日が沈み、冷え込み始めた北側諸国のとある街。灯りが恋しくなる時間帯に、フリーレン一行と一級魔法使いのゲナウ、メトーデは、たまたま同じ宿場町の酒場にいた。
「お姉さ〜ん! こっちで一緒に飲まない?」
酒場の喧騒を割って響いたのは、ザインの威勢のいい声だった。彼の視線の先にいるのは、人間の女性としては圧倒的な高身長を誇るメトーデ。大人の色香を纏った彼女を見つけた瞬間、ザインの“お姉さん好き”の血が騒いだのだ。
ザインは鼻の下を伸ばし、グイグイと距離を詰めて猛アタックを開始する。
「まぁ、嬉しいです。ふふ、お上手ですね」
メトーデは完璧な社交スマイルを浮かべ、細い指でグラスを弄びながらニコニコと相槌を打つ。しかし、その内面は驚くほど冷ややかだった。彼女の視線は、ザインの頭頂部をわずかに見下ろしている。
(この人、本当にしつこいですね……。私の好みは小さくて可愛い子。そろそろフリーレンさんを撫でに行きたいのですが)
心のシャッターは完全に下りていたが、大人の余裕でそれを表には出さない。
その時、ザインとメトーデの間に、大きな影が割り込んだ。180センチを軽く超える無愛想は男───ゲナウだ。
「……おい、仕事の話の邪魔だ。不届きな破戒僧め」
ゲナウは嫉妬の感情など微塵も見せず、ただの治安維持として、威圧感抜群の体躯でザインの視界を真っ暗に遮った。
「うおっ!? なんだよお前!」
仰天するザインの背後から、メトーデがクスリと艶然たる笑みを漏らす。彼女はゲナウの大きな背中にすっと隠れると、楽しげにその肩を突いた。
「ふふ。ゲナウさん、ありがとうございます。やっぱりゲナウさんは頼りになりますね」
完璧にシャットアウトされたザインは、すごすごとフリーレンたちのテーブルへと退散するしかなかった。傷心のザインがドサリと椅子に座るなり、待ってましたと言わんばかりに仲間たちの容赦ない言葉が突き刺さる。
「どんまい、ザイン。あれじゃゲナウに勝てるわけないよ」
フリーレンが、長年生きてきたエルフ特有の達観した目で、あっさりと塩を塗った。
「ザイン様はそもそも破戒僧ですから、メトーデ様がザイン様に振り向くなんてあり得ませんね」
フェルンはいつも通り、ゴミを見るような冷徹な目でド直球の正論を放つ。
「ザイン……諦めようぜ。オレから見てもゲナウの方がメトーデにぴったりだと思う」
シュタルクまでが、ピュアで悪気のない、それゆえに最も致命的な一撃を喰らわせた。
「分かった、分かったよ! 俺が悪かった! ……おいシュタルク、酒付き合え。今夜は朝まで飲むぞ!」
頭を抱えたザインは、シュタルクの肩を組んで猛烈にヤケ酒を煽り始めた。
しばらくして、ザインがすっかり出来上がった頃。酒場の扉が開き、まだ仕事の書類を片手に持ったゲナウと、その後ろを歩くメトーデが再び入ってきた。カウンターに座る二人の、あまりにも自然で熟年夫婦のような空気感を見たザインは、ついに耐えかねて叫んだ。
「もう付き合っちゃえよ!!」
酒場に響き渡るザインの魂の叫び。言われたゲナウは、眉間に深い皺を刻んでザインを一瞥した。
「……あいつは何を言ってるんだ」
本気で意味が分かっていないゲナウの横顔を見て、メトーデの悪戯心がうずく。彼女はニヤニヤしながら、ゲナウの顔を覗き込んだ。
「ふふ、付き合っちゃいましょうか、ゲナウさん?」
ゲナウは全く動じることなく、ただただ生真面目な仕事脳で、下心ゼロの冷徹なトーンで言い返した。
「何の話だ。仕事の話ならいつでも付き合うが」
その徹底した天然っぷりと、言葉の意味はすれ違っているのに完全に呼吸が合っている二人の空間を見て、ザインはガクリと項垂れ、静かに木製ジョッキを見つめた。
「もう付き合ってんじゃん……」
ザインの諦め混じりの呟きは、賑やかな酒場の喧騒と、メトーデの楽しげな笑い声の中へと消えていった。
【ある街の酒場にて、女子組の席】
メトーデは、念願のフリーレンとフェルンに挟まれて至福の表情を浮かべている。
「ふふ、まさかこんなところでまたお会いできるなんて。女神様の導きかしら。ねぇ、フリーレンさん、フェルンさん、お隣いいですか?」
「ん、いいよ。あ、メトーデ、その魔導書は……」
「ええ、道中で手に入れた『好みの相手を膝枕したくなる魔法』の記述がある古文書です。これをフリーレンさんに差し上げる代わりに、ちょっとだけ、ぎゅーってしてもいいですか……?」
すかさずフリーレンの前に立ちはだかり、ガードするフェルン。
「メトーデ様、フリーレン様にあまり変な色仕掛けをしないでください。あと、さっきから私の頭をなでるのもやめてください。子ども扱いしないでください、もう嫌いです」
「あら、フェルンさんったら照れて可愛い……!」
【男子組の席】
一方、そこから少し離れた席では、ザインがゲナウに対面で詰め寄り、シュタルクが小さくなっている。ジョッキをドンと置き、まだ前回の件を引きずった顔で言うザイン。
「……おい、ゲナウ。任務終わりで機嫌がいいところ悪いが、男同士、腹を割って話そうや。お前、ぶっちゃけメトーデさんのこと、本当の本当はどう思ってんだよ!?」
エールを静かに口に運び、眉一つ動かさないゲナウ。
「……しつこい男だな、破戒僧。前にも言ったはずだ。あいつはただの『仕事上の関係』だ。一級魔法使いとしての能力は認めているが、それ以上でも以下でもない」
「嘘つけ! あんな美女に毎日からかわれて、距離詰められて、何も思わない男がいるかよ! お前、あのメトーデさんの大人の色気に、1ミリも心が動かねぇって言うのか!?」
「動かん。あいつのあれはただの悪癖だ。エルフの小柄な少女、ゼーリエ様やフリーレンを前にした時のあいつの奇行を見てみろ。私に向けるからかいなど、ただの暇つぶしに過ぎん。……お前こそ、旅の途中にそのような雑念ばかり抱いていて、よくフリーレン達の同行が務まるな」
「うっ……! それはそれ、これはこれだろ! あぁもう、お前のその頑なな態度が、逆にメトーデさんのドS心を刺激してんだって気付けよなぁ!」
二人の熱い温度差に完全に置いていかれ、チビチビとジュースを飲んでいたシュタルクが口を開く。
「……あの、ザイン。ゲナウ。オレ、なんか大人二人の難しい会話に全然ついてけないんだけど……。それより、この店の串焼き、もう一本頼んでもいいかな……?」
ザインはいきなりシュタルクの肩をガシッと掴む。
「シュタルク! お前はまだ若いから分かんねぇだろうがな、世の中にはこういう『自覚のない最強の壁』ってやつが存在するんだよ! お前もフェルン相手にこうなるんじゃねぇぞ!?」
「えっ!? なんでそこでフェルンの名前が出るんだよ!?」
「……やれやれ。やはりただの破戒僧だな」
【女子組の席】
男子席の騒がしさに、フェルンがジト目を向ける。
「あら、どうしましたフェルンさん?」
「……男子組の席から、さっきから妙な視線を感じます。特にザイン様が、何やらこちらを指さして熱弁しているような……」
「ふぅん。何か言われてるんじゃないの、私たちのこと」
「ふふ、ではフリーレンさん、わたくしが確かめて来ましょうか。正直、ザインさんは好みのタイプから遠くて苦手ですけど。……ちょっと失礼しますね」
メトーデは立ち上がり、大人の余裕を漂わせながら、悠々と男子組の席に向かって歩いて行く。
【男子組の席】
こちらに向かってくる美女に、ザインがすぐに反応する。
「……おっ、おい見ろよ! メトーデさんがこっちに来るぞ! やっぱり大人のお姉さんは分かってらっしゃる。俺の熱いパッションが届いたんだな!」
心底不快そうにザインを一睨みするゲナウ。
「……黙れ、破戒僧。品性のかけらもない声を出すな。あいつが来るのはお前のせいだ」
メトーデの接近と、大人二人の一触即発の空気にビクビクするシュタルク。
「……うわ、なんかヤバい雰囲気になってきた……。オレ、絶対に何か巻き込まれる……」
メトーデが男子席のすぐ横に到着する。
「お熱いお話をされているようですけれど、わたくしの噂話でもしていたのかしら?」
ゲナウは無意識にメトーデとザインの間に少し体を入れ、遮る。
「……メトーデ。気にするな。この破戒僧が下らん妄想を口にしていただけだ。お前はフリーレンたちの席に戻っていろ」
その動きを見逃さず、立ち上がって机を叩くザイン。
「ほら見ろ!! おいゲナウ、あんたそろそろ自覚したらどうだよ! 今のも完全に無意識にメトーデさんを俺からガードしたろ!?」
「……何だと?」
「認めちまえよ! あんた、本当はメトーデさんが好きなんだろ!!」
ザインが放った超大型爆弾に、酒場のその一角が、水を打ったように静まり返る。ゲナウは目を見開き、シュタルクは口を開けたまま硬直。遠くの席から見ていたフェルンも「えっ……」と固まっている。
数秒の沈黙の後、メトーデがクスリと、いつも通りの綺麗な笑顔で一言。
「あらあら……。わたくしはとっくに、ゲナウさんのこと“大好き”ですよ?」
「「えええええええええーーーーっ!!!???」」
あまりにもストレートで、かつ全く照れのない極上の笑顔に、ザインとシュタルクの叫び声が店内に響き渡る。ゲナウはというと完全にフリーズし、顔がわずかに強張っている。
「……ッ!? ……お前、それは……どういう……」
普段どんな死線を超えても眉一つ動かさなかった一級魔法使いゲナウが、生まれて初めて「この場をどうしていいか全く分からない」という風に、視線を激しく泳がせ、ジョッキを持ったまま完全に石化してしまった。
「ふふ、任務上のパートナーとして、ですよ? ……まぁ、それ以外の意味かどうかは、ゲナウさんのこれからの態度次第、かしら?」
ザインの方は石化したゲナウの肩を揺さぶっている。
「おいゲナウ! しっかりしろゲナウ!! 完全に一本取られてんじゃねぇか!! おい!!」
【女子組の席 ⇒ 男子組の席へ】
男子席の爆発的な騒ぎ(ザインとシュタルクの絶叫)を聞いて、フェルンのジト目がさらに深まる。
「……何だか、えっちな話をしているように思うのですが。フリーレン様」
「……確かめに行ってみようか、フェルン」
二人が歩み寄ると、男子席はとんでもない惨状になっていた。メトーデは美しい笑みを崩さず優雅に佇み、シュタルクは何故か大人の会話の刺激が強すぎてゆでダコのように顔を真っ赤にしている。そしてザインは、魂が抜けて思考フリーズしているゲナウの肩を激しく揺さぶっていた。
「おいゲナウ! 現実に戻ってこいゲナウ! しっかりしろ、一級魔法使いだろお前!!」
「……何これ」
「フリーレン様、この人達……やはり、えっちな話を……。シュタルク様の顔の赤さが何よりの証拠です。不潔です。信じられません」
「ち、違うんだフェルン! オレはただ聞いてただけで、何もしてねぇっていうか、その……っ!」
慌てる若者たちをよそに、メトーデは妖艶にふふっと微笑む。
「えっちじゃないですよ、フェルンさん。これは大人の男女の駆け引きなんです。それをわたくしは、ゲナウさんと楽しんでいるだけですよ?」
「……男女の、駆け引き……? 私は……そんなもの知らん……」
あの威風堂々としたゲナウが、完全に防戦一方で混乱気味に呟く。するとメトーデは一歩近づき、その耳元に囁くように悪戯っぽく微笑んだ。
「知らないなら、これから幾らでも教えて差し上げますから。……覚悟なさって下さいね、ゲナウさん?」
「ッ…………!」
完全に言葉を失い、慌てて視線を逸らすゲナウ。その圧倒的な強者感と大人の包囲網を前に、ザインはガックリと肩を落とした。
「……あー、マジで敵わねえわ、この二人……。俺が間に入り込める隙なんか、1ミリもねぇじゃねぇか……」
完全なる敗北感を噛み締めながら、ザインは残ったエールを一気に飲み干すのだった。
End