夕暮れ時の村は、穏やかな活気に包まれていた。討伐任務を終えたゲナウとメトーデは、帰還のための馬車を待つ間、広場に面した木陰でしばしの休息をとっていた。視線の先では、数人の子供たちが笑い声を上げて追いかけっこをしている。沈む夕日がその小さな背中をオレンジ色に染め上げ、影を長く伸ばしていた。
楽しそうな子供たちの姿を、メトーデは目を細めてじっと見つめていた。その表情には、いつもの余裕ある微笑みとは少し違う、心からの慈しみが滲んでいる。ふと、メトーデは隣に立つ大柄なパートナーへと視線を向けた。無愛想。そう表現するほかないゲナウの横顔は、相変わらず厳格で、何を考えているのか読み取れない。
「ゲナウさん……子供、お好きですか?」
メトーデの柔らかな声が、子供たちの歓声に混じってゲナウの耳に届く。ゲナウは視線を子供たちから外すことなく、ピクリとも表情を変えずに、低く淡々とした声で答えた。
「別に好きではない」
一抹の感情も交えない、冷徹とも取れる即答だった。しかしメトーデは落胆する風でもなく、「そうですか?」と小首を傾げ、再び子供たちに愛おしげな眼差しを戻した。
「あんなに小っちゃくて可愛いのに……。見ているだけで、庇護欲をかき立てられます」
「それはお前が小さい者を好むからだろう」
ゲナウは呆れたように言い、腕を組んだ。その声には、冷たさというよりも、冷徹な現実主義者としての響きがあった。
「───子供など、無力でしかない」
魔族との戦いや、厳しい現実を数多く見てきた一級魔法使いとしての言葉だった。守られなければすぐに死ぬ、ただそれだけの存在。ゲナウの目には、子供という存在がそのように映っているようだった。メトーデはクスリと小さく笑った。そして、いたずらっぽく、だが確かな温もりを込めてゲナウを振り返る。
「あら、ゲナウさんとわたくしだって、子供の頃があって今があるのですよ」
その言葉に、ゲナウの眉がわずかに動く。メトーデは確信に満ちた笑みを浮かべたまま、夕日の中で跳ね回る子供たちを指さした。
「無力じゃなくなる日は、必ず来ます」
「まぁ、そうかもな」
ゲナウは組んだ腕に少しだけ力を込めた。相変わらず表情は鉄のままだ。
「無力じゃなくなる前に、死ななければの話だが」
あまりにも現実的で、救いのない言葉。それが一級魔法使いとして戦場を生き抜いてきた彼の、偽らざる実感なのだろう。これにはメトーデも、苦笑を禁じ得なかった。ふう、と大袈裟にため息をついて、呆れたようにゲナウを見上げる。
「もう少し言い方というものがあるでしょう、ゲナウさん。そんな事では、ご自分にお子さんが出来た時、困るのは貴方ですよ?」
からかうような、しかし年相応の忠告。言われたゲナウは、ほんの一瞬だけ沈黙し、それから至極真面目な顔で頷いた。
「そうだな、困る」
「分かってくださるなら───」
「そもそも、子供を作るつもりは毛頭ない」
遮るように告げられた言葉に、メトーデは目を丸くした。冗談を言っている風でも、照れ隠しでもない。ゲナウは本気で、自らの人生に「子育て」という選択肢を組み込んでいないようだった。メトーデはすぐに柔らかい笑みに戻ると、少しだけゲナウに歩み寄り、覗き込むようにして意味深に微笑んだ。
「あら、勿体ない……。わたくし、ゲナウさんのお子さん、見てみたいのですけど?」
それは、大人の女性特有の含みを持たせた一言だった。だが、向けられたゲナウは、その言葉に隠されたニュアンスやからかいの意図を、一滴たりとも理解できなかった。彼はただ、目の前のパートナーが発した突飛な言葉の真意を測りかね、怪訝そうに眉をひそめる。
「……メトーデ、お前は自分の子供とやらがほしいのか?」
全くの無自覚。悪意も下心も何もない、あまりにストレートな聞き返しだった。不意を突かれた形のメトーデだったが、すぐにその表情に極上の愉悦を浮かべた。扇の手元で口元を隠すようにしながら、いつも以上に悪戯っぽい、妖艶な笑みをゲナウに向ける。
「あらあら……それを、わたくしに聞くのですか?」
夕暮れの光の中で、メトーデの瞳がいたずらにきらめいた。対するゲナウは、やはりその言葉の裏にある「駆け引き」が分からず、ただただ面倒そうに、そっぽを向くのだった。
静寂は、大気を震わせる不穏な咆哮によって破られた。
「───来ます」
メトーデの瞳から先ほどまでの悪戯っぽい光が消え、鋭い魔力探知の光が宿る。ゲナウも同時に、臨戦態勢に入った。村の境界を越え、複数の魔物が猛烈な勢いで接近してくる。
「魔物だ! 全員、家の中へ入れ!」
ゲナウの怒号が広場に響き渡る。楽しげに遊んでいた子供たちや村人たちが、悲鳴を上げて一斉に建物へと走り出した。しかし、パニックに陥った喧騒の中、一人の小さな女の子が転倒し、地面にへたり込んでしまう。運悪く、上空から飛来した鋭い爪を持つ鳥型の魔物が、その無防備な背中を目がけて一直線に急降下してきた。
「だめ……!」
メトーデの魔法が間に合わない。魔物の爪が、少女の小さな体に届こうとしたその瞬間。
「ディガドナハト《黒金の翼を操る魔法》」
激しい風切り音とともに、ゲナウの背から漆黒の鋼鉄の翼が広がった。翼は一瞬で少女を包み込むように強固な盾となり、魔物の猛襲をガキィンと高い金属音を立てて弾き返す。防がれた魔物が体勢を崩した隙を、ゲナウは見逃さない。黒金の翼が刃と化し、一閃。魔物の巨体を容赦なく真っ二つに切り裂いた。消えゆく魔物の塵の中で、ゲナウは背の翼を静かに収める。そして、恐怖に身をすくませている少女を見下ろし、ぶっきらぼうに声をかけた。
「……大丈夫か」
先ほどまで「子供など無力だ」と言い切っていた男の、あまりにも迅速で迷いのない救出劇だった。少女は涙目をこすりながら、力強く頷いた。
「う、うん……!」
「よし、走れ」
少女が近くの民家へ逃げ込むのを見届けた直後、さらに数体の魔物が建物の屋根を飛び越えて広場へと乱入してきた。
「ゲナウさん、次が来ます!」
「分かっている。子供たちのいる家には近づかせるな」
二人は背中を合わせるようにして身構える。ここからは、一級魔法使い二人の独壇場だった。ゲナウが黒金の翼を盾にして逃げ遅れた村人への攻撃を完全に遮断し、生じた隙をメトーデが正確無比な攻撃魔法で撃ち抜く。あるいは、メトーデが拘束魔法で魔物の動きを止め、ゲナウの鋼刃がその首を確実に刎ねる。言葉を交わさずとも、互いの間合いと呼吸を完璧に把握した絶妙な連携。
襲いかかってきた魔物たちは、村の建物に傷一つ一つつけることすら許されず、またたく間に一掃されていった。周囲に静寂が戻り、魔物の死体が塵となって空気中に溶けていく。ゲナウは衣服についた汚れを払うようにパッパと手を振り、何事もなかったかのように前を見据えた。
静寂が戻った広場に、民家の扉が恐る恐る開く音が響いた。安全を確かめた村人たちが次々と姿を現し、二人のもとへと駆け寄ってくる。
「ありがとうございました! 助かりました!」
「一級魔法使い様、さすがです……!」
口々に感謝を述べる村人たちに、ゲナウは「当然の任務だ」と無愛想に返すだけだった。しかし、村人たちの人だかりを割って、先ほどの小さな女の子がタタタッと足音を立てて走ってきた。女の子は迷うことなく、ゲナウの黒い外套の裾をきゅっと掴み、離れようとしない。潤んだ大きな瞳でゲナウをじっと見上げるその姿は、まるで一目惚れしたかのような熱を帯びていた。
「おい、離れろ。もう魔物はいない」
ゲナウが困惑を隠せないまま低い声で促すが、女の子は首を横に振り、さらに服を強く握りしめる。その様子を隣で見ていたメトーデが、ふふっと口元を隠して楽しそうに笑い声を漏らした。
「ほぅらゲナウさん、子供って素直で可愛らしいでしょう? ───やっぱり、ご自分の子供が欲しいと思いませんか?」
「……からかうのも大概にしろ」
追い打ちをかけるようなメトーデの言葉に、ゲナウは不快そうに眉をひそめて睨みつける。だが、そんな二人の大人の緊迫感など、女の子には関係がなかった。女の子はゲナウに向かって、小さな両手をいっぱいに広げた。
「おっきなおじさん、かっこよかった! 助けてくれてありがとう! ───ねえ、だっこして?」
「何故、抱っこ……」
ゲナウは本気で困惑した。魔族との戦い方ならいくらでも知っているが、人間の、それも小さな子供の扱い方など教わっていない。助けを求めるようにメトーデを見るが、彼女は「まぁ、素敵」と言わんばかりに楽しげに見守っているだけだ。少女のまっすぐな眼差しに根負けし、ゲナウはため息をひとつつくと、おずおずと大きな両手を差し伸べた。脇の下に手を入れ、少女の体を持ち上げる。
「ッ……」
その瞬間、ゲナウの胸に奇妙な衝撃が走った。頑強に鍛え上げられた自分の体躯に比べ、腕の中の少女は、驚くほどに軽かった。まるで、少し力を込めてしまえば簡単に壊れてしまいそうなほど、儚い。
───子供など、無力でしかない。先ほど自分が口にした言葉が脳裏をよぎる。しかし、今その無力さに抱いた感情は、冷徹な突き放しではなかった。自分の腕の中で安心しきって笑顔を浮かべる小さなぬくもり。その柔らかさと軽さが、ゲナウの胸の奥底にある、彼自身さえ忘れていた柔らかな感情を揺さぶる。それは、愛おしさ、と呼ぶべきものだったのかもしれない。
「………んん"」
そんな自分自身に対する戸惑いと気恥ずかしさを隠すように、ゲナウはわざとらしく小さく咳払いをした。だが、その抱擁は少女を落とさないよう、どこまでも優しく、慎重に保たれたままだった。夕暮れの光が、不器用な魔法使いと小さな少女を、静かに照らし続けていた。
……ゲナウとメトーデは念の為、村に魔物や魔族がそう簡単に入り込めないよう二人で協力し、村全体に結界を施した。より強力な魔物や魔族が相手では突破されてしまう可能性はあるが、何もしないより遥かにマシだ。
ガタゴトと、規則正しい馬車の振動だけが周囲を包んでいた。村を離れ、すでに数刻。窓の外には、夜の帳が静かに降り始めている。座席に向かい合って座るゲナウは、腕を組んだまま、じっと窓の外の闇を見つめていた。その横顔には、いつも以上に重い沈黙が刻まれている。メトーデは膝の上で手を重ね、そんなパートナーの様子をそっと観察していたが、ふっと小さく微笑んで声をかけた。
「あの子、とっても可愛かったですねぇ。ゲナウさんと別れ際なんて、大泣きしていましたもの」
思い返すように細められたメトーデの瞳には、やはり温かい光がある。しかし、話を振られたゲナウは、ゆっくりと視線を窓からメトーデへと移し、未だに納得がいかないといった様子で眉間を厳しく険しくした。
「……何故泣かれなければならんのだ。魔物はすべて退治した。危険はもうない。泣く理由などどこにもないはずだ」
本気で困惑しているその口ぶりに、メトーデの口元がさらに緩む。今度はいつものからかいを含んだ笑みではなく、心の底からの温もりを込めて、ゲナウをまっすぐに見つめた。
「ゲナウさんがパパさんになったら、案外、子煩悩になるかもしれませんよ?」
「パパさんって……お前な」
ゲナウは呆れたように言い、すぐに視線を落とした。その声のトーンが、一段と低く沈む。「子煩悩」などという、自分にはおよそ似つかわしくない響き。それが彼の胸にある、一級魔法使いとしての冷徹な「現実」の地層を刺激したようだった。
「私は魔族や魔物、同族の人間だって殺してきた身だ」
血の匂いが染みついた己の両手を見つめるように、ゲナウは拳を固く握りしめた。
「そんな私が、あんな無力な子供を育てるなど……あってはならないことだ」
それはメトーデに対する反論というよりも、自分自身に強く言い聞かせ、戒めるような響きを持っていた。戦いの中で他者の命を奪い、自らもいつ死ぬか分からない境界線に身を置く者。その自責と覚悟が、ゲナウという男の根幹だった。しばらくの間、馬車の揺れる音だけが室内に満ちた。ゲナウは再び窓の外へと視線を戻そうとしたが、その前に、メトーデの静かな声が彼を呼び止めた。
「貴方は自身を、穢れた存在と思っているようですが」
メトーデの声には、もう悪戯っぽさは一切なかった。柔らかく、しかし決して揺らぐことのない確かな意志が、その言葉には宿っている。
「わたくしはそうは思いません」
ゲナウが怪訝そうに視線を戻すと、メトーデはまっすぐに彼の瞳を射抜いていた。
「貴方は、子供を抱く資格があります」
「何……?」
「だって現に、そうしたでしょう?」
メトーデは、ゲナウが少女をそっと抱き上げたあの瞬間を指し示すように、自分の両手を小さく胸の前で丸めてみせた。
「あのとき貴方がその手で守り、抱き上げたからこそ、あの子の未来が繋がったのです。無力な命を守るために戦ってきた貴方の手が、穢れているはずがありません」
メトーデの言葉は、ゲナウの頑なな心を優しく、だが容赦なく解きほぐしていく。ゲナウは何かを言い返そうと口を開きかけたが、メトーデの曇りのない眼差しを前にして、言葉を失った。ただ、自分の大きな掌をもう一度見つめ、小さくため息をつくことしかできなかった。
「……勝手なことを」
ぶっきらぼうに紡がれたゲナウの言葉には、先ほどのような冷たさはなかった。ゲナウは再び窓の外へ視線を向けたが、その横顔は、少しだけ夜の優しさに救われたように見えた。
End