カストロとの修行を通し、それなりに充実した日々を送っていた鬼龍に、再度例の巨漢と闘う機会が巡ってきた。
実のところ、鬼龍は既に190階クラスで一勝を収めていた。またそれは相手も同様だったようで、互いに相対したのは200階クラスの巨大なリングの中心部だった。
199階までと違い、200階以降は大勢の観客が観戦に訪れる。巨漢と鬼龍が入場した瞬間、広々とした輪形にリングを囲む観戦席からは濁流のような歓声がなだれ込んできた。
「うおおおおおおおおお!! 新しい選手が来たぞ!!」
「アイツつえぇのか!!?」
「しらねーよ! でもどっちもこれまで無敗だってさ!!」
「早く殺し合えよてめぇらァーっ!!」
「はーーやーーく!! はーーやーーくっ!!!」
己は弱いにもかかわらず、どこまでも図に乗った観客どもの姿に鬼龍は顔を顰める。
「…………」
鬼龍は囀りから逃れるように対戦相手の方を見ると、巨漢は薄ら笑いを浮かべながらも、その全身には纏と練を修得していることを示す特有のオーラがまとわりついていた。
無論、鬼龍も巨漢と同じ状態である。
「やるじゃねえか。もう練が使えるのか」
「四大行ごときに手間取る俺ではない」
「なに!? この短期間で発も覚えたのかァ!?」
巨漢が心底驚いた反応を見せる。ちなみに四大行のうち三つは実際に修得しているが、発に関してはブラフである。
カストロからは「発はそう簡単に決めていい代物ではない。自分の戦闘スタイルや目的に合わせて徐々に方向性を定めていくのが最良だ」と言われていたので、鬼龍もそれに倣って即決はしていなかった。
また念には制約と誓約という複雑怪奇なシステムもあるという。そういったモノを全て把握した上で、能力を決めた方がよいと踏んだ。
「おどれェたな……何系だ? おれと同じ強化か?」
「無駄口は結構だ。おい、今度こそしっかり始めろよ」
鬼龍はベテラン風の審判の男性に言うと、審判も真剣な表情でコクリと頷いた。
少し緊張しているように見えるのは、長年の職務経験で200階以降の闘いが念能力者同士の高強度の戦闘であるのが分かっているからだろう。
やがて「ピ────ッ!!」とホイッスルが鳴る。鬼龍が構えをとった時には、肉弾頭は既に眼前まで迫っていた。
「先手必勝ォ!!!」
今度の鬼龍は、弾丸すべりの体勢をとらなかった。
(幽玄真影流)
鬼龍の姿が、ヒュオッと掻き消える。
「えっ」
「なにっ!?」
「なんだあっ!!?」
観客席から困惑と混乱の声が沸き立つ。巨漢の方も、その顔面にクエスチョンマークが刻まれていた。
「なっ……!?」
霧霞のように消えた鬼龍を必死に探す巨漢。
「莫迦め。ここだ」
鬼龍は突然巨漢の背後をとると、両腕に練をまとわせ、得意技と幽玄真影流の複合技を打ち放つ。
(朦朧拳+霞打ち!!)
鬼龍の拳が、目にも止まらぬ速さで巨漢の背を打ち抜く。
「どわァあっ!!?」
一撃で終わりではない。
何度も何度も、何度も打ち続ける。
「ぐっ!? がっ!? ぎっ、いッ!!?」
初めに抉り抜くような痛みが来たと思えば、次の瞬間には突き刺すような痛みに上書きされていく巨漢の躯体。
「おぐぇっ!? ほげぇっ!! あがァッ?!! ぶひっ!? おごォッ!!?」
より激しい痛覚の来襲に身悶えすれば、苦しむ隙さえ与えないほどの素早さでまた急所を穿たれる。
「どうした? 先の威勢がない、がっ!」
無理な筋収縮を引き起こす秘孔を突く。巨漢の背全体に、こむら返りを思わせる激甚的痛みがやってくる。
「んごァああああああああああっ!!?」
振り向き、反撃する余裕は微塵もない。
無限に繰り返される苦痛のスパイラル。
鬼龍の霞打ちは止まらない。まるで超至近距離でランマーが作動しているかのように、巨漢の肉を、骨を、臓物を、多重連撃で破壊していく。
特に巨漢にとって運が悪かったのが、今回の鬼龍には油断がなかったこと。一度痛い目に遭った相手に手を抜くほど、宮沢鬼龍という男は愚かな人物ではなかった。
「あっ! がッ!? がぁッ……!!」
十分な打撃を喰らわせ、もはやふらつくしかない巨漢を相手に、鬼龍は拳に練を込めて射つ。
「灘神影流……」
原理としては、回転性のストレートパンチ。
レンジは短いが、当たりさえすれば熹一や日下部覚吾の必殺技にも比肩する秘中の拳。
「
それが命中した途端、巨漢の身体は弧を描いてぶっ飛んだ。
飛距離にして5m以上。爆発のような轟音とともに、巨漢はなす術もなく、受け身すら取れずに空中遊泳する。
「ぶぎっ!!」
そしてその勢いのまま、地面に不時着した。
巨漢が立ち上がれないのは明白だった。舌は衝突の結果噛み切ってしまったのか部分的に千切れており、頭からはドクドクと大量の血を垂れ流している。
「……おっ……ご………」
鬼龍が審判に目配せすると、審判は大急ぎで旗を上げた。
「き……キリュウ選手! キリュウ=ミヤザワ選手の勝利です!!」
すぐに「ワァアアアアアアアアア!!!!」と濁流を超えた、瀑布のような大歓声が轟いた。
(念能力。よもやこれほどとはな………)
その歓声を背にしながら、鬼龍は独りほくそ笑む。
練の付加効果で、鬼龍の霞打ちの速度は音速に伍していた。これだけの身体能力の向上があれば、弾丸すべりを使わずとも、弾丸を高度な練のみで防御できる見込みまで生ずる。
鬼龍は確信した。
(俺はまだ、強くなれる……)
⭐︎⭐︎⭐︎
いつからか、鬼龍は自らが最強でないことを認めていた。
ある時はジェットに。
ある時は熹一に。龍星に。悪魔王子に。
彼らを自身の後継者とすることで、彼らを最強の存在に仕立て上げることで、自分が最強でなくともよい言い訳を作ろうとしていた。
だが、仕方がないだろう。
人間の生は有限だ。人体には生物的限界がある以上、いつまでも強くなることは能わない。だから仕方がない。
…………。
欺瞞だ。
全てが欺瞞に満ちていた。
ならば最期まで強かった日下部丈一郎はなんだ?
老齢になっても熹一と渡り合った日下部覚吾はなんだ?
機械の脚に取り替える以前から、年齢によるハンデを抱えていたにもかかわらず、自身と対等以上の強さを誇っていた尊鷹はなんだ?
(俺は逃げていた。強さの頂きに至ることから)
かつての鬼龍は強かった。怪物を超えた怪物という呼称に相応しい強者であった。
60代を迎えて、全てが裏返った。
弱くなり、惨めになり、気力さえも衰えた。自身が惰弱になったことは鬼龍自身が誰よりもよくわかっていた。
(だが何の因果か、俺は今、異世界の大地を踏みしめている)
若き肉体を伴って、もう一度最強を目指せる機会が巡ってきている。
ならばその機を、逃す鬼龍ではない。
(熹一よ。あるいはこの世界のまだ見ぬ強者よ)
貴様が最強ではない。
(最強は、この俺だ)