厳かな静寂が満ちる、大陸魔法協会本部の謁見の間。 天高くそびえる天井から差し込む光の真下で、人類最高峰の魔法使いであり、すべての魔法使いの頂点に君臨するゼーリエは、面倒そうに頬杖をついていた。
「……ゼーリエ様、ご報告があるのですが」
静寂を破ったのは、メトーデの声だった。いつもならその隣に、長身で影のある一級魔法使い───ゲナウが並んでいるはずだった。しかし今日、彼女はただ一人で大理石の床を踏み締め、ゼーリエの玉座へと近づいていく。
「何だメトーデ。ゲナウと共に任務に赴くはずだな、今日は」
ゼーリエは冷淡な視線を向けた。規律を重んじる彼女にとって、予定された任務の遅延や変更は好ましいものではない。
「はい、それが……」
メトーデはいつもの柔和な微笑みを浮かべたまま、しかしどこか慎重な手つきで、胸の前で両手を丸く合わせた。まるで、壊れやすい小鳥でも包み込んでいるかのような仕草だった。彼女はそのままゼーリエの至近まで歩み寄ると、そっとその両手を開いて見せた。
「…………」
ゼーリエの細い眉が、わずかにピクリと動く。その黄金の瞳が捉えたのは、メトーデの白い手のひらの上で、酷く居心地悪そうに身を縮めている“それ”だった。
「……ゲナウ、随分小さくなったな」
「今朝早く目覚めたら、全身が小さくなっていまして」
メトーデの手の中から返ってきたのは、紛れもなくゲナウの声だった。低く、不愛想で、どこか突き放すような、いつもの彼のトーン。しかし、如何せん声量が足りない。注意深く耳を澄ませなければ聞き逃してしまいそうなほど、かすかで、小さな声だった。黒いコートも、すべてが精巧なミニチュアのように再現されたまま、ゲナウは自らの手のひらを見つめ、それからメトーデの親指を忌々しげに睨みつけていた。
「呪いの類ではないようです。ただ、何故かこのサイズになっていまして……」
メトーデが困ったように、けれどどこか嬉しそうに、人差し指の腹でゲナウの小さな背中をそっと撫でた。ゲナウは露骨に嫌そうな顔をしてそれを避けたが、数センチしか動けないため、結局は彼女の手のひらの上で足を踏み替えるのが精一杯だった。ゼーリエは頬杖をついたまま、手のひらサイズの一級魔法使いをじっと見下ろした。
「いや……これは魔力による不調だな。稀にあるのだ、魔法使いには」
ゼーリエは事もなげに言った。数千年を生きる大魔法使いにとって、肉体のサイズが変わる程度の異変は、季節の変わり目に引く風邪のようなものに過ぎないらしい。
「仕方ない、今回の任務は別の者に回す。メトーデ、お前はその小さくなったゲナウの世話でもしていろ。いずれ勝手に元に戻るだろう」
その言葉を聞いた瞬間、メトーデの目がらんらんと輝きを放った。
「わたくしが小っちゃなゲナウさんをお世話して良いのですか!? 撫で放題ですか!?」
大興奮だった。普段の冷静沈着な一級魔法使いの面影はどこへやら、彼女の周囲には物理的なお花畑さえ見えそうなほどの狂喜が満ちている。両手の中にいるゲナウが、その熱気と声圧に耐えかねて耳を塞ぐほどだった。
「あぁ、そうだ。その代わり私へのなでなでは、やめてもらうぞ」
ゼーリエは不快そうに視線を逸らしながら条件を突きつけた。日頃からメトーデに隙あらば頭を撫で回され、抱きつかれそうになっている彼女にとって、これは至極真っ当な防衛策であり、ゲナウという生贄を捧げるに値する取引だった。
「ゼーリエ様をなでなで出来ない代わりに、小っちゃなゲナウさんを思い切り撫で回したいと思いますっ」
メトーデは拳を握りしめ(ゲナウを潰さないよう細心の注意を払いながら)、謎の使命感に燃えてみせた。完全に合法的な“ちいさくて可愛いもの”の飼育許可を手に入れた彼女の目は、獲物を狙う肉食獣のそれである。
(これからどうなるか考えたくもない……)
メトーデのぬくもりと、逃げ場のない手のひらの上で、ゲナウは深く、深すぎる溜め息をついた。普段なら一蹴するところだが、このサイズでは彼女の指一本を押し返すのが精一杯だろう。自らの不運と、師であるゼーリエのあまりに冷酷な(しかし彼女にとっては合理的な)判断を呪いながら、小さな一級魔法使いはこれから始まるであろう地獄の日々に、早くも心を折られかけていた。
謁見の間を辞し、メトーデの私室へと連行されたゲナウは、到着するなり不満の声を漏らした。
「……何故お前の部屋に私を連れ込むんだ」
「お世話を仰せつかったのですから、わたくしの部屋にお連れするのは当然の権利ですっ」
メトーデは至極当然と言わんばかりに胸を張り、手のひらサイズのゲナウを自らのフリル付きの柔らかいベッドの上へと、そっと優しく着地させた。普段は泥にまみれる任務もこなすゲナウにとって、おそろしく場違いな白くて甘い空間である。彼は沈み込むマットレスに足元を奪われながらも、なんとか踏みとどまって彼女を睨みつけた。しかし、メトーデはすでに彼を見ていなかった。彼女はベッドの下に身を屈めると、ゴソゴソと何かを引きずり出してきた。
「おい、それはいつ用意した」
ゲナウの顔が引き攣る。彼女が両手で抱え上げてきたのは、精緻な細工が施されたアンティーク調の、しかし立派な“鳥籠”だった。
「実はですね、数日前に鳥籠を買う夢を見たのです。女神様のお告げかと思い、買っておいて正解でした!」
「お前……鳥籠に私を閉じ込めるつもりか」
低く、地を這うような威圧の声を絞り出すゲナウ。だが、今の彼の声量はせいぜいコオロギの羽ばたき程度だ。メトーデには一考の恐怖も与えない。
「閉じ込めるなんてとんでもない、小っちゃなゲナウさんが勝手にどこかへ行ってしまわないよう守る為のお家ですよ!」
メトーデは満面の笑みで鳥籠の扉を開けた。中にはなぜか、ゲナウのサイズにぴったりな小さなクッションや、ミニチュアの食器までが完璧にセッティングされている。夢で見たというには、あまりにも準備が良すぎた。
(女神の告げた夢だと? ……ただの私への執着が生んだ妄想だろう……)
嬉々として鳥籠を整えるメトーデを前に、ゲナウはこめかみを指で押さえ、痛む頭をどうにか宥めようとした。逃げようにも、この部屋のドアノブは今の彼にとって遥か天空の彼方にある。完全なる“お世話”の檻が、静かに開かれていた。
「さぁどうぞゲナウさん、わたくしが丹念に用意した鳥籠の中へ!」
「……断るッ」
ゲナウは即座に魔力を練り上げた。展開されたのは、彼の代名詞でもある黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》。手のひらサイズになろうとも、一級魔法使いの意地と技術は健在だった。漆黒の翼がパサパサと小さな音を立てて広がり、彼はベッドから力強く飛び上がった。驚異的な速度でメトーデの頭上をすり抜け、部屋の最も高い場所───天井の照明のすぐ近くへと避難する。
「あらあら、こまった鳥さんですね。小っちゃなディガドナハトも最高に可愛いですよゲナウさん……!」
しかし、命がけの抵抗もメトーデにとっては“ご褒美”でしかなかった。見上げる彼女の瞳はハートマークにすら見え、興奮で頬を上気させている。
(く、メトーデの部屋のドアも閉じられ、結局逃げ場がない)
天井近くでホバリングしながら、ゲナウは冷や汗を流した。部屋の窓も扉も固く閉ざされている。メトーデがその気になれば、巨大な壁となって彼の退路を断つのは時間の問題だった。捕まえようと伸びてくる彼女の細い手が、今のゲナウにとっては巨人の怪腕のように迫り来る。逃げ回りながら打開策を練るゲナウ。しかし、彼の懸念は最悪の形で現実のものとなった。メトーデが何かに気づいたように、ぽんと手を叩いたのだ。
「そうです! わたくしフリーレンさんから《鳥を捕まる魔法》を教わってたんでした!」
「……ッ!?」
ゲナウの全身に戦慄が走る。かつて一級魔法使い選抜試験で、フリーレンが規格外の隕鉄鳥シュティレをあっさりと生け捕りにした、あの民間魔法───
「……えいっ」
メトーデが楽しげに指先を向け、魔力を解放した。
メトーデの指先から放たれた光の輪が、空間を裂いてゲナウへと迫った。小さくなろうとも一級魔法使い、本来なら回避も相殺も容易なはずだった。しかし、黒金の翼《ディガドナハト》を展開していたことが仇となる。魔法の術理は、彼を完全に“鳥”として認識していた。
シュッ、と小気味よい音が響く。光の輪はゲナウの両腕と、その背の黒き翼をそっくり巻き込み、完璧にその身を拘束した。
「な……ッ!?」
飛行能力を奪われたゲナウの小さな身体は、そのまま重力に従って落下していく。それを、下で待ち構えていたメトーデの柔らかい手のひらが、ふわりと優しく受け止めた。
「ふふふ、やっぱりゲナウさんって鳥さんなんですねぇ。これで観念して下さいね?」
勝ち誇るメトーデの顔が、すぐ目の前にある。ゲナウは身悶えして拘束を解こうとしたが、光の輪はびくともしない。するとメトーデは、もう片方の手の指の腹をそっとゲナウの頭へと添えた。
「おい、やめろ……な、何を……」
「よしよし、可愛いですねぇ、ゲナウさん」
そこからは、ゲナウにとって未知の地獄、あるいは天国だった。メトーデは精神魔法の扱いにも長けた一級魔法使いだ。人間の、そして生物の“どこをどう触れば心地よいか”を完全に熟知している。彼女の指先が絶妙な力加減で、ゲナウの頭頂部から、首筋、そして拘束された翼の付け根へと滑り、丹念に、熱心に撫で回し続けた。
(不快だ。酷く不快だ、こんな……指先ひとつに、俺が……)
最初は激しい拒絶の意志を燃やしていたゲナウだった。しかし、彼女の指から伝わる体温と、計算され尽くした極上の愛撫は、容赦なく彼の防衛本能を削り取っていく。じわじわと脳を侵食していく圧倒的な心地よさ。小さくなった肉体はメトーデの指の動きに抗えず、いつしかゲナウの目から鋭さが消え、その身体から完全に力が抜けていった。すっかり骨抜きにされ、とろけたような意識のまま、彼は彼女の手のひらに身を委ねてしまう。
───カチャン。静かな金属音が部屋に響いた。その冷たい音に、ゲナウの意識が急速に覚醒する。
「……はッ、俺は何を」
我に返り、辺りを見回したゲナウは戦慄した。彼の周囲を囲んでいたのは、大理石の壁でもメトーデの指でもない。白く塗装された、細い金属の格子───。いつの間にか光の拘束は解かれていたが、彼は完全に、あのアンティーク調の鳥籠の中へと閉じ込められていた。
「最高の眺めですねゲナウさん……鳥籠の中で黒金の翼を生やしたままのゲナウさんはまさに籠の中の小さな鳥さんそのものです」
鳥籠の外では、メトーデが両頬に手を当て、うっとりと目を輝かせながら彼を見つめていた。その瞳に宿る熱量は、先ほどよりもさらに増している。一級魔法使いとしてのプライドを完膚なきまでにへし折られ、文字通りの“籠の鳥”となったゲナウは、自らのあまりの不覚に唖然とするばかりだった。
「……はーいゲナウさん、ご飯のお時間ですよー」
カチャリと金属音を立てて鳥籠の扉が開いた。楽しげなメトーデの声と共に差し出されたのは、彼女がミニチュアの小皿に盛り付けた、ヒエやアワ、ひまわりの種といった穀物類の詰め合わせ───すなわち、紛れもない“鳥の餌”だった。
「お前、私が人間だというのを忘れているだろう」
籠の片隅で、片足を曲げて立てた状態で座り込んでいたゲナウが、不機嫌そのものの声を絞り出した。人間としての威厳を保とうとするポーズのつもりだったが、サイズがサイズなだけに、その姿は止まり木でへたり込んでいる不機嫌な小鳥にしか見えない。
「まぁそう言わずに、食べて下さいな」
メトーデはどこ吹く風で微笑むと、再びカチャリと容赦なく鳥籠の扉を閉めた。
「…………」
ゲナウは目の前の小皿を、親の仇を見るような目で睨みつけた。だが、小さくなった身体は思いのほかエネルギーを消費している。漂ってくる香ばしい穀物の匂いが、彼の胃袋を容赦なく刺激した。逃げ場はなく、他につまめるものもない。ゲナウは深く溜め息をつくと、諦めたようにひまわりの種をひとつ、小さな両手で拾い上げて口に運んだ。パキッと小気味よい音が響き、中の種を食べる。
(案外、美味しい……私は本当に鳥かもしれん)
それは驚くほど彼の味覚に合っていた。一口食べると、不思議と次が欲しくなる。もぐもぐ、もぐもぐと、彼はいつしか一級魔法使いとしての苦悩も忘れ、無心になって皿の上の穀物をついばみ始めていた。頬を膨らませて必死に種を割るその姿は、野生を忘れたペットそのものである。
「あらあら可愛い~! 喉が乾いたら、そこにお水が飲める所があるのでご自由にどうぞ~」
メトーデは両手を組んで身を乗り出し、心底愛おしげに鳥籠の中のゲナウを見つめていた。彼女の視線の先では、黒金の翼を背負った強面の一級魔法使いが、籠の中でせっせとヒエの実を食べている。そのあまりにも完成された“籠の鳥”としての姿に、メトーデの母性と癖は、いまや完全に満たされようとしていた。
「ゲナウさ~ん、鳥さんでしたら水浴びも必要ですよねっ? 水浴び場も用意してありますから存分にどうぞ! ミニチュアベッドは鳥籠の上の方に設置してあるのでそこは濡れる心配ありませんよ?」
メトーデは至れり尽くせりな鳥籠の設備を自慢げに指差した。そこには彼女が用意したであろう、小さな陶器製の水浴び場と、上階に設けられたふかふかのミニチュアベッドが鎮座している。
(………。こうなったらとことん鳥真似をしてやるッ)
ゲナウの心の中で、何かが完全に吹っ切れた。一級魔法使いとしてのプライドは、穀物の美味しさに負けた時点でどこかへ吹き飛んでいる。彼は一旦、その象徴である黒金の翼を背中に仕舞い込んだ。そして半ばやけくそになりながら、メトーデの目の前であることも構わず、身に着けていた上着や衣服を次々と脱ぎ捨てていく。いくら小さくても中身は成人男性である。本来なら恥じらうべき状況だが、今の彼は“自分は鳥だ”と言い聞かせることで理性を麻痺させていた。
ほぼ全裸になったゲナウは、もう一度背中から黒金の翼を大きく広げると、勢いよく水浴び場へと飛び込んだ。 バシャバシャバシャッ!!「喰らえ」と言わんばかりに、ゲナウは羽を思い切りバタつかせた。籠の外から目を輝かせて覗き見しているメトーデに向けて、容赦なく大量の水飛沫を浴びせかける。小さな身体から放たれる、執念の物理攻撃だった。
「あははっ、やんちゃですねぇ鳥ゲナウさんったら!」
しかし、メトーデは嫌がるどころか、顔に水滴を浴びながらますます楽しげに声を弾ませた。彼女にとって、この激しい水浴びは“ペットが自分に懐いて、元気に遊んでくれている微笑ましい姿”にしか変換されていなかったのだ。びしょ濡れになりながら、ぜぇぜぇと息を荒くするゲナウ。メトーデの聖母のような笑顔を前に、彼の渾身の嫌がらせは、ただの“可愛い小鳥のワンシーン”として完全に不発に終わったのだった。
「ねぇねぇゲナウさん……握り文鳥ってあるじゃないですか。それ、やってみません?」
またしてもメトーデが無茶振りしてきた。水浴びを終え、籠の上階にあるミニチュアベッドで身体を休めようとしていたゲナウは、その言葉にピクリと片眉を跳ね上げた。
「……にぎり、ぶんちょう?」
聞き馴染みのない不穏な単語に、ゲナウの脳裏に嫌な予感が走る。
「そうです! 人間の手のひらの中で、鳥さんがお餅みたいにまあるくなって、すやすや眠っちゃう最高に可愛い状態のことです! 今のゲナウさんなら、私の手の中にすっぽり収まるはずですよ~」
メトーデはそう言うと、すでに鳥籠の扉を開け、いつでもゲナウを包み込めるように両手を器の形にして待ち構えている。その目は、獲物を狙う猛禽類のような、あるいは極上のぬいぐるみを前にした子供のような、凄まじい熱を帯びていた。
「断る。私はお餅でもなければ、お前の手の中で眠るほど警戒心を失ってはいない」
ゲナウはベッドの布団を首まで引き上げ、冷徹な一級魔法使いの視線をメトーデに突き刺した。水浴びで体力を使い果たした今、これ以上の付き合いは御免だった。
「まぁまぁ、そう堅いこと言わずに。ちょっとだけですから、ね?」
しかし、メトーデの辞書に“諦める”という文字はなかった。彼女の白い手が、ゆっくりと、しかし確実に鳥籠の中へと伸びていく───
「はい、捕まえました!」
(……ッ!? 一切、抵抗出来なかった……)
水浴びの疲労の隙を突かれたゲナウは、己の無力さに驚愕した。気づいた時にはすでに遅い。彼はほぼ真っ裸のまま、背中の黒金の翼までもが、メトーデの白く柔らかな両手のなかに完璧に収められていた。優しく、しかし指の隙間から逃げ出すことすら許さない絶妙なホールド。顔だけがちょこんと突き出たその姿は、まさしく握り文鳥ならぬ“握りゲナウ”そのものであった。
「はあぁ~可愛すぎてキスしたいですぅ」
「やめろ馬鹿者……ッ」
睨みつけ、冷徹な一級魔法使いとしての威厳を込めて拒絶する。しかし、いくら凄もうとも今の彼は手のひらサイズ。その声にはいつもの鋭さがまるでない。そればかりか、抵抗しようと焦るゲナウの意思に反して、彼の身体は裏切り始めていた。メトーデの手のひらからじんわりと伝わってくる絶妙な力加減と、極上の温もり。
小さくなった身体にその体温はあまりにも心地よく、全身の強張りがみるみるうちに解かされ、すっかり力が抜けていってしまう。さらに追い打ちをかけるように、メトーデの親指の腹が、ゲナウの短い髪と小さな頭部を優しく、ゆっくりと撫で回し始めた。鳥が一番喜ぶポイントを完璧に捉えた愛撫。
「…………ッ」
あまりの気持ちよさに、ゲナウの理性の防壁が音を立てて崩壊する。抗えない快感の波に、彼の瞼はトロンと重くなり、屈辱を覚えながらも思わずうっとりと目を閉じてしまった。手の中で完全に無抵抗なお餅のようになっていくゲナウ。
「ふふ、何て愛しいわたくしの黒金の鳥……」
メトーデは心底愛おしげに目を細めると、手の中で丸くなるゲナウの小さな頭部に、そっと口づけをした。その極上の癒やし───メトーデの圧倒的な母性と手温、そして注がれる愛情は、ゲナウの体内で滞っていた魔力の不調を劇的に改善させる特効薬となってしまった。
細胞の隅々まで魔力が満ち渡り、不調が正常へと戻りつつあった。すっかり深い眠りに落ちる直前、ゲナウの脳裏に、凄まじい防衛本能の警鐘が鳴り響いた。彼はカッと目を見開いた。体内の魔力が爆発的に膨れ上がっている。
「メ、トーデ、今すぐ俺を放せ!」
「え、嫌です」
即答だった。極上の愛鳥癒やしタイムを邪魔されたくないメトーデは、指の力を緩めようとしない。しかし、これは二人にとって正真正銘の緊急事態だった。
「俺の身体が、元に戻ろうとしている……! このままではお前の手がとんでもない事になるぞッ」
成人男性の質量と骨格が、彼女の小さな片手の中で一気に復元されようとしているのだ。このままではメトーデの手が肉圧で破裂するか、骨が粉々に砕けてしまう。
「なんですって?! 元に戻ってしまわれるのですか!? 嫌です、このままわたくしの可愛い小さな鳥ゲナウさんでいて下さいっ」
「普通そこは元に戻る事を喜ぶべき所だろうがッ! とにかく俺を放すんだ!」
「うぅ、判りました……。一生鳥籠で可愛がってあげようと思いましたのに、ぐすん」
メトーデは本気で涙ぐみながら、名残惜しさに引き裂かれそうな表情で、パッと両手を広げてゲナウをベッドの上へと放り出した。その瞬間、ゲナウの全身が目映い魔力の光に包まれ、一気にサイズを拡大していく───
眩い魔力の光が収束すると同時に、はらはらと、通常サイズに戻った黒金の翼の羽根が、黒い雪のようにメトーデの部屋へと舞い散った。その光の只中に現れたのは、紛れもない一級魔法使い、通常サイズの大柄なゲナウその人であった。水浴びのためにすべての衣服を脱ぎ捨てていた彼の肉体は、逞しく、引き締まった成人男性の輪郭を惜しげもなく露わにしている。背からは漆黒の翼が雄々しく広がっていた。
───しかし、ここはあまりにも手狭なメトーデの私室である。ゴンッ!!と、静かな部屋に鈍く重い音が響き渡った。あまりに急激な質量の復元に空間の計算が追いつかず、ゲナウは天井に頭を派手に打ち付けてしまったのだ。
「ぐッ……」
あまりの痛さに、彼は天井とベッドの隙間に挟まれる形で、首を不自然に横へと傾げた窮屈な状態のまま硬直するしかなかった。大柄な男が全裸で首を曲げている姿は、それだけで十分にシュールな光景だった。だが、本当の地獄はそこからだった。
ほぼ真っ裸で通常サイズに戻ってしまった弊害は、あまりにも残酷な形で現れる。ベッドの上に無理やり立ち尽くすゲナウ。そして、そのすぐ目の前に立っているメトーデ。絶妙な高低差によって、丁度メトーデのまっすぐな視線の先に、ゲナウの最も秘められた男としての“それ”が、遮るものなく堂々と位置していた。部屋の中に、心臓が止まるような沈黙が流れる。
メトーデは目を丸くしたまま、まるで新種の魔導具でも観察するかのように、至近距離から“それ”をじっと凝視した。微動だにせず、瞬きすら忘れて観察している。ゲナウの全身の血の気が一気に引き、次の瞬間には爆発したように顔面が真っ赤に染まった。その視線に耐えかね、沈黙を破ったのはメトーデの、どこか間の抜けた、しかし容赦のない一言だった。
「あら、意外と小さ」
「それ以上言うなぁッ!!」
ゲナウは人生で一度も出したことがないような悲鳴じみた怒号を上げた。途端に彼は、大慌てで背中の黒金の翼を背中へと仕舞い込むと、メトーデのベッドの中へと滑り込むようにして猛スピードで潜り込んでしまった。 掛け布団を頭からすっぽりと被り、ミノムシのように固く丸まる。一級魔法使いとしての威厳、冷徹な戦士としてのプライドの全てが、この瞬間に文字通り粉々に粉砕されたのだ。
「あらあら……」
ベッドの横に取り残されたメトーデは、呆然としたのも束の間、すぐにその頬を赤らめ、両手を頬に当てて身悶えを始めた。
「別の可愛いのを見ちゃいました。ちんまりした小鳥さんも素敵でしたけれど、お布団の中で小さくなっているゲナウさんも、とっても愛らしいです……!」
布団の塊からは、ギリ、とゲナウが歯を食いしばる音だけが聞こえてくる。
「ふふ、お着替えを用意しますねぇ。安心してください、あの鳥籠はいつでも使えるように、このお部屋の一等地に大事に残しておきますから。またあの黒金の翼を持つ可愛い小鳥さんになる日が来るかもしれませんもの。いえ、寧ろ定期的に来てもらわないと、わたくしが困ります」
メトーデは鼻歌交じりにせっせと動き出し、彼のための衣服を探しにクローゼットへと向かった。パタン、と扉が閉まる音がしても、布団の塊はピクリとも動かない。ゲナウは恥ずかしさと屈辱、そして言語絶する精神的ダメージのあまり、メトーデが着替えを持って戻ってきてからも、気が遠くなるほど長い時間、絶対にそのベッドから出ようとはしなかった。
End