一級魔法使いゲナウの私室は、彼の気質を映したかのように冷徹で、必要最低限の物しか置かれていなかった。しかし今、その静寂の中でゲナウは、かつてないほどに頭を抱え、深く思い悩んでいた。
「……何故だ」
低く呟き、背中に意識を集中させる。彼の術式である黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》を発動すると、漆黒の夜を切り裂く黒金の羽翼が広がる───はずだった。バサッと音を立てて出現したのは、眩いばかりに輝く純白の白金(プラチナ)の翼だった。ゲナウは自らの翼を掴み、まじまじと見つめた。
触り心地も、質量も、硬度も、身を守る盾としての強度も、敵を切り裂く刃としての性能も、すべて以前と変わりはない。何も劣化していないどころか、魔力の通りはむしろ良くなっている気さえする。だが、色が致命的だった。あまりにも白く、神々しすぎた。
「心当たりは……一つしかないな」
ゲナウは額を押さえ、任務のパートナーとなって暫く経つ、あの女一級魔法使いの顔を思い浮かべた。
『ゲナウさん、また怪我をなさったのですか? じっとしていてくださいね』
討伐任務の度に、彼は前線で冷酷に魔族を屠り、その代償として傷を負う。そしてその度、メトーデは嬉々として彼に歩み寄り、その細い手から温かな光を放つのだ。彼女が使うのは、拘束や精神魔法だけではない。本職の僧侶をも凌駕する、強力な《女神様の魔法》───治癒の奇跡。
最初はただの治療だった。だが、それが何度も、何度も続くうちに、ゲナウの魔力そのものに変化が起き始めたのだ。メトーデの放つ聖なる魔力が、治療の過程でゲナウの体内に深く浸透し、あろうことか彼の術式の象徴である“漆黒”を、じわじわと“純白”へと染め上げていってしまったのである。その結果、聖職者でもない彼が、一級魔法使いの総本山でとんでもない誤解を受けることになった。
数日前、一級魔法使いの同僚たちとすれ違った時のことだ。
「ゲナウさん、その翼はどうしたんです? まるで天界から舞い降りた天使じゃないですか。貴方はいつから女神の使徒に?」
「ふ、似合わないねゲナウ。冷徹な面をしておいて、実は内心、敬虔な祈りを捧げていたというわけか」
ファルシュやゼンゼの、ゼーリエの側近たちのからかいをゲナウは無視した。だが、決定打は彼らの師───ゼーリエの言葉だった。謁見の間で任務の報告を終えた際、玉座に座る生ける魔導書は、ゲナウの背後に揺らめく白い翼をじっと見つめ、呆れたように鼻で笑ったのだ。
「ゲナウ。お前は私の直属の側近のはずだが……いつから女神の使徒に転職したんだ? その見苦しいほどに真っ白な翼はなんだ。お前の冷酷な魔法が、随分と温情に満ちた色に染まったものだな」
あのゼーリエにまで、皮肉交じりにそう言い放たれたのだ。
「……うむぅ」
自室の鏡に映る自分を見る。厳しい顔つき、黒を基調とした一級魔法使いの法衣。それなのに、背中から生えているのは、聖なる光を放つ純白の翼。あまりにもアンバランスで、胃が痛くなってくる。その時、部屋の扉が遠慮がちに、しかしどこか弾むようなリズムでノックされた。
「ゲナウさん、メトーデです。次の任務の打ち合わせに参りました」
聞き慣れた、そして今一番聞きたくない声が室内に響いた。
「ま、待て。開いているがまだ入るな」
ゲナウは慌てて声を出し、背中の翼を消し去ろうとした。しかし、時すでに遅かった。ノックの音から間髪入れずに、ガチャリと小気味よい音を立てて扉が開かれてしまう。
「失礼しますね、ゲナウさ───」
入ってきたメトーデは、言葉の途中で動きを止めた。その視線は、ゲナウの顔ではなく、彼の背後で神々しい光を放つ大きな翼へと一直線に向いている。
「……ぁ」
メトーデの目が、らんらんと輝き出した。まるでお気に入りの小さな縫いぐるみを見つけた子供のような、あるいは未知の美しい魔導書を目にした時のフリーレンのような、圧倒的な熱量を孕んだ瞳だ。
「あらあらゲナウさん、とうとう翼の羽根が全て真っ白になったのですね! 黒金も硬質で大変素敵でしたが、白金だと天使様にしか見えません!」
メトーデは両手を頬に当てて身悶えし、一歩、また一歩とゲナウとの距離を詰めていく。その足取りは軽く、今にもステップを踏み出しそうなほどに弾んでいた。
「天使様……。えぇ、まさに女神様の遣わした聖なる使徒です。その厳しいお顔立ちと、清廉な純白の翼のギャップが、もう、たまらなく愛らしいです……!」
「おい……誰のせいだと思って、そんな呑気なことを言っているんだ」
ゲナウは不快感を隠そうともせず、深く、深く眉間に皺を寄せた。彼はメトーデの接近を阻むように一歩下がり、これ以上見られないようにと、無理やり魔力を遮断して白金の翼を霧のように霧散させた。背中の光が消え、室内に元の薄暗さが戻る。
「ゲナウさんは、わたくしの女神様の魔法のせいだと思っているのですか?」
メトーデは翼が消えたことを本気で残念そうにしながらも、小首をかしげて、どこか楽しげに問いかけてきた。その口元には、すべてを見透かしているかのような、柔らかくも逃げ場を無くすような微笑が浮かんでいる。
「そうだ、それしか思いつかん」
ゲナウはぶっきらぼうに言い、自室の壁に背を預けた。
「お前とパートナーを組むようになって、任務の度に女神様の魔法を受けるようになってからだ。最初は羽の先端が少し色褪せた程度だった。それが、お前が過剰なまでに回復魔法をかけるものだから、今や根元から完全に染まりきってしまった。ゼーリエ様や他の側近どもに、私がどんな目で見られているか分かっているのか」
「あら、ゼーリエ様直属の側近として、神聖さが増すのは良いことではありませんか。それに……」
メトーデは一歩近づくと、ゲナウの顔をじっと覗き込んできた。
「わたくしの女神様の魔法は、対象の“本質”や“魔力の波長”に深く作用するものです。確かにわたくしの魔力が影響を与えたのは事実ですが、ゲナウさん自身の魔力がそれを拒絶せず、むしろ深く受け入れたからこそ、これほど綺麗な白金に染まったのですよ? つまり、ゲナウさんの冷徹な心の奥底には、実は女神様の慈悲を受け入れる素質があったということです。ふふ、やっぱり可愛い人ですね」
「ふざけるな……。私は冷酷な一級魔法使いだ。慈悲など、魔族を殺すときには一番不要なものだ」
ゲナウはふいっと顔を背けたが、メトーデは全く怯む様子もなく、むしろ「次はいつ翼を出してくれますか?」と言いたげな目で彼を見つめ続けている。ゲナウの頭痛は、ひどくなる一方だった。
「……いいか、これからはなるべく怪我を負わないように戦う。だから小さい傷だろうと一切女神様の魔法を私に使うな。私はあの黒金の翼に戻したいのだ」
ゲナウは腕を組み、言い聞かせるように低い声を響かせた。その眼光は鋭く、まるで手強い魔族を前にしているかのようだったが、対面するメトーデは恐怖を覚えるどころか、信じられないものを見るかのように両手を口元に当ててショックを受けていた。
「え、そんなっ。ゲナウさん、何を仰るのですか! 小さな傷だって放っておくと化膿したり、後から熱が出たりするのですよ? 人体の仕組みを侮ってはいけません。傷口からバイ菌が入ったらどうするのです!」
メトーデは一歩前に詰め寄り、ゲナウの法衣の袖を掴まんばかりの勢いで抗議した。彼女にとって、目の前の負傷者を、それも大好きな可愛い年上の同僚を無治療のまま放置するなど、僧侶の魔法も扱う魔法使いとしても個人的な趣味としても耐え難い苦痛だった。
「消毒と手当で充分だろう」
ゲナウは冷淡にメトーデの手を軽くあしらい、机の引き出しからありふれた包帯と消毒薬の小瓶を取り出して事も無げに机の上に置いた。
「民間人や並の戦士ならいざ知らず、我々は一級魔法使いだ。この程度の応急処置さえあれば、魔力による自然治癒力と合わせて数日で塞がる。とにかく、これからは大怪我以外での女神様の魔法の使用は一切禁止だ。いいな」
「大怪我以外……ですか……」
メトーデはあからさまに肩を落とし、まるで世界が終わりを迎えたかのような絶望の表情を浮かべた。ゲナウの真っ白で神々しい翼をもう見られないかもしれない。そればかりか、彼に合法的に触れて極上のヒールを施す機会を奪われるのだ。しかし、彼女の瞳の奥の光はまだ消えていなかった。メトーデは何かを思いついたように顔を跳ね上げると、満面の笑みを浮かべてとんでもない暴論を口にした。
「残念です……。では、ゲナウさん。これからは任務のたびに、なるべく大怪我をして下さいねっ! 骨折とか、大量出血とか、わたくしが今すぐ全力で“奇跡”を行使せざるを得ないような、そんな劇的な負傷を期待しています!」
小首をかしげて、無邪気に「大怪我をして」と言い放つ聖職者崩れの魔法使い。その狂気に満ちた眼差しに、さしものゲナウも一瞬言葉を失い、次いで深い、深い溜息をついた。
「……お前、さっき私が言った事をもう忘れているだろう」
ゲナウはこめかみを指先で押さえ、呆れ果てたように声を絞り出した。
「私は『なるべく怪我を負わないように戦う』と言ったはずだ。確かに今までは、翼の硬度を過信して敵の攻撃を真っ向から受け止め、そのまま力押しで特攻しがちだった。だが、お前のその恐ろしい治療を受けないためにこれからは、極力回避と防御に専念して、かすり傷一つ負わずに任務を遂行してみせるからな」
「そんなぁ、ゲナウさんのいけず。わたくし、ゲナウさんのためにこんなに一生懸命なのに……」
メトーデは頬を膨らませて不満を露わにするが、ゲナウの決意は固かった。何が何でも、あの不名誉な“天使”の称号を返上し、元の禍々しくも頼れる黒金の翼を取り戻さねばならない。しかし、そんな二人の緊迫したやり取りを遮るように、突然、窓の外からけたたましい鐘の音が響き渡った。一級魔法使いに緊急事態を知らせる、総本山の警鐘だった。
警鐘の鳴り響く総本山で、二人はすぐさま新たな討伐任務を言い渡された。近くの集落に、単独でありながら強力な魔族が出現したという。ゲナウとメトーデは直ちに現場へと急行した。総本山を飛び出したゲナウは、魔力を練って術式を展開する。
背中に広がったのは、やはり眩いばかりにきらめく純白の白金(プラチナ)の翼だった。ゲナウは内心で盛大に舌を打ちながらも、その聖なる羽を大きく羽ばたかせて空へと舞い上がる。漆黒の法衣を風に靡かせ、白銀の光輪のような軌跡を描いて飛ぶその姿は、どこからどう見ても天界の使者そのものだった。
「はぁ……なんて美しいのでしょう……。まさに戦場に舞い降りた、戦いの天使様です……!」
その後ろを飛行魔法で追うメトーデは、ゲナウの背中を、文字通り恍惚とした表情で見つめていた。その瞳は完全にハートマークになりそうなほどに潤んでおり、よだれが出かねないほどの熱視線を前方の一級魔法使いに注ぎ続けている。
「おい、メトーデ! 前を見ろ、呑気に見惚れている場合か!」
ゲナウが飛行速度を上げながら背後へ鋭い叱責を飛ばすが、メトーデは「はい、しっかり目に焼き付けております!」と的外れな返事をする始末だった。これでは先が思いやられると、ゲナウは急激に胃が痛くなるのを感じた。目的地である村に到着すると、そこにはすでに凄惨な光景が広がりつつあった。
ゲナウよりも一回りは大柄な、筋骨隆々とした戦士系の魔族が一人、近くの民家を破壊しながら闊歩している。魔族の衣服は返り血に染まり、その屈強な両腕には、不気味な魔力を放つ鋭利な鎖鎌が握られていた。
「……手遅れになる前に片付けるぞ」
ゲナウは静かに地上へと舞い降り、魔族の視界に入らない位置の物陰でメトーデと並んだ。
「いいかメトーデ、作戦通りだ。お前の拘束魔法か精神操作の魔法で、まず相手の動きを止めろ。その一瞬の隙を突いて、私がこの翼で一刀両断にする。私は絶対に無傷で終わらせるからな」
「分かりました、ゲナウさん。でも、あの魔族の攻撃をちょっと掠るくらいなら───」
「不許可だ。早くしろッ」
ゲナウが合図を送り、二人は同時に物陰から飛び出した。だが、その瞬間に計算が狂った。
「きゃあっ!」
不意に、メトーデの短い悲鳴が響き渡る。ゲナウが驚いて視線を走らせると、突如として伸びてきた頑強な鎖が、メトーデの細い身体に幾重にも巻き付いているのが見えた。鎖の先は、あの戦士系の魔族の手へと繋がっている。
(まさか、俺のこの白金の翼に見とれて動きが鈍ったか馬鹿者……!!)
ゲナウは内心で激しく毒づいた。メトーデの実力なら、初見の鎖鎌の軌道など容易く見切って防御障壁を展開できたはずだ。それがこれほど無様に捕まった理由は、戦闘直前までゲナウの神々しい後ろ姿に意識を奪われ、極限まで集中力が散漫になっていたからに他ならなかった。
「ふん、チョロチョロと湧いてくる羽虫が……」
魔族は鎖をグイと引き寄せ、メトーデの身体を自分の目の前へと吊り上げた。完全に人質に取られた形だ。メトーデは鎖に締め上げられながらも、
「ゲナウさん、申し訳ありません……でも、間近で見る白金の翼が余りに神々しくて……」と、この状況でもまだゲナウの翼をチラチラと見ている。魔族は追撃の手を止め、人質を盾にしながら、ゲナウへとその冷酷な視線を向けた。そして、ゲナウの背後で美しく輝く、圧倒的な密度の純白の翼を目にした瞬間───魔族の醜悪な顔が、驚愕と、底知れない嫌悪感に歪んだ。
「な、何だその姿は……。貴様、人間の魔法使いではないな……? 女神の使徒か!?」
魔族の声音に、明らかな警戒と激しい敵意が混じる。魔族にとって、人類の信仰の対象である『女神』は、自分たちの存続を脅かす不倶戴天の敵そのものである。その女神の加護を一身に受けたような、あまりにも純潔で恐ろしい光を放つ白金の翼を前にして、魔族の戦士としての本能が最大級の警鐘を鳴らしていた。一方のゲナウは、魔族から“女神の使徒”と直球で呼ばれたことで、額に青筋を浮かべていた。
「違う。……私は黒金の翼を操る一級魔法使いだ」
低い声で否定するものの、背中の翼は無情にもキラキラと聖なる粒子を周囲に撒き散らしている。誤解を解くには、あまりにもその姿が聖特性に満ち溢れすぎていた。
「女神の使徒め、生かしてはおかん……! 我ら魔族の敵、ここで根絶やしにしてくれる!」
魔族は憎悪に満ちた咆哮を上げ、盾にしているメトーデの身体を乱暴に揺さぶりながら、もう片方の手に握られた鎖鎌を凄まじい速度で振り回した。ヒュン、と空気を切り裂く禍々しい音が響き、不規則な軌道を描いて鋭利な刃がゲナウへと襲いかかる。魔族の魔力が込められた鎖鎌の斬撃は、民家の石壁を豆腐のように容易く切り裂く破壊力を秘めていた。
「ちッ……!」
ゲナウは短く舌打ちをすると、背中の白金の翼を大きく羽ばたかせた。いつもであれば、彼はその硬質な翼を盾として前面に展開し、敵の攻撃を真っ向から受け止めながら、強引に距離を詰めて力押しで圧殺する戦法を取る。しかし、今の彼には“かすり傷一つ負わずに無傷で勝つ”という絶対の誓いがあった。ここで少しでも負傷すれば、待っているのはメトーデの恐ろしい回復魔法(女神の使徒化付き)なのだ。
ゲナウは、これまでにないほど集中力を極限まで高めた。迫り来る鎖鎌の軌道を瞬時に見切り、わずか数ミリの差で刃をかわしていく。右へ、左へ、あるいは上空へと、漆黒の法衣を翻しながら踊るように宙を舞う。その動きはあまりにも滑らかで、超絶的な美しさすら帯びていた。
「あらあら……! なんて素晴らしい身のこなしでしょう! わたくしを救うために、傷一つ負わずに戦う天使様……激しい戦いの中でもその気高さを失わないお姿、本当に、本当に最高です……!」
魔族の腕の中に囚われ、鎖で締め上げられているはずのメトーデは、恐怖を感じるどころか頬を赤らめ、ゲナウの完璧な回避劇にうっとりと目を輝かせていた。
「黙っていろメトーデ! 集中できんッ!」
ゲナウは迫り来る刃を紙一重で回避しながら、鋭い一喝を浴びせる。そして、回避から反撃へと転じた。ゲナウは自らの意思で、白金の翼から数百、数千の羽根を刃として切り離し、空中へと展開する。
「おのれ、女神の使徒め! チョロチョロと……!」
「私は黒金の翼を操る一級魔法使いだと、さっきから言っているだろうが!」
魔族がメトーデを盾にするように身体を隠した瞬間、ゲナウの放った白金の羽根が、生き物のように急激なカーブを描いた。メトーデに傷一つ付けないほどの絶対的な精密さで彼女を迂回し、背後にいる魔族の死角───その巨体の隙間へと、正確無比に突き刺さっていく。
ギャァアアア!と、魔族の悲鳴が上がった。片腕、そして両足の腱を正確に削ぎ落とされ、魔族の動きが目に見えて鈍る。しかし、魔族はなおも執念深くメトーデの鎖を握り締め、ゲナウを睨みつけた。
「おのれ……おのれ、女神の使徒……! 汚らわしい女神の光め! 奇跡の力など、我が肉体で喰い破ってくれるわ!」
「───いい加減に、しろ」
ゲナウの口から、冷酷な声が漏れた。何度も、何度も、いちいち“女神の使徒”呼ばわりされることへの、底知れない怒り。一級魔法使いとしての矜持、そして自分の意に反して聖なる光に染まってしまっていた己の術式への苛立ちが、彼の胸の内で限界を迎えて爆発した。
「俺は……大魔法使いゼーリエ様に仕える、黒金の翼を操る一級魔法使いゲナウだ。お前たちの天敵であり、ただ冷酷に魔族を屠る刃だ。それを、どいつもこいつも、女神の使徒だの天使だのと……ッ!」
ゲナウの全身から、凄まじい密度の、そして極めて不吉で禍々しい魔力がブワリと吹き荒れた。彼の激昂に呼応するように、体内で眠っていた彼本来の本質───冷徹で、容赦のない殺人魔法の波長が完全に呼び覚まされ、膨れ上がっていく。
「な、何だ、この魔力は……!? 女神の力ではない……これは……!」
魔族が驚愕に目を見開いた。ゲナウの背中で神々しく輝いていた白金の翼が、その根元から、じわじわと禍々しい影に侵食され始めたのだ。純白の輝きは瞬く間に塗りつぶされ、冷たく、重く、硬質な、漆黒の闇へと変わっていく。ザザザザァッ!と、不気味な金属音が鳴り響く。ゲナウの背中には、以前と全く同じ───いや、より一層の密度と魔力を孕んだ、あの『黒金の翼』が完全に復活していた。
「黒金の翼を操る魔法《ディガドナハト》」
ゲナウは冷たく術式の名を紡ぐと、漆黒の翼を大きく広げた。周囲に飛び散っていた聖なる粒子は消え失せ、代わりに戦場を支配したのは、圧倒的なまでの死の気配だった。
「ひっ……!」
魔族が恐怖に身を震わせたその瞬間、ゲナウの黒金の翼が一閃した。一刀両断。盾にされていたメトーデの衣服の裾さえ掠めることなく、魔族の巨体だけが綺麗に両断され、魔力の粒子になり消滅していく。ドサリと、鎖の縛りから解放されたメトーデが地面に着地した。ゲナウは無傷のまま、背中の漆黒の翼をゆっくりと休ませ、フゥと長い溜息をついた。ようやく元の翼に戻った。これでゼーリエたちに揶揄われることも、天使などと不名誉な呼ばれ方をすることもない。ゲナウが安堵の息を漏らした、その時だった。
「ゲナウさん……! あぁ、なんと禍々しく、冷酷で、恐ろしい魔力でしょう……!」
メトーデが、先ほど以上の熱量で、顔を上気させてゲナウに駆け寄ってきた。
「白金も素敵でしたが、やはりこの冷徹極まりない黒金も、ゲナウさんの本質が現れていて最高に可愛い、いえ、素晴らしいです! あぁっ、そんな目で見ないでください、ゾクゾクしてしまいます……! 早くその翼を間近で見せてください!」
「……寄るな。任務は終わった、帰るぞ」
ゲナウは元の翼を取り戻したものの、メトーデのこの異常な執着から逃れる方法だけは、未だに見つけられずにいるのだった。
End