ロヴァノリヤ禽獣旅紀 —広大なる多民族國家の命運、大衆の暗く斃れる先には、何が在るのか— 作:南部 八十一朗
11月の金曜日の事だった。
あれから、ミュハがロヴァノに戻ると言う話をしてから、数日の時が早くも刻まれて居た。そんな日の事だった、ミュハは何時もの小規模なビーツ畠に赴き、私も外に出て、軽く散歩をして居た事だった。今日は雲一つも無い晴天の空模様で、燦々と陽が輝いて居た。
「今日も良い天気だな」
そんな時だった。空を駆ける黒い羣が瞳に入る。
数はたったの10程度、然し、他にも空には居る雲に隠れて居る奇襲隊か遊撃隊擬きが50程度居る、敵かは不明。方角は屋敷の方だが、地上に降りる仕草は無い。あれも天狗なのだろうか。此処以外にも天狗の住処は在るのだろうか。少し新鮮味を感じた。遠目で視にくいが、見た事の無い服装を纏って、少し反射して輝る武器を携えて居る様に見える。之から、何か戦でも興すかの様に。
「今日は何か興るかも知れないね...」
見上げれば、黒い羣は何処かへ飛ぶ。
其れに反して、私は何も考えずにただ、単に足を前へ前へ動かす事しかして居ない。隙間塗れの薄い叢、長閑な風が吹き、清閑の二文字の帳が空気の様に舞い、大きく見れば退屈で、小さく見れば静寂。そんな色々な言葉と意味が混同した時間が刻々と蠢いて居るのだ。革靴の皺寄せて、土径を渡る。之も亦、何の言葉で示す事が出来るのだろう...
「ただいま」
「おかえり」
家に戻り、玄関を引けば、儀さんが丁度立って居た。
何時にも況して、和洋折衷な服装を纏って居る。
「ミュハは帰ってません?」
「いや、未だ帰って来てませんね」
「そうですか」
「何か在ったんですか?」
「いえ、何も、単に確認しただけです」
「そうですか」
丁寧に靴を揃えて、綺麗に光りを映し返す床に踏み入れる。
廊下を渡って、中庭を横目に、仮の自室へ戻る。畳の上や机、怠けて置かれて居る、私の鞄や私物。直す事もせずに、畳の上に大きく寝転がる。両掌を枕にして、波模様
な天井を見つめながら、ぼーっと何も深く考えずに瞳だけが瞬きを繰り返す。
正直、私はミュハの事何て、あまり深く考えて居ないと思う。
私には私の、ミュハにはミュハの価値観や目的が有って、したい事や得意事も大きく違う事だって有るし、体格差も劇しい。ミュハが何かの目標を掲げても、私は否定も肯定も出来ないと思う。でも、過酷的な旅路を刻めば、別れが数倍、悲しくなるじゃん。今迄、何とかして来たのに、あっさりと別れる事が出来る訳が無い。私にとって、大切な相棒だ。人生の伴侶では無いけれど、短期的な年月でも深い親睦を刻めれたと私は思う。其れでもミュハは何を思うのだろうか。
ミュハにとって、私はあくまで、一時の旅仲間としか思って居ないかも知れないし、大切と言葉も出て来ない程に身体的に近いだけの他人に近しい存在なのかも知れない。確かに此処迄、来たのは私の目的。ミュハは単に付いて来ただけの事だ。ミュハの言いたい事も解る、だって此処はミュハにとって、何の思い入れの無い異境に過ぎない。彼女にとって、ロヴァノリヤに思い入れが有って、其処が一番の目的地なのかも知れない...
別れは必然的なのだろうかな...
私はミュハを手中に収めたい訳では無い。
...悩ましい事だ...出て行くと言う事は解って居る、数か月と言う曖昧の言葉遣いで霧の様に儚く、突然に消えるのかも知れない。其れでも良い、でも最後は何か遺して欲しい。言葉でも土産でも良いからさ、姿形は解る位の物をさ。
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「何だ、此のビーツ、全然甘くない、甘くないビーツは紅い玉葱みたいな物なんだよ、駄目だ」
育ったビーツ一本抜いて、水で洗ってから、生の儘、大きく一齧りする。
ビーツは大抵、甘味が有る、流石に砂糖程の甘さは無いが、甘味の在って、スープにすると格別に美味しい。然し、此の畠から取れるビーツは甘さ控えめの玉葱みたいなビーツだ。何か変な事でもしたか?存分に畠を鍬で叩き止めして、解した耕地の筈だし、雑草も抜いた、間引きもした、畝、肩、天もちゃんと整えたのに、味が違う。間違えて、赤玉葱でも播種したのか?
「まぁ、取り敢えず、収穫しよう」
一本一本に丁寧に引き抜いて、確認するが、見た目が完全にビーツだ。
齧ったビーツをもう一度、齧るが、甘味が無い。例えれば、砂糖入り珈琲を頼んだ筈なのに、無糖珈琲が出て来たみたいな感覚だ、あんまり、砂糖入り珈琲飲まないけども...此処まで、丁寧に育てて来たんだぞ、私はビーツが喰いたいんだよ。何だ?此のビーツは、何か特殊な条件だとこうなるのか?知るかよ、潰すぞ。
「やっぱり、ビーツの振りした赤玉葱だろ、國人通の商人め、詐欺ったな?」
ビーツは結構、大事な野菜だ。栄養も在るし、甘味も在るから、洗って直ぐに喰える。スープとしても美味だし、物によっては、果実位に甘い奴も売ってる。私達、ロヴァノだと、身近な野菜の一つだし、之まで色々とお世話に成って来た。玉葱は辛味強くて、即食べる事が難しいから、好きじゃないんだよ。料理する位の余裕と場所は平野位しか無いしな。調理器具も粗悪品しか無いし、金と場所と運が有れば、良いと思うよ、後、強盗除けの銃と値引きと品質見抜きの眼が有れば良いさ。
「取り敢えず、まぁ、全部収穫するか...」
此のビーツは特別な魔法を掛けられて居て、通常の速度の倍以上に育つ優れ者だ。もしかして、倍以上に育つから、其の影響で味とか変化して居るのか?...解らないし、まぁ、良いか。別に食えない訳では無いしな。
少し土の汚れが染み付いた布袋に丁寧に洗ったビーツを一杯詰める。
ゴロゴロと音を立てながら、袋は歪な棘塗れの形に成る。ギュっと袋を閉めて、紐で厳しく締める。
「之で行けたかな、よし行くか...」
脇に袋を挟みながら、屋敷への帰路を辿る。
荒れた土径、撓れ靡き萎む折れた艸が転がる径を刻々と踏み歩く。
遠くに聳える山々、棚引く生意気な叢雲、五月蠅く小賢しい風の幼稚な声。
首を大きく回し、鳴る重々しい骨の音。踏む土と靴の小さな音も此の耳に深く刻み込んで来る。人の声は何処からもせず、単調を装る癖の有る音達が興味津々に私を弄って来る。「早く屋敷に帰ろうか」、そう足の幅は大きく成って、
無駄な動きをしながら、屋敷が見えて来る。
見えない見張り兵の視線が歓迎の信号の様に感じる。
歓迎の信号を受け取り、屋敷の敷地へ今、入った。玄関の引き戸を引いて、中へ入った。馴染みも慣れも染み付いて居ない、靴の着脱をして、靴下の儘、上がる。私の重みで床がギシリと軋む音が聞こえ、天井に当たらない様に若干、しゃがみ込んで移動する。ノソリギシリと軋みと蠢く様な動きをして居る。
貸して貰って居る自室へ戻る。
幾つかの革製のトランクが並んで居る。柄も大きさも其々異なって居る。
之は服装用で、之は趣味用、之は日用品みたいな感じで、中身も入れる物も全然異なる。其の中の一つのトランクを開けて、物を漁る。
「之じゃ無い、之でも無い...」
色々な
勢いの儘に掻き混ぜるかの如く、ケースの中を漁る。
「之だ」
分厚い渋い花柄の印刷された封筒を取り出す。
開けて、一枚、純白の紙を取り出し、机の上に封筒と其の上に紙を置く。
今度は、緑と白のチェック柄の刻まれた大きめの革のトランクを取り出し、左手の親指から小さい煙と共にケースの鍵を取り出す。鍵を差し込んで、開けると、其処には年季の入った、或る意味、骨董品風なタイプライターを取り出し、封筒や紙の隣に置く。ガシャンと置いた衝撃の金属音と共に、紙が少し靡く。
キーボードにはロヴァノ文字が刻まれて居る。
紙をセットし、打とうとしたが、駄目だ。体が大きいせいで、変な姿勢で打って仕舞う。小さめのトランクを机に置いて、其の上に紙をセットしたタイプライターを置く。之で打ちやすく成った。黒く少し濁ったインクも十分に入って居る。
カタカタガタガタとタイプライターのキーボードを押して、文字と文章の迷路を描く。タイプライターは慣れて居る。昔、短期間だけ、新聞社の下請けの印刷作業の時に之、何度もやらされたから、自然と身体に叩きこまれて居る。此のタイプライターも貰ったと言うか、闇市の物々交換の時に、廃業した地域新聞の記者から貰った物だ。結構、使用された物に見えたが、使える物は何でも貰う精神で貰った物だ。使い心地はかなり良い。まぁ、そう言う作業して居たのも相まっての事だろうがね。
本当のミュハーンこと、私は都市の裏、浮浪者の路地裏貧村に暮らして居た時は、独学で何とかロヴァノ文字やらロヴァノ語覚えてからは、短期で色々と仕事して日銭を稼いで居たさ。給料未払いが常識だから、実際に得た収入は黒パンの粉位だったけども。悲しいねぇ...
そんな事を振り替えながら、タイプライターのキーボードを押す指の速さは変わらない。黒いロヴァノ文字を純白の雪色の紙に刻んで行く。其の刻まれる文字には、どんな意味が有るのだろうね。口語じゃ無い
指が太いし、両利きだから、左手で打って、疲れたら、右手で打って、疲れたら、左手で...の繰り返し、紙に文字を深く刻み込んで行く。黒く濃い文字列が着々と紙に描かれて行く。
そして、文字は打ち終わった。
机に置かれたタイプライターを元の革トランクに入れる為、再度を大きく開く。
入れ替える様に二台目のタイプライターを取り出す。此のタイプライターは他の奴とは異なってて、面白い機能を持って居る。魔法の技術を運用して製造された特殊なタイプライターだ。段上のキーボードの左隣、蓋の付いた
ガシャン、と言う音と共に、文字の刻まれたキーボードは押されたかの様に沈む。
3秒後、また沈みから正常な状態に戻る。一代目のタイプライターで打った紙をセット、行を変えて、キーボードで打ち始める。
チリーンと言う甲高い金属音と共に紙を取り出す。
赤身を帯びた黒い字が刻まれて居る。其の紙をまた白い息を掛けて、丁寧に折って、別に封筒に入れ、片付けを始める。タイプライター二台を綺麗にトランクに入れて、鍵を閉めて、鍵とトランク事、体に減り込む様に白い煙を上げながら、入って行く。之が収納方法だ。トランクを丁寧に並ばせ終えた、其の時。
「ミュハ、御飯だぞ」
イデナが部屋の扉を引いて来た。
「解った、あっ、其処の袋、持って行ってくれ、ビーツだ」
「おう、解った」
そうして、イデナにビーツの袋を持たせ、部屋を去るので在った...
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続