ロヴァノリヤ禽獣旅紀 —広大なる多民族國家の命運、大衆の暗く斃れる先には、何が在るのか— 作:南部 八十一朗
翌日の早朝。
何時もよりも二時間も早い事だった。
雪も早々と降り詰め、僅かで淡く輝く陽の耀き。
そんなの関係無く、私は其の冷酷な外套をヌクヌクと着入れる。残酷に浸された朱い瞳が濁った鏡に映った。其の目を2秒見つめるが、直ぐに離した。一つの革のトランクを開けて、花柄の渋い模様の入った封筒一つ手にして、冷たい机の上に静かに置く。綺麗に成った部屋、何も荷物は遺って居ない。痕跡の無い無人部屋の様だった。慎重に扉を引いて、忍び足で玄関へ向かう。
誰も気配が薄らかに無かった廊下、静かな足音が騒々しく感じる。
鎮座する一際目立って大きい革靴、紐を烈しく縛って、解けない様にする。
ガラガラと響く玄関扉、最後に振り返って、
「ありがとう、また何時か、会おうか」
そう言い残して、玄関扉を閉じた。
前を向く、其処には静寂と寂寞の空気が悠々と流れて居る早朝の帳。
そして、新風の感じる旅路の開拓。囹圄國を出て、今から、祖国ロヴァノリヤへ行くとしようか。理由なんざ、そんな明確には存在しない。お前等から意味不明のレッテルを貼られても、私は往く。瞳を背け続けても、何時かは真実に目を向けないと行けない、其の時が来たのだ。
サクサクと声を建てる浅く薄い雪の径。
果て無く何処までも続いて居る。先ず、此処を抜け出す事にしよう。
革靴の撓り皺付く音、雪を踏み潰す音、段々と遠く成るイデナと私、此処で一時の別れだ。また何時かは会う事に成る、永遠的な別れに成る訳では無いのだ。
時間だけが淡々と流れて、集落も解れて仕舞った。
無一文な樹々が軒並ぶ、痩せ林道を通る。白と銀色の景色が煌々と広がって居る。
其れも之も、単色的で何も声や物音も無い、寂寞の風が吹いて居る。陽が燦々と照る中を渡る一人の旅人。灰色の叢雲がのうのうと棚引き、淡い空色が隙間から顔を覗いて居る。鋭い我が犬歯が冷たい外の空気に撫でられて居る。
「おぉ、お前さん、こんな早い時間から何をして居るんだ?」
一本の痩せた樹の麓、其処に静かに座り込む榮の姿。
何時もの其の使い古された軍服が風に吹かれ、揺れている。
澄ました顔付きで白い吐息を幽々と吹き、両手を
「...其の身形、もう行って仕舞うのかい?」
「..あぁ、そうだ」
「そうか、そうか、でも此の囹圄から抜け出すのに時間は掛るぞ」
「如何言う事だ?」
「此処は囹圄國、囹圄と言うのは牢獄と言う意味だ、其の言葉通り、此処を抜け出す事は難しい、いや、正確には此処を出たとしても、瑞穂國に行ける訳でも無い」
「如何してだ?」
「私の知り合いが、此の國を出ようした奴が三人居たが、一人は雪原、一人は何処かの街、もう一人は何処かの半島に居た、二人は還って来たが、皆、別々の場所に居た、だから、此処を抜け出す時に見知らぬ土地に居るかも知れない」
「...其れは好都合」
「.....まぁ、其れは自己責任、私は関係無い事だ、でも、ご武運を」
「おぅ、ありがとう、じゃあ、亦、何時か会うかも知れないし、またな」
「...」
私は其の儘、径を進めた。
少し距離を取って、振り返れば手を振って居る榮の姿。
私も答える様に手を振り返して、其の儘、再び歩き始めた。
果て亡き殺風景な雪の径、棚引く叢雲、荒く輝る陽、靡く小枝、赤い実を稔らした柊が生ゆる冬の径を其の巨歩で一歩一歩と渡る。
「さぁて、旅を続けようか」
白い雪の吹雪の様な霧に消えて行った。
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今日はやけに気配は薄い朝の事だった。
今日は変な気分で早朝からミュハの部屋へ行って居た。
「ミュハ?」
ガサッと扉を開けた。然し、其処にはミュハは居なく...
もぬけの殻に等しい部屋の状態、机の上には一枚の封筒だけが静寂に置かれて居た。
もう、其の時から、解って仕舞った。
おぼついた足で、机に置かれた封筒を手に持つ。
其処には二文字がペンで書かれて居る。
一つは丁寧な感じなロヴァノ語で書かれた'イデナへ'
もう一つは蚯蚓の張った様な瑞穂語で'北鵬へ'
と書かれて居る。
恐る恐る封筒を開けて、中身を全部、冷酷な机に置く。
手紙に写真、紙幣に入って居る。畳まれた手紙を大きく広げて、書かれた文字を拝読する。タイプライターで打ち込まれた文字列、ミュハらしく無い言葉遣い、手紙を握る手に大きく力が宿る。
「親愛なるイデナへ
此の手紙を読んで居ると言う事は、私は既に此処を出て行って居る。
最期に何も出来ずに申し訳無い。でも、私は新しい径を見つける事が出来た。
君には私には、其々の途が出来た。其れが困難だったり、容易に進める事が出来る訳では無い。でも、其れでも私は居なくなっても、時間は冷酷には過ぎて行く。だから、私との別れで泣く事は良して欲しい。之までの旅は楽しい事ばかりだった。でも、不快にも思う処も在ったり、些細な事で喧嘩に成り掛けた時も在った。...此処からは本当の事を言いたい。私は何人も手に掛けて、同族も子供も殺して来た。同時に私はお前を利用して、最終的には殺す予定だった。でも、君の其の姿勢に、私は心打たれた。最終的に私は目的を見出す事が出来た。ありがとう、そして、すまなかった。また、何時か何処かで逢おう。
ミュハーン・イリノヴィチ=ロヴァノ・ゼムリャツキ」
腕に力が入って、手紙に皺が縒る。
その瞬間、手紙から別の字が出て来る。紅く帯びた黒字、何処か不気味に感じたが、其の文字の綴られた文章を読む。
「君は私を如何思って居る、殺しは悪い事なのだろうか、私は正義を纏った物から見れば、悪役なのだろうか、誰も不幸に思う世界、樂にしたなのに、如何して悪に成るのだ、お前は何方側なのだ?」
少し酔った様な気分に成った。
気分晴らしに他の物を見る。写真、私とミュハの其々の写真に二人のツーショット。
旅をして来た街の写真。100ルーヴル紙幣にコペイカ小銭に瑞穂の10圓紙幣が入って居る。何処か悲哀の混ざった空気も梱包されて居た。
嗄れた瞳に涙は一滴も出て無かった。
紙に刻まれた黒字の文字列には、平常を装った狂気の粉塵が纏って居た。
私も解って居た。本性の欠片が所々に出て居た事は何度も在ったし、偽りの猟奇では無い本当の物に感じて居た。でも、私はそんな事、如何でも良いと思った。
私も間接的に命を殺して来た様な者だ。
餓えて救済を求める人たちを黙殺し、自分に傷を癒すだけの事をして来た。
手紙に書かれた殺しの吐露、私に言ったって、何ら意味も無い筈なのに、如何して私に言って仕舞うのだろうか、周りの者に言い触らす可能性も十分在るかも知れないのに.....
...解った、ミュハ。
此の事は、私とミュハだけで封じる事にしよう。
ミュハの事は十分には把握出来ないし、相性も良かったのかも解ら無い。
今まで、有り難う。
白黒で粗悪なミュハの写真を一枚、手に取り..
そっと軽く接吻を交わした。インクの苦い味、でも何処か、甘さを感じた。
窓の方を見詰める。其処には自由に燦々と輝く陽の光り、朝の匂いが降って居た。
封筒の中に物を入れ戻して、丁寧に封を閉じる。渋い花柄の模様を拵えた封筒。
ミモザの花模様の様に視えた。
「今日は何をしようかな...」
そうして、部屋を後にした。
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白い雪の径、其れが何処かへ誘う径だと信じ込んで、前進の巨歩を繰り返す。
雪國染まりの肌、生意気な叢雲から降る小雨な雪は、洒落た被りをしたウシャンカに溜まるばかり、誰も居ない、山道を淡々と歩くだけの孤独の道程が其処には寒気の様に広がって居る。
碧に染まった常緑樹の葉が靡き、無様に積もる雪の砦、銀色の景色が長々とした紙芝居の様に続いて居る。辺りは少しづつ、彩を落として、白色に成って行く。誰からも存在が消えた様に儚く白に去って行く。途端に激しく成る雪風の大波、濃霧の様に全身を包み込む様に吹き込んで来る。其れが此処を別れる、最後の瞬間だった。
包まれると、一つの閃光が一直線上に私の胸辺りを照らして来る。
其れはまるで魔法の羅針盤の様で、私を何処かへ誘う誘惑の光りの様でも有った。
其の誘惑に呑まれる様に、私は閃光の伸びる先へ劇しく吹き荒れる白寒風に煽られ乍らも、着々と閃光の燈る先へ近づき...
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続