死んでもいいデスゲーム 作:働け蜂
◇
外は夜。満月だった。
何の気なしに見上げた時にそれが見えると、幼い頃は少し得をした気分になっていたように思う。
今はこんな世界だからこそ、造り物めいた月は空に映えていて、しかし特に感慨を抱くこともない。
軒先には紫色のラナンキュラス。
どこからか種を見つけてきて育ててみたらしい。
キンモクセイによく似た甘い香りがする。
そういう風に脳に働きかける芳香のパラメータを設定して造られたのだろう。
風情のない考えが浮かんだ。
「おかえりなさい」
「マジか。
遅くなるから先に寝てていいって言ったのに」
月に文句を言った。造り物だと。
花に文句を言った。造り物だと。
「だって」
「いや。ごめんな、遅くなって。
一人寝はまだ怖いか?」
古来より、月雪花は美しさの象徴として名が挙がる。
「それもそうだけど。
ご飯、一緒に食べたかったから」
「そっちもまだなん。
そういや俺も、腹減ったな」
美しいものなら、探さずともここにある。
◇
寝室の明かりはすべて消さない。
サチが怖がるからである。
少なくとも幼い頃はそうであったし、今は顔が見えないと不安がる。
だからアヤはわざわざランプを買った。
彼自身は真っ暗闇での睡眠を好むというのに。
「会議、どうだった?」
隣にいるサチが問いかけてきた。
触れると崩れてしまいそうな表情で。
「今回は楽勝だろうな。
ボスの情報も十分にあるし、戦力にも不足はないよ」
しゃあしゃあと、言った。
アヤは嘘をつくのが得意だと自負している。
必要だと思えば顔に出さずにいられるから。
「......ご飯の時。
色々、考え込んでた。
あなたがよく考え事をするのはいつもだけど。
いつもより長かった。
少しだけ、上の空だった。
いつもはわたしの話、全部拾って答えてくれるのに」
ただ、いくらポーカーフェイスが上手くとも、そもそも手札が見えているのではイカサマは通じない。
しまった、と思った。
思ったら顔にも出てしまう。ここはそういう世界だ。
アヤは薄ら明かりを放つランプを憎らしげに睨んだ。
「ごめん。心配かけたくなかった。
実のところ、ハッキリ言って状況は良くない。
負けないけどな。俺たちは」
サチが何か口にする前に、遮るようにポンと頭に手をやった。そのまま優しく撫ぜる。
誤魔化しがきかなくなるや否や、力押しで不安を取り除くことにしたのだった。
瞳が潤んでいるのが見えたから。
こうすると彼女が安心すると知っているから。
「......明日には、攻略戦が始まるんだよね」
食事の席で既に伝えたことだった。
明日から第25層ボス攻略戦が始まる。
今日の会議での決定事項である。
結局、ディアベルはアヤとキバオウの提案を飲んだ。
壊滅したキバオウ隊の生き残りは4人。
そこに回避タンクであるアヤと、もう一人フリーのタンク職を加えることでバランスを取る形で6人フルパーティとして編成した。
パーティリーダーはアヤ。キバオウが助言等補佐を行う。
キバオウが申し出たことだった。今の自分はリーダーにふさわしくない、と。
配置は先鋒である。つまり、ボスの行動をできるだけ引き出し、他のパーティにそれを見せるのが役割である。
最も危険な配置箇所であるのは言うまでもない。
もちろん、サチにはそのことを伝えていない。
「そうだな。明日は朝から出るよ。
弁当はさすがに用意しなくていいぜ。
キリトのやつが俺を羨むあまり精彩を欠くかもしれん」
アヤが冗談めかして言うと、サチは微笑んで小さく頷いた。
そう、不安がらなくていい。
そんな意味を含めてサチの頭をまた撫ぜたが。
しかし彼女はその手から逃れるように身を捩った。
「わり。くすぐったいか」
少し残念に思い手を離そうとすると。
「ううん。それも好き」
突然、そう言われたことにアヤは面食らった。
彼女にしてはとても珍しい自己主張だったからだ。
「今日はね、そっちじゃなくて。
手を繋いで欲しい、です」
続け様、こうして口に出して甘えられることなど初めてのことだったのでさらに驚くはめになった。
アヤは今きっと、あまりのことの連続に間抜けヅラを晒しているはずである。
またしてもランプの灯りが憎らしくなった。
とはいえ特に拒む理由もない。
アヤは控えめに差し出されたその手を握ろうとした。
しかし。
「これがいい」
その前に、指を絡められた。
ひどく恥じらいながら。
おかしい。
とても様子がおかしい。
アヤは困惑した。
彼女の気持ちは知っている。さすがにもうわかっている。
しかし、このような直接的な行動を取るに至った理由がわからなかった。
だが、彼女なりに精一杯に勇気を振り絞ってこうしたことはその仕草からも明らかだった。
それは一体どこから湧いてきた勇気だ? 考えるも、わからない。
「あったかい。離したくないな」
ぽつりと呟かれたその言葉で、すっと疑問が氷解した。
彼女は自分のためにではなく、アヤのために勇気を出したのだと。
ああ、なるほど。
繋がれたのか、俺は。
壊さないように、優しく握り返した。
サチの身体が驚きに強張ったが、アヤの顔を見るなり安心したように微笑んだ。
「帰ってくるよ。必ず。
君のもとへ」
今、勇気を出さないと居なくなる。
アヤはきっと、そう思われていたのだ。
もうとっくにそんなつもりなどなかったというのに。
◇
昨夜を思い返しつつ、アヤは槍を撫でた。
見れば周りの面々も自らの武器に視線を落としている。
目の前の扉を見たくないのかもしれんな、本当のところは。
アヤはふとそんなことを思った。
ボス部屋の前に辿り着くと、ディアベルは決まって攻略組に言う。
語るべきことはすでに会議の時に語り尽くしているからと。
ただ短く、言うべきことだけを言う。
「みんな、準備は整っているな?
では先鋒部隊、前へ」
アヤのパーティを含む、先鋒部隊たちが前に出た。
「扉を開けろ」
ディアベルが剣を高く掲げる。
「まずは偵察戦だ。
決して無理はするな。
今回もいつもと変わらない。
勝とうぜ‼︎」
勝つ。
言うべきことはそれだけだ。
鬨の声と共に、攻略組は扉へと飛び込んだ。
◇
《アスラ・ザ・エクスキューショナー》
黒き甲冑の巨人である。
ただし、人ならざる異形の。
四本の腕には鎌や斧、鎖付きの鉄球といった禍々しい武器を携えている。
この広いはずのボス部屋が狭く感じるほどの巨体も相まり、本能的な恐怖を呼び起こさせるような怪物の姿だった。
高らかに吠えもせず、ただ黙して。
しかし一歩踏み出すごとに地が揺れるような錯覚をおぼえ、じゃらじゃらと無機質な金属音が響く。
キバオウが血走った目でそんなボスを睨め付けている。
威容にも負けず、戦意を失うどころかむしろ高めた様子で。
アヤは隣にいたタンク職に声をかけた。
「
道中でもあんたの盾捌きは見てた。
とんでもなくかてぇタンクだ。
頼りにさせてもらうよ」
「なに。こちらこそ。
君の動きはよく考えられていると私も感心していた。
共に生き残ろう」
ヒースクリフと名乗ったその男は、アヤが今まで見たこともないほど硬いタンクだった。
歳の頃は30後半から40前半か。それくらいに見えるが、実際にはわからない。
髪を下ろしたアヤと同じくらいの長さの灰色の髪を首の後ろで結んでいる。髪色のせいか顔つきに比べてさらに老けて見える。
装備構成は理想的なタンクを追究したかのようなフルプレートメイルに大楯、片手剣。実に堅実なスタイルであるが、これでいて火力もなかなか出す立ち回りを時折見せていた。
アヤの知る限りでは、彼の隠遁前には攻略組ではなかった人物だ。
ディアベルによれば、停滞する25層の攻略中にどこかからふらりと現れたフリーのプレイヤーだそうだ。
ヒースクリフ本人が言うには生き残るためひたすら硬いビルドを組んで武者修行していたとのことだったが、限界を感じてきたので攻略組に合流したらしい。
攻略への意欲も非常に高く、その実力を買ったディアベルがじきじきに《聖剣騎士団》に勧誘したそうだが。
「ギルド作るんだってね、あんた。
すでにほぼ一強の《聖剣騎士団》団長の勧誘を蹴ってまで。
見た目によらず情熱的なナイスミドルだこと」
彼はなんと自分でギルドを立ち上げるつもりらしく、すでに目ぼしい人員に声をかけて回っている最中とのことだ。
攻略への意欲が高いのはいいが、それなら何故わざわざすでに出来上がっている組織への参入ではなく新しく立ち上げる道を選ぶのか。
権力や自己顕示欲を満たすことを求めているようにはあまり見えない。
アヤには彼の考えが読めなかった。
「アヤくん。
君は随分自然体だな。
もうボスが目と鼻の先にいるというのに」
「なに。いつものことだよ。
あんたも、人のこと言えんだろ」
二人が世間話をしていた間にもアスラは接近していた。
なんならもう腕を振りかぶっている。
とてもそんな状況にいるとは思えないほどに彼らは落ち着いていた。
そばにいるキバオウが不気味なものを見る目をしている。
「おいジブンら!
来るで!」
アスラが右側の腕二本を振りかぶるモーションをとっている。
キバオウ曰く、上下どちらの腕がくるか見分けがつかないモーションだ。
斧か鉄球か、はたまたその両方か。択が多い。
初見ならば盾受けは推奨されず、回避に徹したしたほうが良い攻撃なのは明らかである。
「ふむ」
しかし。
ヒースクリフはまるでわかっていたかのように振り下ろされた斧の一撃を受け止めた。小揺るぎもせずに。
アスラは次いで、反対側面から鎌を横薙ぎに振るった。
こちらは比較的わかりやすいモーションである。
ヒースクリフがそちらに盾を向け直すが、すでにパーティメンバーの一人、こちらもタンク職のリーテンが割り込んでそれを受け止めていた。
おそらく、割り込まれずとも彼一人で捌き切っていただろうことはその余裕ぶりから見て取れる。
ヒースクリフの離れ業に一瞬の動揺を見せつつも、隙と見たキバオウたちアタッカーはアスラの足元に潜り込んだ。
これも事前の作戦通りだ。巨人型のモンスターに対するセオリーのひとつである、足元への攻撃である。
アヤに至っては、アスラが腕を振りかぶっていたその時からすでに足元へ潜り込んでおり、ひたすら火力を吐き出し続けている。
初見のボスに対し向こう見ずな行動かというと、あながちそうでもない。
どのゲームにも言えることだが、モンスターのモデリングというのは一体一体丁寧に一から十まで作られているわけではない。
獣型なら獣型の。虫型なら虫型の。あるいは人型なら人型の、と。
細部は調整されるが、大元となる骨格はモンスターの種別ごとに同じであったりする。そうでなければ、作業工程が多すぎてクリエイターの負担が大きかったり、ゲーム内でのデータ処理に支障が出るといった事情があるからである。
このよく作り込まれたSAOというゲームにおいてもそれは同様に言えることであり、既存のゲームに比べればマシとはいえいわゆる「コンパチ」モンスターは確かに存在しているのだ。
アスラのモデリングは人型骨格にゴーレム型のモーションを流用した超巨人型とでもいうべきものであるとアヤは判断した。
そもそもが巨体であり、甲冑の禍々しい装飾や腕の本数が増えているといった異形の姿から、一見すると完全固有のモデルに見える。しかし、ガワの肉付けを全部剥がせばその中心には人型骨格があるはず。
常人なら勘で判断できるかどうかというそれを、アヤは記憶によって高い確度で判別している。
今の動作は見たことがある。巨人型モンスターが前方に武器を振るう時のモーションと完全に一致している。叩きつけの線は極めて薄い。腕の延長線上に攻撃判定が伸び、足元はスカスカになる。と、そういった具合に。
すでにソードスキルをアスラの足元に叩き込んでいたアヤに遅れてキバオウも負けじと攻撃を繰り返す。
同じように潜り込んできていた他のパーティメンバーも。
ボスの足が持ち上がる。
これも巨人型ボスの攻撃パターンのひとつ、踏みつけである。
しかし、これには衝撃波が付随し攻撃範囲が拡大するということは、すでにキバオウから聞いていた。
攻めるべき場面ではない。
誰が指示するまでもなく、攻撃に参加していた者たちはすでに退避していた。
アスラはただその場で足踏みをしただけ、といったどこか間抜けな姿を晒している。
もっとも、その姿とは裏腹にこれまでに見せた攻撃すべてが必殺の威力を誇っているのだが。
アヤは分析する。
最初にやって見せたような、斧を受けさせておいて横合いからの鎌で狩る、といった連撃で攻め立てるタイプの行動様式なのは見て取れる。おそらくは四本の腕を組み合わせた複数パターンのそれを持っていることも。
足元に潜れば当然、危険な踏みつけを誘発しやすい。これも巨人型のセオリー通りである。
「どう見る?」
隣にきていたヒースクリフが問うた。
「中距離以遠の攻撃手段が豊富。
適正な距離間を保って武器を振らせつつ、連撃後の隙に足元に潜り込んだやつらで殴る。
踏みつけで足を持ち上げてる間に退避。
この繰り返しが基本になるだろうな」
アヤが答える。
ヒースクリフは頷いた。
「昨日の会議でも結論づけた通りだな。
となると、我々の仕事はやはり」
「当然、ヤツの攻撃パターンを丸裸にすることだ。
キバオウ、例の範囲攻撃のモーションの予兆があれば知らせてくれ」
「無論や。二度と喰らわんし喰らわせん」
「連撃の一撃目は俺が回避してみせる。
回避後の俺を狩ろうとするヤツの攻撃は、盾持ちに対処を任せる。
その他の人員で隙ができたヤツを殴る。
そういう方針で構わないか」
「心得た」
方針が固まった。
あとは仕事をこなすだけ。
アヤはいつも通り冷静に、されどいつもより握りを強く、槍を構え直した。
◇
「ディアベル。ちょっといいか」
後方で戦況を見守りつつ必要に応じて指示を飛ばしていたディアベルにアヤが声をかけた。
アヤのパーティは見事に仕事を果たし、今は回復と休息のため後方に下がっている。
フロアボス戦は長丁場だ。ましてや戦闘中は集中を切らしてはならない。精神的に適度な休息が必要となる。
アスラのHPゲージは1本目が呆気なく削り取られ、すでに2ゲージ目の半ばにまで差し掛かっている。順調なペースである。
アヤたちを含む先鋒の部隊が粘り強い奮戦を見せたため、後続のプレイヤーたちがアスラの行動様式を念入りに観察することが出来たというのが大きな要因であろう。
パーティメンバーの中でキバオウだけは前線に残り声を張り上げている。
アスラは武器攻撃以外にも魔法じみた範囲攻撃を持つ。
というより、それはあからさまに魔法陣である。時折、黒い魔法陣をプレイヤーが密集している地点に配置してくるのだ。
そこからアスラの甲冑同様黒ずんだカラーエフェクトの鎖のようなものを召喚してくる。それには《麻痺》の状態異常が付与されている。
キバオウ隊を壊滅させた危険な攻撃である。
その召喚モーションを鮮烈に覚えているキバオウは、予兆が見えたら怒声を上げて警告を発するようにしている。そのおかげか幸いにもまだ被弾した者はいない。
「どうした、アヤ。
何か気になることでもあるのか」
ディアベルはアヤに対し、話すよう促した。
「ボスがまだ出入り口を塞いでこねぇ。
キバオウ隊を壊滅させた時とは違ってな。
その理由についての推測なんだが。
ヤツには逃げようとするやつの道を塞ぐ行動様式があるんじゃないかと俺は考えてる」
アヤの推測に対し、ディアベルは頷いた。
そのまま続けろ、という意味である。
「ヘイトを向けられている時にヤツに背を向けると、高確率で回り込んでくるか、こちらを跨いで前に立ち塞がろうとしてくる。
これは俺とヒースクリフがヘイトコントロールをしている時に気づいたことだ」
前線では変わらず激闘が繰り広げられている。
みな戦意が高い。
後ろにいる者たちに休む時間を与えようと、1ミリでもボスのHPを削ってやろうと前のめりに戦っている。
逃げないのなら応じよう、ただし逃す気はない。
アスラもまた、まるでそう言っているかのようにその巨腕を振るっている。
「つまり。
撤退の際が最も危険だと言いたいんだな。
あくまでこれは偵察戦だ。
最終ゲージの行動を確認したら一時撤退することになっている。
そうなればボスの回り込みが確実に誘発される。
タイミングを誤れば撤退もままならない、と」
アヤは頷いた。
ディアベルはボスのHPゲージを睨む。
リーダーとして、指揮官として。
ここにいる全員の命を預かる者として。
もうすぐ、最終ゲージだ。
◇
「ッダッらァァァ‼︎」
片手剣ソードスキル《バーチカル・アーク》発動
基本に忠実で使いやすい、と全プレイヤーが太鼓判を押す武器種《片手剣》。
その片手剣の三大ソードスキルのうちの一角が、飛び込みつつ垂直に剣を叩き下ろす《バーチカル》である。
その隙の少なさ、飛び込むという動作による接近性能の高さ、悪くない威力、といった愛されるに足る要素を兼ね備えた高性能なスキル《バーチカル》。
その上位スキルのうちのひとつが、今、キバオウが裂帛の気合と共に放った《バーチカル・アーク》である。
素直な挙動の本家《バーチカル》に比べると幾分クセの強いモーションであり、飛び込み斬りをするところまでは同じなのだが、そこから高威力の飛び上がり斬りに派生するという挙動をとるスキルとなっている。
横から見ればVの字の剣閃を描くそのスキルは非常に格好良く映える。
飛び上がるという動作で締めるがために隙が大きくリスキーであることを度外視すれば、ロマン溢れるまさしく必殺技といってもいいソードスキルだ。
キバオウの放つ渾身の必殺技により、アスラのHPゲージ、その2本目が遂にすべて削り取られた。
それと共にダメージ蓄積量が一定値を超えたのだろう、その巨体を揺らめかせながら、アスラはたたらを踏みつつ後ろへ下がる。
いよいよか。
攻略組の面々は、アスラを睨む。
敵の本当の力はこれから解放される。
まずは情報の獲得だ。無理攻めはしない。
よろめき、隙を晒しているボスを目の前にしても、歴戦の攻略組は色気を出さない。
ただ静かに戦意を滾らせつつ様子を窺っている。
「総員、警戒!
E、Fの火力隊は今のうちに下がり、外のタンク隊と交代だ!
外ではリンドの指示に従え!」
ディアベルがボスの様子を窺いつつ指示を飛ばした。
指示を受けた人員は速やかに動き始める。
アスラはまだ、動いていない。
追い詰められたようにボス部屋の奥で佇んでいる。
ーーーォ、
誰かが。
あるいは、この場にいる全員か。
その音を聴いた。
アスラが疼くまるように身を屈める。
ーーーォオ、
特徴的な四本腕。
そのうちの二本。上下で言えば下側に当たる二本だ。
その手に携えていた斧と鎌を落とした。
人の身を超えた巨体が振るう巨大武器である。
ドシャリ、ともガシャリ、ともつかぬ音が鳴った。
ーーーオ、オオォオオォ‼︎
咆哮。
無手の二手を交差するように背にやり、そこに
アスラの背から、まるで血飛沫のように紅いライトエフェクトが散った。それは今も噴き出し続けている。
「な、なにを」
その光景に誰ともなく疑問の声を上げる。
突然の自傷行為だ。
実際に、アスラのHPバーは減っている。
アスラが立ち上がった。
その手に自らが引き千切った腕を持ち、大きく、弓のように上体を逸らした。
「来るぞ‼︎」
ディアベルが絶叫する。
ただ、何をしてくるかはこの場の誰にもわからない。
本当に、わからない。
弓を弾くように。
アスラはその両の手に掴んでいた、もういらなくなったモノを、全霊の力で持って投擲した。
嘘だろ。
誰も口にはしなかったが、誰しもが思った。
常軌を逸した速度で、腕だったモノが攻略組に飛来する。
その巨体のうちの少なからずを占めていた大質量の物体が襲いかかってくる。
「た、退避!
退避だッ‼︎」
とてもじゃないが小人ごときが受け止めていいような代物ではない。
歴戦のタンクでさえも必死の形相で脇に身を避ける。
幸いにして、狙いをつけていたわけではなかったようだ。
それに被弾した者は一人もいない。
ただ。
「うわあああぁあぁ‼︎」
ディアベルの指示で交代しようと移動していたパーティから悲鳴が上がった。
理由は見ればわかる。
アスラの投げ捨てた巨大な物体は、ボス部屋の扉にぶち当たってから床に転がっていた。
それはそこにある。巨大に。道を阻むように。
決して逃さないように。
そもそもの狙いが違ったのだ。アスラにとっては。
「い、入り口が......」
退路を塞ぐ。
逃げる者を妨げる。
それが、恐らくはこの処刑人の行動原理。
ーーー皆、ここで処刑する。
まるでそんな声が聞こえた気がした。
◇
アスラは身を屈めると、自らの足元に転がったままになっていた二本の武器を拾い上げた。
斧と鎌。叩き潰し、引き裂くもの。
処刑に必要だ、と言わんばかりに。
攻略組は各々の得物を手にその様を眺めることしか出来なかった。
中にはアスラのほうも見ず、塞がれた退路に目を向けて固まってしまっている者まで存在した。
「......逃げる者を許さない行動様式、ねぇ」
得心がいったとばかりにアヤは呟いた。
会議の場でキバオウが言っていたことを思い出す。
あのボスは只々殺意が高い。
なるほど確かに。
処刑から免れようと抗う分にはその権利は認めてやる。
ただ、逃げるな。
免れたくば勝ち取って見せろ。
生き残りたいなら、倒してみろ。
ヤツはきっと、そういう風に思考するよう造られているのだろう。
「何かしてくるな。どでかいのを」
アヤが呟くなり、アスラがこれまで見せたことのないモーションを取った。
腕を交差している。その腕に、どこからか湧いて出た黒き鎖のようなエフェクトが絡みついていく。
「......鎖の召喚に似とるが、あれは」
キバオウが呟いた。
その、途端。
アスラは交差していた腕をガバリと広げた。
「やっべぇ伏せろ‼︎」
鎖が伸びる。鞭のように。
それが薙ぎ払われる。
こちら目掛けて。
アヤは指示と共にその身を地に伏せていた。
それは記憶によるものではない。ただの勘だ。
なんとなく、植物系のモンスターが蔓を払うモーションの予兆に似ていると思ったから。
同じことを思った者はいたのだろう。
咄嗟に身を屈めたプレイヤーはその攻撃から免れた。
しかし。
「ぐぁああああ‼︎」
判断が遅れた者はまともに受け、吹き飛ばされており。
「な、なんで‼︎」
盾で受けようと判断した者は、強烈なノックバックで体勢を大きく崩す。
そして何よりまずいのが。
「《麻痺》だけじゃない、《呪い》がッ‼︎」
その攻撃に付与されていた状態異常が強化されていることだった。
まず《麻痺》の説明は不要だろう。
行動阻害を引き起こす危険な状態異常であり、比較的メジャーなバッドステータスであるため、特にタンク職のプレイヤーは最優先でこれに対する耐性値を高めるようビルドを構築するのがセオリーである。
事前情報でアスラがこれを扱うことはわかっていたので、皆、今回は良質なアイテムや装備を用意して耐性を高めていた。
その甲斐もあって先程までのアスラの鎖攻撃は、盾を持つプレイヤーにとってはさしたる脅威とはなっていなかった。受ければ耐えられたからである。
しかし、今はそうではない。
高水準であるはずの耐性値を貫通して一撃で発症させられるほどに蓄積量が強化されているようで。
受けたり、ましてや食らってしまったプレイヤーは身の自由を奪われてしまっていた。
さらに悪いことに。
状態異常《呪い》
HP回復を阻害し、被ダメージ量が上がるという極めて危険なバッドステータスである。
あまりメジャーではなく一部の敵しか用いない。
そもそも耐性装備やアイテムの入手も困難であり、これを扱うことの多いゴースト系のモンスターは、低ステータスのわりに危険であるとされる要注意MOBの一角である。
そんな脅威を、まるでついでのように、屈強なボスがばら撒いてきたのだ。
「ッ解除アイテムを持ってるやつはすぐにフォローに回れ‼︎」
ディアベルの指示により、動けるプレイヤーたちは結晶アイテムを手に倒れた味方のもとへ向かう。
だが、処刑人は止まらない。
「なっ、は、速ッ」
巨人型のセオリー通り緩慢な動作しかしてこなかったアスラは、ここに来て突然、機敏な動作で倒れたプレイヤーたちのもとへやってくる。
無論、疾走というほどの速度ではない。
せいぜいが早歩きだろう、ヤツにとっては。
しかし、人間とはスケールの違う大巨人である。
その歩幅は一体何倍になるのか。
アヤは冷徹に判断した。
あれは、間に合わねぇ。
振りかぶった斧でまず一人。
薙いだ鎌で、もう一人。
アスラは得意の連撃モーションで、あっという間に二人のプレイヤーの命を刈り取った。
攻撃モーションまでもが加速している。
腕を二本も捨てて身軽になったということなのか、はたまた殺意の問題か。
高く足を上げた。
踏みつけのモーションである。
ただ、これまではその場での足踏みに過ぎなかったそのモーションに、重心の移動が加わっている。
大きな。とても大きな一歩。
それが、窮地に陥った味方を救おうと駆け寄っていたプレイヤーたちの頭上を襲った。
これも、間に合わない。
まるで蟻の列を寸断するかのように。
幾名かのプレイヤーは、巨人にその身を押し潰され、いなくなった。
静寂。
あまりの呆気なさに。
動揺。
あまりにも、殺意が高すぎる。
実のところ、これまでボス攻略戦で死者が出たことは一度もなかった。
そんな快挙が成されたのは指揮官ディアベルによる現地での判断が的確であったのはもちろんのこと、そもそも戦術が良かったことが要因として大きい。
一度偵察戦を行い、二度目で確実に打倒する。
一度目は未知。二度目は既知。
知識がもたらす心の余裕というのは、命を賭けて戦う者たちにとって何にも代え難い武器である。
しかし、今。
プレイヤーたちは未知に殺されたのだ。
長らく忘れかけていた恐怖を、これでもかと想起させられた。
これまでが、上手くいき過ぎていた。
これは何人か
アヤは疾走した。
アスラへ向けて。
「やりたい放題しやがって」
《ペネトレイト》発動
攻略組でも一、二を争う敏捷値を誇る彼による彗星のような踏み込み突きがアスラの足に突き刺さる。
アスラは足元の小人を確かに見た。
次はお前にしようか、と。
「ディアベルッ!
こいつは盾受けとの相性がメチャクチャ悪ぃ!
メインタンクは俺がやらざるを得ねぇ‼︎」
死者が出たことへの動揺が広がる中、それでもなお冷静でいたアヤはディアベルを叱咤する。
俺はお前の指示を待たず役割を果たすぞ、と。
「ッすまない! 任せる!」
我に返ったディアベルは、プレイヤーたちの前に出て面々を見渡す。
「ここが死地だッ‼︎
今この時より、討伐戦を行うッ‼︎
まずは敵をよく見ろ、目を逸らさずに‼︎」
折れた者は捨て置く。
動けるやつだけでいい。
俺の檄に、心動かされたやつだけで。
そんな心地で吠えた。
これが、俺の役割だ、と。
アスラはアヤへと左右の腕で武器を振るう。
しかし、高速化しているだけでそれらのモーションは既知だ。
その攻撃は、かすりもしない。
そこへ。
《リニアー》発動
細剣カテゴリのソードスキルである。
アヤが先程放った《ペネトレイト》によく似たその踏み込み突きは、細剣使いにとっての基本にして奥義。
ましてやそれを放ったのが、攻略組でもアヤに比肩するか、もしくは上回るほどの速さの持ち主であったならばその威力は推して知るべし。
「わ、私も。アヤさんと似た役割は、持てます」
「おいおい。
青い顔して何言ってやがる。
美人が台無しだろうが」
攻略組きっての細剣使いアスナ。
アヤが生真面目な彼女をからかって攻略の鬼、などという呼び名を勝手につけはしたが。
実のところ近頃はその呼び名よりも、プレイヤー間でじわじわと浸透しつつあるもう一つの呼び名がある。
《閃光》
そのように渾名される彼女のトップスピードはアヤですら目を見張る。
《トライアンギュラー》発動
高速の三連突きをお見舞いする細剣カテゴリのソードスキルである。
先程《リニアー》を喰らわせてやったばかりだというのに、ダメ押しとばかりに突いて、突いて、突く。
恐怖を振り払うかのように三条の光は閃いた。
さしもの巨人もこれは無視できぬと彼女を見やる。
アスラは硬直中の彼女へと横薙ぎに鎌を振るった。
「焦るな。攻め気が過ぎる。
やっぱ任せらんねぇわ」
「きゃあっ⁉︎」
アヤはアスナのほうへと飛び込むと、宙空でその身を翻し一回転。
そしてあろうことか、そのまま回転蹴りで彼女を蹴り飛ばした。
いわゆるローリング・ソバットである。
横薙ぎの鎌を避けつつアスナを攻撃範囲外に逃すため、やむ無くそれを放ったのだった。
攻略組の隠れアスナファンたちが動揺の最中でさえなければ、大ブーイングが巻き起こっていたことだろう。
「俺は大丈夫だから。
火力役はあとで出番があるさ」
片手で謝意を示す。
アスナは悔しげに顔を歪めていたが仕方ない。
彼女には後で火力を吐き出してもらわねばならないのだ。
危ない役目は一人で引き受ける。
「こっち見ろ」
アヤがいつの間にか取り出していた結晶アイテムを砕く。
超がつくレアアイテム《剛力結晶》である。
効果は単純だが強力な一定時間の攻撃力増強。
ヘイトを買う。このお高い出費で。
そんな心持ちでアスラへと突撃。
ソードスキルでもない、ただ彼の脚力によってのみ繰り出される踏み込み突きをお見舞いする。
アスラがよろめき後退した。
さっきのアスナの攻撃が効いてたか。もったいねぇ。どうせ体勢崩すんならソードスキル当てときゃよかった。
そんな風なことを思いながら、アヤは追い縋るように疾走する。
走りながら、両手に持った槍の柄を地面に突き立てる。
そして、さながら棒高跳びのように跳躍した。
《エア・レイド》発動
空中専用ソードスキルである。
モーションは至ってシンプル。
前方斜め下へと慣性すらも無視した高速の落下突きを繰り出すスキルだ。
それを、アスラの爪先、それも小指のあたりを狙って繰り出した。
別に小指に当たればダメージが増加するなんてことはない。
ただ、そのほうが痛そうで、より憎まれそうだと思っただけである。
狙い違わずそれは命中。
アスラがたたらを踏んで後退した。
憎悪の眼差し。
なんて、この世界で、それも人工知能から感じ取れるわけもないが。
硬直が終わり立ち上がったアヤとアスラの視線は、この時確かに交錯しているように思われた。
槍を回し、構え直す。
「まだいけるぜ。
落ち着いたら戻ってこいよ、攻略組」
プレイヤーたちは絶句していた。
アヤの強さに。
確かに、アヤは上手いプレイヤーである。
これまでのボス攻略戦でも彼はいつも一定の戦果は上げていた。
やっていることもいつもと代わりない。
いつも通り、ただただボスのヘイトをもらうよう攻撃しているだけ。
それなのに、今はどうも強すぎる。
一人でボスを倒してしまうのではないかと思えるくらいに。
ただ、本当に何も変わってはいないのだ。
別にアヤは強くなってなどいない。
いつも以上の力を発揮したりしているわけでもない。
現にアスラのHPバーはまだ半分以上も残っている。
そう。
弱っているのだ。他の者が。
重い感情に心をかき乱されている。
感情に囚われないアヤがただ普段通りのことをしているだけで、そんな彼が怪物じみて強く見えているだけなのだ。
自分が今いる場所で。
自分と話したことのある人間が。
無惨にも殺された。
それで動揺しないやつはいない。
そういう意味では、平生と変わらぬままでいられるアヤの精神性は怪物と言っても差し支えないのだろう。
心によりて仮初の肉体を動かすこの世界。
◇
アヤが大立ち回りを繰り広げている。
その敵の名は殺意。
彼はボスと戦っているのではない。
殺意そのものと戦っている。
アヤは最適解を選び続けていた。
心乱さない彼はただ淡々とボスの攻撃をかわし、カウンターを差し込んでいく。何度も何度も。飽きるほどに。
しかしながら。
いくら心が平静を保っていようとも、情報を処理するのはあくまでも脳だ。その仮初の身体を動かすのも脳だ。
精神的な疲労というよりは、脳そのものの物質的な疲労。
それはどれだけ怪物じみていようとも、生物である以上避けられない。
もう幾度目かもわからぬアスラの連撃、殺意と共に繰り出された死神の手がついにアヤを捉えた。
「ッ‼︎」
ほんの一秒にも満たないバックステップの遅れ。
横薙ぎに繰り出されていたアスラの鎌がアヤの腹部をわずかに引っ掛ける。
直撃でこそなかったものの、その大質量による衝撃は十分。
アヤは錐揉み回転で何とか衝撃を緩和しつつも真横に吹き飛ばされた。
HPバーが大きく減少している。もともと耐久力の高くないアヤは虫の息となった。
受け身は取れた。
しかし、そもそもアスラが本来得意とする距離は中距離以遠。
今、彼が吹き飛ばされたのは、まだ敵の攻撃範囲の中だ。
次にしくじれば、アヤは死ぬ。
アスラが踏み出す。
死の足音が聴こえる。
しかし。
「殺し損ねたな。
こうなってからの俺はしぶといぞ。
何せ死ねない理由があるからな」
アヤはこの期に及んで尚笑う。
理由がある限り俺はいくらでも動けるぞ、と。
死んでもいい。
口にするのは簡単だ。
死ぬ気でやるとか、死んでも嫌だとか。
日常において軽々に用いられがちなその言葉。
それを本気にするやつがどこにいる。
アヤはいつでも本気だ。
それを口にするときは本気だ。
だから今は、絶対に言わない。
そういえば。
「吐いたツバ、飲んでたまるかァッ‼︎」
つい最近、それを口にしたやつがいたな。
アヤと対峙していたアスラへと、咆哮と共に躍りかかった者が一人。
「死んでもええわい!
ワイは確かに、そう言うたんやからなァ‼︎」
突撃。
まさしくその言葉を体言するように、キバオウが前のめりに駆け出していた。
《レイジスパイク》発動
片手剣の三大ソードスキルの一角である。
両手槍の《ペネトレイト》や細剣の《リニアー》のような踏み込み突きとは少し違った、まるで地面を滑るかのような突進突きを繰り出すスキルであり、クセのない直線挙動で痛烈な一撃をお見舞いする切り込み技だ。
キバオウの渾身のソードスキルがアスラへと突き刺さる。
アスラが、彼のほうを見た。
「来いや、死ぬ気で避けたらァ!
ワイがビビっとる間に戦っとったやつがおる!
死にかけとるやつがおる!
見殺しなんて、んなダサい真似、死んでもゴメンじゃあ‼︎」
向けられる殺意に怯むことなく仁王立ち。
アヤは爆笑した。
絶対にそんな空気ではないのに、思わず笑ってしまったのだ。
「死ぬ死ぬってメッチャ言うじゃん、ウケるわキバオウ」
「なにわろとんねん、はよ回復せぇ!
結晶くらい持っとるやろがジブン金持ちなんやから‼︎」
「おう、今のうちにそうするよ。
あー生き返るわ」
アヤはポーチから回復結晶を取り出すと、それを砕いた。
このゲームにおける貴重な即時回復手段である。
当然、超がつくレアアイテムだ。安い家なら買える。
のんきな軽口を叩きつつもアスラの動向からは目を離さない。
今度はキバオウが危険だ。
しかし。
「キバオウ!
先走るな、死にたいのか⁉︎」
ディアベル率いる、戦意を取り戻した攻略組の面々がこちらへと駆けつけてきていた。
数はごく少数だ。
さしものディアベルでも、全員を立ち直らせることはできなかったらしい。
「一番アホやらかしたワイが一番に死ぬ気にならんでどないすんねん!
示しがつかんやろが!
ケジメつけられんやろがい!」
そう言って、キバオウは必死の形相でアスラの攻撃を避けている。
非常に危なっかしい。
本当に死にそうだった。
「ここで死ぬな。
お前の処分は俺が決める」
ディアベルが盾を構えた。
《ライオンハート》発動
盾カテゴリの最上位のソードスキルである。
周囲の敵性モンスターの注意を引きつつ発動者へのヘイト値を大幅に上昇させる効果と、盾のガード性能を大幅に強化する効果を持つ。
余談だが盾で発動するのにシールドスキルとは呼ばない。
キバオウに向けて武器を振るっていたアスラが、スキル発動者であるディアベルのほうに大きく振り返る。
正しく効果が発揮されていることを確認したディアベルは油断なく盾を構え続けている。
「2部隊しかいないから指示は簡易だ。
キリト隊、ヤツの背後をつけ。
この距離感。
ヤツは今から、こちらに向けて鎖を放つはずだ」
ディアベルの宣言通り、アスラはその両腕に黒き鎖を巻きつけた。
先程の横薙ぎのモーションではない。その両腕を頭上高くまで振り上げている。
これは好都合だ、とディアベルは小さく鼻を鳴らした。
振り下ろされた。
黒き鎖が波打ちながらディアベルを襲う。
アスラの鎖には強力な状態異常属性が付与されている。
盾受けは厳禁。
それは先程の地獄絵図で証明されていたはず。
しかし。
「大ギルドの長をナメるな。
レアアイテムなんて一声かければいくらでも集まるんだよ」
左手には盾を。
剣を持つ右手にはいくつもの指輪が嵌められている。
《レジストリング》起動
アスラの鎖をディアベルが盾で受けた途端、右手のリングに次々とヒビが入っていく。
この指輪カテゴリのアイテムの効果である。
装備者への状態異常蓄積を肩代わりし、限界値を迎えると破損し消滅する。
貴重な指輪装備枠を埋めてしまううえに使い切りのレアアイテムということもあって普段から身に付けている者は少なく、タンク職のプレイヤーが保険として持ち歩いていることが多い代物だ。
ディアベルは心折れた攻略組の面々からこれを徴収した。お前らが使わないなら俺が使う、と。
リングが2つほど弾け飛んだところで鎖の勢いを殺し切ることに成功する。
無論ディアベルは無傷だ。
「ノブリス・オブリージュってこういうことじゃないんだけどな。今はやむを得ない、か」
ディアベルは苦々しげにしているが大戦果には違いない。
先程指示を飛ばしてすでに動いていたキリト隊がボスの背後をつく。
キリト、アスナを筆頭とした火力特化のバーサーカー部隊である。
次々とソードスキルがアスラへと撃ち込まれていく。
元からそばにいたアヤ、キバオウも当然その攻勢に参加している。
アスラのHPバーが見る見る内に削れる。
その体勢を崩していく。
立て続けの攻撃に、アスラは耐えかねたようだ。
これまでの蓄積もあったのだろう。
その巨体をよろめかせ、揺らめかせ、そして遂には。
「ダウンや‼︎」
膝をついた。
残虐無比の処刑人には似つかわしくない、頭を垂れるような姿勢で。
「トドメを刺せ!
この悪夢を終わらせろ!」
ディアベルが叫んだ。
誰に向けてのものでもない。
それは願いだった。
ただ、誰がやるかはもうわかっていた。
誰よりも早くダウンの予兆を察知していたアヤは、すでにソードスキルの起動モーションを取っている。
「帰るぜ。
あんまり心配かけたくねぇんだ」
身を深く前に屈め、槍を脇腹に抱え込む。
《タイタン・スレイ》発動
全身のバネを駆動し、渾身の力でもって槍を斜め上へと突き上げる。
眩いほどのライトエフェクトを纏ったそれは、垂れ下がったアスラの首へと吸い込まれるように伸びていく。
そして。
「道を空けろ」
ピシリ、と。
突き立った箇所から広がるように、アスラの総身がひび割れて行く。
まるで硝子のように。あるいは薄氷のように。
槍は止まらない。
もとより、システム的に止められない。
モーションアシスト機能は阻むものがない限りは最後までその動作を完遂させるべく働く。
力使い果たしている今のアスラの身でそれを阻むことなどできようはずもなく。
槍が突き抜け、そのモーションを最後まで終えた時、エリアには。
雪のように舞い散る白きライトエフェクトだけがはらはらと残った。
《Congratulations‼︎》
さして美しくも、なく。