「アルベルト」
「どうした」
「ひとつ、頼みがある」
平日の昼下がり。のろいうさぎのエプロンを身につけたディアーチェが物々しい雰囲気で隣に立つ。
ソファに寝転んでいた俺は、アイマスク代わりに乗せていた本をどかし、眠気を噛み殺して彼女を見上げた。
「何をぼんやりとしておる。疾く立て」
「時間を考えろ」
「それはこちらのセリフだ。まだ3時のおやつを食べたばかりではないか」
「余計に眠くなるだろう……」
「目を開かんか。おい、起きんか」
「った」
「起きろ、起きろっ」
「……くっ、起きるよ」
「それで良い」
怠惰なヤツめが。そう言って俺の頬に軽いビンタを食らわせるディアーチェ。2発目、3発目と続いて、流石に堪らんと身を起こす。そして、安眠を妨害した彼女を恨めしげに睨みつけた。
「ふん、そんなんだから牛のように肥えるのだ」
「ふ、太ってないからなっ」
「どうだかな。以前よりも運動量は減っておるのに、食事量と体重は比例して増えておるようだ」
「……あ、足の筋肉が戻ってきてだな」
「見苦しい」
「見苦しいとかいうな。言い訳みたいになるだろう」
「十二分に言い訳だ」
どんどんと目が冷たくなる彼女に、俺は肩を落とす。
「それで、どうした。一緒に昼寝ならウェルカムだぞ」
「レヴィみたくか。そんな小っ恥ずかしいこと、頼みはせん」
「ならなんだ」
「気が付かんか」
「言われなきゃな。ニュータイプじゃないんだ」
「なんだそれは。もっとも察しの良さなど期待の欠片もしておらんわけではあるがな」
「なんて物言いだ。俺は大黒柱だぞ!」
「妥当であろう。それと、思ってもないことを言うでない」
「はい」
腕を上にして背を伸ばし、体を左右に振れば小気味のいい骨の音が鳴る。時計を見れば時刻は4時前。どうやら20分ほど寝ていたらしい。
そしてその様子を横目で眺めていたディアーチェが視線を逸らし。
「やはり肥えたのではないか」
「……かもな」
「認めるのか」
「意外そうにするな。魔導師だぞ。自分のコンディションくらい正しく把握してる」
「ふんっ、変なところで生真面目なやつだな」
「それはどうも」
「褒めたつもりはない」
「とにかく、シャマルと相談して運動量は増やす予定だ」
「そうか」
本を片手に立ち上がり、腹部へと手を伸ばす。微かに脂肪が乗った気がするのだ。
今夜からでもトレーニングの強度をあげようか。そんなことを考えつつ、キッチンへと戻っていくディアーチェの背中に声をかける。
「要件はなんだった」
「あぁ。服を着てくれ、と頼もうと思ってな」
「服」
確かに全ては着ていないが、アンダーシャツとパンツは履いている。それにディアーチェにしては珍しいことを言うな。そう思っていると、親指でなにかを示す彼女に気がついた。つられて指の向く方へ、玄関の方へと視線を向けると。
「─────来客だ」
「あ、あはは……。お、お邪魔しちゃってマース……」
「─────それは先に言えよ!」
△
改修に出していた俺のデバイスを届けてくれたというメカニックスタッフ、マリエル・アテンザ。赤面して顔を合わせてくれない彼女を見送って、俺はどかりとソファに腰を下ろした。
「……リンディさんから連絡来てた」
「何時来ていた。おおよそ、昼寝をしていて気が付かなかったのだろうがな」
「昨夜」
「それは覚えておけ」
もしくは共有しろ。包丁がまな板を叩く音をBGMに、ディアーチェが笑った。
「だが、そういう抜けておるところが、案外異性に刺さるのかもしれんな」
「……シュテルのことか」
「限らずだ。このスケコマシめが」
「罵倒か?」
「事実を述べたまで」
「……ならいいが」
「よいのか。快闊というか、無頓着というか」
事実なら言われたって仕方がない。一瞬包丁の音が止まり、そして再び鳴り始める。
「そういえば、シュテルたちはどうした」
「シュテルなら、レヴィとユーリに連れられて出かけて行ったぞ」
「行先は聞いたか?」
「翠屋だと」
「翠屋か……」
喫茶“翠屋”。なのはの両親が経営する喫茶店だ。海鳴市の人気店で、俺もコーヒーとシュークリームの大ファンである。
「ユーリか」
「レヴィもだ」
「引きずられていったな、シュテルは」
「ご明察通りだ」
ここ最近食欲旺盛なユーリと元来食いしん坊のけがあるレヴィ。きっと今頃泣きながらシュークリームでも食べているシュテルに心の中で手を合わせた。
「見ておれ、あやつはまた泣くことになるぞ」
「明日の夜には体重計の上で固まっているのが想像できる」
「横で倍近く食べておるレヴィの体重が変わらんのは、私も少し納得が行かんが」
「羨ましいか」
「気にしなくて済むのならば、それに超したことはない」
「大変だな、女の子」
「大変だぞ、女の子」
その成り立ち故に、体型が全く変わらないと思っていたユーリも、ここのところ少しふっくらして見えた。きっと、そういうことなのだろう。
「……おい」
「どうした」
「何となくだが、今余計なことを考えたな」
「……いや?」
「迷うたな。それを口にするでないぞ」
「お見通しか」
「3年間、毎日の付き合い。いやでもわかるものだ」
エルトリアでフローリアン一家が住まうその横で、俺は今と同じように4人から看病されつつひとつ屋根の下で暮らしていた。
それに今のやり取りが、どうにも爺さんと婆さんのやり取りに聞こえて。懐かしさに思わず笑ってしまう。
「なんだ、唐突に。流石に気味が悪いぞ」
「いや、な。これまでのやり取りが、あれに聞こえたと思ってな」
「あれ、じゃわからん。主語を話さんか」
「確か、爺さんと婆さんの……。そう、おしどり夫婦」
「─────っふぅ!?」
がたん、ごろん、そしてディアーチェの奇妙な声。慌ててそちらを見ると、キッチンから顔をのぞかせていたディアーチェの姿がどこにもなくて。
「転んだのか!?」
「いっ、いや。そうではなくてだな」
「怪我はっ」
もし包丁を持っていたディアーチェが転んだのであれば、なにか怪我をしていてもおかしくはない。それに、万が一指を切ったり火傷をしたりした時のために、救急箱はキッチンにある。
確認のためにソファを立ち、少し早足にキッチンへと寄る。しかし、ディアーチェが待ったをかけた。
「け、怪我なぞしておらん。す、すこし手が滑っただけだ」
「手が滑ってあんな音が鳴るか」
「鳴ったであろうっ。だから、とにかく、気にするな!」
確かに鳴ったが、心配なものは心配で。しかし本人から来るなと言われれば、無理に行っても仕方がない。念を押すようにして怪我がないのかを確認し、俺は再びソファへと腰掛けた。
しばらくの無言。そして、再び鳴り始める包丁の音。見れば、転んだことが恥ずかしかったのか、少し顔を赤くしているディアーチェの姿。
その音に耳を傾けつつ、俺は先程まで顔を乗せていた本を再び開く。
「……それは、どうしたんだ」
「この本か」
「あぁ。シュテルの本棚でも見たことの無い表紙だが」
「シグナムからオススメされてな」
「あやつが、本……。少し気になる、内容はなんなのだ」
「恋愛小説だ」
「それは、なんとも、らしくないな」
「だろう」
「……お前の事だぞ」
「……そっちか」
「当然であろう」
△
「─────たっだいまぁ!」
「ただいま帰りましたぁ」
「………………ただいまです」
ドタバタガチャリ。リビングの戸が開くと同時にレヴィが飛び込み、続いて箱を片手に持ったユーリが。そして、少し疲れた様子のシュテルが入ってくる。
それを迎えるのはアルベルトとディアーチェの2人。ソファにふたり隣り合わせ、それぞれ缶チューハイとお茶を啜っていた。
「おかえりー」
「おかえりだな」
「あー、もうお酒飲んでる!」
「夜だからな。そういうものだ」
「……ディアーチェ、止めなかったのですか?」
「きょ、今日くらいはいいだろう」
「…………?」
のしかかるレヴィを押し返すアルベルト。その横で頬を赤らめているディアーチェを、シュテルが訝しげに睨みつける。
そんな相変わらずの賑やかさに、手を洗って冷蔵庫に箱を入れたユーリが笑った。
「ええぃ、とっとと手を洗ってこんかお前ら……っ」
「わー、王様が怒った!」
「……レヴィ、手を洗いに行きましょう」
「はーい」
「買ってきたシュークリーム、冷蔵庫に入れて置いたよ」
「ありがとな、ユーリ」
「感謝する」
「ううん。むしろお留守番ありがとう、ふたりとも」
「料理当番だったゆえにな。この功績を持って、ユーリ、1番風呂はお前のものだ!」
「ふふっ。ありがたく入浴させていただきますぅ」
ふざけるディアーチェにユーリが微笑み、そして浴室へと足を向ける。そこにアルベルトから離れたレヴィが飛びつき、その後ろにシュテルが続いた。
「なら一緒に入ろ!」
「また2人して逆上せるつもりですか」
「そ、そんな事しないよ!?」
「べつによくなーい?」
「よくありません」
「煮物が仕上がるまでまだしばらく時間がかかる。3人でゆっくり入るといい」
「お前たちなら、ちょうどいいだろ」
3人ならば、確かに時間もちょうどいいだろう。そう目を閉じ、3人が仲良く湯船に浸かる姿を思い浮かべるアルベルト。静かにお茶を啜るディアーチェの横のアルベルトにレヴィはニヤリと笑い。
「いやん、アルのえっち、想像してたでしょ〜」
「えぇ!?」
「したら何になる」
「ほらしてた!」
「ちょっと、嘘でもそこは否定してください」
「……あれ、嫌なんだ……?」
「想像するなら私だけにしてください」
「強火だなシュテルお前。とにかく、いいから入ってこんか」
はーいという3人の声。かしましく歩いていく3人の小さな背中を見送って、ディアーチェはまた一口お茶を啜る。
「……いなければ物静かで寂しいものだが、帰ってくると中々どうしてやかましい」
「なんだ、物静かなのは嫌だったか」
「いや。むしろこういう時間の方が好みだ」
缶チューハイを呷るアルベルトに、ふとディアーチェが身体を預ける。
そっと目を閉じ、深呼吸をして、そしてアルベルトの顔を見上げると。
「ふっ、こうして見ると、中々整った顔をしておるよな」
「イケメンだろ、それなりに」
「ではあるが、老け顔なのが玉に瑕といったところか」
「流石に傷つくぞ?」
「ふん。大人びて見えると言っておるのだ」
「本当にそうか?」
「……遠回しにだがな」
「ダメじゃねぇか」
アルベルトの高い体温とがっしりとした身体。身の回りで彼にしかないそれは、どういう訳かディアーチェの心を強く刺激する。
「だが、俺も好きだぞ。ディアーチェと、こうしている時間」
「……そうか」
「心が落ち着くというか、安心感があるというか」
「それならば、シュテルやユーリでも構わんと?あのふたりとでも、同じようにゆったりしておるだろう」
「いや、ディアーチェがいいんだ」
酔っているのはわかっている。彼がシラフでこんなことを言うとはディアーチェも思っていない。だが、しっかりとした目で天井を見上げていることから、これが本心でもあると理解した。
「……アルベルトよ」
「どうした」
「次、我が料理当番の日の晩、何が食べたい」
「肉だな」
「即答か」
「それ以外ないだろう」
「ふっ。違いあるまい」
楽しみだと笑うアルベルトに、ディアーチェはひとり目を伏せる。
それから3人がお風呂から上がってくるまでの30分間。その様子を見たシュテルとレヴィが騒ぎ立てるまで、2人はそうして寄り添い、穏やかな時間を過ごした。
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