やあみんな、よく来てくれたね。
僕の名前は狭山ケイ。
ごくありふれた、元男性社会人転生者系女子高生さ。
……と、自己紹介はこれくらいにしておこう。
今日も放課後、僕は校舎裏の少し離れた場所で、小さな燻製器を動かしていた。
許可はきちんと取ってある。
生徒会の権限を少しだけ使わせてもらった結果だ。
煙が細く立ち昇り、周囲に穏やかな香りが広がっている。
「見たまえ英智くん!このウズラの卵が、短時間の燻煙でこんなに美味そうに激変するんだ!これがまたピートの効いたハイボールに、とにかく合うんだよ、コレが!」
僕は完成したうずらの卵をつまみ上げ、得意げに差し出した。
英智はそれをじっと見てから、すぐに言った。
「おまえ未成年だろ」
「…ゴホン、聞かなかった事にしてくれ」
「せんせー、未成年飲酒の犯人がここにいまーす」
「ぎゃー!やめて!やめて!お願いします許してください何でもしますから!」
僕は大げさに両手を振って見せた。
英智は呆れたように息を吐きつつ、それでも燻製器から離れない。
「じょ、冗談だろ!実際に飲むわけがないじゃあないか!ただ、相性の話をしただけだ。そうやって君はすぐに揚げ足を取る」
「揚げ足とか言うな。普通に突っ込んでるだけだろ。それにハイボールとか、いきなり何言ってんだよ。オッサンかよ」
「うぐぅっ…せ、正確な食の知識だ。燻製は奥が深いんだよ。温度、時間、チップの種類。少し変えただけで全く別物になる。ちくわぶだって、出しの染み込み方一つで印象が変わる。僕は両方を深く理解しようとしているだけだ」
「……なんで生徒会の人間が、放課後にちくわ部と燻製部なんだよ」
「掛け持ちだ。どちらも奥が深い。君もたまには顔を出せ」
「断る。俺は帰宅部だ」
「帰宅部こそ、僕の活動を見学する義務があると思うんだが?」
「そんな義務ねえよ」
英智はそう言いながらも、完成したうずらの卵を一つ受け取って齧った。
少し目を細めて、ぼそりと呟く。
「……まあ、美味しいけど」
「だろう?僕の言うことはね、大抵は正しい」
「正しいかどうかは別として、まずは普通の部活しろよ。……って、もう遅いのか」
「遅いも何も、僕はちゃんと両立している。生徒会も、ちくわ部も、燻製部も、だ」
「三重掛け持ちとか、キャラが崩壊してるぞ」
「崩壊していない。有意義な時間の使い方だ」
そう言いながら、僕は次の食材をセットした。
煙の匂いが、制服に少しずつ染み付いていく。
「……なあ、英智」
「ん?」
「最近、誰かと話してるのか?その、女子とか」
煙を見つめたまま、僕は聞いた。
あくまで軽い調子で。
英智は少し考えてから、首を傾げた。
「別に普通に話してるくらいだけど。瀬能先輩が廊下で挨拶してくれたり、黒井がプリントを渡してくれたり……あと氷川が『英智くん、最近元気?』って」
「…ほう」
僕の口調は平熱のままだったと思う。
少なくとも、自分ではそう制御していた。
だが、胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。
(……なんだ、これ)
「どうした? 急に黙って。また、くどい話でも始めるつもりか?」
英智が先に突っ込んできた。僕はすぐに笑ってみせた。
「いや。君はニブチンから、余計な世話を焼きたくなるだけだ。僕は親切なんだよ」
「親切って言うな、監視だろそれ」
「監視ではない。適切なフォローだ」
「フォローとか言いながら、目が本気で気にしてるんだけど」
「気のせいだ」
「気のせいにしすぎだろ」
英智は呆れつつも、もう一つうずらの卵を口に入れた。
その仕草が、妙に目に残る。
(本当に、なんだこの思いは…)
僕は心の中で繰り返した。煙が細く空へ昇っていく。
操作は正確だ。
ミスなどしない。
ただ、指先が、ほんの少しだけ熱い気がした。
「おい、ケイ」
英智が燻製器の蓋を覗き込みながら言った。
「さっきから様子が変だぞ。うずらの卵に何かを見たのか?」
「見ていない。完璧な仕上がりを確認していただけだ」
「完璧とか言いながら、目が泳いでるんだけど」
「泳いでいない。煙で少ししみただけだ」
「煙で目がしみるなら、もうやめろよ。許可取ってるとはいえ、ずっと燻してたら通報されるぞ」
「通報されるようなことはしていない。適切な管理下だ」
「適切な管理下の人間が、ハイボールの話をするな」
僕は軽く咳払いをして、次のチップを少量追加した。
桜チップだ。
香りが少し変わる。
英智はそれを横目で見ながら、背嚢からスポーツドリンクを取り出した。
「で、さっきの話だけど」
「ふむ、どの話だい?」
「女子と話してるのか、ってやつ。なんか気にしてるだろ」
図星を突かれて、僕はほんの一瞬だけ手を止めた。すぐに再開する。
「き、気にしてなどいない。君が鈍いから、念のため確認しただけだ。放っておくと、また誰かに流されて傷つく可能性がある。僕はそれを未然に防ごうとしている」
「未然に防ぐとか、親かよ」
「親友だ。似たようなものだと思うが」
「似てない似てない。だいたい、ケイがそんなに心配するタイプだったか?」
「以前からそうだ。君が気づいていなかっただけだ」
英智は「はぁ」と長く息を吐いた。
呆れと、少しの諦めが混じった音だ。
それでも彼は燻製器の前から動かない。
うずらの卵をもう一つ手に取り、齧る。
「……美味しいのは認める」
「当然だ」
「でもさ、ケイ」
「何だ」
「最近、本当にくどい。前より増した気がする」
僕は蓋を閉めて、こちらを向いた。英智の目は、いつものぼんやりしたままなのに、なぜか少しだけ観察するように見える。
「くどい、か。確かにそう見えるかもしれない…しかし、僕は正確さを求めているだけだ。君が曖昧に答えるから、深掘りせざるを得ない。因果関係は明確だと思うが」
「因果関係とか言うな。ただの心配性だろ」
「心配性ではない。責任感だ」
「責任感で胸の辺りを押さえんなよ、ぜったい違うだろ」
思わず手が、制服の上から胸元に触れていた。僕はすぐに下ろした。英智はそれを見逃さなかったらしい。
「き、気のせいだ!」
「気のせいにしすぎ」
「君こそ、最近指摘がうるさい。以前はもっと鈍感だったはずだ」
「鈍感なままだけど、流石に毎日こんなんされたら気づく」
「毎日などしていない」
「してるよ。この前も、その前も」
英智が指折り数え始めるので、僕は軽く手を振って止めた。
煙の匂いが強くなってきた。そろそろ上げ時だ。
「今日はこれで終わりにする。食材も尽きた」
「やっとか」
「やっと、ではない。計画通りだ」
僕は燻製器を丁寧に片付け始めた。英智も黙って手伝っている。手袋をはめて、まだ熱い金網を dedusting する姿が、妙に目に入る。
(……まただ)
理由の分からないざわつきが、胸の奥で小さく脈打っている。
心配だ。
そう自分に言って聞かせる。あいつは鈍い。
放っておけば損をする。
僕がちゃんと見ておいてやらなければ。
前世からずっと、そうしてきた。
なのに、今日のざわつきは、少しだけ質が違う気がした。
「ケイ、カバン持つか?」
「自分で持つ。君は手を空いていろ。何か有事があったときに対応できるように」
「何も起きねえよ、これから帰るだけだろ」
「万一、だ」
「万一を想定しすぎ」
二人で校舎裏を後にした。
煙の名残が制服に薄く残っている。
ちくわ部の部室の前を通ると、部員の一人が手を振ってきた。僕は軽い会釈を返した。
「今日はちくわぶの試食会、顔出せなかったな」
「出せ。て言うか、生徒会の後で俺と燻製やってる場合かよ」
「優先順位の問題だ。君の面倒を見る方が、長期的に見て有意義だと判断した」
「有意義とか言うな。ただの暇人だろ」
「暇人ではない。効率的に動いているだけだ」
英智が「はいはい」と流すように答える。
その背中を見ながら、僕は徐に自分の胸元に手を当てた。
ざわつきは、まだ完全には消えていなかった。
(……まあ、いい)
明日も、たぶん同じことをする。
生徒会をこなし、ちくわ部と燻製部に顔を出し、その後で英智のところへ行く。
親友の面倒を見るのは、当然のことだ。
そう自分に言い聞かせながら、僕は英智の隣を歩いた。