葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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騎士のような魔法使い

 吹き抜ける風が、青々と茂る麦畑を大きく揺らしていた。大陸北部、魔王軍の残党や凶暴な魔物が未だ跋扈する辺境の村。そこがゲナウの故郷だった。過酷な土地ではあったが、村の平穏は保たれている。国境沿いに駐留し、命懸けで村を守り続けてくれているノルム騎士団がいたからだ。銀色の鎧をまとった騎士たちは、村の子供たちにとって英雄そのものだった。とりわけ幼いゲナウは、彼らの堂々とした佇まいと、人々を守るために剣を振るう姿に強い憧れを抱いていた。

 

ある日の夕暮れ時。見張りの任務を終えた騎士団の分隊長が、広場の切り株に腰掛けて汗を拭っていた。ゲナウが物珍しそうにその大剣を見つめていると、分隊長は快活に笑い、少年の短い髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

 

「どうだ、ゲナウ。お前も大きくなったら、俺たちの仲間にならないか? 筋がいい。きっと立派な騎士になれるぞ」

 

 頼もしい誘いだった。尊敬する大人から認められた喜びが、ゲナウの胸を満たす。しかし、少年は少しだけ照れくさそうに視線を落とし、すぐに前を向いて真っ直ぐな目を騎士に返した。

 

「それもいいけど……おれ、魔法使いになりたいんだ」 

 

 小さな口から飛び出した決意に、分隊長は意外そうに目を丸くした。

 

「魔法使い、か」

 

「うん。一級魔法使いになって、ノルム騎士団みたいに魔族や魔物からみんなを守るんだ」

 

 ゲナウの声には、子供の気まぐれではない確かな芯があった。この平和が、彼らの血の滲むような犠牲の上に成り立っていることを幼心に理解していたからだ。自分も彼らのように、誰かを守る盾になりたかった。分隊長は優しく目を細め、少年の夢に耳を傾ける。

 

「一級とは大きく出たな。……で、どんな魔法使いになりたいんだ? 大火力を操る魔法使いか?それとも、傷を癒やす魔法使いか?」

 

「うーん」

 

 ゲナウは腕を組み、空を見上げた。ちょうど、夕焼け空を大きな渡り鳥が悠々と横切っていくところだった。その影を目で追いながら、少年は声を弾ませる。

 

「大きな鳥みたいに、魔法で翼を生やしたい。……でね、その翼を剣に見立てて、敵を切り刻むんだ」

 

 その奇妙で、けれどどこか戦闘的な発想に、分隊長は一瞬呆気にとられた。それから、こらえきれずに豪快な笑い声をあげる。

 

「ははは! なるほど、翼を剣に、か! 魔法使いになっても、お前の根っこは戦士のままだな。そうか、まるで騎士みたいな魔法使いだな」

 

 分隊長は立ち上がり、ゲナウの肩をぽんと叩いた。その手の温かさと重みが、少年の背中を強く押す。

 

「頑張れよ、ゲナウ。お前がどんな魔法使いになるか、楽しみにしている。応援してるぞ」

 

「うん! おれ、絶対に一級魔法使いになるよ!」

 

 赤く染まる夕空の下、少年は大きく頷いた。自分がいつか手にする、黒い鋼の翼を思い描きながら。

 

 

 

 それから、数年の月日が流れた。 少年の面影をまだ色濃く残しながらも、ゲナウの背丈は伸び、その佇まいには魔法使いらしい理知的な雰囲気が漂い始めていた。彼は故郷の村を離れ、魔法の修練にすべてを捧げる日々を送っていた。

 

彼が取り組んだのは、血の滲むような猛勉強と、徹底的な“イメージ”の構築だった。魔法の世界において、イメージは形を成す。ゲナウが思い描いたのは、あの日夕空に見上げた鳥の羽ばたきであり、村を守ってくれた騎士たちの鋭い剣閃だった。己の背から生える鋼の翼。それはただ飛ぶためのものではなく、敵を屠るための凶器。来る日も来る日もイメージを研ぎ澄まし、魔力を練り上げた。その努力は実を結ぶ。

 

ある日、彼の背から魔力で編まれた漆黒の翼が具現化した。それはまるで夜を切り取ったかのように黒く、禍々しいほどの鋭利さを秘めていた。試しに近くの森に赴き、襲いかかってきた下級の魔物に向けて翼を振るう。───疾風のごとき一閃。ゲナウの漆黒の翼は、それだけで弱い魔物の肉体を易々と切り裂き、一瞬で絶命させた。イメージが現実になった瞬間だった。

 

 

 さらに時は流れる。経験を積み、実戦を重ねたゲナウは、正式に“三級魔法使い”の資格を得ていた。その頃には、彼の魔法はさらに洗練されていた。背中の黒い翼はより強固に、より素早く、ゲナウの意思のままに駆動する。並の魔物ではもはや相手にならず、比較的弱い部類の魔族であれば、その漆黒の翼でそれなりに圧倒し、討ち果たすことができるまでになっていた。騎士の剣のように鋭く、魔法使いの理不尽さで敵を刻む。その独自の戦闘スタイルは、確実に彼を異端の強者へと押し上げていた。

 

「これなら……いけるはずだ」

 

 討伐した魔族の塵が風に消えていくのを見届けながら、ゲナウは己の黒い翼を見つめ、静かに確信した。彼の見据える先にあるのは、幼い日に騎士と交わした約束。最高峰の証明である“一級魔法使い”の座だ。折り良く、近い内に北側諸国最大の魔法都市オイサーストで、一級魔法使い選抜試験が開催されるという情報を耳にしていた。並み居る手練れたちが集う過酷な試験。だが、今の自分なら十分に渡り合える手応えがあった。

 

「待っていてくれ。俺は必ず、一級になる」

 

 ゲナウはオイサーストへの旅路につくため、荷物をまとめた。胸に抱くのは、故郷の村の景色と、背中を押してくれたあの頼もしい手の感触。少年から青年へと脱皮を遂げた魔法使いは、自らの翼で大空へと羽ばたくように、決戦の地へと歩みを進めるのだった。

 

魔法都市オイサーストへ向かう道中、ゲナウの胸にあったのは、ただ一級という権威への憧れだけではなかった。生まれ故郷である北部高原、ひいては北側諸国全体の平穏のために戦うという、揺るぎない決意。それが彼の歩みを支えていた。かつて勇者ヒンメルが魔王を倒し、世界に平和をもたらしたはずだった。しかしそれは、すべての脅威が消え去ったことを意味しない。特にこの北の地では、今なお魔王軍の残党である魔族や、凶暴な魔物の脅威が日常を脅かし続けている。誰かが戦わなければ、あの村の平穏も、騎士たちが守ってくれた笑顔も、一瞬で灰に帰してしまうのだ。

 

だが、オイサーストで彼を待ち受けていた“一級魔法使い選抜試験”は、ゲナウの想像を絶するほど苛烈なものだった。試験は、魔族との実戦さながらの死地だった。受験者たちは誰もが大陸中から集まった実力者でありながら、環境の過酷さと魔物の凶悪さの前に、次々と命を落としていく。昨日まで言葉を交わしていた者が、翌朝には冷たい骸へと変わっている。それがここでは日常だった。

 

それだけではない。最悪なのは、同じく一級を目指すはずの“同胞”と、殺し合わなければならない状況すら突きつけられることだった。ある試験の最中、ゲナウは漆黒の翼を広げ、立ち塞がる受験者と対峙していた。一級魔法使いになるということは、甘えを捨てることだ。時には互いに手を取り合う仲間として戦い───そして時には、その仲間すら見捨て、冷酷に切り捨てなければならない。綺麗事だけでは、大陸魔法協会を統べるゼーリエの眼鏡に叶う一級にはなれない。それが、この試験の突きつける絶対的な現実だった。

 

「お前も……俺も、何のためにここまで……ッ」

 

 魔力で物質化した黒い刃が、かつて共に笑った受験者の胸を捉える。肉を裂く鈍い感触が、ゲナウの手のひらに直接伝わってきた。彼の心は、幾度も折れ掛けた。 

 

自分は人々を守る騎士のような魔法使いになりたかったはずだ。それなのに、なぜ今、自分と同じように明日を生きようとする人間の血を浴びているのか。夜、一人で傷を癒やすとき、襲いかかる罪悪感と自己嫌悪で息が詰まりそうになった。あの日、故郷で夢を語った少年の純粋な瞳が、今の自分を責めているような気がしてならなかった。それでも、ゲナウは立ち止まらなかった。

 

「……やるしか、ないんだ」

 

 血の滲む唇を噛み締め、彼は再び漆黒の翼を呼び出す。目を閉じれば、魔族に脅かされる北側諸国の凄惨な光景が浮かぶ。ここで自分が挫ければ、もっと多くの無辜の民が、あの優しかった騎士たちが命を落とすことになる。自分の手がどれほど汚れようとも、心がどれほど摩耗しようとも、この過酷な現実を生き抜き、一級魔法使いの力を手にしなければならない。折れかける心を平穏への執念で繋ぎ止め、ゲナウは冷徹な仮面をかぶる。少年の瑞々しい感情を奥底に封印し、彼はただ前だけを見据えて、血に染まった試験場を突き進んでいった。

 

 

 

 数々の修羅場を潜り抜け、ゲナウはついに、誰もが羨む“一級魔法使いになる権利”をその手で掴み取った。 

 

だが、選抜試験の合格はゴールではない。最後の、そして最も高い障壁が彼の前に立ち塞がっていた。大陸魔法協会の頂点に君臨する、ある絶対的な人物の面接を受け、認められなければ、正式に一級魔法使いを名乗ることは許されないのだ。

 

試験で負った傷だらけの身体は、まだ完全には癒えていない。包帯の下の痛みを引きずりながら、ゲナウは協会の一室へと案内された。通されたのは、周囲の殺伐とした空気とは切り離された、色鮮やかな様々な花で満たされた温室だった。瑞々しい青葉と甘い花の香りが満ちるその空間の中央に、彼女は立っていた。

 

大陸魔法協会の創始者にして、生ける魔導書とも称される、神話の時代から存在するエルフ───ゼーリエ。黄金の髪をなびかせ、小柄な身体の彼女を前にした瞬間、ゲナウの肌に凄まじいプレッシャーが走った。まるで、底の見えない魔力の深淵を覗き込んでいるかのような錯覚に陥る。ゼーリエは琥珀色の瞳をうっすらと開き、目の前に立つ傷だらけの青年を品定めするように見つめた。

 

「ほう、大分若い奴が来たな。見込みがありそうだ」 

 

 少女のような小柄な見た目に反して、その声には途方もない歴史の重みと、圧倒的な覇気が含まれていた。彼女は不敵な笑みを浮かべ、ゲナウに問いかける。

 

「お前は何を望んでここまで来た」

 

 その問いは、ゲナウの魂の芯を揺さぶるものだった。これまで試験で手を汚し、心を削りながら進んできた意味を問われている。ゲナウは痛む身体を真っ直ぐに伸ばし、ゼーリエの視線を正面から受け止めた。少年の頃の純粋な夢と、試験で培った冷徹な現実。そのすべてを一本の動かぬ背骨に変えて、彼は答える。

 

「俺は……北側諸国の平穏の為に一級魔法使いとなって、更なる力を得に来た。合格すれば、何でも望みを一つだけ聞いてくれるそうだな」

 

 彼の言葉には、一切の迷いも揺らぎもなかった。ただの野心ではなく、血の滲むような現実を知った者だけが持つ、切実な執念。ゼーリエの魔法によって与えられる“特権”───それこそが、故郷を、そして北の地を守るための絶対的な力になると信じていた。温室の静寂の中に、ゲナウの低い決意の声が響き渡る。神話のエルフは、その答えを聞いてどのような反応を示すのか。ゲナウは静かに、ゼーリエの次の言葉を待った。

 

「……北側諸国の平穏の為、か。それだけでは説得力が足りんな」

 

 ゼーリエは退屈そうに視線を外した。その言葉に、ゲナウの奥歯が軋む。多くの犠牲を払い、同胞の血すら浴びて辿り着いた結論だった。それを、このエルフは一言で不十分だと切り捨てたのだ。

 

「何……?」

 

「お前の得意とする魔法を見せろ」

 

 感情を読ませない琥珀色の瞳が、再びゲナウを射抜く。ゲナウは無言のまま、内に眠る魔力を一気に解放した。痛む身体を魔力が駆け巡り、彼の背中から、光を吸い込むような漆黒の翼が大きく展開される。温室の鮮やかな花々の中で、その黒い翼は異様な禍々しさと、張り詰めた鉄のような緊張感を放っていた。ゼーリエは立ったまま、その翼をじっと見つめる。

 

「ふむ……魔力の翼を武器に戦って来たか。中々面白い魔法のイメージだ。それを更に強化すれば、防御も硬くなり、素早さも上がって切断の威力も格段に増す」

 

 その言葉は、まさにゲナウが喉から手が出るほど欲していたものだった。今の自分の力では、まだ北側諸国の脅威をすべて退けるには足りない。この全知の魔法使いが口にした“強化”のイメージさえ手に入れば、より確実に、より多くの人々を守る盾になれる。ゲナウは一歩前に踏み出し、切迫した声を向けた。

 

「どうすれば、最終的にお前に認めてもらえ……」

 

「まずは敬語を覚えろ」

 

 ゼーリエはゲナウの言葉を遮り、冷淡に、しかし絶対的な調子で告げた。

 

「私を敬称で呼べ。それと私の弟子、更には側近となってもらう」

 

「……は?」

 

 あまりにも予想外の要求に、ゲナウは思わず顔を歪め、呆然とした声を漏らしてしまった。一級魔法使いとしての実力や、戦う覚悟を試されるものとばかり思っていた。それが、まさか“敬語”と、彼女の“側近”という立場を要求されるとは夢にも思わなかった。漆黒の翼を広げたまま硬直する青年を前に、ゼーリエはふっと不敵な笑みを深めるのだった。

 

「それが出来ないというならお前を一級魔法使いにするつもりはない。出て行け」

 

 ゼーリエの言葉は冷酷で、一切の慈悲もなかった。温室を包む空気が、一瞬で凍りついたように張り詰める。ここで拒絶すれば、すべてが泡と消える。故郷の平穏も、これまでに流した血も、すべてが無意味になってしまうのだ。ゲナウは屈辱と焦燥に突き動かされながら、奥歯を噛み締め、必死に言葉を紡ぎ出した。

 

「いや……いえ、出来、ます」

 

 慣れない言葉遣いに、片言ながらも声を絞り出す。首筋に冷たい汗が伝った。

 

「ゼーリエ、様の……弟子となり、側近になり、ます。です、から……!」

 

 プライドを捨て、ただ目的のために頭を垂れる青年の姿を、ゼーリエはじっと見つめていた。そして、ふっと表情を緩める。

 

「合格だ」

 

「えッ」

 

 あまりの切り替えの早さに、ゲナウは思わず間抜けな声をあげてしまった。張り詰めていた緊張が完全に拍子抜けに変わる。

 

「ゲナウ、お前を一級魔法使いと認めよう。その上でお前の望む、その漆黒の翼の強化を行う」

 

 ゼーリエはゆっくりと歩み寄り、ゲナウの背後に広がる漆黒の翼へと、ふと白く小さな片手を向けた。その指先から、見たこともないほど濃密で、底の知れない魔力が溢れ出す。

 

「“この世ならざる物質”を、その翼に付与してやろう」 

 

 神話の時代から生きる最高峰の魔法使いが放つ、特権の魔法。温室の花々がその強大な魔力に激しく揺れる中、ゲナウの黒翼が怪しく、そして圧倒的な輝きを放ちながら変貌を始めようとしていた。

 

「黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》だ。軽さも重さも自由自在に変えられる。無論強度や殺傷能力もな。今のお前なら、それなりに強い魔族さえ一撃の元に屠れるだろう」

 

 ゼーリエの言葉と同時に、ゲナウの背の翼が凄絶な変貌を遂げた。魔力で編まれていた漆黒の羽が、金属的な光沢を帯びた“黒金”へと結晶化していく。羽の一枚一枚が、触れれば指が落ちるほどの鋭利な刃の塊だった。重厚な存在感を放ちながらも、ゲナウの意識と完全に同調し、空気のように軽くも、城門を打ち破るほど重くも変化する。これだ。これこそが、自分が求めていた、北側諸国を護るための絶対的な力。

 

「あ、有り難き、幸せ……?」

 

 望んでいた至高の力が一気に手に入り、ゲナウは慌てて礼を述べた。しかし、慣れない敬語と、脳裏を埋め尽くすほどの強烈な歓喜のせいで、自分が何を口にしているのかさえ判らなくなっていた。内心では、少年のように飛び上がりたいほどの喜びが爆発している。その様子を見たゼーリエは、面白そうに目を細めて低く笑った。

 

「ふふ、初々しいものだ。これからは私の手となり足となり働いてもらうぞ。覚悟しておけ」

 

 その言葉は、これから始まる、大陸の命運を左右する戦いへの招待状だった。ゼーリエの側近という立場は、常に最前線の、最も過酷な死地に身を置くことを意味する。だが、今のゲナウに恐れはなかった。背中に宿る黒金の翼が、確固たる自信となって彼を支えている。

 

「お、仰せの、ままに……!」

 

 ゲナウはまだ少しぎこちなく、しかし今度はしっかりと頭を下げ、忠誠を誓った。赤く染まる夕空を見上げていたあの少年は、ついに最高峰の力を手に入れた。故郷を、そして人々を護るための、冷徹にして最強の“騎士のような魔法使い”が、ここに誕生したのだった。

 

 

 

 ゲナウが一級魔法使いとなってから、十数年の月日が流れていた。かつて少年の面影を残していた青年は、今や誰もが威圧感を覚えるほどの大柄な体格へと成長していた。無駄のない強靭な肉体と、何事にも動じない冷徹な眼差し。その佇まいは、ゼーリエの最側近としてすっかり板に付いている。彼の他に側近は三人いたが、ゲナウは自ら望んで、常に最も危険な前線の討伐任務を率先して引き受けていた。北側諸国の平穏を護るというあの日の誓いは、今も彼の黒い外套の下で激しく燃え続けていたからだ。

 

そんなある日、彼に新しい相棒が宛がわれることになった。その男は、信仰の厚い“聖都”の出身で、深刻な魔物の被害に喘ぐ北部支部の応援として派遣されてきた一級魔法使いだった。過酷な戦いを幾度も経るうちに、心を磨耗させ、常に無愛想で張り詰めた空気を纏うようになったゲナウとは異なり、その相棒は驚くほど底抜けに明るい男だった。

 

「へー、お前が噂のゲナウか! 頼りにしてるよ、相棒!」

 

 任務への移動中も、相棒はゲナウの沈黙など気に留める風もなく、楽しげに喋りかけてくる。何よりゲナウを驚かせたのは、任務の途中で立ち寄った、魔物の脅威に怯えるうらぶれた村での彼の行動だった。相棒は村に到着するなり、怯える子供たちの元へ歩み寄り、手から色鮮やかな光の蝶を飛び回らせるような、戦いには何の役にも立たない“楽しい魔法”を笑顔で披露し始めたのだ。子供たちの顔に、一瞬で笑顔が戻る。その光景を、ゲナウは遠くから冷めた目で見つめていた。だが、胸の奥がわずかに疼くのを止められなかった。

 

(……馬鹿げている。そんな魔法、魔族の前では何の意味も持たない)

 

 心の中でそう吐き捨てながらも、ゲナウは知らず知らずのうちに、相棒の姿に遠い故郷の幼馴染みや、かつて自分を応援してくれた騎士たちの姿を重ねていた。自分を“友”のように扱い、肩を叩いてくるその屈託のない温かさは、ゲナウが戦いの中で凍りつかせてきた人間らしい感情を、少しずつ揺り動かしていく。

 

漆黒の翼を持つ無愛想な魔法使いと、楽しい陽気な魔法使い。正反対の二人は、奇妙な調和を保ちながら北部高原の任務をこなしていった。ゲナウも口には出さないものの、この男となら、より多くの人々を救えるかもしれないと、そんな微かな希望を抱き始めていた。しかし、ここは血と硝煙の絶えない北部高原。二人の行く手には、彼らの絆を嘲笑うかのような凄惨な悲劇が、確実に、そして冷酷に迫りつつあった。

 

 

 それは、北部高原の非情な現実がもたらした、最悪の別れだった。雨が降りしきる中、同時に発生した複数の魔族の襲撃。ゲナウと相棒は、互いの背中を預け合うことなく、別々の現場へと走らざるを得なかった。ゲナウが目の前の魔族を屠り、嫌な予感に駆られて相棒の元へと駆け戻った時───そこには、惨劇の光景が広がっていた。相棒は、倒れていた。そのすぐ近くでは、彼が身を挺して守った見ず知らずの子供が、恐怖と悲しみに身体を震わせて激しく泣き叫んでいる。

 

「おい……しっかりしろ!」

 

 ゲナウは膝をつき、相棒の身体を抱き起こした。衣服を引き裂くと、そこには魔族の剣によって抉られた、深く凄惨な腹の傷があった。すでに虫の息だった。ゲナウは必死にその傷口を両手で強く押さえ、止血を試みる。だが、手の隙間から溢れる生温かな血は、ドクドクと容赦なく流れ続け、止まる気配をまったく見せない。ゲナウの手が、見る間に相棒の命の赤で染まっていく。

 

「……こんな、オレを……まだ、助けようと……するのか……?」

 

 相棒の、いつも明るかった瞳から光が失われかけていた。彼は焦点の合わない目でゲナウを見上げ、血に濡れた唇を微かに歪めて笑った。

 

「やっぱり……お前は、いい奴だよ……」

 

 それが、彼の最後の言葉だった。張り詰めていた緊張が解けるように、相棒の身体から力が抜ける。押さえていた傷口からの拍動が止まり、ただ冷えていく肉体だけがゲナウの腕の中に残された。聖都から来た、底抜けに明るかった男。子供たちに楽しい魔法を見せていた男は、その優しさのままに、見ず知らずの子供の盾となってこの世を去った。泣き続ける子供の声だけが、高原の冷たい風に響いていた。ゲナウは動かない相棒を見つめたまま、ただじっと、血に染まった己の両手を見つめていた。その胸の中に、どす黒い感情が静かに、だが決定的に満ちていく。

 

 

 相棒の死から間もなく、血の滲むような日々に追い打ちをかけるように、北部支部からの緊急連絡がゲナウへと届いた。

 

「───ゲナウ、お前の故郷が魔族の軍勢に襲撃されている」

 

 その言葉は、彼の耳の奥で酷く冷たく響いた。あまりにも重なる悲劇。それはまるで、彼がこれまで“北側諸国の平穏”という大義のために重ねてきた非情な決断───多くを見捨て、時には同じ人間すらその手で殺めてきた凄惨な過去の罪悪感が、一挙に彼へと襲いかかってきたかのようだった。

 

(これは、俺への報いなのか……?)

 

 あの日、全てを擲って一級魔法使いになった。特権を得て、圧倒的な力を手にすれば、自分の手の届く範囲のものは全て護れると信じていた。しかし、それは傲慢な思い違いに過ぎなかった。護るどころか、相棒を失い、今また最も護りたかった故郷すらも失おうとしている。 激しい焦燥と絶望が襲うはずのその瞬間、ゲナウの心は奇妙なほどに静まり返っていた。悲しみも、怒りも、表情には一切表れない。それは過酷すぎる現実から心が壊れてしまわないように、彼自身の精神が働かせた、絶対的な防衛本能だった。感情を凍りつかせ、ただの“戦う人形”となることで、彼は辛うじて立っていられた。 

 

そんな彼の新たなペアとして配属されたのは、一級魔法使いになったばかりの女性、メトーデだった。

 

「ゲナウさん、状況は把握しています。急ぎましょう」 

 

 彼女はゲナウの異様なまでの冷徹さを怪しむこともなく、その多才な魔法の技術を駆使して、移動の速度を極限まで引き上げる。凍りついた心を黒い外套の下に隠したゲナウは、新米の一級魔法使いであるメトーデを伴い、黒金の翼と飛行魔法により猛スピードで故郷へと駆け付ける。その視線の先にあるのは、かつて誓いを立てた、だが今や激しい炎と血の匂いに包まれつつある、彼の原点の地だった。

 

 

 故郷に到着した時、全ては終わった後だった。かつて彼が護ると誓い、背中を追い続けた憧れのノルム騎士団は、跡形もなく全滅していた。村に留まっていたのは、用済みとなった地を貪る弱い魔族の残党と、物言わぬ骸となった無数の人々だけだった。本来なら、叫び出し、正気でいられなくなるほどの絶望的な光景。しかし、ゲナウは冷徹そのものだった。すでに死に絶えた彼の感情は、涙を流すことすら拒絶していた。

 

彼は機械のように淡々と、見つけ出した魔族の残党を一人残らず、その一撃の元に消し去っていく。そして、見つかった遺体を、まだ無事だった教会へと静かに運び続けた。崩れ落ちた瓦礫を退けた時のことだった。その下から、ゲナウのよく知る顔が現れた。かつての幼馴染みであり、いつも笑顔でパンを焼いていた、あのパン屋の息子だった。

 

「ゲナ……ウ……? お前……なのか……?」

 

 彼は辛うじて息をしていた。だが、その身体に刻まれた傷口はすでに腐りかけており、魔法の回復技術を持ってしても、助かる見込みがないことは一目で分かった。ゲナウは何も言わず、その痩せ細った幼馴染みの身体を静かに背中へと背負った。歩き出すゲナウの背中で、幼馴染みは途切れ途切れに、ほんの少しだけ言葉を紡いだ。昔のくだらない思い出話か、あるいは、一級魔法使いとして立派になったゲナウへの言葉だったのか。ゲナウはただ、その声を背中で聞き続けていた。

 

そして───幼馴染みの身体から完全に力が抜け、その声が途絶えた。背中に伝わる確かな死の重み。あの日、彼を笑顔で見送ってくれた故郷の光は、これで完全に潰えた。ゲナウは立ち止まり、ただ静かに、冷たくなっていく幼馴染みを背負い直した。その瞳には、相変わらず涙も怒りも浮かんでいなかったが、彼の心は、これ以上何も失うもののない、完全な“厳冬”へと至っていた。

 

 

 メトーデもまた、崩壊した村の中で必死に生存者の確認を行っていた。しかし、どれほど瓦礫を退け、息のある者を探しても、見つかるのは冷たくなった骸ばかりだった。すべてが終わってしまった今、彼女にできるのは、静まり返った教会の女神様の像に向かって、静かに祈りを捧げることだけだった。そこへ、足音を引きずりながらゲナウが教会へと戻ってきた。彼の背中には一人の若い男性が背負われていたが、メトーデの目から見ても、すでに魂が旅立った後であることは明白だった。ゲナウは何も言わず、そっと幼馴染みの遺体を下ろし、床に並べられた他の村人たちの遺体の隣へと静かに寝かせてやった。

 

その瞬間、ゲナウの唇が微かに動き、何かをそっと呟いた。だがそれは、彼の心の奥底から漏れ出た、自分自身でさえ何を言っているのか判らないほどの、形にならないうめき声だった。あたりを見渡せば、かつて幼い自分を可愛がり、剣や戦う心構えを教えてくれたノルム騎士団の人々も皆、魔族の手によって無惨に殺されていた。とりわけ仲良くしてくれたあの人は、凄まじく強い英傑だったはずだった。誰もが憧れ、決して負けないと信じていたあの強者たちでさえ、魔族の残酷な暴力の前には抗えなかったのだ。

 

『……今度は、おれが護る側になる』

 

 あの日、心に固く刻んだはずの誓い。一級魔法使いという頂点に立ち、血の滲むような過酷な任務を幾度も乗り越えておきながら、蓋を開けてみればこの有様だった。自分は一体、何のために戦ってきたのだろうか。あの時の誓いとは、一体何だったのか。凍りついたゲナウの心の中で、かつての信念は粉々に砕け散り、最早その意味すら判らなくなっていた。

 

「ゲナウさん……」

 

 静寂に包まれた教会の中で、メトーデは沈黙を守るべきか迷った末に、彼へ静かに声をかけた。

 

「貴方のせいでは、ありません。北部支部に連絡が届いていた頃には、もう……この村は滅んでいたでしょう。誰が来ても、結果は同じでした」

 

 それは客観的な事実に基づいた、彼女なりの気遣いだった。しかし、すべてを失ったゲナウにとって、その言葉は何の慰めにもならなかった。もし自分がここに残っていれば、もしもっと早く一級魔法使いとしての実力を示せていれば───そんな無意味な仮定が、凍りついた思考の底で澱のように沈んでいく。だが、その張り詰めた沈黙の中で、ゲナウは無意識のうちに、彼女へ言葉を問いかけていた。

 

「メトーデ……お前は何のために一級魔法使いになった」

 

 それは、己の存在意義を見失った男が、縋るように発した問いだったのかもしれない。

 

「えっ? それは……」

 

 突然の問いに、メトーデは一瞬虚を突かれたように目を丸くした。しかし、ゲナウの虚ろな横顔を見つめ、隠すことなく自らの過去を語り始めた。

 

「わたくしは、北部高原で魔族ばかりを狩る一族の生まれです。物心ついた時から戦いばかりの日々で……わたくしはそんな生き方に嫌気が差し、もっと“楽しい魔法”を求めて外へ出ました。そうして自分のやりたいことを探しているうちに、気がつけば一級魔法使いになっていた、という感じでしょうか。……すみません、きっとゲナウさんが求めるような立派な答えではないですね」 

 

 メトーデは少し申し訳なさそうに、困ったような微笑を浮かべた。“楽しい魔法”───その言葉が、ゲナウの胸を小さく抉った。つい先日、見ず知らずの子供を庇って命を落とした、あの明るかった相棒の姿が脳裏をよぎる。彼もまた、戦いには役に立たない、子供たちを笑顔にするための楽しい魔法を好んでいた。

 

魔族を狩るためだけに生きることを拒み、己の意思で楽しいものを求めて歩んだ結果、頂点へと至ったメトーデ。一方で、大切なものを護るためにすべてを擲ち、心を殺して戦い続けた結果、何一つ護れずにすべてを失った自分。あまりにも残酷な対比に、ゲナウはただ、女神像の足元に広がる影をじっと見つめ直すしかなかった。

 

「そうか……お前は、それでいい」

 

 ゲナウは感情のこもらぬ静かな声で言った。その瞳は、もう誰の遺体も映していないかのように虚ろだった。

 

「私は……俺はな、メトーデ。一級魔法使いになれば、北側諸国を平穏に出来ると本気で思っていた。そのための力があり、特権があるのだと。そうすれば、護るべきものを全て護れるのだと。……だが、違った」

 

 彼は己の大きな両手を見つめた。そこにはまだ、つい先ほどまで背負っていた幼馴染みの、そして数日前に看取った相棒の、生温かな血の感触がこびりついているような気がした。

 

「俺は何一つ護れなかった。前の相棒も、この故郷すらも。一級魔法使いになったのは……ただの、独りよがりの自己満足だったんだ」

 

 吐き出された言葉は、あまりにも重く、自虐に満ちていた。教会の中に、凍りつくような長い沈黙が流れた。女神像の前に佇むメトーデは、ゲナウの深く暗い絶望の深淵をじっと見つめていたが、やがて、毅然とした、しかしどこまでも優しい声音で言葉を返した。

 

「……ゲナウさん、わたくしはそうは思えません」

 

 彼女はゆっくりとゲナウの傍らへと歩み寄った。

 

「貴方のしてきた事は、決して間違っていません。貴方が救ってきた命が、平穏をもたらした戦いが、これまでにいくつもあったはずです。ただ……今回は、悪い事が重なってしまっただけです。どうか、これ以上ご自分を責めないで下さい」

 

 それは気休めではなく、メトーデの本心からの言葉だった。その言葉を聞いたゲナウは、しばらくの間、微動だにせず佇んでいた。だがやがて、彼の口元がほんの僅かに歪んだ。

 

「……。フ、お前はいい奴だな」

 

 それは、感情を失ったはずの彼が、この惨劇の中で初めて見せた、自嘲気味な笑みだった。

 

「きっと長生き出来ん」

 

 かつて、自分に“いい奴だ”と言い残して逝った、あの底抜けに明るかった相棒の最期が脳裏をよぎる。優しく、正しく、他者を思いやる者から順に、この過酷な北部高原では命を落としていく。メトーデのその温かさすらも、いつか彼女を滅ぼす呪いになるのではないかと、ゲナウの胸に小さな影を落とした。

 

「いいえ、わたくしは長生きしてみせます」

 

 メトーデは毅然として答えた。その瞳には、過酷な運命に決して屈しない強い意志の光が宿っていた。

 

「ゲナウさん、貴方もきっといい奴なのです。貴方も長生きすべきです」

 

「おい……俺まで長生きに巻き込むな」

 

 ゲナウは顔を背け、不機嫌そうに声を潜めた。

 

「俺は嫌な奴なんだ。長生きしてたまるか」

 

「あらあら、矛盾してますよ?」

 

 メトーデは困ったように、だがどこか包み込むような声音でクスリと笑った。

 

「いい奴は長生き出来ないはずなのに、嫌な奴も長生き出来ないのですか?」

 

「………」

 

 鋭い指摘に、ゲナウは言葉を詰まらせた。感情を殺し、無愛想な仮面を被ることで“嫌な奴”になろうとしていた彼の本心を、メトーデの聡明な眼差しは見抜いていた。

 

「失ったものが多ければ多いほど、長生きすべきです」 

 

 彼女の言葉が、静まり返った教会に重く、そして優しく響き渡る。

 

「在り来たりな言葉に聞こえるでしょうが、それが生き残ったものの務めです」

 

「……そうだと、いいんだがな」

 

 ゲナウは小さく息を吐き出した。その胸の奥で、カチカチに凍りついていた何かが、ほんの僅かに溶け出していくのを感じていた。護れなかった。失うばかりだった。それでも、生き残ってしまった自分には、まだ果たすべき役割があるのかもしれないと、彼女の言葉は静かに諭していた。

 

「きっとそうです。彼らの死を、無駄にしない為に」

 

「………。あぁ」

 

 ゲナウは低く答えた。あの日、見ず知らずの子供を庇って“いい奴だ”と言い残して逝った相棒。ゲナウの背中で息を引き取った幼馴染み。そして、誇り高く戦って散ったノルム騎士団の人々。彼らの遺志を、彼らの生きた証をこの世界に繋ぎ止めるために。自分はどれほど心を削ろうとも、この過酷な北部高原を生き抜かなければならない。ゲナウは黒い外套を翻し、ゆっくりと教会の出口へと歩き出した。その背中は相変わらず大柄で、近寄り難い威圧感に満ちていたが、隣を歩く若い一級魔法使いの存在が、彼の凍てついた歩みを確かに支えていた。

 

 

 

End

 

 

 

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