葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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魔法花火への願い

 オイサースト大陸魔法協会本部の一室。窓の外には、夕刻の淡い琥珀色の空が広がっていた。数日間に及ぶ北部高原での過酷な討伐任務を終えたばかりのその部屋には、どこか張り詰めた空気と疲労の影が漂っている。

 

机に向かい、羽根ペンを走らせる黒い外套の男─── 一級魔法使い、ゲナウ。その無愛想な横顔を、扉の傍らから覗き込むようにして見つめる人影があった。同じく一級魔法使いのメトーデである。彼女は流れるような美しい髪を揺らし、いつもの穏やかな、しかしどこか楽しげな微笑みを浮かべてゲナウへと近づいた。

 

「ゲナウさん。オイサーストで今夜、魔法花火大会があるそうですよ」

 

 メトーデの声は、静かな執務室に心地よく響く。ゲナウはペンを動かす手を止めず、ただ眉をわずかにひそめた。その反応を気にする風でもなく、メトーデはさらに一歩、歩み寄る。

 

「ちょうど任務明けで良かったですね。……今夜、一緒に見に行きませんか?」

 

 彼女の誘いは、まるで日常の些細な散歩にでも誘うかのように自然だった。しかし、ゲナウはペンを走らせたまま、視線すら上げずに冷淡な声で言い放つ。

 

「断る。見ての通り、今回の討伐に関する報告書がまだ終わっていない。それに、それ以外にも処理すべき案件が山積している。魔法花火大会などという、ただ魔力を無駄に散らすだけの催しを見に行く暇はない」

 

 一蹴だった。完璧なまでの拒絶。普通の人間であれば、その威圧感と冷たさに恐縮して引き下がるところだろう。だが、メトーデは違った。彼女の微笑みは微塵も揺らがず、それどころか、その瞳には小さな悪戯心と強い意志の光が灯る。

 

「ふふ、そうおっしゃると思いました」

 

 メトーデはゲナウの机の前に回り込むと、書類の束を愛おしそうに見つめ、それから両手を胸の前で小さく握りしめた。

 

「なら、一緒に今夜までにすべき事を片付けてしまいましょう! 二人でやれば、きっと魔法花火が始まる時間には間に合います。さあ、わたくしは何をお手伝いすればよろしいですか?」

 

 めげるどころか、むしろやる気に満ちあふれた表情で意気込むメトーデ。その真っ直ぐな視線を受け、ゲナウはついに羽根ペンを止め、ひどく億劫そうに彼女を見上げた。

 

「いや、お前な……手伝うなら最初から手伝え」

 

 

 結局、魔法花火大会が始まる時間までに、山積みの書類をすべて片付けることはできなかった。しかし、メトーデの粘り強さと、有無を言わせぬ強引な押しに根負けしたゲナウは、ついにペンを置く羽目になった。

 

「少し休憩を挟んだ方が、その後の効率が上がります」

 

という彼女の主張を、受け入れざるを得なかったのだ。二人が足を運んだのは、大陸魔法協会本部の中層にある開けたバルコニーだった。夜風が心地よく吹き抜けるその場所には、彼らの他にも数人の魔法使いの姿があった。しかし、皆それぞれの任務や研究で忙しいのか、集まっている人数はまばらで、静かな空間が保たれている。

 

「あっ、ほらゲナウさん、魔法花火が上がり始めましたよ!」

 

 バルコニーの手すりに身を乗り出すようにして、メトーデが嬉しそうな声を上げた。その横顔は、まるで祭りを待ち侘びていた少女のように輝いている。ゲナウは隣に立ち、そんな彼女を「子供か」と言いたげな、呆れた視線で見やった。だが、メトーデが指さす夜空へと視線を戻した瞬間、彼の言葉は喉の奥で止まった。ヒュルルル、と小気味よい音を立てて打ち上がった光の球が、夜空で一気に弾ける。

 

それは、通常の火薬による花火とは明らかに一線を画していた。魔法によって緻密に制御された光は、単なる円形に広がるだけではない。幾何学的な紋様を描いたかと思えば、万華鏡のように目まぐるしくその色を変え、夜の帳を鮮やかに彩っていく。

 

無駄に魔力を散らすだけの催し───

 

そう切り捨てていたゲナウだったが、目の前の光景には、それなりの見応えがあることを認めざるを得なかった。とりわけ、大輪の青い光が弾けた直後のことだった。散らばった光の粒子が、まるで命を吹き込まれたかのように形を変えていく。それは、何十、何百羽もの小さな鳥たちの姿だった。光の小鳥たちは、夜空を群れなして楽しげに舞い踊り、きらめく軌跡を残しながら、ゆっくりと闇へと溶けていく。

 

多くの小鳥が舞うような、その幻想的な魔法花火。ゲナウはその光景から、どうしても目を離すことができなかった。かつて見た何かを重ねているのか、それともただその美しさに圧倒されているのか。彼は無言のまま、ただその光の群れを釘付けになって見つめ続けていた。

 

 

「ふふふ、どうですゲナウさん、見に来て良かったでしょう?」

 

 ゲナウの視線に気づいたメトーデが、してやったりといった笑みを浮かべて覗き込んできた。

 

「魔法花火の小鳥さん達の演出なんて、素晴らしいじゃありませんか」

 

 彼女が弾んだ声で話す間にも、夜空には次々と新たな光が打ち上がっていく。大輪の金色の花、天の川のように流れる銀の砂、それらが絶え間なく二人の横顔を美しく照らし出していた。ゲナウは一つ息を吐き、腕を組んだまま、静かに夜空を見上げた。

 

「……まぁ、そうだな。悪くはない」

 

 ぶっきらぼうではあったが、明確な肯定だった。メトーデは少し意外そうに瞬きをした後、嬉しそうに目を細める。その光景を見つめながら、ゲナウは遠い過去の記憶の底に沈んでいた。彼がまだ、一人の頼りない子供だった頃の記憶だ。かつて彼の故郷の村に、一人の旅の魔法使いがやって来たことがあった。その魔法使いが退屈な村の夜に披露してくれたのが、これと同じ魔法花火だった。

 

当時は今ほど洗練されたものではなかったかもしれない。それでも、夜空を駆ける光の数々に、ゲナウは幼馴染と肩を並べ、声を上げて大いに喜んだ。特に印象に残っているのは、光で形作られた一羽の小さな鳥だ。その小鳥は夜空からまっすぐ降りてきて、ゲナウの小さな手のひらの上に、そっと舞い降りた。パチパチと柔らかな光を放つそれを、彼は息を呑んで見つめていた。だが、光の命は短い。手のひらの上の小鳥は、やがて静かに、儚く闇へと散っていった。

 

あの時胸を締め付けた、ひどく切なくて寂しい感覚を、ゲナウは今でも鮮明に覚えている。その思い出の詰まった故郷も、共に笑い合った友も、今はもうどこにもいない。魔族の手によって、すべては遠い過去へと消え去ってしまった。ゲナウは何も語らず、ただ静かに、夜空に残る光の残像を見つめ続けていた。

 

 

「ゲナウさんには……願いはありますか?」

 

 不意に、メトーデが静かな声で問いかけてきた。夜空に弾ける大輪の魔法花火の音に消されそうな、しかし妙に耳に残るトーンだった。

 

「願い?」

 

 ゲナウは怪訝そうに眉をひそめ、隣の彼女を見やった。メトーデは夜空を見つめたまま、真剣な横顔をしている。

 

「……北側諸国の平穏に決まっているだろう」

 

 一級魔法使いとして、そしてこの地を生きる者としての、あまりにも当然の答えだった。魔族の脅威に晒され続ける北部高原を知る彼にとって、それ以上に優先すべきことなど存在しない。しかし、それを聞いたメトーデは首を横に振った。

 

「それは知っています。わたくしが伺いたいのはそうではなくて、ゲナウさん自身の、願いです」

 

「私自身の願いだと?」

 

「はい。北側諸国の平穏は、貴方にとって背負うべき“義務”であって、貴方自身の“本当の願い”とは異なると思います」

 

 真っ直ぐに核心を突く言葉だった。そう指摘されても、ゲナウはただ困惑するしかなかった。義務と願い。そんなものを切り離して考えたことなど、これまでの人生で一度もなかったからだ。故郷を出て戦う力を得てからは、戦うことそのものが彼のすべてだった。自身の、本当の願い。腕を組み、しばらく沈黙したゲナウだったが、やがて吐き出すように短く告げた。

 

「……すまんが、分からん」

 

 それしか答えようがなかった。自分の中にそんな大それたものがあるとは、どうしても思えなかったのだ。ゲナウは、思考を切り替えるように視線をメトーデへと戻した。

 

「そういうお前はどうなんだ」

 

 今度はゲナウが問いかける番だった。いつも完璧で、他人の面倒を見ることに迷いのないこの女性魔法使いは、一体内にどんな願いを秘めているのか。すると、それまで夜空を見上げていたメトーデは、ふと俯き加減になった。華やかな花火の光が彼女の影をバルコニーの床に長く落とし、その表情を少しだけ曇らせる。いつもの余裕に満ちた微笑みは、そこにはなかった。

 

「わたくしの願いは……魔族や魔物の脅威も無くなった平和な世界で、人並みに暮らす事ですかね、楽しい魔法と共に」

 

 メトーデは俯いていた顔をゆっくりと上げ、その視線をゲナウへと向けた。

 

「出来ればそれは……ゲナウさんと一緒がいいです」

 

 夜空を焦がす鮮やかな魔法花火の光の中で、彼女の瞳がまっすぐにゲナウを射抜く。それは、あまりにも突然で、あまりにも純粋な、告白のような言葉だった。ゲナウは言葉を失った。何と返せばいいのか、本当に分からなかった。平和な世界。人並みの暮らし。そんなものは、彼にとっておとぎ話ですらなかった。魔王が勇者ヒンメルたちに倒されてから長い年月が経つ。だが、頭を失い統率を失ったところで、魔族の残虐な本質が変わるわけではない。減らしても、減らしても、奴らは暗闇から際限なく湧き出てくる。

 

北側諸国の最前線で命を削ってきたゲナウにとって、この世から脅威が消え去った光景など、およそ想像の範疇を超えていた。ましてや、人並みに暮らすなど。大陸魔法協会の頂点に立つ一級魔法使いであり、戦いの中でしか己の存在意義を見出せない自分に、そんな未来が訪れるはずがないと、彼は心の底から信じ込んでいた。バルコニーに、魔法花火の華やかな音とは対照的な、重く静かな沈黙が流れる。ゲナウは、まっすぐ自分を見つめ続けるメトーデの瞳から、視線を外すことすらできずにいた。

 

「メトーデ、その願いは……」

 

 ゲナウが困惑と諦念の混じった声を絞り出そうとした時、メトーデはそれを遮るように小さく首を振った。

 

「分かっています。そんな都合のいい願いなんて、今すぐには叶わないって」

 

 彼女の顔に、いつもの穏やかな微笑みが戻る。しかし、その奥にある瞳は、驚くほど真剣だった。

 

「けど、願わずにはいられません。一級魔法使いとはいえ、わたくし達だって……戦うためだけの道具ではなく、人間なのですから。ゲナウさん自身、ご自分の願いが分からないと仰るなら───」

 

 メトーデは一歩、ゲナウへと歩み寄った。二人の距離が、夜風を挟んで縮まる。

 

「わたくしの願いを、ゲナウさんの願いにしてくれませんか?」

 

 彼女の言葉が、ゲナウの胸の奥に深く突き刺さる。戦うことしか知らず、義務のなかに身を投じてきた彼にとって、他人の願いを我がものにするなど、考えたこともないことだった。

 

「……脅威の無い平和な世界で、楽しい魔法と共に、人並みにお前と暮らす事を、か」

 

 ゲナウは、メトーデの言葉をなぞるように、一言一言を確かめるように呟いた。その内容があまりにも自分に不釣り合いで、それでいて、どこか酷く温かいものに思えてしまい、ゲナウはそれ以上、メトーデと目を合わせることができなかった。彼はふいと顔を背け、再び夜空の向こうへと視線を逃がす。そこでは、ちょうど今夜最後となるであろう、ひときわ大きな魔法花火が、夜の帳をどこまでも白く、眩しく照らし出そうとしていた。

 

 

「自分達が生きている内に、そうなればいいがな」

 

 目を合わせられないまま、ゲナウは夜空の向こうへ向かって、独り言のようにつぶやいた。

 

「お前の願いを……私の願いにしてみるのも、悪くないかもしれん」

 

 それは、戦うことしか知らなかった彼が、生まれて初めて口にした“未来へのささやかな希望”だった。不器用で、どこか諦めを孕みながらも、確かに紡がれたその言葉に、メトーデは胸がいっぱいになるのを感じた。

 

「ふふ……そう仰ってくれただけでも嬉しいです」

 

 メトーデは、本当に嬉しそうに目を細めた。ちょうどその時、夜空を埋め尽くしていた光の粒子が、最後のきらめきを残してゆっくりと闇に溶けていった。あれほど騒がしかったバルコニーの上空が、急に静寂に包まれる。

 

「魔法花火も、いつの間にか終わってしまったな」

 

 ゲナウはそう言って、ようやくメトーデのほうへと身体を向けた。

 

 「残した仕事を片付けに、執務室に戻るか、メトーデ」

 

「はい……え?」

 

 返事をしかけたメトーデは、言葉を失って自分の手元を見つめた。いつの間にか、彼女の細い手は、ゲナウの大きな片手によって包み込まれるように引かれていたのだ。無骨で、硬い手。しかし、そこからは驚くほど確かな体温が伝わってくる。予期せぬ彼の行動に、メトーデが丸い目をパチくりとさせていると、ゲナウは少しだけバツの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。

 

「……何だ、嫌だったか」

 

 その少しぶっきらぼうな問いかけに、メトーデの顔にこれ以上ないほどの大きな、そして温かい微笑みが咲いた。

 

「いえ……とても嬉しいです」

 

 彼女はゲナウの大きな手を、自身の両手できゅっと握り返した。

 

「いつか一緒に、願いを叶えましょうね、ゲナウさん」

 

 繋いだ手から伝わる温もりを確かめるように、ゲナウはもう一度だけ夜空の残像を見上げ、静かに応えた。

 

「……あぁ、そうしよう」

 

 二人は並んで、再び明かりの灯る執務室へと歩き出す。夜風に揺れる黒い外套と、楽しげに弾む美しい髪が、静かな廊下へと消えていった。

 

 

 

End

 

 

 

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