葬送のフリーレン短編集   作:風亜

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至福のなでなで

 魔法都市オイサーストの喧騒から少し離れた通りに、年季の入った木製のベンチがぽつんと置かれていた。長く過酷な任務を終えたばかりの二人の一級魔法使い───ゲナウとメトーデは、そこに並んで腰掛け、火照った身体を休めていた。夕暮れ時の柔らかな光が、二人の影を長く地面に落としている。戦いの緊張から解放された心地よい沈黙が流れる中、ゲナウはいつも通りの無愛想、しかしどこか疲労の滲む真顔のまま、唐突に口を開いた。

 

「……メトーデ、なでなでしてもいいか」

 

 あまりにも突飛な、そして彼の厳格な風貌からはおよそ想像もつかない言葉だった。しかし、隣に座るメトーデは取り乱す風でもなく、少しだけ小首をかしげた。

 

「はい? 何を仰っているのですか、ゲナウさん」

 

 その声には、戸惑いよりも、どこか面白がるような響きが含まれている。驚いて声を荒らげることもなく、ごく自然に問い返す彼女の態度に、ゲナウは眉一つ動かさずに言葉を続けた。やはりその表情は、重大な任務の作戦を説明するかのように、恥ずかしげもなく大真面目であった。

 

「いや……お前がやたらゼーリエ様をなでなでしたがるからな。それがどういうものかと思い、お前で試してみたい」

 

 至って真剣な彼の分析と理由を聞き、メトーデは思わず口元を手で隠した。

 

「ふふ、でしたらゼーリエ様に直接頼めば宜しいのに」 

 

 悪戯っぽく微笑みながら提案するメトーデに対し、ゲナウはふんと短く鼻を鳴らし、視線を少しだけ前方へと向けた。

 

「お前はよくても、私がそれをやればゼーリエ様は流石にお怒りになるだろうからな……」

 

 彼のそのもっともすぎる懸念に、オイサーストの静かな夕暮れの中に、メトーデの鈴を転がすような笑い声が優しく響き渡った。

 

「そうですね、どんな魔法が飛んで来るかわかりませんものね……!」

 

 メトーデは可笑しそうに肩を揺らした後、小さく息を整えた。そして、迷いのない仕草でゲナウの方へと体を向け、その綺麗な髪の頭部を少し差し出してみせる。

 

「いいですよゲナウさん、わたくしをなでなでしてみて下さい」

 

「では、そうさせてもらう」

 

 ゲナウは短く応じると、躊躇することなく大きな手を伸ばした。一級魔法使いとしての戦いの中で、数々の修羅場をくぐり抜けてきた無骨な手。それが、メトーデの柔らかな髪へとそっと置かれる。ゲナウは、普段メトーデがゼーリエに対して行っている執拗なまでの“なでなで”を思い返し、記憶の中の彼女の動きを見よう見まねで再現しようと試みた。

 

……沈黙が流れる。ただ、夕暮れのベンチで、大柄な男が隣の女性の頭を一定の規則性をもって優しく撫で続けるという、奇妙で静かな時間が流れていった。

 

しばらくして、ゲナウはふっと何かを納得したように、大きな手をメトーデの頭から離した。

 

「あら、もういいのですか? わたくしはもっとなでなでされても構わないのですが……どうでした? なで心地は」

 

 メトーデは髪を軽く整えながら、興味津々といった様子で上目遣いに彼を見つめた。

 

「あぁ、悪くはない……」

 

 ゲナウは自分の手のひらをじっと見つめ、感触を確かめるように一度握り込んだ。それから、視線をメトーデへと戻す。

 

「が……されてるお前は、どんな気分なんだ」

 

 技術としての検証はできたが、肝心の“なぜそこまでして撫でたがるのか”という心理までは、撫でる側だけでは理解しきれなかったらしい。その問いに、メトーデはうっとりとした表情を浮かべ、頬に手を当てて小さく身をよじった。

 

「ふふ、それはもう、ゲナウさんみたいな男性は手が大きいですからねぇ。包まれるような心地よさでしたよ」 

 

 心底幸せそうに、そして少し陶酔したように語る彼女の言葉を、ゲナウは腕を組んで静かに聞き入るのだった。

 

「なるほど、そんな効果があるのか……」

 

 ゲナウは腕を組んだまま、一つ頷いた。撫でられた側の心理を論理的に分析しようとするが、彼の脳裏に、いつもメトーデに捕まっている大魔法使いの姿が思い浮かび、再び眉間に皺が寄る。

 

「……しかし、どうしてゼーリエ様はお前になでなでされている時、嫌な顔をされるのだろうな」

 

 あの至高の魔法使いが、メトーデの“なでなで”に対してあからさまに嫌悪や困惑の表情を浮かべる理由が、ゲナウには今ひとつ繋がらなかった。包まれるような心地よさがあるならば、もう少し寛容であってもいいはずだ、と彼なりの大真面目な疑問だった。

 

「そうなんですよね……。あれは結構、ショックなんです」

 

 メトーデは本当に残念そうに眉を八の字にしてみせた。しかし、すぐにその瞳に怪しい熱が灯る。

 

「でも、やめられないのですよね。そもそも───あの方が小さくて可愛いからいけないのですよ!」

 

 拳を軽く握りしめ、身を乗り出して熱弁するメトーデ。その熱量に、流石のゲナウもわずかに上体を引いた。

 

「……そんなものか」

 

「ということでゲナウさん、ゼーリエ様をなでなでする時間を三十分以上にしてくれませんかっ? 十分では短いです……」

 

「何が“ということで”、だ。ゼーリエ様へのなでなでは、一日十分までなのは変えないからな」

 

 相変わらず口調は平坦だったが、その表情には“全く理解できん”と書いてある。ゼーリエを“小さくて可愛い”の一言で片付け、あまつさえ不可抗力だ、なでなで時間が短いと主張する彼女の感性は、ゲナウの理解の範疇を完全に超えていた。 

 

そんな彼の戸惑いに気づいているのかいないのか、メトーデはポンと手を叩き、名案を思いついたように顔を輝かせた。

 

「あ、そうです! なでなでさせてあげたのですから、今度はわたくしからも、ゲナウさんをなでなでさせて下さいな」

 

「……何?」

 

 予測不能な提案に、ゲナウの顔がわずかに引きつった。メトーデはすでに、今度こそ自分が“なでなで”をする側になるのだと、その綺麗な両手を突き出して、やる気満々でじりじりと距離を詰めてきている。

 

「私はお前が求めるような、小さくて可愛い存在ではないぞ」

 

 ゲナウは困惑を隠せないまま、精一杯の正論で彼女を制止しようとした。自分のような大柄で、強面で、可愛げの欠片もない男を撫でて何が楽しいのかと、彼は本気で困り果てていた。

 

「いえいえ、ゲナウさんは意外と可愛らしい所があるのですよ? ご自分が気づいていないだけで。……ということで、なでなでさせて下さい!」

 

 メトーデの瞳には、すでに獲物を前にした猛獣……あるいは、愛くるしい動物を見つけた時のそれと同じ、狂気にも似た熱が宿っていた。ゲナウは深くため息をついた。普段の任務であれば、どれほど厄介な魔族が相手でも冷徹に対処できる彼だったが、目の前でじりじりと手を伸ばしてくる同僚の熱量には、どうにも調子を狂わされる。ここで頑なに拒む方が、かえって面倒なことになりそうだと、彼は不本意ながらも理解した。

 

「……勝手にしてくれ」

 

 ゲナウは根負けし、大柄な身体を少し屈めて、メトーデが手を伸ばしやすいように頭を下げてやった。

 

「では失礼して、なでなで……」

 

 嬉々として差し出されたメトーデの手が、ゲナウの短い髪に触れる。その瞬間、彼女は目を見張った。

 

「あらあら、ゲナウさんの髪質、サラサラじゃありませんか! これはなでなでしがいがありますね……!」 

 

 無骨な外見や厳格な性格からは想像もつかないほど、その髪は手触りが良く、丁寧に手入れされていた。メトーデは至福の表情を浮かべながら、手際よく、かつ優しく彼の頭を撫で回していく。一方、撫でられている当のゲナウは、頭頂部から伝わる温かさと、絶妙な力加減の心地よさに包まれていた。

 

連日の過酷な任務による疲労、張り詰めていた緊張、そして夕暮れの穏やかな空気。それらがメトーデの手のひらによって、ゆっくりと解きほぐされていく。ゲナウは無意識のうちに、すっと目を閉じた。深い安らぎが彼を支配し、意識が急速に遠ざかっていく。

 

……しばらくしても、撫でる手を止めないメトーデは、ゲナウの頭の重みがほんの少し自分の手にかかってきていることに気づいた。規則正しく、深い呼吸の音が聞こえてくる。

 

「あら……? ゲナウさん、どうしました?」

 

 声をかけながら顔を覗き込むと、ゲナウは完全に動きを止め、穏やかな顔で眠りについていた。そのあまりの無警戒さに、メトーデは心配になってさらに声をかける。

 

「ゲナウさん、大丈夫ですかっ?」

 

「はッ……!」

 

 ゲナウの肩が大きく跳ね上がった。一級魔法使いとしての本能が、すぐに彼を覚醒させる。

 

「すまん……一瞬、意識が飛んでいた」

 

 ゲナウはまだ少し眠たげな、どこか虚を突かれたような顔を上げ、きまり悪そうに自分の前髪をかき上げた。パートナーの前で任務後とはいえ、完全に眠ってしまうなど、彼にとっては不覚だった。

 

「なでなでとは時に、至福をもたらすのだな……。ゼーリエ様が嫌がる理由が、いよいよ分からなくなってしまった」

 

 ゲナウはまだ夢心地のまま、ぼんやりとした口調で呟いた。普段の彼からは想像もつかないほど緊張感の欠片もないその表情に、今度はメトーデの方が驚きで目を丸くした。

 

「そ、そこまで感じて下さったなんて、なでなで冥利に尽きますね……! 何でしたら心ゆくまでなでなでして差し上げますよ、ゲナウさん?」

 

 これほど自分の技術を高く評価され、必要とされたのは初めてかもしれない。メトーデは嬉しさに胸を弾ませ、冗談半分でそう提案した。しかし、今のゲナウは任務の疲労と先ほどの快感で、判断力が著しく低下していた。

 

「あぁ……今はとにかく、お前のなでなでを私の頭が欲している……。幾らでも、撫でてくれ……」

 

 ゲナウはそう静かに告げると、なんと自分からメトーデの方へと体を傾けた。そのままベンチの上で彼女の肩に寄りかかる───どころか、彼は吸い寄せられるように、メトーデの膝の上へと自分の頭を預けにいったのだ。すなわち、完璧な“膝枕”の体勢である。

 

いつも強気で厳格な同僚の、あまりにも大胆で、かつ無防備すぎるおねだり。流石のメトーデも、一瞬だけ「えっ」と息を呑んで硬直した。しかし、膝の上に収まったゲナウのサラサラな髪と、彼が完全に自分を信頼して身を委ねてきているという事実に、彼女の母性と、なでなで欲が限界突破した。

 

「……ふふ、お疲れなのですね。では、気が済むまでなでなでして差し上げます」

 

 メトーデは嬉しさを噛み締めながら、膝の上のゲナウの頭へと再び優しく手を伸ばし、ゆっくりと、愛おしそうに撫で始めた。オイサーストのベンチに訪れた、静かで、どこか奇妙に甘い夕暮れのひとときだった。

 

 

 

「───ゲナウさん、もう日が暮れてしまいました。冷えてきましたし、そろそろご自分の部屋で休んだ方が宜しいですよ?」

 

 耳元で優しく囁くメトーデの声に、ゲナウは朧気に目を覚ました。視界に映ったのは、すっかり帳の下りたオイサーストの夜空と、自分を見下ろして微笑む彼女の顔。そして、自分の頭が彼女の柔らかな太ももの上に乗っているという事実を理解した瞬間、ゲナウの脳内を凄まじい衝撃が駆け抜けた。

 

「ぅは……ッ!」

 

 ゲナウは弾かれたように跳ね起き、ベンチから飛び退くようにして距離を取った。その顔は、魔族との戦闘でも見せたことのないほど驚愕に染まっている。

 

「すまん……! 私は、そんなつもりでは……!」 

 

 自分のあまりの乱心ぶりに動揺し、弁明の言葉すらまともに紡げないゲナウ。しかし、立ち上がったメトーデは全く気にした風もなく、むしろ満足感に満ち溢れた笑顔を浮かべた。

 

「いえいえ、構いませんよ。甘えんぼな可愛いゲナウさんが見られて、わたくしはもう“ほくほく”です」

 

「……眠気が酷かっただけで、他意はない。とにかく、すまん」

 

 ゲナウはきまり悪そうに視線をそらし、これ以上の失態を晒すまいと、足早に自分の部屋へ戻ろうとした。しかし、彼が勢いよく立ち上がって一歩を踏み出した、その瞬間だった。

 

「うぉ……!?」

 

 カクン、と膝の力が抜け、大柄な身体が大きくよろめいた。メトーデの至高の“なでなで”と“膝枕”の効果は、ゲナウが想像していた以上に凄まじかった。長年の戦いで凝り固まっていた全身の筋肉も、一級魔法使いとしての警戒心も、すべてがきれいに弛緩しきってしまい、すっかり身体の力が抜けてしまっていたのだ。

 

「あらあら、ご無理なさらずに」

 

 倒れそうになった彼の大きな身体を、メトーデがすっと懐に入り、信じられないほど滑らかな動作で優しく支えた。

 

「お部屋まで、付き添いますよ?」

 

 至近距離でそう言って微笑むメトーデの姿が、暗闇の中でまるで後光が差しているかのように見えた。その時のゲナウの目には、彼女が戦場に舞い降りた慈悲深い女神様のように映ってしまうほどだった。

 

「あぁ、頼む……(ここまで自分が駄目にさせられるとはな……。メトーデのなでなでは、恐るべきものだ。ゼーリエ様が警戒して嫌な顔をなさるのも分かる気がする……)」

 

 ゲナウはもはや抵抗する気力もなく、蚊の鳴くような声で応じるしかなかった。冷徹で厳格な一級魔法使いゲナウは、メトーデの恐るべき“至福のなでなで”によって、身も心もすっかり骨抜きにされてしまったのだった。

 

 

 

End

 

 

 

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