やあみんな、よく来てくれたね。
僕の名前は狭山ケイ。
燻製の匂いが制服から抜けきっていない、元男性社会人転生者系女子高生さ。
朝のホームルームで隣の席の人間に「何かいい匂いする」と言われたときは、軽く微笑んで「香りの研究だ」と返しておいた。
事実なので問題ない。
今日は生徒会の仕事が少し長引いた。
会計の確認と、来月の文化祭に向けた仮申請の整理だ。
終わった頃には、もう日が傾き始めていた。
ちくわ部の部室に顔を出すと、部長が「ケイ、今日は試食会やるよ」と声をかけてきた。
ちくわぶを使った新しい煮込み方の検証らしい。
僕は「これは人類の味覚に革命を起こす味だ」と返して、少しだけ付き合った。
出汁の染み込みが前回より良い。
その後、燻製部の方は活動としてチップの在庫確認だけ済ませて、僕は校舎を出た。
自然と足が向く先は、決まっている。
英智の部屋だ。
インターホンを鳴らすと、すぐに鍵が開いた。英智はいつものように、少し癖のついた髪で出てくる。
「また来たのか」
「また、ではない。これは運命が定めた定期便だ」
「運命とか言うな。ただの押し掛けだろ」
「押し掛けではない。君の人生を豊かにするための、神聖な奉仕だ」
「奉仕とか変に聞こえるからやめろ。俺の人生、ケイが来なくても普通に豊かだ」
「それは認識が甘い。僕がいないと、君はきっと栄養バランスの崩壊した深淵に落ちる」
「昨日カップ麺食っただけだぞ」
「ほら、やっぱり深淵だ」
それでも英智はドアを開けたまま、中へ入れた。
いつものことだ。
ソファに座る。
コントローラが二本、テーブルの上に並んでいる。
「ケイ、今日は何やる?」
「前回の続きだ。セーブデータはあるだろう?」
「おう」
ゲームを始める。
画面の光が、薄暗い部屋を青白く照らす。
英智は真剣に操作していて、僕は時々アドバイスを挟む。
「そこで左に寄りすぎだ。敵の射程に入る。君の立ち回りは、まるで嵐の中の小舟だ」
「また小舟言うな」
「小舟を超えて、今や宇宙の真理から外れている。右に寄れ」
「宇宙とか出すな!ただのゲームだろ!」
「ゲームの中にも真理はある。僕はそれを君に伝えているだけだ」
「伝わらねえよ、そんな真理」
英智が「はいはい」と流すように返事をする。その横顔を、僕はちらりと見た。
昨日のざわつきが、今日も残っている。
(……気のせいだ)
そう自分に言い聞かせる。心配なだけだ。あいつは鈍い。放っておけば、また誰かに流される。
「英智」
「ん」
「今日、学校で誰かと話したか」
「またそれかよ」
「また、ではない。これは毎日の重要機密確認だ」
「機密とか言うな。ただの世間話だろ」
英智はコントローラを操作したまま、少しだけ口の端を上げた。
「瀬能先輩には廊下で会った。挨拶しただけ。黒井は同じクラスだから普通に話した。氷川は……今日は見なかったかな」
「見なかった、か。それは宇宙のバランスが保たれた証拠だな」
「バランスとか言うな。単に見かけなかっただけだ」
「見かけないことにも意味がある。僕はそれを深く、そして壮大に考察している」
「壮大とかやめろ。目が本気で気にしてるんだけど」
「気のせいだ。僕の目は常に真理を見つめている」
「真理を見つめる目で俺の交友関係をチェックすんな!」
図星を突かれて、僕は画面に視線を戻した。操作は正確だ。
ミスなどしない。
ただ、指先の感覚が、昨日と同じように少しだけ熱い。
(……本当に、なんだこれは)
「ケイ」
「何だ」
「なんか、最近変だぞ」
「変ではない。僕は常に進化しているだけだ」
「進化とか言うな。ただくどくなってるだけだろ」
「くどいのではない。愛の確認作業だ」
「愛とか出すな!急に怖いわ!」
「怖くない。正確な表現だ。君は鈍いから、僕が何度も確認してやる必要がある」
「確認とか言うな。監視だろそれ」
「監視ではない。守護だ。僕は君の守護者なんだよ」
「守護者とかかっこつけんな!ただの面倒くさいやつだ!」
英智がコントローラを置いて、こちらを見た。
ぼんやりした目なのに、呆れがかなり混じっている。
「……まあ、いいけど」
「いいのか」
「いい。ケイが変なのは今に始まったことじゃないし」
そう言って、英智は再びコントローラを手に取った。
その言葉が、胸の奥に小さく沈む。
(……今に始まったことじゃない)
そうだ、前からそうだ。
僕はただ、親友の面倒を見ているだけだ。
前世から変わらない、僕の性分だ。
なのに、今日のざわつきも、昨日と同じように質が違う気がした。
画面の中で、キャラクターが倒れていく。
英智が「あ、やられた」と呟く。
僕はすぐに指示を出した。
「リトライだ。次は右側から迂回しろ。僕が宇宙の力でカバーする」
「宇宙の力とかいらねえ!普通にカバーしろ!」
「普通のカバーなど、ありふれていて面白くない。僕は特別な、革命的 社会主義カバーを実践する」
「そんなカバーいらねえ!ただのゲームだってば!」
二人でゲームを続ける。
英智の部屋の空気が、今日はかなり騒がしく感じられた。