「へごぉッ!!?」
男が正拳突きを放っただけで、そこそこ鍛えていると思しき若者が壁に激しく叩きつけられる。若者は吐血すると、そのまま立ち上がることなく項垂れてしまった。
決着まで、たった二秒の出来事だった。
「しょ、勝者……キリュウ=ミヤザワ選手!!」
審判の男性が慌てて試合結果を発表する。
「こんなもんか」
男───鬼龍はつまらなそうに呟くが、周りで闘っていた選手たちはみな一斉に鬼龍の方を向いていた。その視線には畏怖と怯懦の感情が多分に含まれており、挑発や蔑視の色は全く存在していない。
いつかのように、内に秘めた圧倒的暴力性を感じさせる威力……それが先の正拳突きには込められていた。ゆえに、鬼龍自身も気づいたのは。
(が、勝敗云々よりも面白い発見があった)
鬼龍の口角が三日月状に曲がる。
(原理は分からんが、どうやら俺の身体は四半世紀も若返ったようだな……クク)
鬼龍の肉体は全盛期───40歳の頃まで若返っていたのだ。
これは嬉しい誤算だった。スマイルジョーと互角にやり合い、ゴアや悪魔王子に愚弄され、動物園の獣風情に遅れをとるなど、若い頃の彼を思えば考えられなかったことである。
だからこそ、技術はそのままに身体的全盛期へと戻った現在は、まさに彼にとって最強の状態といえた。灘の技だけでなく幽玄の技も幾つか使え、それ以外の数々の武術・技術も世界中の格闘家との交流の末に獲得している今、それらを十全に扱える肉体が手に入ったとなれば、文字通り鬼に金棒に他ならないからだ。
「クク……クククッ…………くはははほはははははははっ!!!」
呵呵大笑する鬼龍。それを見てびくりと震える選手たちと審判。
その後、鬼龍はとんとん拍子で天空闘技場を登っていき、結果としてたった三日で169階にまで到達した。試合内容によっては最大50階まで一気に上がることが可能な天空闘技場独自のシステムが、彼の所属フロアを一気に押し上げたのだ。
流石に150階からは彼も瞬殺とはいかなかったものの、それでも100階クラスは一撃二撃の霞打ちで致命打を与えただけでなく、三撃も放てば相手から降参を申し出てきたほどだった。
プロボクサー、民間有名流派の師範代、元マフィアの用心棒、合気道らしき武術を使う男、国際レスリング大会の優勝者など、100階以降は強敵をも相手取りつつ、169階まで歩を進めてきた鬼龍。
彼には既に2億ジェニー近くが賞金として授与されていただけでなく、100階以上の選手に与えられる専用の部屋も当然用意されていた。
鬼龍は高級赤ワインを唇に運んでから、次に肉汁溢れるぶ厚いステーキを銀のフォークで口内に持ち運ぶ。ジュワッと肉汁が弾ける音が響くと、間もなくして鬼龍はもにゅもにゅと咀嚼を開始する。
(70点だな)
闘技場職員に注文したのは、街一番の星付きレストランの最高級ステーキである。間違いなく上等な料理のはずだったが、鬼龍の顔に悦びの気配は見受けられない。とはいえ不味いと口にするほどでもないのも事実のようで、彼は仏頂面を保って黙々と肉を食んでいた。
「外の空気でも吸うか」
鬼龍はおもむろに立ち上がると、有線電話で「完食したから部屋まで取りに来い」と職員に伝えてから塔のベランダへと繰り出す。
塔の外には、近代的な都市が広がっていた。東京やニューヨーク、モスクワと比べると建築技術や都市デザインの完成度はこちらの方が勝っているように思えた。C国の深圳や上海の都市部のような雰囲気に近い。
市職員からは、この世界にはミテネ連邦だの東ゴルトーだのパドキアだのカキンだのといった国があると聞いていた。ヤマトという日本に近い国もあるらしい。
そしてそれぞれの文化や技術、特徴を聞く限り、この世界は元の文明世界よりも発達した体系を持っていると考えられた。
(いずれは元の世界に戻るつもりではあるが、この世界の事柄をより深く知ってから帰還するのが最適だな)
先進的な技術やメソッドを元の世界に持ち込むことができれば、それは投資に次ぐ金策になる。どうせ異世界転移などという特別な体験をしているのならば、その機会を活用しないわけにはいかなかった。