね」

 

「えっと、どちらさま」

 

——どちらさま。

 

 どちらさまと来たか。

 

 いや、いい。想定内。私だって人の顔を覚えられない側の人間だ。

 

 お互いさま。お互いさまだけどちょっとだけ傷ついた。

 

「こ、小鞠です! 小鞠知花! 文芸部!」

 

「文芸部の人が、俺に何の用?」

 

…………。

 

……この人、忘れてる。

 

 入部したこと自体を、忘れてる。

 

 嘘でしょ。入部届って忘れられるものなの?私はあの日、入部届を書くのに十五分かけたよ。

 

 ボールペンの試し書きから始めたよ。

 

 説明する気力が尽きたので、私はスマホを出した。文明の利器。私の外部音声。

 

 『生徒会から、名前だけで活動していない部員がいるという指摘がありました。うちは人数がギリギリなんです』

 

「あー……そう言われれば、そうかもしれない」

 

 思い出した。よかった。

 

 『今日の放課後、部室に来てください』

 

「あー、うん。分かった。顔出すよ」

 

……よし。

 

「あ、あの」

 

「うん?」

 

「……い、以上です」

 

「うん」

 

 よし!一人目、確保!

 

 私はやればできる子。コミュニケーション、完全に成立した。九割スマホで最後の一割が「以上です」だったけど、成立は成立。

 

 目標その二、松谷誠。

 

 こっちはもっと情報がない。五月に転入してきて入部届を出して、一回も来てない人。名簿の字だけ知ってる。

 

 やたら綺麗な字だった。定規で書いたのかと思った。

 

 窓際の席で数学を解いている男子がいた。名簿の写真と、たぶん一致。

 

「あ、あの……ま、松谷君、ですよね」

 

「そうだ」

 

「わっ、わたし、文芸部の——」

 

「小鞠知花さんだな」

 

——ひっ。

 

 な、なんで。なんで名前。私、名乗ってない。

 

 名乗る前に言われた。

 

「な、なんで名前」

 

「同学年の名簿は覚えている」

 

「ぜ、全員……?」

 

「四百二十一人だ」

 

 こわい。

 

「あ、あの、なんで、覚えて」

 

「必要だと思ったので」

 

「な、なにに」

 

「まだ分かりません」

 

 分からないのに覚えるな。

 

 何この人。名簿を覚える人、実在するの?個人情報が個人の頭の中に格納されている。

 

 後ずさりする私に、松谷君は姿勢を正して言った。

 

「用件は」

 

「あ、あの、ぶ、文芸部の……」

 

「入部届を出したまま、一度も出席していない件だな」

 

 は、話が早い。早すぎる。私の用件が、私の言う前に終わってる。

 

 隣で温水君が身を乗り出した。

 

「お前も?」

 

「五月に出した」

 

「なんで行ってないんだよ」

 

「行く必要が生じなかった」

 

「入部届出しといて!?」

 

……この人たち、知り合いなんだ。ちょっと意外。どっちも一人でいそうな顔してるのに。

 

 私はスマホを叩いて、二人に画面を向けた。

 

 『二人とも今日の放課後、部室に来てください』

 

 太字にした。太字は、私の精一杯の圧である。

 

【松谷誠】

 

 五月の連休明け、松平先生——校内ではそう呼ぶことになっている——が夕食の席で言った。

 

「松谷君、加瀬君。部活には入っておきなさい」

 

「必要ですか」

 

「必要です」

 

 侯爵は味噌汁を置いて、にこにこと続けた。

 

「どこにも属していない生徒というのは、目立つんですよ。教員の視野に、変な形で引っかかる」

 

「なるほど」

 

「所属というのはね、隠れ蓑としては優秀です。人は、肩書きのある人間を疑いません」

 

 加瀬が笑った。

 

「侯爵、それ、我々が二年やったことですよ」

 

「そうです。二年やって、一度も疑われませんでした」

 

 というわけで、俺は文芸部に入部届を出した。

 

「文芸部ですか」

 

 加瀬が意外そうな顔をした。

 

「理由は三つある。一つ、部員が少ないので目立たない」

 

「ふむ」

 

「二つ、活動の実態が薄いので拘束されない」

 

「三つ目は」

 

「旧校舎にある。高木先生の図書室と同じ建物だ」

 

「……三つ目が本命ですね」

 

「順番に意味はない」

 

「ありますよ。あなたは大事なものを最後に置く癖がある」

 

 加瀬は箸を置いた。

 

「で、行かれるんですか」

 

「行かない」

 

「は?」

 

「入って、行かない。それが最も安全だ」

 

「安全ですか」

 

「行けば人間関係が生じる。生じれば来歴を聞かれる。聞かれれば、いずれ嘘をつくことになる」

 

「嘘は、つけばつくほど整合が取れなくなる」

 

「そうだ。八年前に学んだ」

 

 加瀬はしばらく俺を見ていた。

 

 それから、味噌汁を飲んだ。

 

「私は新聞部にします」

 

「理由は」

 

「書けるからです」

 

「ほかには」

 

「ありません」

 

 一つしかなかった。

 

——判断は、正しかったと思う。

 

 だが今日、小柄な一年生に太字で呼び出された。

 

【小鞠知花】

 

 放課後の部室で、私は文庫本を構えて待っていた。

 

 読んでない。一文字も読んでない。ページをめくる指がさっきから同じところを往復してる。

 

 だって、これから知らない人が二人来るんだよ。私の部室に。私の聖域に。

 

 来た。

 

 扉が開いて、温水君と松谷君が入ってくる。

 

 私は本から顔を上げない。上げないことで、平常心を演出する。演出は大事。

 

 中身はバクバクだけど。

 

 温水君は離れたパイプ椅子に座った。距離の取り方が上手い。この人、分かってる。

 

 問題は松谷君だった。

 

 座らない。本棚の前に立って、じっと棚を見てる。

 

……な、なに。なんで棚を見るの。棚には何もないよ。

 

 何も。何もないったら。

 

 あるんだけど。

 

 私の蔵書が。カバーを、その、かけ替えた本たちが。

 

 やめて。そこは通り過ぎて。太宰は囮なの。

 

 太宰のカバーは全人類が素通りする安全地帯なの。

 

 温水君が一冊、手に取った。

 

……あ。

 

 あああああ。

 

 それ。それは。それは駄目なやつ。

 

『昭和二十三年、玉川上水にて』のやつ。私の、自費出版の、魂の。

 

 温水君のページをめくる手が、止まった。

 

 顔が、ゆっくりこっちを向く。

 

 私は本を奪い取った。自分でもびっくりする速さで体が動いた。火事場の何とか力。

 

「だっ、だだだ、駄目! これ男子、よっ、読むの禁止!」

 

「太宰治だろ?」

 

「そ、そう! だから、だめ!」

 

「なんでだよ」

 

「だ、太宰は、男子が読むと、その」

 

「読んだけど」

 

「読んだの!?」

 

「授業で」

 

「じゃ、じゃあ、これは違うやつ!」

 

「太宰じゃないのか」

 

「……ち、違わない」

 

 理屈はない。理屈はないの。禁止だから禁止なの。

 

 世の中には理由を説明できない禁止事項があるの。

 

 と、そのとき隣で声がした。

 

「小鞠さん」

 

「ひっ」

 

 松谷君が、別の一冊を開いていた。

 

 終わった。二冊目。私の防衛線、既に二箇所突破。

 

「これは、印刷所を通していないな」

 

「あ、あああああ」

 

「綴じが手で折ってある。それに、目次の頁数と本文の頁数が合っていない。あとから差し替えた綴りが二つある」

 

「な、なななんで、そんなとこ見るの!」

 

「差し替えのある綴りは、まず疑う」

 

……。

 

…………ん?

 

 待って。

 

 この人、いま製本の話しかしてない。

 

 中身。中身についての言及がゼロ。目次と頁数の話だけしてる。

 

 内容には、指一本触れてない。

 

 わざと?わざとなの?それとも本当に製本しか見てないの?

 

 どっちにしても、この対応は——

 

——ちょっとだけ、助かる。

 

 いや駄目。ほだされるな私。この人は敵。

 

 私の聖域を暴いた敵。

 

「わ、私の、蔵書……!」

 

「私物だったのか」

 

「し、資料!」

 

 資料です。文芸活動のための資料。研究です。

 

 学術です。

 

 そこへ、扉が開いた。

 

「おー、さっそく仲良くやってるねー」

 

 古都先輩だ。助かった。援軍。

 

 いや、この人も油断すると敵になるんだけど今は味方。

 

 私は先輩の後ろに隠れた。定位置である。

 

「あら、二人とも来たんだ。私、月之木古都。三年で副部長ね」

 

 先輩は椅子を引いて座った。

 

「単刀直入に言うね。うち、部員が五人しかいないの」

 

「五名の内訳を伺っても」

 

「私、部長の玉木、小鞠ちゃん、あんたたち二人」

 

「その部長は」

 

「今日も逃げてる」

 

「逃げる部長がいるのですか」

 

「いるんだなこれが」

 

「では、本日この部屋にいる五名のうち、三名が本日初対面ということになります」

 

「そうなの。ひどい部でしょ」

 

「三年生はお二人ですか」

 

「そう。私と玉木は来年いない」

 

 私が二十分かけても言えなかったことを、先輩は二分で言った。

 

……いいなあ、ああいうの。私も、ああやって喋れたらなあ。

 

「規定では」

 

 松谷君が口を開いた。

 

「部として存続するのに、何名必要ですか」

 

「五人よ」

 

「現在、活動実態のある部員は三名」

 

「そうね」

 

「では、我々二名が抜けた時点で、廃部です」

 

「そういうこと」

 

 部室が、しんとした。

 

……そうだよ。

 

 そういうことなんだよ。

 

 私はうつむいた。手をぎゅっと握る。袖が長いのは、こういうときに便利だ。

 

 言えなかったんだ、私。教室で。「あなたたちがいないと部が潰れます、私の居場所がなくなります」って。

 

 そんなの重すぎて言えない。だから生徒会がどうとか、指摘がどうとか、そういう言い方をした。

 

 卑怯だって、分かってる。

 

「あの」

 

 温水君が口を開いた。

 

「俺、来ます」

 

……え。

 

「いや、その。籍だけあるのも気持ち悪いし。本もいっぱいあるし。……ラノベとか、読んでいいなら」

 

「よ、読んでいい」

 

 即答した。自分でも驚く速さで。

 

 ラノベ、いっぱいあるよ。先輩たちが置いてったのも私のも。読んでいいよ。

 

 いくらでも読んでいいよ。

 

「じゃあ来ます」

 

「……う、うん」

 

 私はうつむいた。前髪、ありがとう。今の顔はたぶん、見られたくない顔をしてる。

 

 松谷君は、腕を組んで黙っていた。

 

 それから、質問を始めた。活動内容。部誌のこと。

 

 部数。配布先。

 

「——いつからのものが、残っていますか」

 

 変な質問だった。

 

 部誌のバックナンバーなんて誰も聞かない。私しか読まない。先輩ですら「誰も読まないもの」って言った。

 

 ひどい。事実だけど、ひどい。

 

「読んでも」

 

「いいわよ」

 

 松谷君は本棚のいちばん下にしゃがみこんで、いちばん古い一冊を抜いた。

 

 紙が茶色くなった、ガリ版刷りの薄い冊子。

 

 私はそれをこっそり見ていた。本棚の陰から。もう隠れる必要はないんだけど、ここが一番観察に向いてるから。

 

 松谷君は長いこと、表紙を見ていた。

 

 それから開いて、ゆっくり一ページずつ読んだ。

 

……あの読み方は、知ってる。

 

 流し読みじゃない。確認でもない。あれは、ちゃんと読む人の読み方だ。

 

 一行ずつ書いた人がいることを分かってる読み方。

 

 誰も読まない部誌を、あの人はちゃんと読んでる。

 

——この人のこと、ちょっとだけ、わかんなくなってきた。

 

 こわい人だと思ったのに。名簿を四百人覚えてて製本の粗を三秒で見つけて、廃部って単語を平気で言う人なのに。

 

 誰も読まないものを、いちばん丁寧に読む。

 

「入部します」

 

 松谷君が立ち上がって言った。

 

「入部してるのよ、あなたは」

 

「……そうでした」

 

「じゃ、出席します、が正解ね」

 

 先輩が笑って、私もちょっとだけ袖の中で笑った。

 

       *

 

 コンコン。

 

 ノックの音がして、扉がゆっくり——ゆっくりすぎる速度で——開いた。

 

「あの……生徒会の志喜屋だけど。今、いいかな」

 

 隙間から、白い目が覗いた。

 

「ひっ」

 

 私は本を落とした。

 

 志喜屋先輩だ。生徒会の。全校で一番こわい人。

 

 血の通ってない色の肌と、白いコンタクトと、あの喋り方。去年、廊下で一度すれ違って三日夢に見た。

 

 私は本棚の陰に退避した。自己最速だったと思う。

 

 棚の隙間から観察する。志喜屋先輩はゆらゆらと部室に入ってきて、名簿の更新がどうとか言っている。古都先輩とは知り合いらしい。

 

 世界は広いようで狭い。

 

 温水君が、声を裏返しながら名乗った。分かる。あの距離はこわい。

 

 冷気を感じる距離。

 

 そして、白い目が松谷君に向いた。

 

……あ。

 

 どうなるんだろ。あの松谷君でも、さすがに志喜屋先輩は。

 

 松谷君は姿勢を正して、一歩前に出た。

 

「一年C組、松谷誠です」

 

 前に、出た。

 

 下がるんじゃなくて。

 

「本日付で、文芸部への出席を再開しました。名簿の更新にあたって、必要な書式はありますか」

 

……なに言ってるの、この人。

 

 書式。書式って言った。志喜屋先輩に。

 

 書式の話をしに行った。

 

「所定の様式があれば、こちらで記入します。提出期限もお伺いしたい」

 

 志喜屋先輩が、止まった。

 

 まばたきを、した。

 

……あの人、まばたきするんだ。初めて見た。

 

「……様式……ある……」

 

「では、いただけますか」

 

「持ってきてない……」

 

「では、明日、生徒会室へ受け取りに伺います。何時ごろがよろしいですか」

 

「……四時……」

 

「承知しました。四時に伺います」

 

 会話が。

 

 会話が、成立してる。

 

 志喜屋先輩と事務手続きの会話が、すらすら成立してる。私、あの先輩と人類の会話が成立するところを初めて見た。

 

「君……いい……」

 

「は」

 

「話が……早い……」

 

 褒められてる。あの松谷君が、あの志喜屋先輩に気に入られてる。

 

 なにこの光景。異文化交流?それとも同文化交流なの?

 

 もしかしてあの二人、同じ星の出身なの?

 

 志喜屋先輩は帰り際に爆弾を置いていった。来年度から部の存続に六人必要になる、という爆弾を。

 

「……玉木ぃ!」

 

 古都先輩の叫びが部室に響いた。部長は今日も逃げている。

 

 扉が閉まって白い目が見えなくなってから、私は本棚の陰から這い出した。

 

 スマホを叩く。指が、まだちょっと震えてる。

 

 『あの人、生きてますか』

 

「たぶん」

 

 温水君が、真顔で答えた。

 

 たぶん、って。

 

【松谷誠】

 

 部誌のいちばん古い一冊は、一九五〇年代のものだった。

 

 わら半紙を綴じただけの、十六ページの冊子だ。表紙は手書きで印刷はガリ版だった。字が滲んでいる。

 

 最初のページに、こう書いてあった。

 

——本校文芸部は、このたび再興されました。

 

 再興、と書いてあった。

 

 つまり、一度途切れている。

 

 途切れた時期は書いていない。理由も書いていない。ただ「再興」の二文字だけがある。

 

 その次の行から、部員たちの短い文章が並んでいた。詩が二篇。随筆が三篇。

 

 小説が一篇。

 

 どれも他愛のないものだった。校庭の桜のこと。飼っている犬のこと。

 

 片思いの話が一篇あった。

 

 俺は、それを読んだ。

 

——これを書いた人間は、いま九十代か。

 

 あるいは、もういないかもしれない。

 

 途切れる前の部員たちがどこへ行ったのかも書いていない。書いていないから、分からない。

 

 分からないというのは、こういうことか。

 

 俺は九月に、自分たちの記録を焼いた。誰も困らないように全部焼いた。

 

 あれは正しかったと、いまでも思っている。

 

 だが、あの紙束のどこかには他愛のないことも書いてあったはずだ。誰が誰と会って何を食ったか。会議が何時に終わって、誰が遅刻したか。

 

 加瀬が自分の文章を名文だと言い張ったこと。少将が薬を飲んで顔をしかめたこと。

 

 全部、燃やした。

 

 残ったのは、四人の頭の中だけだ。

 

 そして俺たちは、八十年先に落ちた。

 

——誰も、俺たちを知らない。

 

 当たり前だ。俺がそうしたのだから。

 

 部室を出ると、廊下はもう暗かった。

 

 図書室の前を通ると、明かりがついている。カウンターで高木少将が本の背表紙に何かを貼っていた。

 

「松谷君」

 

「……はい」

 

「文芸部に行きましたか」

 

「なぜ分かるんです」

 

「小鞠さんが、昼にここへ来ました。名簿だけの部員が二人いる、と言っていました」

 

 少将は貼り終えた本を脇に置いた。

 

「一人は温水君でしょう。もう一人が誰か、聞かなくても分かりました」

 

「……申し訳ありません」

 

「謝ることではない」

 

 少将は次の本を取り上げた。

 

「行ってみて、どうでした」

 

 俺は少し考えた。

 

「部誌がありました」

 

「ほう」

 

「創部からのものが、全部残っています。いちばん古いのは五十年代です」

 

「読みましたか」

 

「一冊だけ」

 

 少将の手が止まった。

 

「——残っていましたか」

 

「はい」

 

「そうですか」

 

 少将はそれだけ言って、また作業に戻った。

 

 俺は立っていた。

 

「先生」

 

「はい」

 

「あの部は、来年、廃部になるかもしれません」

 

「そうですか」

 

「規定が変わります。六名必要になる。現状、確実なのは三名です」

 

「なるほど」

 

「……」

 

「松谷君」

 

 少将が顔を上げた。

 

 この人の目は、昔から人を落ち着かなくさせる。

 

「それは、君が何とかする話ですか」

 

「……分かりません」

 

「では、考えておきなさい」

 

 少将は本を棚に戻した。

 

「私は非常勤です。職員会議に出られず、担任も持たず、部の顧問にもなれません。この学校で、私は何の権限もない」

 

「はい」

 

「ですが、記録は残せます」

 

 俺は少将を見た。

 

「本の背表紙に、番号を貼っています。これは、この本がこの学校にあったという記録です。本がなくなっても、目録は残る」

 

 少将は、貼り終えた本を静かに置いた。

 

「——君が焼いたものの話は、私はしません。あれは正しかった」

 

「……はい」

 

「ですが、あれ以外の紙が、あってもよかった」

 

「先生」

 

「はい」

 

「いちばん古い一冊に、再興と書いてありました」

 

「再興」

 

「一度、途切れたということです。時期は書いてありません」

 

 少将はしばらく黙っていた。

 

「五十年代に再興したのでしたら、途切れたのは」

 

「書いてありません」

 

「書けなかったのでしょう」

 

「……はい」

 

「松谷君。書かなかったのか、書けなかったのか、書く人がいなくなったのか」

 

 少将は次の本を取り上げた。

 

「その三つは、紙の上では同じ形をしています」

 

「……はい」

 

「だから、その部は残しておいたほうがいい」

 

「先生が残せと言われるのですか」

 

「言いません。私は権限がありません」

 

 少将は番号の札を、まっすぐに貼った。

 

「独り言です」

 

 窓の外はもう暗い。

 

 旧校舎の廊下に、少将の声だけが残った。

 

「もう帰りなさい。侯爵が夕食を用意しています」

 

【小鞠知花】

 

 その夜、私はベッドの上で今日の戦果を集計した。

 

 幽霊部員、二名回収。成功。

 

 蔵書の秘密、二冊露見。失敗。ただし片方は製本の話しかされなかったので実質○・五冊。

 

 志喜屋先輩の襲来、生存。

 

 来年度の必要部員数、六名。……これは、大問題。

 

 現状、確定しているのは私と温水君と松谷君の三人。あと三人、足りない。

 

 三人。

 

 私が今日、二人回収するのに使った勇気の総量を考えると、あと三人は天文学的な数字である。

 

……でも。

 

 私は天井を見ながら、今日の部室を思い出した。

 

 温水君が「ラノベ読んでいいなら」って言ったこと。松谷君が、誰も読まない部誌を一ページずつ読んでたこと。

 

 変な人たちだった。二人ともたぶん、教室ではあんまり上手くやれてない側の人たち。

 

 私と、同じ側の。

 

……ふ、ふふ。

 

 いいこと思いついた。作戦名、「文芸部増員大作戦」。

 

 立案、小鞠知花。実行は……実行は、みんなでやればいいと思う。

 

 だって、うちの部は今日から五人だから。

 

 私は枕元のスマホを取って、古都先輩に送った。

 

 『二人とも、回収しました』

 

 既読がついて、すぐ返ってきた。

 

 『やるじゃん小鞠ちゃん。明日から五人だね』

 

 五人。

 

 『来年度から六人だそうです』

 

 『は? 』

 

 『生徒会の人が言ってました』

 

 『玉木ぃ!!! 』

 

 部長は今夜も逃げているらしい。

 

 私は電気を消して、布団にもぐった。

 

 明日、部室に行ったら二人がいる。

 

 それって、なんかすごいことだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。