葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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幸福の在処

「……!?」

 

 ゲナウは勢いよく上半身を起こした。心臓が早鐘を打っている。冷や汗が背中を伝い、視界が激しく揺れていた。

 

───ここは、どこだ。手をついたのは、戦場の冷たい大地でも、見慣れた一級魔法使いの宿舎でもなかった。柔らかく清潔な、シーツの敷かれたベッドの上だ。窓からは穏やかな木漏れ日が差し込み、小鳥のさえずりが心地よく響いている。体に染みついた戦いの記憶が、このあまりにも平和な空間に激しい違和感を訴えていた。

 

「……パパ、起きる時間だよー!」

 

 突然、高い声が響き、ベッドに小さな質量が飛び乗ってきた。

 

「そうだよ、そろそろ起きないとママ怒るよ」

 

 続いて、もう一つの幼い声が部屋に響く。ゲナウは反射的に身構えようとしたが、目の前にいる二人の姿を見て、言葉を失った。

 

「お、お前達は……?」

 

 困惑のあまり、声が掠れる。すぐ目の前でゲナウの顔を覗き込んでいたのは、見覚えのある癖毛と、どこか大人の色香を予感させる整った顔立ちをした小さな女の子だった。彼女はぷくっと頬を膨らませて、不満そうに腰に手を当てる。

 

「パパどうしたの? パパの子供に決まってるじゃない!」

 

「……具合でも悪いの、パパ」

 

 その子の後ろから、心配そうに顔を出したのは男の子だ。きっちりと七三分けにされた髪型は、鏡を見るまでもなく、ゲナウ自身の子供の頃の生き写しだった。

 

「ママー! パパが変だよ? お熱でもあるのかなー?」

 

 女の子がパタパタと廊下へ駆けていき、大きな声で助けを求めた。ゲナウが混乱を極める頭を必死に働かせようとしたその時、部屋の扉が静かに開く。

 

「あらあら、大変ね。パパのお熱計りましょうか」

 

 入ってきた人物を見て、ゲナウは息を呑んだ。現れたのは、見慣れた一級魔法使いの外套ではなく、家庭的なエプロンを身に纏ったメトーデだった。その姿は、どこからどう見ても、一歩下がって家族を支える慈愛に満ちた“主婦”そのものだった。

 

「お、お前……! どうした、その格好はッ」

 

 ベッドの上で狼狽えるゲナウに対し、メトーデは困ったように、けれど愛おしそうにふんわりと微笑む。

 

「どうしたって……わたくし達は夫婦で家族なのですから当然でしょう? 朝ごはんを作っていたのですよ、ゲナウ」

 

「………ッ」

 

 ゲナウの背筋に、言葉にできない奇妙な悪寒が走った。いつもなら、彼女は自分のことを“ゲナウさん”と呼ぶ。戦闘時であれ任務中であれ、その崩れない敬称と独特の距離感こそが、彼の知るメトーデだった。それが今、あまりにも自然に、親密に、自分の名前を呼び捨てにしている。

 

「では、お熱計りましょうねぇ」

 

 メトーデはベッドの端に腰掛け、ゲナウの顔にそっと近づいた。いつもの彼女らしい、甘く落ち着いた声。彼女は優しく細い手を伸ばすと、ゲナウの額にまとわりつく乱れた前髪を払い、そこへ手のひらを横にしてそっと宛がった。少しひんやりとした彼女の手が、ゲナウの肌に直接伝わってくる。

 

「あら、ちょっと熱いかしら。このまま休んでいた方が……」

 

 メトーデは本気で心配そうに、眉をそっとひそめた。

 

「い、いや、いい……起きる」

 

 ゲナウは彼女の手を優しく退け、ベッドから立ち上がった。確かに顔の火照りは自覚していたが、それは病による発熱ではなく、彼女の突然の密着による動揺だ。体に怠さは一切なく、いつでも動ける状態だった。

 

「では着替えを手伝いますね。……ほら二人共、ダイニングで待ってなさいね」

 

「「はーい!」」

 

 メトーデの言葉に、二人の男女の子供たちは元気よく声を揃えて部屋を出ていった。バタバタと廊下を駆けていく足音が、この家が紛れもない現実であるかのように響く。部屋に二人きりになると、ゲナウは声を潜めて目の前の女性を見据えた。

 

「……メトーデ、違和感を感じないのか」

 

 その声音には、いつもの冷徹さの裏に焦燥が混じっていた。

 

「何故このような状況になっているのか、俺には記憶がない。だが、精神魔法にも精通しているお前なら、何か気づくことがあるはずだ……」

 

 彼の必死の問いかけに、メトーデは慌てる風でもなく、事もなげに言った。

 

「えぇ、確かに違和感はありますよ」

 

 彼女はいつもの穏やかな、けれどどこかすべてを悟ったような瞳でゲナウを見つめ返す。

 

「しかしわたくしは……このままでもいいかしら、と思ってしまうのです」

 

「何を、言って───」

 

 ゲナウの言葉を遮るように、メトーデはきれいに畳まれた衣服を差し出した。

 

「さぁゲナウ、これに着替えて下さい。今の貴方には着慣れないでしょうけど、質素な村人の服装ですよ」

 

 いつもの堅苦しい一級魔法使いの外套ではなく、肌触りの良い柔らかな布地で作られた、ごくありふれた平民の服。手渡されたそれをとりあえず身に付けようとすると、メトーデがすっと距離を詰めてきた。彼女は甲斐甲斐しく、ゲナウの襟元を整えたり、紐を結んだりと着替えを手伝い始める。

 

その手つきはあまりにも自然で、細やかな気遣いに満ちていた。これでは、本当に長年連れ添った夫婦のようではないか。ゲナウの胸の奥で、理性の警鐘と、それとは裏腹な甘やかな心地よさが複雑にせめぎ合う。

 

 

「パパ、ママ、遅いよ! 早く朝ごはん食べよ!」

 

「僕もお腹ペコペコ……」

 

 ダイニングへ足を運ぶと、すでに二人の子供たちが待ちきれない様子で、テーブルの椅子に座ってこちらを見ていた。木製のテーブルの上には、出来立ての温かいスープ、こんがりと焼けたパン、そして瑞々しい果物といった色鮮やかな朝食が並べられている。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いは、どれも非常に美味しそうだった。

 

「さぁゲナウ、家族みんなで朝ごはんを頂きましょう」

 

 メトーデが優しく微笑みながら、ゲナウの席を引く。

 

「家族、みんな、で……」

 

 ゲナウはその言葉を、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。目の前にある、あまりにも温かく、非の打ち所がない幸福な光景。それがゲナウの冷徹な心を少しずつ、確実に侵食しようとしていた。

 

 

ゲナウは促されるままに、木製の椅子へと腰を下ろした。家族四人で囲む食卓は、幸福という言葉のほかに表現のしようがなかった。温かいスープを口に運ぶたび、滋味深い味わいが体に染み渡る。無邪気に笑い、スプーンを動かす二人の子供たち。その姿は、紛れもなくメトーデと自分の面影を宿していた。

 

そして何より、隣に座るメトーデだ。彼女はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、愛おしそうにゲナウを見つめている。いつものからかうような視線ではない。ここにあるのは、自分の妻として、心から自分を愛してくれているメトーデの瞳だった。これ以上、人生に何を望むというのだろう。血と硝煙にまみれた過酷な戦いも、同胞の死を看取る苦しみもない。ただただ、愛する家族と穏やかな時を過ごす。それだけで満たされるはずだった。

 

───だからこそ、違和感は消えない。むしろ、幸福の純度が高ければ高いほど、ゲナウの冷徹な理性が、その裏にある歪みを鋭く突いていた。あり得ないのだ、こんな世界は。ゲナウ自身、これまでの人生で“決して望んではいけない”と、固く心を閉ざしてきたはずの光景が、今、完璧な形で目の前に差し出されている。出来すぎている。これは、俺の、弱さが、見せている───

 

「………ッ!」

 

 ゲナウはテーブルに両手を強く叩きつけ、勢いよく立ち上がった。食器が不快な音を立てて揺れ、スープが小さく跳ねる。

 

「どうしたの、パパ?」

 

「何か、こわいよ……?」

 

 楽しげだった空間が一瞬で凍りつき、女の子と男の子が不安そうに小さな顔を上げた。父親の突然の変貌に、怯えを隠せない。

 

「…………」

 

 ゲナウは何も言えず、荒い呼吸のまま、ただじっと家族を見下ろした。その視線の先で、メトーデは子供たちの手をそっと握りながら、何も言わずに微かに寂しげな表情を浮かべていた。すべてを見透かしているかのような、静かな悲しみがその瞳に宿っていた。

 

「メトーデ、これは魔族による仕業だろう」

 

 ゲナウは低く、押し殺した声で告げた。その瞳からは先ほどまでの迷いが消え、いつもの冷徹な一級魔法使いの光が戻っている。

 

「分かっていて何故あり得ない家族ごっこなどしている。そんな暇はないはずだ」

 

「それは……」

 

 メトーデは視線を微かに彷徨わせ、言葉を濁した。その曖昧な態度が、ゲナウの確信をさらに強めさせる。

 

「パパ、ママを責めないで?」

 

 突然、女の子がゲナウの上着の裾を小さな手で掴んだ。潤んだ瞳で父親を見上げ、必死に母親を庇おうとする。

 

「パパだってママのこと大好きでしょっ?」

 

「そうだよパパ、僕たちだってパパが大好きだよ?」

 

 男の子も椅子から飛び降り、ゲナウの足に縋り付いた。小さな体から伝わる体温も、衣服を掴む手の強さも、本物の人間にしか思えないほど生々しい。

 

 

「黙れ……お前達は魔族が作り上げた幻影だ!」

 

 ゲナウは容赦なく、二人を力任せに引き剥がした。突き放された二人の子供は、床にもつれるように倒れ込み、そのまま声をあげて泣き崩れてしまった。激しい泣き声が部屋に響き渡る。だが、ゲナウは眉一つ動かさず、彼らに視線すら向けない。

 

「ゲナウ、さん……やめて下さい」

 

 それまで静観していたメトーデが、毅然とした、しかしどこか悲痛な声で二人を遮るように立ち上がった。

 

「仮にも、わたくし達の子供……。これほど愛らしい子達を、そんな風に扱うなんて」

 

「まだ言うかメトーデ、早くこの仮初めの世界から脱しなければ我々は───」

 

 ゲナウは苛立ちを露わにしながら、メトーデの言葉を遮った。敵の術中にハマっている自覚がありながら、なおもこの夢に縋ろうとする彼女の意図が掴めず、焦燥感だけが募っていく。

 

 

「仮初め、ですか」

 

 メトーデの表情が、微かに、しかし決定的に歪んだ。それはいつもの彼女のような余裕のある微笑みではなく、心を引き裂かれた人間が浮かべる、酷く痛々しい歪みだった。

 

「これは貴方とわたくしが望んだ世界ですよ。いくら否定しようと、真実なのです」

 

「何……?」

 

 ゲナウは思わず息を呑んだ。

 

「現にわたくし達は同じ夢を見ている。それが何よりの証拠です」

 

 メトーデの声が高らかに、静まり返った部屋へ響き渡る。その凛とした声に、ゲナウは背筋が凍るような感覚を覚えた。ハッとして足元を見やると、先ほどまで激しく泣き崩れていたはずの子供二人が、いつの間にか泣き止んでいた。床に座り込んだまま、光の一切を失った虚ろな瞳で、じっとゲナウを見上げている。

 

「違う、俺はこんな幸福など望んでいない!」

 

 ゲナウは己に言い聞かせるように、激しい怒声を叩きつけた。

 

「北側諸国の平穏の為、生涯を捧げるつもりだ! 家族など、幸福など、最初から俺の人生には必要ないッ!」

 

「あくまで、否定なさるのですね」

 

 メトーデは深く息を吐き、静かに首を振った。その瞳には、諦念とも哀れみともつかない複雑な光が宿っている。彼女はゲナウのすぐ目の前まで歩み寄ると、その華奢な胸元を無防備に晒した。

 

「ではこの幸福な夢から覚める“すべ”を教えましょう。……わたくしを殺めなさい、ゲナウ」

 

 唐突に突きつけられた冷酷な選択肢に、ゲナウの思考が一瞬、完全に停止した。

 

「この世界は、わたくしと貴方の心が深く結びついて作られたもの。わたくしの命を絶てば、夢の形は保てなくなり、世界は崩壊します」

 

 メトーデはどこか晴れやかな、それでいて酷く寂しげな笑みを浮かべ、ゲナウの手をそっと取り、自分の胸へと導いた。

 

「さぁ、貴方の望む過酷な現実へ戻るのです。わたくしの心臓を、その手で貫いて」

 

 

「………。その必要は、ないようだぞ」

 

 ゲナウは差し出されたメトーデの細い手首を掴むことも、その胸を貫くこともせず、視線を部屋の天井へと向けた。その視線の先、何もないはずの空間に、ピキ、とガラスがひび割れるような、鋭い破裂音が響く。

 

「この世界に、亀裂が生じ始めている」

 

 空を裂くように現れた一条の白い光のヒビを見て、メトーデは目を丸くした。だが、すぐにいつものような、すべてを察した苦笑へと表情を戻す。

 

「あら、外の誰かがわたくし達の幸福な夢を壊しにかかったのですね」

 

「お前を殺める必要は、なくなった」

 

 ゲナウはそう言って、深く息を吐きながらメトーデから一歩、距離を置いた。その背中に向けて、メトーデは呆れたように、しかしどこかひどく愛おしそうに声をかける。

 

「……始めから、殺める気なんてなかったくせに」

 

 パリン、と世界が砕ける音がした。幸福な木造りの家も、温かいスープも、目に光を失っていた二人の子供たちの姿も、すべてが光の粒子となって霧散していく。

 

 

二人は、女神の碑石の力によってこの遙かなる過去の時代へと飛ばされていた。元の時代へ帰る方法を探す旅の途中で、七崩賢の一角・奇跡のグラオザームと対峙し、その恐るべき“楽園へと導く魔法”《アンシレーシエラ》の術中に囚われていたのだ。思考を侵す甘い泥のような魔法を、力任せに打ち破った者がいた。

 

「───やぁ、二人とも。ずいぶんと幸せそうで苦しい顔をして眠っていたね」

 

 視界が現実の荒野へと戻ると同時に、聞き覚えのない、芯の通った爽やかな声が響いた。ゲナウとメトーデがゆっくりと目を開けると、そこには剣を抜き、白いマントを風になびかせた一人の男が立っていた。

 

現代の銅像でよく目にする、勇者ヒンメル。グラオザームの視覚をも欺く精神魔法を、自らの強固な意志と、仲間を信じる心だけで叩き割った本物の傑物。ヒンメルは二人が完全に意識を取り戻したのを確認すると、優しく、けれどどこか寂しげな微笑みを浮かべて剣を鞘に収めた。彼には分かっていたのだ。二人があの悪夢───いや、あまりにも残酷な“幸福の夢”の中で、どれほどの葛藤を繰り広げていたのかを。

 

「過酷な現実を選んで戻ってきてくれて、ありがとう。君たちが未来から来た魔法使いだという話は、フリーレンから聞いているよ」

 

 ヒンメルは二人へ歩み寄り、その澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめた。

 

「未来の北側諸国がどうなっているかは僕には分からない。でも、君たちのように、どれほど甘やかな誘惑を前にしても、自分の使命を見失わずに立ち上がれる誇り高い魔法使いがいるんだ。きっと僕たちの旅の結末は、間違っていなかったんだね」

 

 彼はゲナウの硬い表情と、メトーデの少し名残惜しそうな瞳を交互に見つめ、力強く頷いた。

 

「さあ、行きなさい。君たちの還るべき場所へ。未来の平穏は、君たちのその強い心に託されている。僕たちも、ここで目の前の魔王軍を必ず打ち倒してみせるからね」

 

「……元の時代に戻る魔法は私が掛けておいた。あとは還るだけだよ、二人共」

 

 勇者ヒンメルとエルフの魔法使いフリーレンの言葉に応じるように、二人の足元で女神の碑石が再び青白い輝きを放ち始める。グラオザームの魔法は完全に破られ、時空の歪みが二人を本来の時代へと引き戻してゆく。

 

 

 

「……わたくし達、本当にご存命の勇者ヒンメル様の若き時代に飛ばされていたのですね、女神様の碑石で」

 

 メトーデは自分の白い手のひらをじっと見つめ、それからぽつりと呟いた。周囲を見渡せば、そこは先ほどまでいたはずの過去の荒野ではなく、見慣れた現代の、静まり返った遺跡の中だった。足元には、役目を終えたかのように静かに佇む女神の碑石がある。ゲナウは衣服についた砂を無造作に払うと、いつも通りの険しい表情で腕を組んだ。

 

「何の意味があったかは知らんが、僧侶に戦士、そしてフリーレンの姿も一瞬確認出来たな」

 

 歴史に名を残す伝説の一行。その姿は、幻影などではなく確かに生きてそこにいた。

 

「勇者ヒンメル様に、救われてしまいましたね」

 

 メトーデがふっと悪戯っぽく微笑みながらゲナウを見上げる。だが、その瞳の奥には、まだあの“幸福な夢”の残滓が揺らめいていた。

 

「何だ、救われたくなかったとでも?」

 

 ゲナウの冷淡とも取れる問いかけに、メトーデは視線を落とし、少しだけ声音を落とした。

 

「正直、そうですね。……とはいえ、幸福な夢を見たまま殺されたらそこまでですから、幸福が閉ざされる意味では同じ事です」

 

 彼女が望んだ、叶わないはずの温もり。ゲナウと授かった子供たちの笑顔。それがグラオザームの仕掛けた残酷な魔法だと分かっていても、あのまま夢の中で終わりを迎えてもよかったと、本心が小さく囁いたのだ。

 

ゲナウは沈黙した。風の音だけが響く遺跡の中で、彼はメトーデの横顔を見つめ、やがて絞り出すように声を震わせた。

 

「……すまなかった、メトーデ」

 

「え?」

 

 予想外の言葉に、メトーデは驚いて目を丸くする。あの厳格で、ゼーリエ以外の他者に頭を下げたことなどなさそうなゲナウが、ひどく痛ましい表情を浮かべていた。

 

「お前の望む幸福を、否定してしまった。……幻影とはいえ、子供達にも酷い事をした」

 

 夢の中で、彼女の幸福を“偽物だ”と切り捨て、現実へと引き戻そうとしたのは自分だ。それが一級魔法使いとしての正しい判断だとしても、彼女の心を傷つけた事実に変わりはない。メトーデは一瞬だけ呆然としたものの、すぐにいつものような、柔らかく、どこか艶然とした笑みを唇に浮かべた。

 

「済まないと思うなら、いつか……いえ、何でもありません。(いつか、わたくしが本当に心から幸福だと思える場所に、連れて行ってくださいね───ゲナウ)」

 

 そんな言葉が喉まで出かかったが、彼女はそれを飲み込んだ。今の二人の関係には、少しだけ早すぎる約束のような気がしたからだ。メトーデはくるりと背を向け、自らの杖を固く握り直す。

 

「さぁ、わたくし達の役目を果たしに行きましょう」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 ゲナウもまた、いつもの冷徹な一級魔法使いの顔に戻り、彼女の隣へと歩みを進める。失われた夢の温もりはもう戻らない。しかし、過去の時代で本物の勇者から託された言葉と、隣を歩むパートナーの体温だけは、確かにこの過酷な現実に存在していた。

 

 

 

End

 

 

 

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